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とうとう精神病院に

 断酒20年のヨウスケです。

 あまり気乗りはしなかったのですが、年末にアルバイトに行っていた会社に行くことになりました。

 今度は出荷の仕事とは違い、工場での作業になります。単純な作業で一日がとても長いです。

 時計とにらめっこの毎日。

「早く定時の5時になれ~」

「5時になれば飲める」

 頭の中はそんな思いだけでした。

 類は友を呼ぶというか、波長同通の法則なのか、職場の同僚も飲むのが好きな人が多く、仕事が終わったら毎日飲み会です。

 中でも大学の先輩筋にあたる大酒飲みの人が居て、ほぼ毎日その人と飲んでいました。酔っぱらうといい歳してその人と良くプロレスごっこをしていました。

 朝、二日酔いなのかまだ酔っているのか分からないような状態で、とりあえず日本酒を一杯ひっかけるとシャキッとします。

 酔ってる状態で仕事に行っているので作業効率は悪いし、ミスも多い。しかも、作業の指示を聞いたことすら覚えていませんでした。

 酔っていたことは職場の人も気づいていたと思いますが、そもそも工場長自体が飲みながら仕事しているので、そのことに触れられなかった感じでした。

 食欲も無く、昼も全く食べられません。アルコールもビールの炭酸がきついので、飲むのはパックの安い日本酒がメインになります。

 仕事にも全く身が入らず、自分は一体何がしたいのかも分からなくなり、思い出すのは過去のことばかり。

 ホテル時代の華やか(というほどでもありませんが…)な生活が懐かしく思えてきたり、これでも塾の講師をしていたこともあるんだと、中身の無い空っぽのプライドで

「俺は本当はこんなところに居るような人間じゃないんだ!」

 などと恥ずかしながら思ったりしていました。

 精神的にもかなり荒れており、一緒に仕事をしていた友人と飲むと良く口喧嘩になりました。

 そんな様子でしたので、時々仕事も休んでいました。そして、年末の一番忙しい時期に大酒飲んで仕事に穴を空けて、結局そのまま辞めるという形になりました。

 数日後一人で街中に飲みに行って、商店街のベンチで酔いつぶれて寝ていたところを警察に保護されてパトカーで家に送られました。

 それまでも酔っばらって携帯電話や、もらったばかりの給料袋を落としたり、かなり危ない状況になっていました。

 それと前から時々はあったようなのですが、酔いつぶれるとどこででもおしっこをするので、部屋もとんでもない状態になっていました。

 以前から母親が地元のアルコール専門のドクターに相談に行っていたようで、しんどくて、もう飲めない状態になった頃、そのドクターのところ、そう、精神病院に連れて行かれました。

 アルコールの離脱症状で手というより全身が震えていて、まともに椅子から立ち上がることもできない状態で、そのまま入院ということになりました。

 私に入院を拒否するような余地はありませんでした。

 初めての精神病院。

 アルコール専門病棟でした。

 想像していたような鍵のかかった閉鎖病棟ではなく、今まで入院した内科の病室と比べると決してきれいではありませんが、特に変わりはない病室でした。

 ただし、入院している患者さんは色んなジャンル?の方々が居ました。

 同じ部屋には刺青の入った見るからにその筋の方と分かる方もいましたが、みんな優しく親切にしてくれました。

 次回、そこでの一ヶ月の入院生活について書いていきます。

 

 

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