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僕が目指した3組のコント師

重い重い!!テーマが重いわっ!!

どうもnoteを始めるにあたり、

ゆにばーす川瀬に「自分の芸人自伝をnoteに書くのは禁じ手」と言われ、身動きが取れなくなったバンビーノ石山です。

いきなりですが、芸歴13年でバンビーノが今までやり続けてきたことを発表します。

『普通に』面白いを目指し続ける。 これです。

そう、今から書くのは自伝です。 

すまん! 川瀬すまんっ!!

だって自己紹介ぽい記事が良いってnoteのサイトが言うてたもん!

まず、率直な想いとして

お笑いだけの事を考えて走っていたら、周りのライバルや先輩達がいつのまにか居なくなっていた。 今、そんな感覚です。

バンビーノは決して優等生ではありませんでした。

だからこそ、

自分たちにしか出来ない事、周りとの差別化、自分たちが売れる為の作戦、話し合った数は芸人の中では多い方かもしれません。

その時の僕の熱弁を藤田は半信半疑の目で見ていたと思います。

勝手にいなくなっていく分かりやすい例を挙げると、

まず、スキャンダル。事件を起こす、失言する。吉本芸人の割合はイカツイです(笑)

※渡部さんは吉本じゃないよ※ ←ここすれ違わないでね。

事件や失言を芸人だから面白いと捉える時代は終わりました。

芸人は無鉄砲で大胆なハミ出しもの。

今、そんな芸人にはほとんど仕事が回ってきません。1つの言葉の間違いで仕事が激減する時代になりました。

cleanな時代。

お笑いに真面目に取り組む、面白くなりたいという気持ち。

なんか聞こえはいいけど、芸人としての面白味ありませんよね?

この言葉に物足りなさを感じる方々もいると思います。でもね、

でも、これだけは言わせて欲しい。

『お笑いだけを純粋にやってたらいいだけ」でえ事もあります。

初めてそれを感じたのは大阪にコント師が溢れ返っていた時のこと。

当時の大阪は、ジャルジャルさんや天竺鼠さん筆頭にKOC全盛期でした。

コント師の数も多く、良い設定が浮かんでも「あのコンビがやりそうやなぁ〜」「似たようなやり取りはあのコンビがやってたよな〜」と、微妙な被り具合に四苦八苦したものです。

ハッキリ言うと『このコンビおらんくなったらこの位置取れるなぁー。。。」しかなかった。

当時の僕は、大阪では芸風が被りそうもないリズムや音を取り入れて作るということをやり始めるわけですが、その畑は2700さんが先に耕していました。 

2700さんが東京に進出したのを見計らって、その畑を耕し始めます。 

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拝啓 サポートメンバー様 自分の時間を有効に使おうとnoteを始めてみました。自分のプライベートに誰が興味あんねんっていう気持ちもありますが、メモはしてるけど発表しなかったことや、ボツネタとかも出来る限り続けてみますので、サポートをよろしくお願いします。ニーブラ敬具