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社会学的想像力:人間の多様性

第七章です。

社会科学は人間の多様性のなかに一定の秩序を見出して、それを説明できるようにしたいと考えています。ただ、あまりにも人類が多様すぎて、そんなことが本当に可能なのか、永遠の課題だそうです。細かく説明していけば全体を見失うし、大雑把な説明にすると、あまりにも多様性を無視した薄っぺらい内容に終わってしまいます。

人間集団を分類する方法はいろいろありますが、その中でも有用なのが「国民国家」による分類だそうです。もちろん、宗教とか民族とか文明とか、いろんな切り口で分類することができますが、「国民国家」による分類は、政治的、軍事的、文化的、経済的な区分がまとまっていて、とても分かりやすい分類になっています。

重要な問題を真剣に考察するようになれば、大半の社会学者は、国民国家よりも小さな単位で定式化するのは非常に難しいことに気づくのである。これは、階層、経済政策、世論、政治権力の性質、仕事と余暇の研究に当てはまる。地方自治の諸問題でさせ、国民という枠組と十分に関連づけなければ、適切に定式化できない。

P197

もう一つ、学問としての分類もあります。政治学、経済学、心理学、人類学など、社会科学のなかにはいろいろな学問分野が存在します。ただ、そうやって各分野が自分の専門の範囲にとどまっていては、人類全体の分析にはつながりません。これらを統一して、一つの社会科学にまとめたいところです。

でも、政治学者、経済学者、心理学者とか、みんなそれぞれ自分の縄張りがあるし、それぞれ深い専門性が必要なのも確かで、そう簡単に統一できるものではありません。それに対して筆者は以下のように述べています。

私たちの時代の重要な問題を提示して解決するためには、複数の学問分野からデータ、概念、方法を選ぶ必要がある。関心を持った問題をはっきりさせるためにデータと観点を使うために、一人の社会科学者が「学問分野をマスターする」必要などない。専門は、学問の境界線によってではなく、主題とする「問題」によって分化すべきである。

P204

つまり、問題に応じて適切な学者を連れてくればいいだろうと。社会学者同士仲良くなって、得意分野をカバーしあえば、統一できたも同然、ということなのでしょうか。

このようにして、社会科学が「公分母」となるための前提条件をそろえるような感じの章でした。おわり。

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