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越境しない古参に未来はない~正統的周辺参加より

正統的周辺参加の解説とあとがきを読みました。訳者あとがきが、この本の中で一番良い内容でした。本文の紹介は以下を参照。

学校の勉強がうまくいかない理由

子どもはよく「こんな勉強して何の役に立つんですか」という質問をする。これこそ、まさに勉強の本質である。

本書が提案する正統的周辺参加という考え方では、学習とは「共同体に参加して課題を解決すること」、すなわち「仕事をすること」だと言っている。学習は、個人の頭の中でやることではない。先生から教わって、学び取る、身につけるようなものではない。自らが人々と共同して仕事をする、その実践の中で自然と身につくものなのだ。

この定義において、学校が子供たちにとって学びの場であるかは非常に疑わしい。学校の活動が直接、社会課題の解決につながって、学校に参加することで社会に貢献できるわけではない。20年後の社会貢献のために今がある、なんて言っても、それは実感できるものではない。

こどもたちも、社会に貢献したいし、社会貢献を通じて学習したいという意欲がある。それが「何の役に立つんですか」という質問につながっていくわけだ。だから社会科見学で実際に大人が働く現場を見たり、地域交流で地元の人の話を聞いたりすることは、子供たちが「社会的実践」に触れることのできる貴重な機会だと分かる。

逆に、そういう実感の伴わない勉強は、学習形態としてはかなりいびつな状態と言わざるを得ない。学習をコントロールするのは実践へのアクセスであり、いかに本物の実践の場(仕事・現場)を見せて、将来はそこに「行ける」という実感を持たせるかが鍵となる。

やる気・モチベーションの生みだし方

こうした正統的周辺参加の考え方をさらに深めると、学習とはアイデンティティの形成である、と考えられる。学習とは知識の獲得・蓄積ではなく、社会への貢献を通して自分が「何者かになっていく」という自分づくりなのである。

新参者は、共同体に参加して仕事をする中で少しずつ自分の役割を獲得し、ポジションを作っていく。共同体自体も、そんなあなたを受け入れた形で変容して最適化していく。次第にあなたは、共同体の中でも中心的な人物となっていき、新たにやってきた新参者の手本となる。こうやって自分のアイデンティティを確立していく過程そのものが、学習なのである。

そうすると、「やる気」の源泉ともいわれる「内発的動機付け」についても新たな解釈が生まれる。これは従来だと「学習すること自体が楽しい」と解釈されてきたが、そうではなく「共同体の中での活動(学習)によって自分のアイデンティティが自覚され、参加意識が高まり、より一層深く活動にコミットメントするようになっている状態」とみることができる。

やる気を出るのは、こうやって共同体への参加・貢献の度合いが高まっていると実感しているときなのである。だから、新しい事業を始めたとき、新しいコミュニティを立ち上げたときなどは、誰しもが高いやる気を持って活動するのである。

古参になったその先

これまでの議論をまとめると、人は共同体への参加・貢献の度合いを高めることで様々なことを学習し、アイデンティティを確立する。その結果、共同体における古参となる。古参は、新たな新参者を支援しつつ、彼らの新しい発想から学び、共同体を運営していく。しかし、直にその新参者も成長して古参となり、自分は交代を余儀なくされる。

ここで、古参は別の共同体に越境することで新たな「新参者」となり、再び学習することができる。しかし、いつまでも越境せず共同体に残り続けると古参は「老害」となる。それは自らの可能性を自ら断っている人に過ぎない。共同体の中での役割がなくなり、学びがなくなった人に、価値はない。

だから何歳になっても挑戦は大事だし、新しい環境に向かうことを辞めてはいけない。それがあなたにとっても、あなたの所属する群れにとっても、幸せなことだから。

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