見出し画像

④庶民にだって逆転のチャンスはある!~ピエール・ブルデュー「ディスタンクシオン」より

ディスタンクシオンの紹介もついに最後です。第二部「4 場の力学」についての感想を書いていきます。やっと読み終わったー。これまでのまとめは以下を参照。

上流階級のディスタンクシオン

これまで見てきたとおり、庶民は上流階級を夢見て追いかける。上流階級は新しい文化を作って庶民とは一線を画した生活をする。次第に庶民が上流階級を真似るようになって、文化が大衆化していく。そうしたら上流階級は新しい文化を作る。この流れが連綿と続いている。筆者はこの上流階級の様子を次のように表している。

卓越化(ディスタンクシオン)の意図なき上品さ(ディスタンクシオン)(P406)

たぶんディスタンクシオンって言いたいだけだと思う。上流階級は、べつに嫌味とか下心で新しい文化を作ってるわけじゃないんです。もう、意図せずとも気付いたら新しい文化を作っちゃってるんです。そういう星のもとに生まれたから、自然と気品がにじみ出ちゃうんです。そういう文化資本を持っているんです。

でも、そんな新しく生み出された文化に、誰もついてこなかったらどうするのさ。新規事業なんて99.7%は失敗するんだぞ。新しい文化が失敗したら、ブルジョワのメンツ丸つぶれじゃないのか?

生産者たちは他の生産者たちとの競争の論理によって、消費者たちが自らの存在状態と階級の位置づけに応じてもつところの多様な文化的利害=関心に出会うような生産物を生産する。ある画家が言っていたように「誰でも売れる」、というのはつまりどんな画風の絵でも最終的にはかならず誰かに買ってもらえるものであるが、こうした状況を作りだす論理というのは要するに、意図的な探求の産物なのではなく、二つの差異体系の出会いによって生じたものなのだ。(P375)

ここでいう「二つの差異体系」というのは、豊かな層と貧しい層、支配者と被支配者、古顔と新顔、正統と異端、後衛と前衛など、なんでもいいらしい。つまり、異なる価値観の人が出会えば、どんなものだって売れるらしい。なんだよそれ。

庶民のディスタンクシオンだってあるはず

ということは、庶民が気付いていないだけで、庶民にだってチャンスはあるはず。上流階級がやっているのはつまり、日常生活のゼロコストで生じたゴミのような余りものを売ったら、必ず買う人がいる、って話だ。だから上流階級はゼロコストで生きているだけでずっと勝ち組だ、って話だ。でも、異なる価値観の人が出会えばなんだって売れるんだから、庶民だって同じことができるはず。

そう、まさにそれは江戸時代のうんこの話だ。

庶民だって、価値あるうんこを毎日出している。ただ、異なる価値観の人に出会ってないから、それが売れないだけなんだ。二つの差異体系が出会えさえすれば、うんこだって売れるんだ。

庶民の卓越化(ディスタンクシオン)の意図なき下品さ(ディスタンクシオン)も、これまた一つの価値体系なのだ。

そんなこと、筆者は一言も言ってないけどな!!!

差異体系との出会いを求めて

ブルジョワは人脈が豊富にある。この社会関係資本というのも、上流階級に重要な資本の一つだという話は以前にもした。

庶民は生活圏が狭いので、人脈を増やそうとしても、なかなか異なる価値観の、差異体系に出会うチャンスが少ない。上流階級のような謎の社交場とかなかなかない。でも、現代の我々にはインターネットがある。昔はできなかったかもしれないが、今なら世界中の人とメッセージのやりとりも簡単にできる。差異体系はあちこちに存在する。あとは、そこに飛び出していくだけだ。

文化資本や経済資本と比べて、社会関係資本の獲得コストが非常に下がっている現代、この点をハックしない手はないだろう。だから今すぐにでも、越境して、くらがりチャレンジして、異なる価値観の人に会いにいくのだ。それが、ゴミを売るための最短距離なのだ。この本は、そんなことを私に語り掛けている気がした(幻想です)。

ということで、異業種と出会うための業界インタビューを最近始めましたが、どんどん数を増やしていきたいと思います。興味あるかたはどなたでも、どんどんお声掛けください。よろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?