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伊予柑日記 情報のエコノミー

(※これは2020年11月のログです)

こわさについて

情報というのは未知の総量である、つまり、「知ってること」は情報がなくて「知らないこと」は情報がある(シャノンの情報定理)。内集団は行動様式が予測可能で、コミュニケーションの作法(プロトコル)も理解できている。だから安心できる。しかし、外集団はお作法がよくわからない。何で沸騰してるのか全然わからん。くらがりである。こわい。ここで問題は「情報とは、しらないこと」なので、価値がある情報的コミュニティとは「自分の知らないものが沢山ある場所」である。つまり、基本的に、こわい。

ここまで補助線を引くと「情報のエコノミーの調整による意思決定の支援を、高度化するために、「こわさ」をマネージする必要があるよね」という阿吽さんの発言が理解できる。

この前提を置いたときに、こわさのマネージとは何か? 1つは「くらがりチャレンジ」のような「未知に慣れること」だろうし、もう一つは儀礼などの「プロトコルを作る」ということだろう。プロトコルというのは、「知らない人同士が会話をするための決め事」である。たとえば、握手をするのは海外における一般的なプロトコル。

「こわさ」は、相手がこちら側への「未知」(経験・情報不足)であることによって発生します。それは、個体の認知であるとともに、対人同士の関係です。マネージするのは、分業促進目的で言えば、他者です。相手の認知を特定し、反省性を増大させるには、相手が「何を知っていて」=「安心できる」、「何を知らないのか」=「恐怖」ないし「不安」を予め予測しておく方が、関係構築の手順として、そして認知を高解像度化する作業手順としてスムーズだということです。

故に、「こわさ」(情報落差)を事前に制御できる方が、相手にとっても変な不安を感じずに済むし、こちらとしてもやりとりしやすい。そのため、「こわさ」をいかにして「マネージ」ないし「調整」するかということが問題になります。

「良い聞き手」は、相手が話し始めた時、「情報のエコノミー」の調節に成功している人間です。例えば、世間では嫌悪されているような話や人が躊躇う話を、偏見なしに聞き、掘り下げられるとか。

情報のエコノミー

フーコーを読んで、僕はこの人は情報(概念)のエコノミーの歴史的な変化がわかる人だ!と思いました。

情報のエコノミーは、「文化的・時代的なレベルの思考のクセ」。思考回路に時間の流れが加わったもの。

人間は、特定の概念をただ単に使ってるだけじゃなく、使うことを通じて何かを指示したり、思考を組み立てるための材料として使用しています。そこには、特定の問題があって、その問題の発生と解決の仕方に、概念の抽象度や、使われ方の癖が関わるという感じです。

例えば、プロ奢さんの「情報のエコノミー」は、何かを表現するとき、「デュエマ」メタファーという経験的類似物を並べて表現する。あまり抽象化とかしない人だというのは、当人の中の「情報のエコノミー」です。

エコノミーなので、僕の中では流通量に偏りや、規制があって、またインフレ化、デフレ化します。無駄に重み付けされたり、切り詰められたり。時系列変化まで読める。思考回路は、無時間。

中身が、いかなる意味で一緒かを重視する阿吽と、無視しても変わらないとみなすプロ奢さんの違いです。たしかに日常的にぷろおごからは「AとBはおなじじゃん」という発見の声をきき、阿吽さんからは「AはAとA'じゃないですか?」という声を聴く気がする。プロ奢さんの情報のエコノミーは、だから「類似物」の発見という問題解決を絶えず遂行することになる。

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