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カリスマ事例:チャールズ・マンソンの連続殺人事件

1960年代にアメリカでカルト集団を作って連続殺人事件を起こしたマンソンという人がいるそうです。彼もまたヒトラーと同様のカリスマ性を示して人々を魅了していったようです。

当時のアメリカも、伝統的な階級的・社会的集団の欠如、自分の行動を判断し正当化するためのモデルの欠落、極度に流動的・多元主義的な政治形態、平等主義や個人的選好にもとづく自由選択、高度の都市化・工業化・特殊化、といった状態にあったそうです。こういう指針がなくなったときに、人々が自分の行く末を示すモデルとなるカリスマを求めるのは、ヒトラーのときと全く同じです。

ただ、このアメリカの事例は、人々が絶望しきっていたのではなく、もっと生き生きと、もっと十分に生きたいという冒険的衝動によって、自ら進んで選んでいった状態のようです。白人で、中産階級で、豊かで、大学教育を受けている若者たちが、カルトのメンバーになっていきました。

「汝の欲するところをなせ」「いまこの時を生きよ」といった価値観が推奨され、経験と直感で善悪を判断できると考えました。豊かではあるが病んだ社会に異をとなえ、その代わりに平等と連帯と感情表現と創造力が促進されるような自分たち自身の世界を築きあげようとする、自信に満ちた青年たちです。

自分自身あるいは「民衆」のために自由を希求した人々は、往々にして、ふと気がつくと鎖につながれていました。自由を追い求めていたはずなのに、気付いたら権威主義へと引き寄せられていきます。それは、結局自ら望んだ鎖なのです。

自分自身の枠から外に出て、自分を振り返ってみると、自分というのも一つの幻想にすぎないことが分かります。真に存在するのは唯一者(カリスマ)のみ。我々はみな、唯一者の一部なのです。

こうした一体化と自己喪失は、この上ない快楽を与えてくれるそうです。本質的な無我性と責任放棄。それこそが人間の根源的な欲求なのです。

ヒトラーの時と同じですが、こうしたカリスマ集団は、現実への不満とその反発から発生します。そして、集団の沸騰が最高潮に達すると、そこからカリスマ性の崩壊が始まります。それまで対抗してきた障害が取り払われ、団結力が薄れていきます。カリスマは、幸せな一体感を維持するために過激化し、最終的に殺人にまで発展したようです。

私たちの状況も同じではないか

カリスマ集団がカルト化して殺人事件を起こした、とだけ聞くととても悪いことだと思うし、自分にはそんなこと関係ないと思うでしょう。でも、カリスマ集団が生まれた社会背景を考えると、むしろその土壌は驚くほど整っていると思った方がいいでしょう。

今、自分のまわりに面白いことがないな、誰か面白い企画を立ててくれないかな、と思っているあなたの心に、カリスマはスルッと入り込んできます。嫌なことは全部やめてもいい、自分の好きなようにしたらいい、そういった甘い言葉とイデオロギーをもって近づいてきて、そしてあなたに魅力的な合一化と自己喪失の快楽を提供してくれるのです。

それが必ずしも悪いこととは限りません。カリスマと一体化することは、本当に幸せなことらしいです。でも、その快楽は麻薬と似たようなもので、依存して抜け出せなくなるものかもしれません。そういうことを少し頭の片隅に置いておいたほうがいいかもしれません。

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