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愛すべき『進撃の巨人』

【目次】
◆『過去と未来の記憶ツアー』
・119話から131話時点考察コメント
・ラスト4話「神展開予想」
◆132話『自由の翼』所見
◆133話『罪人達』所見
◆134話『絶望の淵にて』所見
◆アニメFinalSeasonに於ける所見
◆135話『天と地の戦い』所見
◆136話『心臓を捧げよ』所見
◆「進撃の巨人というシンクロニシティ」
◆「優しさを罪に変えてしまう社会」への怒り、他
◆137話『巨人』所見
◆アルアニ・ガビファル他『カップリング』の行方
◆「いってらっしゃい」と「あの景色」のダブル回収妄想を
◆138話を読む前に・・親愛なるエレン&アルミン 他(2021.3.2更新)
◆138話『長い夢』所見(最新版)
・最後の大胆予想!(最新版)
・その他138話考察、最終話に向けて(最新版)
・『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』との比較記事
 *エヴァのネタバレを含みます。ご注意ください。
・4月8日 いよいよ今夜・・・
◆最終話139話『あの丘の木に向かって』所見(2021.4.9最新版更新)

◆愛すべき「進撃の巨人」あとがき(2021.4.13 更新 完結)

◆【2021.5.1  考察追記】【2021.6.28  34巻追加ページについて】を追記

◆追記【2021.7.18】【2021.9.14】【2022.5.29】


『ユミル・イェーガー』
それが・・彼のハンドルネーム・・
ネームの意味は・・「始まり」と「終わり」 そしてラストカットの赤子の命名らしい。
意味深なダブルミーニングであるというハンドルネームに惹かれ、
いつしか私は、『ユミル・イェーガー』なる謎の人物の投稿を追うようになる。

彼が『ユミル・イェーガー』として考察サイトなどに投稿者として現れ始めたのは、
進撃の巨人119話あたりから・・そうエレンの首が飛んだ時から・・
当時の彼のコメントを拾ってみると、既にそのころから神考察が始まっていたことが解る。

ユミル・イェーガーの119話当時の考察コメント                                                        
「エレンの首が飛び、それをジークがキャッチ。」
「そこで、史上最大の『ビリッ』が起こる」
「エレンは始祖の能力によって、世界の記憶、世界の真実を知る事になる」
「エレンは始祖の能力によって、ライナー、アニ、アルミンなど全ての知性巨人だけでなく、全てのユミルの民に繋がって、「世界の記憶」と「世界の真実」を全員に共有させる。
今後、「世界の記憶」と「世界の真実」を知った登場人物たちが、どう行動するのか?」
「真実を知ったおかげで、ハッピーエンド?」
「真実を知ったがゆえに、バットエンド?」

そして
2020年8月・・
進撃の巨人 第131話に於て、彼は稀代の名作の全貌を暴いてしまった・・・・・
それはまさに、神考察・・

『ラムジーが死に際に見た始祖ユミルは、未来の記憶ツアー中のユミルである。』
『グリシャが見た記憶ツアー中のジークと同じです。』
『現在の時間軸は122話の座標。』
『エレンがユミルをハグして、そこにジークも触れている状態。』
『123話以降は、まだ起こっていない。』
『たぶん、122話のラスト、エレン巨人化からが、未来の記憶ツアー。』
『作中の現実世界は、119話のラストで、止まっていた』

『地ならしは、まだ起こっていない』

私は愕然とした・・

そして・・震えた・・・・

「進撃の巨人」は、
『ループ』でも『パラレルワールド』でもない。
まして『人類滅亡』でもない。
それらを見事にミスリードした『記憶』の物語である。

諌山先生
講談社スタッフのみなさま に
敬意を表して・・
そして・・
親愛なる進撃ファンのみなさまへ・・
『ユミル・イェーガー』の『神考察』の全容をお届けする。

先ず『ユミル・イェーガー』が紐解いた設定について

【プロットの根幹】
『過去』=過去に起こってしまったコト=『記憶』
『未来』=これから起こそうとしているコト=『希望(意志)』
『現在』=今、このときを生きる決断=『選択』

【展開要素】
『世界は残酷』として『過去』を問題提起する。
『森を抜ける』という『希望』を描く。
『悔いなき選択』として『現在(今、このとき)』を生きる姿を描く。

以下
131話時点での『ユミル・イェーガー』の考察コメントをご紹介する

【考察コメント1】
過去のグリシャの記憶の中にある「未来の記憶」が見れたように、
未来の記憶ツアーでは、未来の誰かの記憶の中にある「過去の記憶」も見れます。
エレンは始祖ユミルに、人としての心を取り戻し、巨人を作るコトをやめさせ、巨人の歴史に終止符を打つということを、始祖ユミル自身の選択によって行わせようとしている。
始祖ユミルが人の心を取り戻すため、そして選択することの前提として
「悲惨な未来の記憶」と、それに繋がる「過去の真実」をユミルに見せている。関わりのある全ての人たちの未来と過去の記憶を。
この『過去と未来の記憶ツアー』こそ、ジークとの記憶ツアーを経て、始祖ユミルの2000年前の記憶を見た後に、エレンが導き出した最終作戦。
『終わらせてやる作戦』(笑)

【考察コメント2】
私の言う『記憶』とは、
「過去の記憶」・・・既に起こっている変えられない真実・事実
「未来の記憶」・・・まだ起こっていないパラレルのごとく広がる可能性の選択肢

『座標』は全てのユミルの民の『記憶』のアーカイブです。
今起こっているコト(現在)、既に起こったコト(過去)、まだ起こってないコト(未来)の『記憶』があります。
ポイントは【未来の『記憶』は、その人の想像・願望・希望・憶測・予測・不安・恐怖など人の『心』が創り出している部分がある】というプロットの存在です。それを作中に於てグリシャが未来の『記憶』と言っただけです。
『記憶』=『事実』というミスリードです。
――注釈――
『記憶』について調べてみました。
現在描かれている「未来の記憶」とは・・
『陳述記憶』というモノに分類されているらしく、
『イメージや言語として意識上に内容を想起でき、その内容を陳述できる記憶である。宣言的記憶とも呼ばれる。陳述記憶はさらにエピソード記憶と意味記憶に分類される』
というモノらしい・・です。。。。
想像や憶測、期待や不安、思い描いた可能性も『記憶』だと。
「まだ起こっていない未来の記憶」は、生物学的・心理学的にも存在しそう。

『過去と未来の記憶ツアー』とは・・
「過去に行って見る」のではなく
「過去の『記憶』を見る」だけです。
「未来に行って見る」のではなく
「未来の『記憶』を見る」だけです。
タイムトラベルしてないので「タイムパラドックス」はありません。
あくまでも「記憶」の中の体験。あるのは「今(この時)」だけです。

【考察コメント3】
多分、記憶を覗く対象の人間によって、同じ場面でも微妙に記憶が違います。
コレは未来の記憶(願望、予測、想像、憶測、悲観、楽観・・など)にも同じコトが言えて、皆、違う未来を心の中に秘めています。
覗く対象の人間ごとに、同じ未来でも違った結果を映し出します。
エレンの未来には地ならしや自分の葛藤が映し出されますが、
例えばサシャの未来には、食べ物しか出て来ません(笑)
また、一人の人間の中にも、たくさんの未来=可能性があります。
エレンの「全てはオレが望んだこと」は、それを暗喩してます。
それは、パラレルのごとく広がる未来の可能性の中から、
「自分自身が選ぶ」というコトです。
「悔いなき選択」の『選択』は、それを暗喩し、描いています。
記憶ツアーが終わり、122話の座標場面に戻った時、
エレンは、ユミルに自分自身で選択させます。未来を選択させるのです。
過去は、かえられません。でも、未来は、変えられると。

【考察コメント4】
132話以降も悲惨な未来と、明かされていない過去(145代フィリッツ王や巨人大戦、ヒィズル国やミカサの秘密など)が描かれる。
しかし、それは全て『過去と未来の記憶ツアー』の中で見る過去と未来の『記憶』
バッドエンドとなったところで122話の座標場面に戻る。
ここで初めて始祖ユミル自身の意志と選択で「巨人の歴史」を終わらせる。
始祖ユミル解放と同時に現実世界では壁が崩れてなくなる。
これが119話のラストの続き。
知性巨人化能力も無垢の巨人も、その現象は消滅。皆、人間に戻る。
しかし、それゆえ、エレンは首が飛び・・死亡。
座標にいたエレンは、最後の作戦として『道で繋がる全てのモノ』にユミルが見たモノと同じ『記憶』を見せている。
そして、それぞれの仲間や重要人物には『道』を通じてメッセージを残している。
「悲惨な未来」と「過去の真実」の『記憶』を見た多くの人々を中心に
世界が変わろうとする。
そこにアルミンの言った「まだ僕らが知らない壁の向こう側」がある。
エレンは、それに人類の『未来』を賭けた・・・

【考察コメント5】
私の進撃考察の集大成である「未来の記憶ツアー」は飛躍して考察を深めると、時間軸の「今」を122話に置きながら、第1話からそのツアーがスタートしています。
1話(845年)「二千年後の君へ」と122話(854年)「二千年前の君から」は、「今」この時(122話エレンが始祖ユミルをハグ)に対となって現れており、始点と終点は122話です。
本当の第1話は、122話。
ここから『13話目』の134話で、エレンとユミルの記憶の旅は終わり と予想してます。そして、全ての種明かしから、結末へ・・。
   
【考察コメント6】
進撃の継承者たちは、『まだ起こっていない未来の記憶』を覗き見て、自分がやるべき使命を実行してきました。
私が発想した『終わらせてやる作戦』は、始祖ユミルちゃんの協力を得て、
全てのユミルの民(できれば全ての人類)に、『まだ起こっていない未来の記憶』と『過去の真実』を見せるコトです。
その先は・・人類の選択に頼るしかありません・・
しかし、そこにアルミンが言った「まだ僕らが知らない壁の向こう側」があると。
そんな『希望』を持っていたのが、エレンです。
アルミンなら・・世界を救えると・・世界を変えられるハズだと・・

【考察コメント7】
過去の真実の『記憶』を見せるコトは、歴史教育的に間違った行いではないと思います。
しかし、まだ起こっていない未来の『記憶』を見せるコトは、記憶改竄ではありませんが、やや洗脳に近いモノがあります。エレンの中では、都合の良い記憶改竄を行うのではなく、人々に情報を与えた上で、選択の余地(自由)を与えて、委ねる という想いなのです。
何故なら、エレンは『未来は決まっていない』という事を確信しているからです。エレンがそれを確信したのは、119話。ガビに首を撃ち抜かれた時。
エレンが見た『未来の記憶』には、ガビが居ませんでした。
もし居たとしても、あの場面で対巨人ライフルで撃ち抜かれるはずは、なかった。エレンが不思議がる表情は、サシャ死亡時、ジーク巨人がリヴァイを振り切り現れた時にも描かれています。
未来が変わったのではなく、まだ決まってなかった。
自分が見た『未来の記憶』は、まだ起こっていない『未来の可能性』のひとつ。それをグリシャが『未来の記憶を見た』と言っただけ。
当然、『未来』を見たとは、言ってない。
『未来の記憶』とは、『未来の可能性』のコトだった という考察です。

【考察コメント8】
諌山先生が伝えようとしているモノ・・
正否や善悪を決めつけない『選択の自由』と『悔いなき選択』・・それは、
幼き日に、父親から「どうせお前は漫画家なんぞには、なれない」と決めつけられた過去と、それを敢えて跳ね除け、自分自身の選択を信じ「進撃の巨人」という稀代の名作を描きあげた経験。
ラストカットの「お前は自由だ」には、そんな想いも込められていると感じています。

【考察コメント9】
“エレンが少女ユミルに、悔いのない選択を与えていて、
少女ユミルがハルキゲニアに、ヒトの心を与えている。”

絵本の中に登場する悪魔と少女。
歴史書の中に登場する始祖ユミルと有機生物の起源と言われる者。

この謎が、見事にクリアされました。

1、ハルキゲニア(ユミルが接触した有機生物の起源)は「心」を暗喩

「心」=「脳」は『記憶』を海馬に蓄積することで成長します。
始祖ユミルの『記憶』には「残酷な世界」の「負」の部分しかない。
二千年前、槍に倒れたところで凍結状態。
始祖ユミルちゃんに接触したハルキゲニア(心の起源)はユミルちゃんの「負」の『記憶』を「巨人」という形で具現化していった。
人の心の中の「負」の部分、ダークエネルギーのようなものですかね。

2、「お前は自由だ」の『自由』は「選択の自由」

「お前は自由だ」は、悲惨な未来と過去の真実を知った物語の中の人類と、「進撃の巨人」という稀代の名作を読み終えた読者に、「巨人」という驚異を取り除いた上で、「さぁ、あなたは自由です。あなたが思うように「今」を「未来」を選択してください。」というダブルミーニングになっていると予想します。

3、「二千年前の君から」「二千年後の君へ」のメッセージは「人としてどう生きますか?」

「二千年前の君から」「二千年後の君へ」送られたメッセージは何か?
それは、二千年前の『心』から、二千年後を生きる物語中の人類と、私たち読者の『心』へ
「さぁ、あなたは、人としてどう生きますか?」
という問いかけを含んだダブルミーニングであると予想します。
事実、「進撃の巨人」を読んでいる読者たちは、「どうやったらこの問題を解決できるのだろう?自分だったらどうするのだろう?」と、物語の進行や登場人物のセリフのひとつひとつの真意に感情移入させて来ているはずデス。

【考察コメント10】
「人として、どう生きてゆきますか?」というメッセージ
分かりやすく自分の言葉にします(笑)

子供たちへ
思いっ切り、好きなように、自由に生きろ!!

若者たちへ
巨人すらいない世の中で、お前らっ! 一生懸命生きてっかーーー!

大人たちへ
自分のケツは、自分で拭け! いいか! やるのは・・今しかねぇ・・

おじいちゃんおばあちゃんへ
巨人はいるかもしんないし、いないかもしんないし・・
のんびり、ボツボツと、
美味しいモノをいっぱい食べて
いっぱい笑って
人生を味わってください・・

【考察コメント11】
アルミンの言った
「まだ僕らが知らない壁の向こう側」の『壁』とは
人種・人権の壁
文化・習慣の壁
思想・宗教の壁
を暗喩しています

【考察コメント12】
131話のエレンの『がっかり』発言・・
自身が追いかけていた『夢』の先にあったモノに対する発言でした。
子供にとっても、大人にとっても、『夢』は大切な、生きる原動力です。。。

最初は、『夢』を「追いかけていること」が楽しかった・・
「夢」を叶えるんだ・・と。
しかし・・・壁に突き当たると、夢を「追いかける」ことよりも夢を「あきらめない」ことが目的になってくる。
「夢」をあきらめるヤツは、弱い人間だ・・
「夢」をあきらめちゃダメだ・・と。
そこから頑張るのは、成長に繋がる・・こともある。
やがて・・
『現実』を実感する時がくる。
『自分自身』を知る時がくる。
ここでの『選択』が とても大切。
大切だからこそ、迷う、惑う、悩む、苦しむ・・
もう・・楽しさなんてない・・あるのは・・苦しみ・・ 
そして・・見失う・・・
本来の『夢』を・・本来の自分自身を・・

自分を見つめなおすことが出来れば、そこで見つける・・
本当の『夢』や『目的』、生きる『意味』を・・

本当に観るべき「夢」
本当に追いかけるべき「夢」
とは・・
追いかけて追いかけて・・届かなくて届かなくて・・それでもまた追いかけて・・
結果的に「夢」が叶わなかったとしても、「あぁ 楽しかった・・幸せだった・・」
と思えるものが本当の『夢』
結果的にソレが叶わなくて・・恨みや、後悔や、妬みや、嫉妬にかられる・・
ソレは『夢』じゃなくて、ただの『執着』にすぎない・・。

『夢』と『執着』は、紙一重・・

【考察コメント13】
エレンを止めて、地ならしを途中で止めて、人類を救ったとしても、
最初から地ならしなど起こさない選択をして、島に留まっていたとしても、
2000年かけて培われたユミルの民に対する憎悪は、数十年、数百年、
ひょっとしたら同じくらいの時間をかけないと消えないかもしれません。
これが地ならし抜きのハッピーエンド考察の最大の難関テーマでした。

『過去と未来の記憶ツアー』は「2000年分の疑似体験」をするツアーです。
それを、座標に居る「刹那」の時間で、人類に体験させて「憎悪」の誤解を解く。
許しあい、受け入れあうための「情報」を与えるのです。
簡単に言えば・・
地ならしを含む悲惨な未来とそれに至った歴史の真実などの「2000年分の疑似体験」のあとに・・
パラディ島民に対して
「どうする? 地ならし・・やっちゃう?」「それとも・・?」
マーレや世界連合軍、その他の壁外人類に対して
「どうする? このままパラディ島攻めちゃう?」「それとも・・?」
1話から最新刊まで一気読みした読者に対して
「あなたなら・・どうする?」
と問いかけてみる。そして考えさせる。自分を見つめなおさせる。本当はどうすればよいのか。これから何を「選択」するのか。          って作戦です!!


以上、
進撃に因んで、「13」のコメントを挙げてみました。

さらに・・驚愕し・・涙したのは・・
今後の展開予想・・
まさに・・神予想・・

以下
ユミル・イェーガーの神展開予想 

――神展開予想 1話目――

【13〇話】

地ならし場面。
エレンストッパーズが地ならしを阻止しようという展開が描かれます。

ファルコが鳥獣の巨人となって、104期メンバーをエレンの元に連れてゆきます。
やがて展開は座標へと移り・・
エレンと対峙するそれぞれのメンバーは、座標で思いのたけをぶつけ合います。

アニ、ライナー、アルミン・・
それぞれが熱くエレンに語り掛け説得を試みます。
しかし全てに於て正否・善悪の逆説を語るエレンに論破されてしまいます。

例えば地ならしをやめろというアルミンに対するエレンの返し。
「人間性?大切なもの? 捨てたよ・・。そうしないと何かを達成できないんだろ?手を汚さなきゃ、正しいコトはできないんだろ? なぁ・・アルミン?」

ミカサは、
意を決して、恋心の想いを告白・・
思いっ切り、エレンにフラれます・・(泣)

もはやエレンを止める術はなく、
やがて、大陸の全てを駆逐するエレン

結果、地ならしコンプリート。
たぶん・・人類滅亡・・
ストッパーズメンバーも・・全滅かも・・

地ならしを決行したという選択に対しての、相応の報いに値するほどの、
悲惨で、残酷で、悲しく、辛い展開がありマス。

何もかも駆逐してしまったエレン・・
その景色を見て・・恍惚の表情から・・絶望の表情へと・・

ここまで!!

煽り文句・・『何かを捨てなければ、何かを達成することはできないのか?』

――神展開予想 2話目――

【13〇話】

「オレは・・全ての『記憶』を見た・・」

エレンのセリフから始まります。
122話で始祖ユミルの二千年前の「記憶」を見た後、
それに続く世界の真実の『記憶』を次々と見たエレン。

巨人の歴史~
エルディア帝国の歴史~
マーレの歴史~
巨人大戦~
145代カールフリッツの真意~
ヒィズル国・将軍家~ミカサの秘密・頭痛~

そして・・
未公開場面(伏線回収)を絡めた、1話から119話までの流れ・・

それらが全てフラッシュバックで流れます。

このフラッシュバックで未回収伏線、謎、不明点などが解き明かされます。

最後、119話の場面に到達。

対巨人ライフルを構えるガビ。

そこに目線をやり、ハッとするエレン。

「なぜ・・・お前が・・・?」

「オレが見た未来とは・・違う・・・」

ガビがトリガーを弾く・・・

エレンの首が飛び・・・ジークがキャッチ!

119話では描かれなかった過去最大の『ビリッッ!!!』の描写!!!!!

ここまで!

――神展開予想 3話目――

【13〇話】

ココであらためて・・122話の場面。
時間軸が今現在に戻る。
始祖ユミルちゃんをハグするエレン。
それにすがりつくジーク。
そこに・・・アルミン・ライナー・アニ・ピーク・ファルコと順に現れてくる。
次に・・ミカサ・リヴァイのアッカーマン。
ジャン・コニー・ハンジ・フロック・・・ダズ・サムエル・ピクシス・キース・・・
そして・・・ヒストリア・・・たぶん・・最後に・・・ガビ。
やがて・・全てのユミルの民が繋がって・・・
(ココ、全人類であってほしい・・・)

光り輝く大樹のような『道』となります。(コレ、最大の見せ場!!)

ここからが『終わらせてやる作戦』の種明かし。
エレンが道で繋がるすべてのユミルの民へ自分の真意とこれから起こるコトを告げる。
もちろん、始祖ユミルにも。

そして・・
過去の真実、悲惨な未来・・・の『記憶』を全人類が見る!!!

(過去に起こった本当の歴史の事実と123話以降~地ならしコンプリートまでの映像)

過去の真実、悲惨な未来の『記憶』を情報として共有したうえで、
再び座標の場面。 ココからが、122話の先・・

驚愕の「記憶ツアー」を終え、衰弱し、震えているエレン。
エレンの本当の作戦に気付き、その真意を見抜いたアルミン。
始祖ユミルには自我を取り戻させ、自分自身の『選択』で巨人の歴史に終止符を打たせる。
巨人の力が消滅した後は、
過去の真実と悲惨な未来の『記憶』を情報として共有した人類たちに
自分自身の『選択』によって『未来』の方向を決めさせるのだ。

『過去と未来の記憶ツアー』を経験した人類は、
繰り返される歴史の過ち、人類のおろかさ、残酷な世界の理を、まざまざと見せられ、実感させられたことで、許しあい、受け入れあうことの大切さと、その必要性を知る。
でも、作戦を完遂させ、ここで巨人の力が消滅すると、
現実世界に戻った時、首が飛んでいるエレンは死ぬ・・って解ってる。

王家であるヒストリアが始祖ユミルに語り掛ける。
「大丈夫・・貴方は、悪い子なんかじゃないよ・・。貴方は、自由なのよ。」

ミカサがエレンに語り掛ける。
「私は・・本当のあなたを見ていなかった・・。貴方が、私を守ってた・・。」
「エレン・・貴方は・・自由でいていいよ。」

アルミン
「エレン・・もう・・わかったよ・・もう・・ひとりで苦しまなくていい・・」
「僕が・・必ず・・エレンの・・」
皆が始祖ユミルと繋がったままの状態で、意を決したアルミンが叫ぶ。

「さぁ 選べ! 君は 自由だ!」

始祖ユミルちゃん 解放!!!

ここまで!!!

――神展開予想最終話――

【最終話】

崩れ落ちるパラディ島の壁・・
『記憶ツアー』を終えて戸惑う人、人、人・・・

主要人物たちの描写・・
「エレ~~ン!!」「エレンは?どこだ?」
叫ぶ仲間たち・・戸惑う兵団・マーレ兵たち・・
そして・・人間の姿に戻ったワイン飲酒組兵団の無垢巨人たち。
もちろんコニーの母ちゃんも、人間の姿に戻り・・・

13ページ目・・・ヒストリアが出産!
「生まれてきてくれて・・ありがとう・・」
「あなたの名前は・・ユミルよ」

ここから
登場人物たちの回想シーン・・・
エレン「もしも始祖ユミルが・・自分自身で・・未来(巨人の歴史をおわらせること)を選んだら・・」
エレンは、『道』を通じて、仲間それぞれにメッセージを伝えていた・・
アルミンには世界と和平を結べる話し合い(説得)に臨むことを。
ガビには自分の首をもって事が収まった証拠とすることを。(ガビがへ―ロス)
ピクシス・キース・ハンジ・フロックたちにはその後の政権運営を。
ジャンやコニー、アニやライナーやファルコにも、ヒストリアにも・・それぞれに。
リヴァイは何も言われずともジークを許す。
そしてミカサには・・突き放した真意を・・・

「悲惨な未来」と「過去の真実」の『記憶』を見た多くの人々を中心に
世界が変わろうとする。
そこにアルミンの言った「まだ僕らが知らない壁の向こう側」があった。

仲間の見守る中、棺の中で花に埋もれ眼むるエレン。
その首には・・傷を隠すようにマフラーが巻かれていた・・

エレンの声がこだまする。

「戦え!戦え!」

過去は誰にも変えられない。
戻ってやり直すこともできない。
でも、未来は変えられるかも・・
その方法はただ一つ。
過去を悔やまず、未来を憂うことなく、
「今」ここから始める事。
「今」を変える事。

「戦え!戦え!」

首が飛び、遠のく意識の中で、壁のない「自由の景色」を見るエレン。
何かを呟き、静かに目を閉じるジーク。
エレンの首が・・手から転がり・・
その視線の先に・・壁のない「自由な景色」が広がっている・・・

意識が途絶える・・その刹那・・
エレンが最後に見たのは・・
「お前は自由だ」の『記憶』・・・

――――おわり――――
以上


あとがき
「進撃の巨人」は哲学とも、心理学とも言われています。
「仏教の経典のようだ・・」とも。
さしずめ、『諸行無常』『自灯明』と言ったところでしょうか。

『座標』や『道』がスーパーコンピューターのクラウドネットワークを駆使したようなモノであるならば
『過去と未来の記憶ツアー』は『ビックデータとAIによるVR体験』です。

まさに、『宗教と科学の融合』ですね。


―――おまけ―――
(ユミル・イェーガーの最近のコメントいろいろ)

【ミカサの秘密】                          ミカサの秘密は物語のファイナルウェポンになり得る可能性があるからなぁ・・・。
あんまり凄すぎる秘密や力がミカサにあってしまうと、ミカサのコトを、人として、女性として、恋愛対象として、素直に見れなくなるような気がして・・・
ミカサ妄想は、控えめにしておる次第です(笑)
でもなぁ・・どうなのかなぁ・・ココだけまだわからん。

【鳥目線=ユミル・エレンを含むユミルの民たちのアバター目線】
最近、道を歩いていて、カラスを見かけると
「あっ・・エレン・・」
と カラスに話しかけている自分がいます(笑)
かなり・・ヤバい・・(笑)

【ラムジーはユミルの民か?】
NOの場合、道は人種を超えて繋がる可能性がありますね。
YESの場合、なぜ特別ではないラムジーのもとへユミルが現れたか?
カルラの「生まれただけで特別」
というメッセージの回収になるかと。

【読者はみんな『記憶ツーリスト』】
何を隠そう、私も過去と未来の「記憶ツーリスト」です(笑)
たぶん・・皆さんも考察中に進撃の過去と未来の「記憶ツーリスト」になってるはず・・(笑)                          

最新話の度に過去巻・過去話を何度も読み返してませんか?       そして、次の展開を予想してませんか?期待と不安たっぷりに…
読者は皆それぞれの視点で進撃の記憶ツアーを楽しんでいるはずデス。
映る世界、視点、興味はみんな違ってても・・

私は毎回、最終話までツアーします!
そして、最新刊にて、また再出発!!!

つい先ほどもツアーしてきましたよ。
ユミルが自分自身の意志で未来を選択したとき、
その時が本当のユミルの解放です。
同時にヒストリアが出産するところが見えましたよ(笑)

【「あの景色」とは・・】
「あの景色」が「地ならしの風景」だったのか「大空の風景」だったのかは、まだ確定してません。
でも、一つ言えるのは、
「大空の風景」=エレンが求めた自由(夢・憧れ)
「地ならしの風景」=ミカサやアルミンを救う為の使命
地ならしは、エレンの夢見たモノではありません。
地ならしは、エレンにとっての自由じゃありません。
「自分の夢」と「自分に課せられた使命」のギャップに葛藤しながら、
エレンは戦ってるのです!

【エレンは止まるのか?】
心優しい人なのに、あることに妄信してしまい、
非人道的な事にまで手を染めてしまうテロリスト。
今のエレンは、そんなテロリストのようです。
テロリストを止めるには「討伐」か?「説得」か?
「討伐」ならこれから悲しい対決が行われます。
でも「討伐」は、アメリカの対テロへの「報復」と同じ。
それでは連鎖は止まりません。
(以前はスリ少年(ラムジー)が人間エレンをナイフで刺して「憎しみと殺戮の連鎖は止まらない」との妄想もしてましたが・・)
では「説得」が出来るのか?
エレンが聞く耳を持つ可能性があるワードは『仲間』『自由』『母親(家族)』。
まずライナーが『仲間』についてエレンと対峙。腹を割って話すが・・
エレン「ライナー。お前、イイ奴だな。でも、ゴメン。ここで止まるわけにはいかない。」
「それじゃ、中途半端なクソ野郎になっちまうからな・・」
次にアルミンが『自由』についてエレンと対峙。
アルミン「これがエレンの求めた自由なのかぃ?」
エレン「オレが求めた自由は・・壁の外にも・・なかった・・」
「こんな世界のせいで、母さんは・・・」
最後にミカサが『家族』をワードに、エレンと対峙。
ミカサ「エレン!あなたのお母さんは、もう帰ってこない!」
「こんなことをしても、もう・・帰ってこないの・・」
「ダズもサムエルも、サシャもユミルも・・今まで死んでいった仲間たち皆・・」
104期たち、その他大勢の兵団兵士たちの描写・・
「そして・・私の家族も・・」
ミカサ両親死亡場面フラッシュバック。
「でも・・私たちは、前を向いて生きてゆくしかない!」
「希望をもって、未来に向かうしかない!」
「私は・・あなたと・・未来を生きたい・・」
「あなたと・・新しい家族を・・作っていきたい!」
「エレン・・・あなたを・・あなたのことを・・愛して・・」
ミカサが「愛してる!」と叫ぼうとしたその時に・・・!!!

みたいな妄想中です。。。。。。

【VRオチ】
最終話タイトル「愛とは 自由とは・・」

地ならしの惨劇、104期全滅、呆然とするエレン・・のあとに暗転・・・
空を飛ぶ鳥・・
未来(現在)の学校の理科室。
白衣を着たハンジ先生。
助手役のミカサ。
制服を着た104期たち。
VR機器を装着したエレン。
ハンジ「ハイ、おしまい」「で、どうなのエレン?」「愛とは何?自由とは何?」
エレン「えっとぉ・・豚が逃げて・・地ならしが・・じゃなくって・・えーと・・マフラーが・・」
ハンジ「ハイ、ダメェ~~」「も一回行ってみよ~~」
ミカサ「いってらっしゃーーーい!」

お・し・ま・い・・・(こんなのもあったりして・・(笑))

【過去が変わったわけでもなく、巨人の歴史がなかったことになったわけでもなく、世界連合艦隊がパラディ島に照準している現状のまま】
その通りです。
それが今、この時に起こっている事実であり『残酷な世界』の真実です。
パラディ島は侵略され、エルディア人は虐殺されるかもしれない。
アルミンやヒストリア、ガビやファルコが、無益な憎しみの連鎖と殺戮の連鎖を止めて、和平へと進むのかもしれない。
森を抜けれるかもしれないし、森は抜けれないかもしれない。
結果は誰にもわからない。正解などない。答えなどない。
しかし、森を抜けようとし続けなければならない。
それが生きるというコトだから。
さて、記憶ツアーに参加し、悲惨な未来と過去の真実を知ることが出来たユミルの民(全人類)の皆さん、これからどう生きてゆきますか?どんな選択をしますか?
というコトです。
ただ一つ、エルディア人ではないラムジーにもユミルが見えたことで、
「ユミルの民=全人類」「巨人化の要素を保持=全人類」というプロットの存在には期待が持てます。
人類の全てが道に繋がっていれば、世界連合艦隊を含め人類全てがこの物語(悲惨な未来と過去の真実)を知り、許し、理解し、受け入れあうコトの必要性を知った上で、この先の「悔いなき選択」をしてゆけるから。

わたしたちの現実世界も同じです。過去は変わらないし、今この時は進み続ける。
結果は誰にもわからない。正解などない。答えなどない。
諌山先生は言いたいコト・伝えたいコトは、もうすでに描き切っています。
さて、進撃の巨人の物語を読んだあなたは、これからどう生きてゆきますか?
未来を どう選択してゆきますか?
というコトです。

【大人アルミンが少年エレンに座標で対面】
この考察に基づくと大人アルミンが少年エレンに会えたように、1話エレンにも未来のエレン(現在のエレン)が干渉していて「髪の短いミカサ」を見せていた可能性が出てきました。
――遠回しにループ説を否定している――
諌山先生がいよいよ動き出しましたね。 ワクワクが止まりません(笑)
1話でループ説派になり、アニメ版「いってらっしゃい」カットでループ否定派になり、
130話「あそこか」でまたまたループあるかも?となり、
131話「始祖ユミル出現」と「アルミンが少年エレンに会う」で
『過去と未来の記憶ツアー』という考察に至りました。
大人アルミンと少年エレンの座標描写は、『過去と未来の記憶ツアー』考察にとって重要なモノです。
少し踏み込んで『過去と未来の記憶ツアー』を自己検証してみました。
過去の記憶へのアクセスは容易に想像がつくのですが・・・
「起こってもいない未来の記憶」へは、どのようにアクセスするのか?
そもそも、「起こっていない未来の記憶」とはどうゆうことか?
AIを例として仮説を立てました。
始祖ユミルとエレンとジークの接触により、座標で繋がる全てのユミルの民の記憶や意識にアクセスできるなら、それは膨大なビックデータの収集となります。 「起こってもいない未来の記憶」は、そのビックデータから予測される未来ではないかと。 122話のラスト以降、もしくはエレン放送時以降の描写は、エレンの地ならしを含め、それぞれの登場人物の行動予測に伴った映像描写かなと思われます。
記憶や意識の奥深くまでアクセスして分析されたデータによるエレン主導の『過去と未来の記憶ツアー』
唯一、大穴予想として可能性があるとしたら、この『過去と未来の記憶ツアー』は、グリシャにエレンを止めてくれと頼まれた、ジークの作戦だった ・・って展開もあるかも。
その場合、エレンもズタズタになる記憶経験をさせられますね

【「あの景色」について】
エレンとグリシャの「あの景色」。
「地ならし」と「大空(壁のない風景)」と両方合わせて「あの景色」という意味 で良いのではないかと。
医学用語でもあり、心理学用語でもある言葉で『スコトーマ』というのがあります。
「人は興味のないモノには視覚的に反応しない。逆に興味のあるモノには注意深く反応してしまう」 これを『スコトーマ』といいます。
目の前に大勢の人がいるのに、大好きな異性の姿しか目に入らない。
妊娠すると街を歩く妊婦にばかり目がいくようになる。
車をプリウスに買い替えたとたん街を走るプリウスにばかり目がいき、こんなにたくさんプリウスが走ってたのかと気が付く。
エレンもグリシャも「両方合わせて「あの景色」という意味の景色」を見た。
グリシャは「地ならし」を注意深く見て、
子供エレンは「大空」に目を奪われ、
大人エレンは「どちらも」見ていた。
と解釈しています。

【プロットについて】
一般的に、過去(原因)→未来(結果)という因果関係がありマスが、
進撃では、『道』というシステムをつかって、未来(結果)→過去(原因)という逆因果関係が描かれようとしています。
私のヤバい妄想は、この2つの因果関係を、新たな世界線が《発生》する、あるいは《分裂》する、あるいは《置換》されることなく、同一世界線として描くというプロットです。
121話と122話の「記憶ツアー」時点でもコメントしておりましたが、
『過去・現在・未来』は『ひとつ』というプロットです。
『ひとつ』とは『今(この時)』を指しています。
『今(この時)』は、移り行く度、同時に『過去と未来』を作り出します。
そして『道』は『今(この時)』を起点に過去にも未来にも繋がっています。
『過去⇔現在⇔未来』というセットで『今』です。
「過去」→「現在」→「未来」 ではなく、
「過去⇔現在⇔未来」→「過去⇔現在⇔未来」→「過去⇔現在⇔未来」  『今』⇒『今』⇒『今』

原因(過去)→これから行う選択(現在)→結果(未来)
これから行う選択(現在)によって、結果(未来)はおのずと変わります。
これから行う選択(現在)によって、原因(過去)は変わりません。   あくまでも物理的には です。
しかし、これから行う選択(現在)によっては、原因(過去)の意味合い・位置づけ・役割が変わります。
同様に、結果(未来)の意味合い・位置づけ・役割も変わります。
過去が未来に干渉するのではなく、
未來が過去に干渉するのではなく、
現在の『選択』が、物理的ではないですけど、過去にも未来にも干渉しているのです。
今、この時の『選択』こそが、過去も未来も変え得るコトができ、
「森をぬける」ための「心の在り方」になるのです。

スミマセン。
コレはあくまでも、諌山先生が設定しているプロットは、こんな感じなのかなぁ・・
っていう妄想です。(笑)

=====2020.9.10    132話『自由の翼』所見=====

【誕生日月に退場説・メインキャラ説があるとしたら・・・】
9月5日が誕生日だったハンジが9月発売号で退場。(本来は8月発売9月号)
アルミン11月3日(134話)リヴァイ12月25日(135話)ヒストリア1月15日(136話)ミカサ2月10日(137話)アニ3月20日・エレン3月30日(138話)
主要キャラの誕生日がクライマックスに向けて、ここまで続けて残っているとは・・
コロナ順延が無ければ、ハンジさん含め全て〇月号と符合する。(現状は発売月と符合)
アニメファイナルシーズンも10月から2クール連続放送だったとしたら、
最終回はエレンの誕生日3月30日だったのでは・・・
結構面白い妄想だと思ってマス。

【未来の記憶を再検証】
過去の人物に逢ったり、未来の出来事を知ったり・・
これは、「道」が成せる事象であり、『記憶ツアー』が成せるコトでもあります。
131話の大人アルミンと少年エレンの座標描写や132話のハンジとエルヴィンたちの再会は、過去の人物と『道』により『記憶』を通して逢っています。
『過去と未来の記憶ツアー』を再度、自己検証してみました。
「起こっていない未来の記憶」とはどうゆうことか?
122話のラスト以降、もしくはエレン放送時以降の描写は、エレンの地ならしを含め、それぞれの登場人物の行動予測に伴った『未来の可能性』の映像描写かと思われます。
登場人物どうしの未来の可能性と意志が絡み合い、選択を積み重ねながら、VR体験のように進んでゆく。映画のマトリックスの世界ですよね。
ハンジさんが死んだ後の場所というか空間、ちょっと謎でしたよね。
死後の世界、あの世にしては妙にセリフやら描写がリアルでしょ。
飛行艇も見えるし・・・
VRゲームの競技者がゲームオーバーで離脱。現実の控室にて観戦って感じです。
このシーンを『過去と未来の記憶ツアー』説に照らし合わせると・・
死んだエルヴィンたちとの再会と会話は、120話に於て、既に死んでいる始祖ユミルとエレン&ジークがリアルに対面した場面と同じです。131話では、アルミンが過去の少年エレンに会えました。同様に座標を通じてエルヴィンたちに会えたのだと思います。
ですから132話ラストのシーンは『過去と未来の記憶ツアー』の最中に、座標を通じて「道」で繋がっている仲間たちと再会した と捉えています。

『過去と未来の記憶ツアー』の中で、これまで『未来の記憶の中の演者』だったハンジさんは、上映中のシーンから死亡離脱して座標にいる観覧者側に意識が移りました。
映画マトリックスで喩えると、今までプラグを差し込まれてマトリックスの世界に居たのが、戻ってきてプラグを外されたところ。
そして、その作業が行われているのが122話の座標。
プラグが『未来の記憶』のアクセスコードです。
過去の人(既死亡者)も含め、道で繋がる座標全体のホットラインは共通にそのまま繋がってて引き続き上映場面が見れます。
もしかしたらこのカラクリに気付いたハンジさんから種明かしがあるかも。
「アレ? 私・・死んだよねっ? ねぇ、ねぇ 死んだよねっ? あれっ???」

泣いてるハンジさんのコマが未回収のままハンジさんが退場。
これはどこかで必ずハンジ再登場場面が残されているというコト。
『過去と未来の記憶ツアー』説で122話に戻る展開にまた一つ近づいてきたと確信しています。

【心臓を捧げよ】
リヴァイがハンジに言った「心臓をささげよ」は、
ハンジの胸を叩きながら「お前自身に捧げろ!」っていう意味だと解釈しています。
そして、ハンジさんのセリフ
「あぁ・・やっぱり巨人って、素晴らしいな」は、
「自分がずっと追いかけていた夢に最後に向き合えた」
という、ハンジさんの自分の人生に対する肯定です。
そしてハンジさんは、見事に生き切りました。
それがあるから「世界は残酷」という世界観の中であっても、ラストの再会シーンが描かれる意味があるんですよね。
ハンジさんの退場は残念ですし、何故?っていう想いもありマスが、素晴らしい再会シーンだったと思います。

【『Later Hanje』 】
海賊英語版翻訳の「Later(またな)(後でな)」に号泣!!

【ハンジさんの退場】
漫画を読んで、また、その考察記事を読んで、これ程感情移入して泣いたことはありません。
本当にリアルな感覚で、「一番失ってはならない人物を失ってしまった」という心境です。

私は『過去と未来の記憶ツアー』説を提唱している張本人ですから、この展開は種明かしまでの演出だと想定しています。それゆえ、今後も辛く、悲しい出来事が描かれることも覚悟できています。それを踏まえた上で敢えて言いたい。
『ここでハンジの物語に幕を下ろさせる必然性はあったのだろうか?』
作品批判ではなく、愛をこめて書かせていただきます。
「安楽死計画を認めたわけではなく、地ならしを認めたわけでもない。でも、イェレナやフロックの気持ち、想いは理解できる。」「代替え案を示すことが出来ない自分の無力さは認める。でも、あきなめきれない。いや、あきらめない。たとえ今日がダメでも、いつの日にか」
これが132話でハンジが示した答えである。
「代替え案はない。でも虐殺は駄目だ」
作中で批判や不信感を浴びようが、読者から批判や罵声を浴びようが、
ハンジは、明確な代替え案が無くても、最後まで、愚直に、
『虐殺は、ダメだ』
と言う語りべである必要があった。
いや、そうでなければならない人物であり、その役割を担い通すべきキャラクターだったのではないか。
残念でなりません。
132話に関するSNS上の読者のコメントをいくつか拝見しました。
読者自身の人生経験と照らし合わせたうえで、ラストのエルヴィンたちとの再会に労いの言葉と感謝の言葉が多数みられました。
しかし、ある若者(高校生)の言葉に、私は愕然としました。
「諌山先生の言ってる本当の自由は、死後の世界に行ったら初めて手に入るものなんだ」「ハンジさんよかったね」
これはイカン!!!  と思いました。
重責の中、もがきながら前に進もうとしていたハンジの到達点、理想地点が『死』だと捉えられている。
人生を生き切った人、生き切ろうとしている人は、その先に今回のラストシーンのような景色を思い描ける。しかし、近年増加する自殺志願者たちが「あの世」に想いを馳せてはならない。
突然の死、予期せぬ死、悔やまれる死、幾多の死を描きながらも「命の大切さとはかなさ」を暗喩してる進撃の巨人。望んだ死など描いているわけではない。だからこそ、『愚直』でありながらも、生き続けるハンジを、描き続けるべきではなかったのか。

私が現時点で読み取れる「諌山先生が、ハンジを退場させた理由」は、
アルミンに15代調査兵団団長を任せるため。
そして、「理解することをあきらめない」という意志と行動をアルミンを通して描くため。
それが「世界を救うのは、アルミンだ」の伏線回収となるため。

ハンジさんがアルミンの傍らにいるままでも、回収可能だったんじゃないかなぁ。

ハンジさん、本当にお疲れ様でした。
諌山先生、ハンジさんのような素敵なキャラを描いてくださって本当にありがとうございました。

最後に、ハンジさんとは、きっとまた会えると信じています。
『 later Hanje ! 』


【生き方を選べるという「自由」】
現時点で、わたしが感じる諌山先生が示す「自由」とは、
『生き方を選べること』
子供の生き方を親が制限する、環境が制限する、病が制限する、悪意が制限する、これらが一番悲しい。子供に限らず大人も同じこと。
大きな意味で捉えると、人種・人権の制限、宗教・思想の制限、文化・習慣の制限。
そんな制限を受けてしまった「不自由」に、負けたくはない。
理解し、許し、受け入れる事で、互いの『自由』を分かち合いたい。
生き方を選べる自由を、分かち合いたい。
諌山センセはその他にも沢山のメッセージを描いてくださいました。

夢と執着は紙一重
善と悪も紙一重
立場が変わると正義と悪が入れ替わる
目的が変わると敵と味方が入れ替わる
結果が変わると正否が入れ替わる
選択の自由に基づく悔いなき選択

多角的解釈表現の名手である先生は、読者それぞれの人生に照らし合わせながら
それらのメッセージを読み解けるようにして下さっています。
それが、多くの人に、それぞれの人生に合った様々な良い形で伝わるとイイなと。
プロテニスの大坂なおみさんもおっしゃいました。
「私が何を伝えようとしているかよりも、あなたたちがどう受け取るかの方が大切」

ハンジさんは、見事に自分の生き方を選びました。
「死に方」を選んだのではありません。
「生き方」を選んだのです。

【進撃歴845年について】
もう回収は無いかもしれない「845」
私なりに妄想してみました。
東洋の一族の道があり、将軍家の血筋はその座標となる。
巨人の道(始祖ユミルの道)のアーカイブは上書きされるが、東洋の一族の道のアーカイブは保持され続ける。
だから始祖による記憶改竄を受けない。
過去に東洋の一族(将軍家祖先)が進撃を継承していた為、進撃の未来視能力とは、改竄されていない『真実の記憶』をもとに『未来を想定』する能力だった可能性あり。
進撃と東洋の血が混じることでより確かな未来視能力を得た、ということ。
進撃歴の元年に初めて進撃に東洋の一族の血が混じる。
巨人の血と東洋の一族の血が融合した年が進撃歴の元年かも。
そして、進撃の血と東洋の血を引き継いで最初に生まれたとされるモデルは
源頼朝(西暦1147年生まれ)なのではないか。
巨人の血と東洋の一族の血が融合した年(頼朝が生まれる前年=西暦1146年)
始祖ユミルとエレンのハグ(122話、進撃歴854年)
西暦1146年+進撃歴854年=2000年(122話、エレンが始祖ユミルの元に辿り着く)
進撃歴元年より進撃が始祖の影響を受けなくなる。
進撃の未来視能力も発現する。
そして壁の建設が始まる。
進撃の未来視と保持された『記憶』を元に、新たな時間(歴史)として進撃歴は経過してきた。
クルーガーやグリシャの行動、大岩やヨロイブラウンの瓶、ヴィリーの演説と舞台設定などは、進撃の未来視能力による予定行動であり未来への『希望』を託したモノ。
2000年後を目途にエレンが生まれ、今、始祖ユミルに辿り着いたところに来ている。
エレン曰く「オレが生まれてきたからだ」らしい・・・

さて、回収はあるのか?

【親愛なるハンジさんへ】

「私は思うんだ。本当は…私たちに見えている物と実在する物の本質は…全然違うんじゃないかってね。憎しみを糧にして攻勢に出る試みはもう何十年も試された。私は既存の見方と違う視点から巨人を見てみたいんだ。空回りで終わるかもしれないけれど…でも、私はやる」

このセリフを読んで、私は貴方の虜になってしまいました。

貴方の生き方、モノの捉え方、チャーミングな振舞いが、大好きです。

『 later Hanje ! 』

ユミル・イェーガーより

=====2020.10.14      133話『罪人達』所見=====

133話・・・正直いって、違和感だらけの回じゃなかったですか?

それは、『過去と未来の記憶ツアー』に於ける「未来の記憶」場面だからです。「未来の記憶」すなわち「未来の可能性」。それぞれの登場人物が心に想い描くコト。願望・不安・決意・後悔・恐怖・・・・・・・・・・・・・そして、これまでの経験と、自らが信じてる可能性・・・

133話でも『過去と未来の記憶ツアー』を裏付ける幾つかのキーワードが登場しています。順にみていきましょう。

【まるで・・・僕たちがどうなるかを試すみたいに・・】

「何だ。聞いていたのか?」リヴァイのこの発言。妙に落ち着いていますよね。まるでエレンが傍にいるコトを知っていたかのように。131話時点で、もしかしたらエレンは、兵長には種明かし済みでは?とコメントしたことがありました。たぶん、最初のエレン放送時点で。エレンに種明かしされていたリヴァイは、怪我人という名目で123話以降、戦闘行為をしていません。132話でハンジが特攻を決意したときも、見送りました。手助けすることなく。そして133話。アルミンにも「どうする?団長」と。アルミンのセリフが答えを匂わせています。

「まるで・・・僕たちがどうなるかを試すみたいに・・」

エレンは、みんなに、人類に、未来の『可能性』を体験させているのです。

「どうして失う前に気付けないのか・・・」

キヨミ様もヒントを出しています。この『過去と未来の記憶ツアー』の意味と目的のヒント。

「相手のコトを理解しようとし続ける姿勢」

「許し合い、認め合い、受け入れ合い、理解することの大切さ」

過去の真実と悲惨な未来を見せられながら、人類の危機と人類の未来のために、一途に、悩み、惑い、もがきながら、答えを求めて、選択を決意するために、命を懸けて戦おうとしている若者たち・・

進撃世界の人類よ、進撃の読者達よ・・・キミには、何が見える?

【なぜ・・リヴァイはエレンの現在の巨人の姿を知っているのか?】

皆さん、リヴァイがエレン巨人を見たのはいつですか?どこでですか?

私の記憶では・・そんな描写は、ありませんでした・・・

座標から観ているとしか、考えられません・・・

【違和感だらけの話の流れ】

女型の新たな特性の判明・・なぜ今?

ファルコの夢と獣の巨人の記憶の経緯。

ライナーの言葉、コニーの言葉の自信なさげな違和感。

座標での不可思議な展開。

リヴァイの指復活と座標での不可思議な仕草。

マトリックスの世界のごとく『過去と未来の記憶ツアー』の最中であると予想できますね・・・(笑)

【最後にひとこと・・】

皆さん私の事「こいつ、わけわかんない予想・考察ばかりしやがって・・」って思ってるでしょ(笑)  そんな時は・・読み返してみましょう。。。。アルミンのセリフ「し、しかし敵は、いつだってありえない巨人の力を使って僕たちを追い込んできました。誰でも思いつく常識の範疇に留まっていては、到底、敵を(諌山センセを)上回ることはできないのです!!」

【10月20日 追記】

ハンジさんは、問題を解決する為の答えを示すコトは出来ませんでした。しかし、その問題に向き合う時に一番大切なコト、忘れてはならないコトを、常に掲げて戦っていました。『生きて行く為に戦わなければならない。しかし、虐殺はダメだ』そのための『理解することをあきらめない姿勢』

それは、答えではありません。「森」と戦うための 心の在り方です。生きていくということは、ポジティブなコトばかりではない。夢もあれば壁もある。正否などない、善悪など決めれない、清濁合わせ持つ残酷な世界の理。歴史という大きな大きな「憎しみと殺戮の連鎖」と、 目の前にある私情にまみれた「憎しみと殺戮の連鎖」・・・。リヴァイを含むメンバーだけでなく、全ての人類が、そしてエレンさえも今、試されようとしています。

ハンジが残した心の在り方。「森」と戦う為の心の在り方。

「今日がダメでも・・いつの日か・・・」

諌山先生・・ハンジの仲間たちが、その先の『答え』を見いだせる日はくるのでしょうか・・

ユミル・イェーガーより


余談をひとつ・・・

「進撃」の「撃」という字には、「強く当てる」「武力を加える」「攻める」という他に、「感覚に触れる」という意味があります。

「感覚に触れながら進み続ける」って何か深みがあるなぁ・・と。

私の父親の名前は「進次」。口癖は「ハイ、次に進む、次に進む」。

今の自分は、ソレ、実践してるつもりです。。。うん??もしや??

私も進撃を継承したのかぁ・・・(笑)

【10月23日 追記】

エレンを理解する=エレンに同意する ってコトではありません。頭から否定せず、善悪や成否を決めつけず、相手の立場や考え方を客観的に見て受け止めて、「なるほど、貴方はこう思って、こう行動したんだ。でも、私はこう思うよ。」と。
ワンクッション置くだけで、自分も相手も気持ちや捉え方が変わる。双方の意見の相違が埋まらなければ相手の「息の根をとめる(133話エレン)」では、いつまでたっても憎しみと殺戮の連鎖は止まりません。マルコが残した「まだ話し合ってないじゃないか・・」という切なる想いを実現しようにも、それを受け付けないエレン・・。そして・・「戦え!」というエレン。アルミンたちは、何と戦えばいいのでしょうか?  

エレン?始祖ユミル?地ならし巨人?それとも・・自分自身の心?

自分自身の心と戦う・・と言えば、気になるのがリヴァイ兵長です。ハンジの想いとエルヴィンの想いを背負ってしまった兵長。私の儚い希望としては、 リヴァイに「戦いなどしなくていい。力なんて無くても、イイんだ」という、心の余裕・平穏が芽生えて欲しい。そして、穏やかで、のんびりする幸せ感を味合わせてあげたい。周りの環境や事象に左右されることなく、穏やかで、暖かくて、そんな感覚を...そんな人生を味わってほしい。ハンジへの想い、エルヴィンへの想いから、憎しみと殺戮の連鎖へと身を投じるのではなく、自らの選択によって、その悪しき連鎖を止めてほしい。

アッカーマン:古いドイツ語で畑(acker)と人(man)が合わさった言葉。農夫、大地を耕す人。

「オレはもうブレードを抜かない。これからは、鍬を持つ。」

「いいよな・・クソメガネ・・」

【10月24日 追記】

地ならしが止まったら‥‥エレンが死んだら‥‥巨人がいなくなったら‥‥作中に描かれた問題点は解決するのか?憎しみと殺戮の連鎖は絶たれるのか??レベリオ襲撃時点で既に物語が円満解決する方法は破綻しています。進撃の巨人の物語に描かれた問題点を解決出来るのは、エレンでもアルミンでもミカサでもない。一人一人の人類、それぞれの自分自身でしかないのだ。人類の未来の為に戦わなければならない相手は、自分自身なのである。

=====2020.11.13    134話『絶望の淵にて』所見=====

キヨミ様の「失う前に気付けないものか」
に対する回収劇が、『過去と未来の記憶ツアー』による擬似体験です。自分自身の選択の先に、どんなコトが起こるのか?何が変わって何が変わらないのか?誰が潤い誰が嘆くのか?自分自身はその結果を受け止めるのか後悔してしまうのか?誰もが行う予測と想像ですよね。その予測と想像には、出来る限りの正確な情報と、これまでの経緯・実績や、何より自分自身の方向性・意志・思想・理念が必要です。

人間が潜在能力を多く引き出せる為の誘引感情で、1番効果を発揮する感情は「恐怖心」と「復讐心」です。火事場の馬鹿力とかリベンジ精神というものがソレ。地ならしに対する人々の行動は、逃げる、立ち向う、諦める。そして誰もが皆『死』に直面して『生』を実感し、振り返る…自分自身のこれまでの人生とその生き方を……

それぞれがソコから何を学び、何に気付くか?122話の座標に戻り、本当の時間軸である119話ラスト「今、この時」以降、104期、パラディ、マーレ、その他全人類は、どんな選択をして、何をなすべきか?どう生きていくのか?ソレを見つけ出す為の『過去と未来の記憶ツアー』です。

読者は、進撃の巨人という作品に対して、何を得ようとしている人かで受け取り方が千差万別です。哲学、心理学、推理、アクション…それともエレミカ・リヴァハン・アルアニのラブストーリー?皆さん興味ある対象が違っていて様々。まぁ、それぞれ「お前の自由(勝手)だ」ですけどね。(笑)

【2020,11,14   追記】

進撃の巨人考察チームのみなさんのコメントに胸が熱くなりました。

「親の血、先祖の血、過去の歴史、民族の違い。負の遺産が未来の子孫達から人生を選択する際の自由を奪うなら、子孫は負の遺産から自由になる為に抗い戦い続けろ。直ぐに自由は手に入らない。それでも、親や世界に強制された生き方ではなく、自分の人生は自分の頭で考えて決めて良い。森を出る為に進み続けろ。憎悪だけで生きるのではなく、憎悪を連鎖させない為に人を愛せ」

「この物語はずっと終わらない自分と他人との選択の物語と言うか そんな気がしていました。まあせいぜい悔いのない選択をするしか無いのですが。
半世紀も生きて来るといろいろ考えさせられます。私も悔いのないように生きてきたつもりでも いろいろ捨ててきたものや諦めてきたものがあります。でもそんな中でも 戦い抗って生きて生きたいと進撃は教えてくれるようなそんな物語に思えます」

胸が熱くなりましたね。

「アルミン。キミには…何が見える?」

このエルヴィンの言葉を借りて言いたい。

「全ての人類よ。キミたちには…何が見える?」

「本当の敵は…何処に居るんだ?」

地ならしが止まったら‥エレンが死んだら‥巨人がいなくなったら‥‥
作中に描かれた問題点は解決するのか?憎しみと殺戮の連鎖は絶たれるのか??  進撃の巨人の物語に描かれた問題点である「未来に残してはいけない、ここで止めなければいけない問題」を解決出来るのは、エレンでもアルミンでもミカサでもない。一人一人の人類、それぞれの自分自身でしかないのだと思います。人類の未来の為に戦わなければならない相手は、きれいごとではなく、自分自身なのだと思います。
自分の為に、自分以外の人の為に、そして、それぞれの未来の為に戦う。
その時、敵と戦うために皆が手にしなければならない武器とは・・・
許し、受け入れ、理解することをあきらめない気持ち・・「人を愛せ」「自分を愛せ」「命を愛せ」それしかないと思っています。

=====2020.12.7進撃の巨人アニメFinal Season第1話を観て=====

ファルコからとんでもないアニメオリジナル改編台詞が飛び出しました!

直感的に感じた妄想を書きます・・・

1、本来ならば(コロナによる連載延期と放送延期がなければ)10月4日の日曜深夜から放送開始。10月9日に134話発売。というコトは133話に対するアンサー&ヒント。134話に対する伏線。当てはめてみると・・133話でファルコが自分が見た記憶の夢を話しています。大空を飛ぶ夢・記憶。鳥巨人になれるかもしれない可能性。これが当たってるんだよっていうアンサー&ヒントなのかなと。

2、原作1話もアニメ1話も、場面は違えど『未来の記憶』をエレンは見た。アニメ60話ではファルコが見た。2人とも巨人継承前。エレン同様にグライス家にも過去に進撃の血がはいっていたのか?そして2人が見た『未来の記憶』はそれぞれの能力で見たモノなのか?それとも誰かが未来から2人に送っているのか?

3、いずれにしても『未来の記憶』が物語の鍵となることを再認識させるための台詞。「いってらっしゃい」「髪のびてないか」「夢じゃない。記憶だ」「オレは見た。あの景色を…」「ミカサやアルミン、みんなを救いたければ」

4、ループや複数世界線への再伏線。またはそれらへの再ミスリード!! アニメ第1話で「いってらっしゃい」がカットされたコトと、「お前は自由だ」のラストカットの発表で「ループエンド」の可能性が低くなりました。今回の改編、ファルコも未来の記憶を見ていた知っていたということは、再度ループなどを匂わす台詞とも解釈できます。が、そこは諌山先生です。絶対に原作本誌派へ向けたミスリード。

5、「過去・現在・未来は、ひとつ(同時に起こっている)」というメッセージ。または、そういうプロット構成。

しかし、進撃の巨人の物語に於て、『記憶』が最大の鍵となるコトを再認識させる貴重な改編だった事は間違いないと思われます。

まぁ最終話までいかないと、答えは解りませんねぇ(笑)

【『未来の記憶』】

「オレは見た…あの景色を…」

「いってらっしゃい」
「髪伸びてないか」
「力と記憶を一人の人間が掌握することで…」
「フリーダは世界の記憶を受け継いだ…」
「ミカサやアルミンみんなを救いたければ…」
「夢じゃない、記憶だ」
「エレンの…先の記憶を見た」
「あの少年…先の記憶で見た」
「さっきまで剣持って…」

過去・現在・未来の『記憶』のアーカイブ。時空を超えて『記憶』を繋ぎ、送り、刻み付ける、座標というブラックファンタジーシステム。

パラレルワールドでも
タイムトラベルでも
ループやリープでもない
時空を超えた記憶の物語。

私たちの心を鷲掴みにした、史上最高のプロットだと思う。

=====2020.12.10   135話『天と地の戦い』所見=====

エレンは始祖ユミルに操られているのか? アルミンが言うようにこの展開は始祖ユミルの意志なのか? ならば始祖ユミルがラスボスなのか?

いや・・・違うと思います。

始祖ユミルがラスボスなら、彼女が哀れすぎる。狂った少女の心を改心させる、または、駆逐する・・そんな事でこの物語が解決し終焉を迎える訳がない。『過去と未来の記憶ツアー』の最中であるとするなら、この展開はエレンの演出となる。操り人形の獣の巨人が登場し、飛行船に投石をする展開以降は、敢えて言うならハルキゲニアの暴走だろう。エレンでも始祖ユミルでもない。有機生物の起源たるモノの暴走だ。もしかしたら・・2000年前に始祖ユミルに寄生した有機生物の起源は、人間という有機生物を地球から排除しようとしたのかもしれない。2000年という悠久の時間をかけ、憎しみと殺戮の連鎖を増幅させ、2000年後を目途に人間をこの世から駆逐する。その終焉が「地ならし」だったのではないか。有機生物の起源は、人間という生き物を地球にとって有害なモノと判断したのだろう。エレンをはじめとする104期組、ハンジ、リヴァイなど進撃の巨人に登場する主要人物たちは、人間という生き物を地球にとって有害なモノと判断したハルキゲニアに対して 「人間の本質と存在価値」を証明する戦いをしているのだ。

【始祖と進撃について】

エレンは操られてません。進撃は始祖の影響を受けない。

アッカーマン同様に始祖の影響は受けてないと思います。エレンが座標に辿り着けたのは始祖ユミルだけが導いたのではなく、進撃の未来視による記憶にも導かれた。エレンが操られてなどいないという証拠となる描写は、現段階ではまだ、ありませんが…

9つに分かれた巨人に、それぞれなんらかの意味を持たせるとしたら・・・始祖と進撃以外は『身体の部位(形あるモノ)』であって、始祖と進撃は『精神・心(形のないモノ)』だと思ってます。人の心の表と裏、善と悪、光と影、希望と絶望・・・

始祖は、進撃以外の巨人を操れる。
すなわち
『管理・統制』→  隷属性を育てる

進撃は、
『自由』→ いついかなる時も 自由

始祖は過去から未来へ
進撃は未来から過去へ
『記憶』を送れる。

過去から送られる記憶⇒執着・憎悪・繰り返す歴史・憎しみと殺戮の連鎖

未来から送られる記憶⇒可能性・希望

始祖と進撃…どちらも人間の心に宿るモノです。その二つ…表裏一体を受け入れて、体と心も一体となり、9つの巨人があるべきところに帰依することで、巨人の歴史の終焉に向かうはず。

その『終焉』が、『始まり』です。

今、エレンは操られているのではない。エレンと始祖ユミルは「始祖」と「進撃」という二つの心の戦いを見守っているのだと思っています。

【2020.12.12 追記】

HN兄獅子心さんのユミルの手紙に対する考察を拝見!「お前と結婚~」のくだりは『こっそりライナーが自分の気持ちを加筆していた』に1票!!!

それと、『アッカーマンの力と始祖ユミルの潜在意識と巨人の力は関係していると思ったりしました。力の覚醒は自由意志で生きていく(抗ってもいい)ことへの身勝手な自己肯定がある気がします。絶望と希望がアッカーマンの中で綱引きされてることで始祖ユミルの失った潜在意識がその場に留まっているのではないかと、故に記憶改竄が効かないのではと思うのです。世界に対してミカサは相反する二つの見解を持ってます。
この世界は残酷だ。=絶望。ということと
この世界は美しい。=希望。ということです。
この世界は絶望だけではないと言うことを始祖ユミルが気づく(思い出す)かということなのではないか』というコメントもスゴイ考察! 

ミカサの頭痛の原因発見か・・・

=====2021.1.9   136話『心臓を捧げよ』所見=====

136話タイトル『心臓を捧げよ』・・もうコレ見た時「やべぇ…リヴァイ…死んじゃう…」ってなりましたね。(;^_^A 「リヴァイがヤヴァイ」なんちゃって(笑)  ハンジさんが『自由の翼』で…  そこにリンクさせたらリヴァイがハンジに言った「心臓を捧げよ」が繋がりすぎて・・・   今回は無事でしたが諌山先生怖いからなぁ・・。

さて、今回の136話は考察心をくすぐりまくられました。順に所見を書きます。

【ガビの発言「巨人の力の正体だとしたら」】

コレはちょっと「おぉ~」ってなりましたね。これすなわちラスボスを特定しています。「ハルキゲニア」のことですね。『過去と未来の記憶ツアー』説だとラスボスは『自分自身』です。ラスボスがハルキゲニアだとすると、そのラスボスを倒すことで物語が終焉に向かうというコトです。私はこのガビの発言はミスリードである、に1票!! 進撃の物語で特定のラスボスを決めてしまうと「憎しみと殺戮の連鎖」も「歪んだ歴史」も「繰り返される歴史」も「人間の愚かさ」も「残酷な世界」も、全てラスボスのせい…ラスボスを倒すと全て解決ハッピーエンドってなってしまいます。      そんなわきゃぁない!!

【アルミンの発言「ここは『道』。ここは現実だ」】

この発言は『過去と未来の記憶ツアー』の最中だという裏付けとなり得ます。何故か・・。アルミンの発言を含め幾つかの裏付け要素を書きます。

先ず、進撃の巨人FinalSeasonのエンディング曲「衝撃」の歌詞。OPやEDの歌詞や描写には先の展開を妄想させるワードが沢山ありマス。その中の一つとして「一秒前に戻して、彼が消え去る前に」は119話で「エレンの首が飛ぶ前に」と置き換えれます。『過去と未来の記憶ツアー』説では119話ラストで現実の世界は止まってます。そこから先は「座標」に於ける「刹那」の時間の中でのコト。「一秒前の瞬き 取り残された世界」がそれを指します。オープニング曲「僕の戦争」では「真の敵は貴方」という歌詞があり『過去と未来の記憶ツアー』によって人類が自らの考え方を改めることが未来に繋がるコトを指し示しています。次に「ハルキゲニア」。始祖ユミル誕生の元であり巨人化の歴史の元。ハルキゲニアは「上下前後逆」で復元解釈されていた生物で「座標」や進撃の物語に於ける「方位」「地形」、そして「過去と現在と未来」の関係性が「上下前後逆」という不思議な設定の元になっている。極めつけはハルキゲニアの語源「夢・夢想・幻覚」。『過去と未来の記憶ツアー』を起こす元としては申し分なし。135話でのピーク「消え失せろ、悪夢」コレは今が記憶ツアー中であるという伏線台詞。134話ではキヨミ様が「失う前に気付けないものか」と事前の想定(記憶ツアーによる未来の可能性を知るコト)について触れている。そして今回136話で「ここは『道』。ここは現実だ」。コレは122話の座標(道)、すなわちエレンが始祖ユミルをハグ、ジークしがみつくって場面であることと、下界で起きていることは未来の記憶であって、今(122話)の座標(道)に居ることが現実だというコトを指し示している。だから居ましたよね、ジークさん。

私の『過去と未来の記憶ツアー』の展開予想ではラスト4話の2話目で、エレンが「オレは全ての記憶を見た」といって事の真相をフラッシュバックで語り始めるとしていましたが、語りべはジークになるかもしれませんね。

【アルミンの発言「なぜかみんなの状況がわかる」】

135話ジャンが事前察知したようにライナーを救う。136話ミカサの「アニ!」の一言で連携プレーが出来る。そしてこの発言。今、みんなの意識は繋がっている。座標に於ける『過去と未来の記憶ツアー』によって。


====2021.1.10 追記「進撃の巨人というシンクロニシティ」====

『歴史の進歩とは不条理の克服にある』
1989年11月9日ベルリンの壁崩壊。
2019年11月9日進撃123話にて壁の崩壊。
2020年、時を同じくして『コロナ禍』と『地ならし』が         世界を侵食していった。
進撃の巨人はエンタメ漫画ではなく
警鐘として現代社会にシンクロしている作品と感じている人は
是非、目を通していただきたい。

コロナ禍にも進撃の物語にも「不条理」が存在する。
そして、歴史の進歩とは『不条理の克服』にある。
不条理とは本人に責任がないことを問われ背負わされるコト。
コロナ禍は一般社会と貧困層に不条理をもたらしている。進撃の物語の中は不条理な歴史と現実が渦巻いている。エレンはその「不条理」という見えない敵をこの世から駆逐するために戦っている。苦楽を共にしたかけがえのない仲間からの賛否両論の非難の中で。そして私たち読者も、その「不条理」をしっかりと認識しながらも「答え」を出せずにただ見守っている。

コロナ禍はどうだろう?やはり私たちに問うているようだ。政治の在り方、生活の在り方、人としての人生の在り方を、人類に問うている。
そう、自然界からのメッセージだ。進撃の巨人も諌山先生からのメッセージだ。諌山先生は「ストレスを吐き出しているだけ」というけれど、同じストレスを感知できる読者にとっては、かけがえのないメッセージ。

世界史を俯瞰して見ると、歴史の転換点には必ずパンデミックがある。

今、自然から「コロナ」という警鐘を受けている。           命か 経済か・・・
そして、進撃の物語からは「地ならし」という警鐘を。
私たちは、この警鐘を、しっかりと読み解き、受け入れ、        来るべき未来に向かわらければならない。

イスラエルの超天才ユヴァル・ノア・ハラリ氏は語った。
『眼前の脅威をどう克服するかに加えて、嵐が過ぎ去った後に、どのような世界で暮らすことになるか、自問する必要がある』
民主主義と資本主義社会の「本質」が今まさに問われている。
真の平和って何?真の自由って何?人間って、命って、生きるって、何?

歴史を揺るがすパンデミック(コロナと地ならし)が収まった後、
私たちには「今後どうすればよいか」という選択肢が与えられる。
憎悪・強欲・無知などの道を選ぶこともできる。
憎しみと殺戮の連鎖の道だ。
一方で、思いやり・寛容・知恵などの道を選ぶことも出来る。
私たちがまだ見ぬ壁の向こう側への道だ。

地球の歴史は46億年
ウィルスの歴史は30億年
人類の歴史は20万年
進撃は連載11年と少し…
コロナ禍は2年目……

くしくも進撃の物語の舞台は、
我々ホモサピエンスが20万年前に生れたアフリカ大陸である。      諌山創という一人の青年作家が、稀代の名作を紡ぎ、我々のもとに生み落としてくれた。世界は残酷であると…そして、美しいと…         未知のウィルスCOVID-19も我々に伝える。自然は残酷であると…そして、それが自然の摂理だと…

『進撃の巨人』という稀代の名作は、間違いなく現代社会とシンクロした作品だ。その作品の終焉と未曾有うのコロナ禍に、私たちは立ち会っている。正義とは、自由とは、平和とは、
そして、命と経済。
人として生きてゆくのには、何が必要なのか。             人として、どんな心の在り方が必要なのか。
我々は地球と宇宙と共生してゆかなければならない。          今を生き切って、未来へと向かっていかなければならない。
進撃の物語とコロナ禍が私たちに教えてくれる
大切な意味とメッセージを読み解いていきながら・・・
(おわり)

【参考記事】『イスラエルの超天才が予見するコロナ後の人類』
    ーーーーユヴァル・ノア・ハラリの緊急提言を読み解くーーーー  https://toyokeizai.net/articles/-/380917


===2021.1.19 追記「優しさを罪に変えてしまう社会」への怒り・他===

【巨人の力の意味を考える】
巨人の力は現実世界で言う「核エネルギー」を比喩していると思います。
使い方によってはとてもとても便利で強大なエネルギーとして人間の暮らしに役立つモノとなります。しかし、使い方によっては人類を滅ぼす悪魔の武器となってしまいます。進撃の巨人の物語の中でも、この「力」をどう使うのか、イェーガー派やハンジさんチーム、エルディアの王たちやマーレの首脳陣たちが悩み苦しみ惑う物語が描かれていますね。

【地ならしの意味を考える】
地ならしは現実世界で言う「自然災害」を比喩していると思います。
自然が起こす事象、台風・地震・津波・噴火などなど…人間は、このような自然現象を「災害」と呼びます。中には「天罰」とか「天災」だとか…
地ならしも人類が犯した罪に対する「天罰」的に捉えている人は多いのではないでしょうか。地ならしが始祖ユミルやエレンが意図して起こしているのなら「人災」「人為的破滅行為」になるのですが、人間も自然が創り出した生き物です。ですから、動物・植物・海・山・大地が起こすコトも人間が起こすコトも、どちらも「自然現象」なんです。
映画「天気の子」で、ラストに東京が水没します。『東京は水没したけど昔は元々海だった。人間は災害と言うけど自然は長い循環の中で元に戻しただけ…』と言うフレーズがあり、頭から離れません。「自然」は人間のコトを憎んでなんかいません。人間に「天罰」を下してる事なんてやってません。「自然」は、ただただ、自然の流れを営んでいるだけ…
地ならしは人間の心を「元に戻す」ための自然現象かもしれませんね。

【始祖ユミルの想いを考える】
始祖ユミルは何故豚を逃がしたか?
始祖ユミルは「良い子?」「悪い子?」「普通の子?」
始祖ユミルは人類に復讐してるのか?
色々と考察されてますが、私はユミルは優しい「普通の子」であると思っています。
以下、良い例えかどうかわかりませんが…。たまたま好きになって結婚した人が大金持ちだった。とてつもなくでかい世界企業のトップだった。そしてその遺産として全ての力・権力・お金が自分のモノになる。とてつもない権力やお金は人間の命をも左右するモノになり得ます。そんなモノを手にしてしまった優しい「普通の子」のユミルちゃん。世界を動かすとか、世界を治めるとか、そんなコトは考えていないと思います。ただただ普通の子が考えているように「幸せになりたかっただけ」だと思います。そこに恨みとか憎しみとかはなく、「自由になりたい」「大切なモノは守りたい」という素直な気持ちがあるだけ。悲劇が起こってしまうのは、その「力」を使う、または利用しようとする周囲の人間の愚かさゆえです。今、その「力」をエレンが使っています。エレンはどんな想いで「力」を使っているのでしょう?

【エレンの「戦え」を考える】
エレンが言う「戦え」
これは戦争をしろ、殺し合いをしろと言っているのではありません。戦争も無益な殺し合いも多くの場合やりたくてやっているわけではありません。そしてそこで戦っている人の多くは「戦っている」のではなく「戦わされている」のです。進撃の巨人の物語では「何かを成すために生れる犠牲」と「犠牲を生み出さないために何もしないことで生まれる後悔」が描かれています。「自由の代償」と「犠牲なき不自由」です。「戦わされている人」は代償と不自由だけに覆われてしまっています。それではダメだと誰もが解っていながらその運命に従ってしまっている「鳥籠」の中にいる「戦わされている」人たち。エレンはそんな彼らに、自らの意志で自らの為に「戦え」と言ってるのです。戦う相手は世の中にはびこる「不条理」であり、それに甘んじている「自分自身の心」です。

【天秤にかけられるモノ】
進撃の物語の中では「何かを成すために生れる犠牲」と「犠牲を生まないために何もしない」という2つが常に天秤にかけられています。コロナ禍の現状をそのまんま現わしてますね。
『「命」か「経済」か…』                      経済を活性化するためには感染もやむなし。              感染を増やさないためには経済活動を自粛する。

両立ってそんなに難しいコトなんだろか?

【優しさを罪に変えてしまう社会への怒り】
豚を逃がした、自由にしてあげた「だけ」のユミル。
フェイに飛行船を見せたかった「だけ」のグリシャ。
幼い子供たちが持つ純粋な優しさ。それが「罪に問われる」という社会の不条理。ラムジーの家族を想う優しさが「スリを働く」という生き方でしか表現できない不条理な社会。カリナやレオンハートさんはライナーにもアニにも「幸せになって欲しかった」はず。しかし、社会の不条理が「幸せになるための方法」を間違えさせた。子供を想う親の優しさまでも歪めていった。「地ならし」は「不条理な社会への怒り」に思えてきちゃいますよね。
 
【生きるコトは「選択」の繰り返し】
巨人の力で子種フリッツを叩き潰すコトも出来たユミルちゃん。しかしユミルちゃんは「戦わない」ことを『選択』した。逆に「戦う」ことを『選択』したエレン。ユミルちゃんは後悔と責念の想いを持ちながら命を絶ったが、自らの意志による虐殺は起こさなかった。エレンは自らの想いを果たす行為を実行しているが、多くの犠牲者を生み出している。それぞれの『選択』が正しいか正しくないのかは、もちろん言及できないのが進撃の物語だ。しかし、この世に起こるコト、その全ては『選択』が生み出す『結果』なのである。それが「自然の流れ」であり「万物の摂理」となる。「自然の流れ」とは、人の力ではどうすることもできないモノである。起こってしまったモノは「理解」し「受け入れ」て、未来の為の次の『選択』に向けられる。
「生きる」とは、今この時の『選択』の繰り返しなのだ。

【エレンとユミルの共通点】
子供エレンと子供ユミル・・・それぞれに生きてきた境遇は違います。2人の想いは人類の滅亡とか、憎しみと殺戮の連鎖を止めるとか、そんな大層なことではなく、純粋な子供の想いとして「自分が自分である世界」を求めていて、そんな自分を「束縛している世界から解放」したいだけだと思います。その2つの想いはエレンとユミルの心に共通して存在していると思います。自分で選べる自由 生き方を選べる自由 ユミルちゃんには それが無かった。それがユミルちゃんの『未練』だと思います。
自分で選べる自由 生き方を選べる自由を求め続けたエレンには、その『未練』が痛いほどわかった。

「誰にも従わなくていい。お前が決めていい」

始祖ユミルは、この言葉と この言葉通りに行動する自分を待ち望んでいたのではないでしょうか。


=====2021.2.10  137話『巨人』所見=====

【何の意味もない…でも…確かに…】

進撃の巨人137話…
ハンジさんが退場した時とは全然違う涙が溢れてきた。
何が正しいか正しくないかなんて 誰にもわからない。
ただ命がある奇跡と有り難さだけ
それが唯一のよりどころ。
そのよりどころさえあれば…
人生は素晴らしい。
命は素晴らしい。

【始祖ユミルの未練…自由という幸せ】

始祖ユミルの未練は、野心や大義があるようなモノじゃない。
「幸せを 感じたい…」
「愛を 感じたい…」
ただ、それだけなんだ。アルミンのかけっこやジークのキャッチボールのような、些細なコトでいいのだ。
エレンも同じ。決して世界平和だとか全人類を救おうとか、
そんなコトを考えている訳ではない。
自分が出会えた身近な仲間たちが
「ずっと…幸せに生きていけるように」
ただ、それだけなのだ。
悲劇が起こってしまうのは、ささやかな夢や純真な優しさを、
のちに大きなトラウマや憎悪や怒りに変貌させてしまう社会の仕組み。
そしてそこに潜む闇。
その闇とはやはり「人間の性」であろう。
サシャ父やニコロの言うところの「森に棲む悪魔」である。
「地ならし」は、森を抜けようとする「人間の性」からの、       それを阻もうとする「人間の性」に対する『怒り』なのかもしれない。
「地ならし」は、たぶん始祖ユミルの本意ではない。
エレンの本意でもない。
そして、「地ならし」が起こってしまった事に二人の責は無い。
巨人の根元であるハルキゲニアにも、責は無い。
有機生物の起源(命の起源)であるハルキゲニアは、
命の宿命として「増やそう」としただけ。
命の宿命として「生きよう」としただけ。
自然の法則・摂理とは、その名の通り「自然」なのである。
台風も地震も、洪水も干ばつも、人間たちは「災害」とか「天災」と言うけれど、自然は、なにも人間に罰を与えようとか苦難を与えようとかしている訳ではない。悠久の時の中で、循環を繰り返しているだけ。
そこに、善悪や正否は、無い。
エレンという主人公が人として出来るコト、人として出せる答え。
それは、生まれてきた新しい命に対して、
「お前は自由だ」
と言ってあげるコトだけかもしれない…。

136話の時点でも所見で述べましたが、ユミルちゃんには『自分で選べる自由』『生き方を選べる自由』が無かった。それがユミルちゃんの『未練』だと思います。
『自分で選べる自由』『生き方を選べる自由』を求め続けたエレンには、その『未練』が痛いほどわかった。

「誰にも従わなくていい。お前が決めていい」

始祖ユミルは、この言葉と この言葉通りに行動する自分を待ち望んでいたのではないでしょうか。そして、その言葉を始祖ユミルに言ってあげられたのが2000年後に現れた主人公「エレン・イェーガー」だった。

【偏愛】

ユミルの未練とは少しズレるかもですが・・・

ユミルの未練を考察するとき、子種フリッツとの関係や「愛」についても話題になりマス。でも「恋愛」と「愛」は少し違っているような気が…
以前、LOVE&PEACE(愛と平和)についてタモリさんは「この世にLOVEがなければ、争いは起きない。何故なら争いは、好きなものを奪われるから、奪われないために起こる」と語っています。
ここで自分本位な「偏愛」について深く考えさせられました。
「愛」にも「慈愛」「偏愛」「恋愛」「親子愛」「無償の愛」などなど色々あると思います。
進撃では、登場人物たちの「恋愛」は儚く描かれ、「偏愛」は重く描かれています。「偏愛」は「欲」とか「執着」にも置き換えられて描かれます。
始祖ユミルの未練を考察するときには、「愛」の種類も念頭に置きながらという準備が必要と思います。

【生と死】

歴代巨人の復活が描かれましたが・・・
戦鎚の能力での復元は理解できたのですが、今回の座標展開後に意思を持って復活した件。
読みながら、死んだ仲間たちの復活の感動と、ご都合主義感とが入り混じる感覚でした。
132話ラストの描写に感じた号泣する程の感動と少しの違和感と何となく似ています。
深い考察はさておき、自分なりに整理してみました。
始祖ユミルを含む歴代巨人継承者は、死亡しても座標と道を通じて物理的な干渉が可能。しかし言葉(セリフ)は無し。
ハンジを含む通常死亡者は、当然死亡後に物理的干渉などは無く、132話ラストは、死者同士においてイメージとして会話風景を描いた。
ここからは妄想ですが、歴代継承者は、赤子継承でない限り次の継承者に脊髄液ごと喰われます。そして新たな継承者の中で記憶という形で存在しています。137話では、過去に継承(死亡)された歴代巨人継承者が登場します。会話こそありませんが、道(座標)を通じて存命の人間たちとコミュニケーションが取れているようです。
即ち、意思があるようです。
これは、クルーガーが言っていた「死んでも、死んだ後も」が描かれているということなのでしょうか。
諫山先生は、座標や道というプロットで、今までにない『死』のカタチ、『死』の行方、『死』と『生』の繋がりを表現しているのかもしれません。
無垢巨人に至っては104期そばかすユミルの60年程彷徨ったという発言にもあるように不死も描かれています。
次回と最終話に於いて、座標と道の仕組みが明かされるコトを期待したいです。

【明日本チャンネルさんの記事】

ジークが自ら出てきてリヴァイに討たれるシーン。

「ここでの『死に救い』って意味が変わるんですよね。『死んだほうがマシ』とか『もうヤだ。解放されたい』って意味の『救い』じゃなくて、『もう一回生まれたい』という自分の未来と『誰かの命を救うための死』って意味になる。」「互いの存在を否定して殺し合ってた者同士が、言葉を交わすことなく『理解しあった』。これはウーリが信じてた『奇跡』そのものやん……」

(明日から本気だす「進撃の巨人137話『巨人』感想と考察 辛そうなリヴァイ兵長と心臓を捧げたジーク」より引用掲載)

流石、明日本さん!!!

【井筒孝庵さんの137話考察を紹介】

私がお世話になっている『進撃の考察』サイトのコメント欄に、素晴らしい137話考察があったので紹介したい!

(以下『進撃の考察』サイトのコメント欄より引用掲載)

まず、《運命》というものがあって、運命は《必然》なので変えることはできませんが・・その運命を変えるという物語なのかなぁと。
変わり得る運命というのは、運命もまた偶然性を免れない・・(大げさに)世界構造の底に《不確定性》が原理的に横たわっている限り、必然であっても変わり得る・・SF設定的に言い換えると、1) 確率が大きい世界線が確かにある、運命と形容できるもの、2) でもそれ一本があるのでなく、その周辺には確率が小さくともかなり違ったものもあり、3)そこに可能性ゼロではない《選択》の余地がある。
《問》 エレンが果たした役割は何なのだろう?
《答》 目に見えない運命を具体化したことではないかなぁと。シンボリックに地鳴らしというのは、具現化された運命で、人類にとっての滅びの運命。一度運命が現れ出れば、それに対して、具体的な行動、リアクションが生じます。地鳴らしを止める、ということですが、運命が漠たるものであれば、目標が定まらずやり過ごしてしまう。それは目に見えない森に迷うというイメージです。エレンの行動の結果、皆が迷っている森が姿を現したということかなぁと。
《問》 ストッパーズの役割は何だろう?
《答》 運命という必然の対照として、それは運命をも変えかねない偶然性に相当しますが、宝くじに当たる僥倖やビギナーズラック、結果オーライとは異質な偶然性で、必然性に支えられた偶然性なのだろうと。その必然性というのが、この物語の底流にある「悔いなき決断」であり、137話で提示された「諦めない強さ」なのではないのだろうか・・偶然が孕む変革の稀なチャンスは、不断の営為の裏付けによって支えられ現実化し得る・・そうした捉え方をしています。
であるとすると、
《問》 エレンは全てを見通せていたのだろうか?
《答》 エレンは運命の体現であり必然の権化ですが、全てを見通せてはいなかった。予め全体の計画を立てることはできなかったが、計画に際して《賭ける》ことはできた。エレンは自身にベットしているが、そうでない賭けも同時に成り立つことを理解していた。エレンはストッパーズに負けてやるように力を貸したのではなくて、ストッパーズとゲームの場で対等にやり合おうとした・・賭けの対象が運命であり、賭けているのはお互いの命です。
《問》 始祖ユミルの役割は何だろう?
《答》 ゲームということでは、本誌の表紙を飾ったポーカーを思い出しますが、エレンもストッパーズもプレイヤーの役回りだとすると、始祖ユミルは(喩えるなら)「ディーラー」(胴元)だろうと。せっせとカードを配っている、エレンのためにもストパーズのためにも。
《問》 アルミンのリーフ(葉)はどういう役割を果たしたのだろう?
《答》 ジョーカーです。あの1枚によって、ストッパーズに役ができて、最後の最後にエレンの手札の役を超えた、ということに。

以上 井筒孝庵さんの考察コメントでした!!!


【「自由」の意味を考える】

一般的に「自由」とは心のままであること,あるいは外的束縛や強制がないことを意味する。哲学上は,人間が行為する際に一つの対象を必然的に追求するのではなく,それ以外の対象をも選びうる能力をいう。この場合,自由は選択する意志の自由であり,意志とはその本質上「自由意志」にほかならない。

「自」は自分の意を表す。
「由」は物事と関係づけていくことの意を表す

「由」の2次的意味合いとして『ある事象が生じたわけ。いわれ。』というものがある。
「自由」を読み替えると「自分が生まれたわけ」となる。

「俺がこの世に生れたからだ」⇒「お前は自由だ」⇒「自分が生まれたわけ」⇒アルミンとジークが気付いたコト。。。

【エレンのシナリオ】

先ず、道・座標へ行くのにユミルちゃんの許可とかは無いと思っています。王家始祖ホルダーは自分の意志と始祖の力で座標に行けていた。ユミルちゃんは彼らの命令に隷属的に従っていただけ。不戦の契りはユミルちゃんと交わしたのではなくて、始祖ホルダーの中に宿る始祖の巨人と交わしたもの。
歴代巨人達はユミルちゃんが操っていたわけでは無い。ただ自分達の中に宿る記憶の通り始祖の巨人であるエレンを守ろうとしていただけ。
クサバーやグリシャやクルーガー、ベルトルトなどは、アルミンの言葉とジークの気づきに呼応してエレンを止める事に「希望」を見出だせた。
ユミルちゃんが許可したのでも無く、ユミルちゃんを裏切った訳でも無く、自分自身で気づき、自分自身の意志で行動した。

122話以降ここまでのシナリオは、エレンが展開させたモノ。地ならしが起き、世界の人類が恐怖し、後悔し、やがて何かに気づく。ストッパーズは地ならしを止めて、最後には巨人の力の源である本体(光るミミズ)をも仕留める。
ここまでがエレンのシナリオ。
「オレが終わらせてやる」
何を終わらせるのか?
ソレは巨人が支配する世界の仕組みと巨人の力そのものを無くすこと。
ユミルちゃんが巨人の力の為に座標で1人居るような事を、終わらせること。
エレンはシナリオを描き、ユミルちゃんはソレに協力した。歴代巨人達の動きやストッパーズの考えや行動は、エレンのシナリオに折り込み済み。
コレが122話の座標でエレンが宣言した「終わらせてやる!!」作戦。
私見ではありますが以上が現時点での私の読みです。
エレンは、そのシナリオの実行を120話で座標に行けた後に決めた。正確には、ユミルちゃんに触れて過去の真実の記憶を全て見た上で決めた。
それまでは、ヒストリアに宣言した通り、文明ごと無くしてしまうしか無いと思っていた。それでも、マーレに渡ってからも何とかならないモノかと悩み苦しみ考え続けていた。120話で最初にユミルちゃんに協力してくれと頼もうとしたのは、ギリギリ迄解決方法を模索していたから。122話で全ての過去の真実の記憶を見て心が決まった。

このシナリオを座標で繋がる意識の中で人類に疑似体験させたら・・・
まだまだ『過去と未来の記憶ツアー』の最中である可能性は残っています!

【エレンは死ぬのか】

最終話までエレンの生死はまだまだわからないと踏んでます。

圧倒的加害者である巨人に立ち向かう主人公のエレンが描かれる物語前半。
後半はその主人公のエレンが「地ならし」という絶対的な加害者となる。

立場が変われば「正義と悪」が入れ替わる。
目的が変われば「敵と味方」が入れ替わる。

ハンジさん曰く「理解する気持ちを諦めない」
聖書曰く「罪を憎んで人を憎まず」

もしも諌山先生が、作中の人類たちに「罪を憎んで人を憎まず」というものを描き切るとするなら…始祖ユミルは転生し、エレンは生きる。

もしも諌山先生が、作中の人類たちに「残酷な世界」と「人の闇」「人の性」、人間の愚かさとはかなさを突き付けるなら…始祖ユミルは座標と供に消滅し、エレンは死ぬ。

もしも諌山先生がその両方を描き「答え」を作中の人類と読者に委ねるなら…始祖ユミルは転生し、エレンは死に、課題として「何か」を残す。
「何か」は「希望」かもしれないし、「座標や道・巨人の力の源」かもしれない。

(以上 2021.2.18に更新済み記事です。)


===2021.2.11 アルアニ・ガビファル他『カップリング』の行方===

進撃の巨人も残すところあと2話。
137話時点でエレンとジーク以外は生き残りそうなので、
作中キャラのカップリングの行方を書いてみる。
諌山先生流に「斜め上から…」の妄想予想です。

時は地ならしが止まり、巨人の力が消滅してから1年後・・・
先ずはアルアニ。
アルミンは新しい世界の仕組みを構築しようと大忙し。アニのことは二の次になっていた。
大雑把なアニは几帳面で神経質なアルミンにちょっとした嫌悪感が…。
そんなある日、アニはニコロのレストランでコニーとその母親に遭遇。
ニコロはブラウス家と懇意にしているうちにカヤと結婚。仲睦まじく一緒にレストランを経営していた。コニーは母親と一緒によく訪れていた。
「アニ!一緒に食べよう。」その日をきっかけにアニとアニパパ、コニーと母親の4人は頻繁に食事をするようになる。母親を知らないアニはコニーのお母さんが大好き。明るいコニーとも話が合った。
「コニー。4人で暮らそうか。アンタのお嫁さんになってやるよ」
「ええぇ!!お…オレみたいな奴でいいのか?アニ?」
「ああ。コニーは私が苦手な良い人じゃなくて、私の性分に合うイイ奴だからな」
めでたしめでたし(笑) えっアルミンは?…大丈夫ですよ。↓

次にガビとファルコ。
いつまでたっても頼りないファルコはガビにフラれる。ガビが夢中なのは、パラディの為、エルディア人の為、そして世界の為に大活躍するアルミン。ガビの猛アタックでアルミンとガビはめでたく結ばれました。そして二人は夫婦揃ってカリスマ指導者に!!
ガビにフラれた後、名誉挽回の為に奮起したファルコもやがて政府の役職に就くまでに出世しました。そして何と何と!ヒストリアの娘、すなわちプリンセスと結婚!!
こちらもめでたしめでたし(笑) 

さて、ジャンミカ。
「オレが守ってやる」とミカサに対して男気をみせていたジャンでしたが、どんな時もミカサの方が強い。ミカサはジャンに全く興味なし。落ち込んだジャンはマルコの墓前で一人うなだれていた。するとすぐ近くのマルロのお墓にヒッチが…。ジャンが声をかけると、ジャンの胸に顔をうずめ泣き崩れるヒッチ。ジャンの男気スイッチが全開!
「オレが守ってやる」
めでたくジャンとヒッチが結ばれました(笑)
アニとコニーの夫婦と仲良くやっているとかいないとか。

そしてミカサ。
ある日、山奥で暮らす兵長を訪ねたミカサ。アッカーマン仲間だからね。
兵長は指を失い、足も悪く、体中古傷でボロボロ。
それでも持ち前の潔癖症とこだわりで料理・洗濯・お掃除は完璧!!
「兵長、何か手伝えることはありませんか?」
「ああ、それじゃぁ狩りに行ってくれるか。畑も耕してくれ。あと、薪割りも頼むよ」
森に狩りに出かけていたブラウスさんが、熊に向かって「私は、強い!」と叫んでいたミカサを見たとか見ないとか…。(笑)
主婦業完璧の兵長と男仕事が得意のミカサが結婚したかどうかは、誰も知らない・・・。

さて、信じるか信じないかは あなた次第です(笑)

追伸

ピークちゃんはミュラー長官の愛人に・・・。ライナーは母親が持ってきたお見合い話で、めでたく結婚したそうです。よかったね ライナー (笑)

【ご注意事項】『過去と未来の記憶ツアー』説が見事成立した場合、兵長は当然ハンジさんと結ばれ、ミカサはヒィズル国で余生を送りマス。。。


==2021.2.13 「いってらっしゃい」と「あの景色」のダブル回収妄想==

今日、2月13日は、私の父の三回忌命日であり、祖母の24回目の命日。

138話で『過去と未来の記憶ツアー』が明かされる!!!
というユミル・イェーガーのトンでも予想は置いといて(笑)
「いってらっしゃい」と「あの景色」のダブル回収妄想を・・・(笑)


『エレンが見た「あの景色」は、ミカサとその娘に「いってらっしゃい」と声をかけられるという、穏やかで幸せな未来の風景だった・・・』


【回収展開その1】
エレンは、進み続けた先に、そんな未来が来てくれることを信じて行動してきた。しかし、このまま巨人の力が消滅すると、首を飛ばされ、死に至るダメージを受けているエレンは死ぬ。ジークとアルミンはそれを理解していた。ジークが言う「エレン、お前の見た景色とはこのことだったのか。人類を救う代わりにお前自身が死んでしまうという景色だったのか…」エレンは答える「違うよ、兄さん。オレが見た未来の景色は・・・」ミカサとその娘に「いってらっしゃい」と声をかけられるという、穏やかで幸せな未来の風景を回想するエレン。「未来とは、進み続けた者にしか訪れない。そして、進み続けてみなければ、どんな未来が訪れるかは誰にもわからないんだ。未来が決まってるなんて…そんなことあるわけないだろ。あるのは今、この瞬間だけだ。残念だが、その景色は見れそうにない。今ここで巨人の力を封印するしかないんだ。わかるだろ。それしかない。それが今、この瞬間に、俺たちが出来るコトなんだ。たとえオレが死んでも、この先、巨人がいない世界でお前たちが暮らせるなら…オレは…この道を選択する」(以降は神展開予想の最終話予想に準ずる)始祖ユミルに座標の消滅(巨人の力や道の消滅)を選択させ、エレン死亡エンド。ラストカットはエレンの記憶。

【回収展開その2】
全てが終わったその数年後…。パラディメンバーやマーレメンバーのその後が描かれる。事後に行われた国際裁判の後、無罪(もしくはそれなりの禁固刑を終えた)となったエレンとミカサはヒィズル国に亡命。田舎で穏やかに暮らしている。
エレン「これが…あの景色だったんだ…」
ミカサとエレンの娘「いってらっしゃい」
グリシャとカルラ、ジークとダイナのお墓に向かうエレン。空を見上げながら「お前は自由だ」というグリシャの記憶を思い出すエレンでエンド。

トンでも妄想失礼いたしました(笑)


=======2021.3.2 追記 138話を読む前に・・=======

親愛なるエレンへ
"To Dear Ellen"

『無知ほど自由とかけ離れたものは無い』
"Nothing is as far from freedom as ignorance"

『人の人格形成に記憶が大きく影響する』
"For the formation of a person's personality
Memory has a great effect"

逆説的に『何も知らないという幸福』もある。
Paradoxically, there is also "happiness of knowing nothing".

でも…『お前は自由だ』
But… "you are free"

何が正しい? 誰を信じる?
見えない真意… 
隠された真実…
真意と真実を知らぬ者は…無知。
何も知らず 何も見えぬ民衆は
踊らされるのみ…。
What is right?
Who do you believe in?
Invisible true intention.
The hidden truth.
Those who do not know the true meaning and truth are ignorant.
People who don't know anything and can't see anything Only danced.

『無知ほど自由とかけ離れたものは無い』
エレン… 君の言葉は、全ての人類に向けられている。
"Nothing is as far from freedom as ignorance"
Ellen ... Your words are directed at all humankind.


親愛なるアルミンへ
"To Dear Armin"

アルミン…
キミが見つけた
キミが思い出した
座標の『Leaf(木の葉)』
Armin ...
You found
You remembered
Coordinates "Leaf"

ほんの些細な記憶…
ほんの些細な経験…
大切で あったかい 想い出…
Just a trivial memory ...
Just a trivial experience ...
Important and he has a warm memory.

『答え』は
キミの中に
皆の心の中に
ある。
"The answer" is
In you
In everyone's heart
is there.

さあ エレン アルミン
「キミたちは 自由だ」

here we go Ellen  Armin
"You are free"

ユミル・イェーガーより
From Ymir-i


【アース団長のサイトに投稿されたコメント】

以下、原文を引用掲載

典膳 より:
2021年3月1日 2:23 PM
重くかつ壮大で長大なストーリになったものは、たいていの場合、
「人や世界の原点を語るようなシンプルな答え」にたどり着くものなので、愛、人間賛歌、世界の肯定、未来への希望、そういったものになるだろうとは思います。

でも、きっと、ただのそれにはならないとも思います。

進撃の巨人は一貫して、
「世界は残酷だ」「世界は個人の自由を認めない」
この二つを徹底的に描いています。
女子供だろうがメインキャラだろうが一切容赦がない。他の漫画でも類を見ない容赦のなさだと思います。

だから今さら、こんなストレスフルなストーリーを描く作者が、
日和見でご都合的なエンディングを描くわけが無いのは確信しています。

でも、
もう一つの確信は、作者が伝えたいのはいつだって
「そんな世界だからこそ」「そんな世界でも」と続くアンサーなはずだということです。

作者はすじはすでに考えていつつも、物語を貫くアンサーをどうするかには迷いがあるように感じられていました。
ハンジやリヴァイがたびたび「捧げた心臓に足る何か」を求めるようなセリフや行動をとりますが、
それは作者の心の声そのもののように感じられます。
疎かな答えは出せんぞ、という大いなる責任感と苦悩を感じます。

(作者がこの物語づくりにのめり込まざるを得ない後半から、
物語の中で殺してきたキャラクター達への贖罪を常に物語の中に求めているような気がします。最初の巻あたりは、残酷描写はショッキングでキャッチーだからやった、という印象で、ある意味悪乗り気味というかドラマの重さと演出の重さがかみ合い切れていなかった印象でしたが、後半になるほど、物語の筋立ての為に冷酷に残酷描写を描いている、という意識を感じます。罪悪感すら感じているように思います)

物語を読むほどに、作者はモラルや平和主義が心に強く根差す人間だと分かります。殺してきた人に対して償うかのように、巻を重ねるごとに、命の重さ、平和の尊さ、正義の難しさ、をドラマの中で語る時間が増えました。

あらゆる物語では、知らず知らず「全てのキャラは、ある罪を背負った時、物語の中でその贖罪を与えられる」ものですが、
作者はある意味とても潔癖な考え方をしていて、「贖罪を伴わない解決」をキャラにも物語にも与えるつもりはないと思っています。

それゆえに、ハッピーエンドも、大団円も、あり得ないはずだと思います。

ただ増えたい残したいというプログラムが生命を今まで存在させ続けた理由にすぎず、生きるとはいずれ死ぬことで意味などない、と語るジークは、
この作品の根底に流れる「世界とは徹底してシビアだ」という哲学そのものです。(主人公がまさかの殺戮者化する展開もその顕著な例ですがw)

アルミンは、あるいはユミルは、あるいはエレンは、あるいはミカサは、あるいはこの物語は、こういった「シビアなんだ世界は」という訴えについて、決して「いやそうではない」と反証しません。

この物語は一貫して、「そうだよ、でもそうだとしても」と言います。
それがこの物語を少年漫画にしている理由でもあり、
多くの人に読み続けられている理由の一つでもあると思いますが・・・

全てのキャラクター達に、それぞれの「そうだとしても」があると思いますが、アルミンの「そうだとしても」とエレンの「そうだとしても」が、
このまま噛み合わずに終わる訳はないと思います。

テーマと物語から結末を素直に考えるなら、
「今までもこれからも残酷な世界ではあるものの」「希望に変える何かがあって」「次代に何かをもたらしていく」という事になるとは思うのですが、
ただの何かではないと信じたい。

だって、そうでなければミカサがマフラーを外した甲斐がありません。
壁に出たかった三人の子供達の夢が報われない。散っていた命の思いが報われません。

当時、様々な思いの中で進撃の巨人にとりかかった作者の問いかけに対する、10年後の作者が送るアンサーは、これからの希望で終わらなければおかしいはずです。


=======2021.3.9  138話『長い夢』所見=======

いやいや、
『衝撃』『感動』『謎』
の三拍子そろった138話でした・・・
順当にいけば
最終話の139話はエピローグ的な展開かと…。

しかぁし!
諌山マジックが簡単に終わるはずがない!!
ここは最後の大胆妄想予想を・・(;^_^A (笑)

ポイントは2つ。
1、 ミカサがエレンの居場所を特定的に断言したコト。
2、ラストの始祖ユミルちゃんの笑顔。

ミカサの断言発言は道を通じてエレンかユミルが通信している状態であるということではないかと思います。
ラストの始祖ユミルちゃんの笑顔は「記憶ツアー」を見届けた安堵の笑顔。
持論の『過去と未来の記憶ツアー』とは、ちょっと違う展開ですが、
139話のオープニングでは、2000年前に槍に倒れたユミルが目覚めるシーンから!ってのはどうでしょうか?138話のタイトル『長い夢』は実はソコにも掛かっている・・・

【最後の大胆予想!!】
ひょっとしたら…
2000年前ユミルが槍に倒れた場面に戻るかも。
138話のラストでユミルちゃんは何らかの『答え』を見いだせたようです。
1話から138話までの『長い夢』の旅をしていた始祖ユミルは最終話で目覚め、槍を抜いて立ち上がり、喋れないと思っていた言葉を発し、フリッツ王の命を断つかもしれません。
1話から本編全て、槍に倒れ座標に意識が行ったユミルが見た未来の夢(記憶)。
今描かれているユミルは夢(記憶ツアー)の中のユミル!!
だからこそのタイトル「二千年後の君へ」と「二千年前の君から」そして「長い夢」。
巨人の力を奪い合い、終わりなく繰り返される憎しみと殺戮の連鎖。
そんな未来が訪れることを知るユミル。
その中で、愛する人の大罪を「愛」をもって断罪したミカサ。
その姿を見たユミルは、槍に倒れた場面から目覚める。
傷口が再生され立ち上がるユミル。
「さすが我が巨人よ。」「ん?何故泣いているのだ?」
「未来を・・見ました・・・」
ユミルは「慈愛」の気持ちを抱きつつ子種フリッツの首をはねる!

「さあ、あなた方は 自由です」
フリッツ王の独裁に隷属していた民衆と
3人の娘たちに別れを告げ
鳳凰のような鳥巨人となって空のかなたに飛び立つユミル。
もう二度と巨人は現れなかった。

その後のフラッシュバックを経て、(もしくはフェードアウトして)
巨人のいない平和な現在が描かれる。
ラストカット「お前は自由だ」

以上
トンでも考察のユミル・イェーガーによる
『過去と未来の記憶ツアー』改定バージョン予想でした。
(;^_^A

【余談ですが・・・気になったコト…。】

1話のエレンは『別ルートのミカサ』の記憶をみて泣いていた。
138話の『別ルートのミカサ』は『本編ルート』で描かれてきた記憶をみて泣いていた。

ミカサの頭痛は『本編ルート』と『別ルート』の記憶の混濁・競合・共有などによるものと思われる。

(『別ルートのミカサ』とは、レベリオでエレンに「家族」という答え以外  で愛を告白したミカサの別世界線での出来事。138話逃亡先の山小屋前)

=======2021.3.11  138話について追記=======

考察もいよいよ大詰めとなってきましたね。
しかし、最終話を残して、未だなお謎が残りマス・・
コレは諌山先生の真骨頂ですね!
『沢山の考察・予想・解釈の選択肢とその可能性を残す』
先生は常々そんな作品に・・っておっしゃっていました。

一つの答えにたどり着けない、絞り切れないのは、どの予想考察・その可能性にも『決定的なモノ』が欠けていて『決定的らしきモノ』がそれぞれ沢山描写されているからですねぇ。

私も、もう最終話を「見守る」しかないと思っています(;^_^A(;^_^A

取り敢えず、現状で感じていることをいくつか・・

【ミカサのループ発動はない説】
今回のミカサの夢が前ループという説には可能性を感じますが、ループを発動させたのがミカサという考え方には異議を唱えます。
理由は、ミカサはどのタイミングでもエレンの死を受け入れているからです。
7話「小さな刃」でもエレンの死を知った上で立ち上がっています。
138話の夢でも13年の寿命を終えるエレンに「いってらっしゃい」と告げています。
エレンの死を受け入れられず、「ループしたい」というミカサの感情は描かれていません。
むしろ123話とか今回の「帰りたい・・」とか、ここぞという描写でもループはしませんでした。
ですから、この物語にループの要素があるという可能性はありマスが、決して発動者はミカサではないと思われます。
考えられる発動者は万能の始祖ユミル。
彼女からは何が飛び出しても辻褄は合わせられますから。
ご都合主義を避けるなら、座標や道の仕組みとか人知の及ばぬ宇宙の原理的なモノが突発的に起こしていた・・とか。

【並行世界・複数世界線という説】
描写や台詞で断言せず、「そんな世界もあるかも・・」的に解釈させている可能性はあると思います。
ミカサの頭痛も世界線の交差や平行世界の入り口的な解釈も可能ですね。

【全ては始祖ユミルが】
この可能性も高そう・・
138話のラスト、穏やかに微笑むユミルちゃんがポイントになります。
1話でのエレンが見た記憶
138話でのミカサが思い描いたif世界
アニメFinalSeasonの1話でのファルコの見た記憶
その他、未解決事案の不思議現象などなど
全ては座標と道の仕組みを使って始祖ユミルがしていたコト。
ループ発動者の可能性を含め、万能であるユミルちゃんに全ての原因を帰属させるという設定はあり得ますね。
ただ、それだと「何のために」を最終話で解決させる必要があります。
その場合の個人的な妄想予想ですが
ユミルちゃんは槍に倒れた時、子種フリッツの心無い言葉を聞いて、この後に自分はどんな『選択』をするか迷っていた。自分の意志さえあればこんな傷は治癒できる。しかし、子種フリッツの言葉に虚無感も感じる。巨人の力で復興に貢献したことは良しとしても他国や他民族を虐殺してきた自分自身にも疑問と罪悪感がある。娘たちの行く末も・・・
そんな迷いの「答え」を求めて『二千年後の君へ』『二千年前の君から』という未来の想像の旅(進撃の未来視能力)に出ていたのでは。それが『長い夢』というタイトルにも掛かってる。
138話のラストでユミルちゃんは何らかの『答え』を見いだせたのかもしれません。
ユミルが子種フリッツに隷属してたように、エレンに隷属していたと思われるミカサが「答え」のようなものに辿り着きました。
1話から138話までの『長い夢』の旅をしていた始祖ユミルが最終話で目覚め、槍を抜いて立ち上がり、喋れないと思っていた言葉を発するかもしれませんね。そして今度は家畜の豚ではなく、人々を解放するやもしれません。

【単なる並行世界ではなく、過去と現在と未来の3つの世界の同時進行】
デジャヴに代表されるように、不思議な体験をする事ってありマスよね。
継承前のエレンやファルコが未来を見る。
ミカサが複数世界線を体験する。
ミカサにはエレンの居場所が直感でわかる。
離れていても想いが伝わる。(エレンがミカサに夢・居場所を)
作中の壁の崩壊の日がベルリンの壁崩壊の日と同じになった。
「ミカサ」は「私の家」という意味がり、そう翻訳できることが判明。
コロナ禍やアメリカ大統領選挙とクライマックス時期がかさなる。
北欧神話とかさなる。
聖書とかさなる。
仏典とかさなる。
などなど・・

この「進撃の巨人」という物語には、不思議なシンクロニシティが沢山あります。
「過去」と「現在」と「未来」が一つに重なり合っていたとしても
決して不思議ではないような・・・。

【やっぱり『過去と未来の記憶ツアー』だった説】
この可能性は最終話発売まで残されていますよー(笑)
138話ラスト、記憶ツアーを見届けたユミルちゃん。
122話の座標に意識が戻ってくる。
エレンかアルミンか、それともヒストリアから
「さぁ あなたは自由だ。」
「これからどうするか、あなたは自分自身で選択していいんだよ。」

始祖ユミル解放~~~~~~!!!

巨人の力消滅~~~~~~!!!


以上
ミカサの夢から考察を広げてみました(;^_^A

失礼いたしました。


【ミカサの返事「家族」は間違いではなかった】
アース団長のサイトで和銀さんからのコメントに目が留まりました。

>「家族」は正しい答えだったて言うことです

理想だと思っていた夢(想い・if世界)を断ち切り、最後の「悔いなき選択」に至ったミカサは、エレン自身も、自分自身も信じるという域に覚醒成長しました。
マフラーを捨てて自立するのではなく、
マフラーを巻いた自分のまま自立する。
今までの自分の生き方を否定しての成長ではなく
今までの自分の生き方を肯定(受け入れる)したうえでの成長です。
仮にループが起こっていて、間違った度に正解を求めて再ループしていたとするなら、今回が正解ルートとして「家族」という答えが正しい答えだったのだとなりますね。
138話でガビやファルコやピークが家族と抱き合う姿を見つめるミカサが描かれています。「家族」というものの大切さ大事さ必要さを物語る表情が伺えます。
「私の想いは、間違っていなかった。」とミカサが感じていたと読みました。

【エレンのみた「あの景色」は、もしかして・・】
アース団長のサイトで、のののさんのコメントにも共感!

>あの瞬間、マフラーはエレンの中で、枷の意味を無くして、ただ二人の絆の証だけを意味するものになった

ココですよね!

宿主習性の証、ミカサに課せられた枷、などと考察され、
マフラーを外すことでミカサの自立が描かれるのでは・・とも思っていました。

>私はアッカーマンでエレンの家族だけれど、それでも貴方を愛している

自分の事情も、周りの環境の事情も、そして相手の事情も、全て受け入れた上で
ただただ…「あなたを愛している」

マフラーを巻いたミカサが、その思いを持ったままエレンを斬る・・
マフラーを捨てない事(真実を受け止めるコト)が大切な描写になるとは・・

世界は残酷⇒いや、そんなことはない⇒✖
世界は残酷⇒そうだよ。それでも・・⇒〇

アース団長の返信コメント
>エレンが見た「あの光景」が「自由だ」とかじゃなくミカサが自分を斬りに来た光景だとしたら…

鳥肌立ちました・・・
コレ、あると思います!!!

グリシャの言葉
「あんな恐ろしいことに・・」
「エレンの願いが叶う・・」
に充分に合致します!!

=====2021.3.14   追記=====

139話の前に、おさらい・・

【121話について解説】

ジーク・エレンの記憶ツアーでグリシャとの絡みの場面・・
喩えて表現すると
音楽のオンライン同時録音。
オンライン画面1=過去に演奏されたモノ
オンライン画面2=現在演奏しているモノ
オンライン画面3=未来に演奏されるモノ

それぞれが違う時間に演奏している画面(記憶)を
座標を通じて、それぞれの存在する時間と場所で『同時に』受信する。

各画面に流れてる映像と音は違った時間(過去や未來)のものだが、全てそれぞれの『今』に演奏しているモノ。

それぞれの想い想いの演奏が過去にも未来にも現在にも影響する。
影響させているのは、それぞれの『今』の演奏。
過去も未来も現在も決まっていなくて
それぞれの『今』の演奏が移り変わりながら
過去の演奏も現在の演奏も未来の演奏も創り出している。
それぞれの今の演奏の受信による同時進行なので
それぞれが今の演奏の事実の記憶として残り
タイムパラドックスはない。
それぞれの「今」を『複数世界線』とするか『ひとつ』と解釈するかは
自由。

【記憶について おさらい】
分かりやすい言葉で言うと
体験した事も『記憶』
見たことも『記憶』
聴いたことも『記憶』
触れたことも『記憶』
想像したことも『記憶』
湧き起る感情も『記憶』
脳が感じたこと反応したことは
全て『記憶』
「記憶を見る」とは物理的に起こったコトだけではなく
人の喜怒哀楽の感情や、不安や可能性の想像をも見ること。
座標にはその全てが繋がっていて、格納されている。

ミカサの夢はエレンも同時に観ている。

【ユミルちゃんの「微笑み」を検証】

アース団長のサイトでの、のののさんのコメントを紹介

以下、原文を引用掲載

さて始祖ユミルちゃんですが、ニコニコ笑顔だった事から、私もミカサがエレンを斬りに来るのを待っていたんだと思います。
広義で言えば、エレンとミカサの両方が必要だったんだと思っています。ユミルちゃんは「奴隷でも神でもなく、おまえはただの人だ」と根本的な奴隷の部分を開放してくれるエレンが居て、初めて後悔に至る事が出来る状態にまで回復したのではないかと思います。

①「(愛情という見返りを求めて)愛しい人の為に、虐殺に心を痛めていながらも奴隷で居続けた自分」=(島や愛しい人達の為に、ギリギリの精神と後悔と懺悔を持ちながら地ならしを行ったエレン)

②「巨人化という力を持っていなければ、必要とさえされない自分(あるがままの自分を愛して貰えない)」=始祖の器であるエレン、ミカサにとって恩人で家族であるエレン

①②それぞれにユミルちゃんは自己を重ねたのでは無いでしょうか。

ラスト4ページでミカサは、エレンの置かれている立場や考え、行動を受け入れた上で、家族で恩人だけれど、そんな条件は関係無くても(そして夢?では悪魔になれなかったエレンさえも丸ごと受け入れて)、ただあなたを愛していると表現し、その上でエレンを斬っている。
ユミルちゃんも今のエレンと重なる自分を受け入れて貰った様な思いになったのでは無いでしょうか。さらにエレンに奴隷と揶揄されたミカサが、そんな自分の執着を全てを丸ごと受け入れている事が、自分は自分で良かったんだと言う気付きに繋がったのでは無いでしょうか。

=====2021.3.16   追記=====

ミカサの頭痛は『現実逃避したい場面』で起こる。

ミカサの夢を考察してゆくと次々と謎が解けてきましたね。

ループの存在の可能性を残しつつ、1話から138話までの物語の繋がりが見えだしました。

私はループやパラレル否定派なので、一つの世界線の中での『現在・過去・未来の同一同時進行説』として読んでいます。

自論になりますが・・
そもそも人間であるキャラクター達には「神」や「悪魔」などの特別な能力は無く、ミカサの頭痛も記事にある通り「現実逃避」の思考を阻害する生理反応であって、これまで進撃の物語の中で描かれてきたどうしようもない『人間の性(さが)』の一つとして描かれているのだと思います。
アッカーマンに覚醒後は強いミカサが描かれ、さらには刺青の謎や東洋の一族や将軍家の特殊能力があるのではと考察されてきましたが、
ミカサも、か弱き一人の人間であって、嫌な事や辛いコトがあったら現実逃避をしてしまうよねってことなんだと思います。
結果的に「人」「人間」を描いているのだなと。
そんな人間の世界に、人知の及ばぬ「道」「座標」「巨人の力」「記憶ツアー」「アバター的な鳥」などをプロットに加えてファンタジックな謎めいたブラックファンタジーとして構成されていると読みました。

エレンの「あの景色」も読者の皆さんの考察通り
「エレンを斬首するミカサ」で間違いないと思います。
そして始祖ユミルが二千年前から待っていたのも「エレンとミカサとアルミン」なのだと思います。

アルミンは「気づく事で」成長した。
ミカサは「執着を捨て受け入れる事で」成長した。
エレンは「信じて進み続ける事で」成長した。
幼馴染3人の見事な成長群像劇です。

残すはユミルちゃんの解放かな?
ヒストリアの出産と相まって「転生」のような描写があるか?
あと、「845」の回収はあるか?
『過去と未来の記憶ツアー』説は在るのかないのか?(;^_^A(;^_^A

139話で終わるのは寂しいけど・・・待ちきれまへん!!!!!

=====2021.3.18   追記=====

【始祖ユミルの未練】
うん。解けました!

始祖ユミルが現世に現れたのは3つの場面。
始祖ユミルの未練は3つの「愛」
家族への愛・・ラムジー兄弟(131話ユミル登場)
仲間への愛・・104期の想いと戦い(135話ユミル登場)
異性への愛・・エレンとミカサ(138話ユミル登場)

死に際のユミルの未練は
残された家族(マリア・ローゼ・シーナの行く末)
残された仲間(ユミル以外の奴隷たち。のちのユミルの民と104期)
残されたフリッツ王(自分だけが理解してあげれるかもしれない夫である異性。のちの地ならしエレン)
ユミルの未練は、その3つの愛の行く末・・・

前出の【最後の大胆予想!!】の内容も、ちょこっと微修正しときました・・(;^_^A


【進撃の巨人 最終話前のひらめき予想】

ユミルが自身を重ねていたのがミカサだとしたら・・
ミカサは唯一の始祖ユミル直系子孫だった…かも。(王家直系とユミル直系の違いは、王家全般の血筋なのか、マリア・ローゼ・シーナという王家の血を持ったユミルの実子によるユミル直系なのかの違いです。)
そして、進撃・始祖・戦槌はシーナ・ローゼ・マリアが継いだ巨人だった…かも。
とすると…ミカサによってユミル親子が・・ひとつに・・出会う・・・

アッカーマンは人間のまま巨人の力を宿せる。(まさに座標に居るユミルちゃんと同じ)

ミカサはエレンの首から滴り落ちる脊髄液を…エレンの記憶と共に・・・・ゴックン! (;^ω^)
エレンの脊髄液を飲んだミカサは、始祖・進撃・戦槌の巨人を継承したアッカーマンに・・・げげっ(;^ω^) 

そして・・光るムカデにミカサがトドメを・・・ひぇ~~~(;^_^A

うわぁ…この展開…あるかもぉ・・・・・!!!

もしかして・・
ダイナ巨人と離れた後も無垢巨人を操れたのは・・
ミカサと接触してたから?

さらに、さらに!
ミカサの頭痛は・・
座標に留められた始祖ユミルからの唯一無二の直系子孫への干渉・・・?
だからこそ、138話の頭痛からの夢への導入口で・・
「私たちの家に・・帰りたい・・」(ユミルちゃんの気持ちも…同じ…?)

コレ…あり??  えっ…マジ?? 


【最終回を待たずに「いってらっしゃい」が回収された】

1話で描かれた「いってらっしゃい」。
ループ説の起源となる描写でした。
アニメ版でこの描写がカットされたので
なるほど…諫山先生はループエンドはヤメにしたんだなって思ってました。
だから「いってらっしゃい」の回収もないのでは・・と。
まさか、ミカサの夢(回想)の中で回収されるとは・・(;^_^A
ミカサの「いってらっしゃい」はループ伏線ではなく、
エレンを別の世界線へ送り出す時の言葉なのか。

それとも・・・

進撃の物語にはいくつかの世界線がある可能性が高くなってきた。
分岐点は123話「あなたは…家族…」だったり
ミカサが盗賊に襲われた時だったり…。
ひとつはミカサとエレンの逃避行の世界線(138話ミカサの回想の世界線)
ひとつはエレン地ならしの世界線(本編世界線)
ひとつはジーク安楽死計画の世界線(ヒストリアを地獄に落とす世界線)
他にも、表紙のif世界の分だけあるかも…。

もしも…
ミカサにもエレンと同じように特別な能力があるとしたら…
縦の記憶(過去と未来)を見れるエレンと
横の記憶(ifの世界線)を見れるミカサと
縦の記憶と横の記憶が「道」を通じて「座標」で交わっていたとか・・。


【二千年後の君へ・・】

『二千年後の君へ』届けられたのは
「恐怖と不安」を宿す『心』と
「希望と勇気」を宿す『心』。
「喜びと悲しみ」を感じる『心』と
「憎しみと怒り」を感じる『心』。

立場が換わり、目的が換わり、結果が換わるたびに
揺れ動き、移り変わる『心』の行方。

その行方を見届けるのは
大空を舞う鳥…

アニオリ1話冒頭やミカサ回想、91話ファルコの見上げた空、120話冒頭、「人類の夜明け」での俯瞰の空、アルアニ会話シーンの傍、そして138話ミカサの夢の中・・etc。

とにかく沢山描かれてきた鳥たちの描写・・

アバターとしか思えない・・・(;^_^A


=====2021.3.19   追記=====

【最終話を読む前に・・】

今日は2021年3月19日・・あと20日・・20日後には・・(;^_^A
131話が公開されて以来、今日まで『過去と未来の記憶ツアー』の可能性を信じて
私なりに考察を続けてまいりました。
「神展開予想」などと大袈裟にラスト4話を予想いたしましたが、
残念ながらラスト前の3話はハズレマシタネ・・(;^_^A

しかし『過去と未来の記憶ツアー』はまだ可能性を残しています。

最終話で122話の場面に戻る!
パターンその1・・エレンのハグシーンの場面に戻る。
パターンその2・・2000年前のユミルが槍に倒れ目を閉じた場面に戻る。
パターンその1なら伏線回収フラッシュバックの後「神展開予想最終話」の通りに。
パターンその2ならミカサがユミルに「いってらっしゃい」。2000年前の場面でユミルが目覚め、巨人の力を継承しない世界線へ。
最終回…
もう一つの世界線が描かれるかも(;^ω^)


=====2021.3.24   追記=====

【最終話の前に、どうしてもエヴァのことも・・(;^_^A】

「進撃の巨人」の最終話を迎えるにあたって
今この瞬間だからこそ、私自身が絶対に避けられない比較作品がアル。
エヴァンゲリオンシリーズだ。
その集大成、映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が公開された。
コロナ禍の影響で一年遅れの公開となり、くしくも進撃の最終話と重なってきた。
諫山先生と庵野監督の作品を並べるのもどうかと思い、筆が進まない日々が続いていたが、
やはり書かずにはいられない。
以下、シンエヴァネタバレを含むのでご注意願いたい・・・ (;^ω^)

作品を自分なりにリンクさせてみる。っていうか、進撃脳で読み解くとどうしても深読みしてリンクしてしまう…

TVアニメ版でシンジが仲間たちから「おめでとう」と祝福されるのに対し、旧劇場版ではアスカから「気持ち悪い」と言われて幕切れる場面。「僕はここにいてもいいんだ」と自分を肯定したシンジにかけられた対となりながら対照的な2つの台詞。
台詞としては正反対の意味合いだがシンジのやっていることは変わらない。
「おめでとう」はシンジが自分自身に投げかけてもらいたかった言葉。
「気持ち悪い」はシンジを客観的に観る者の事実。
一つの事象に対して立場の違いによる視点の差・思考の差・感情の差が台詞として描かれている。
進撃における「正義と悪」「真実と嘘」「敵と味方」の対照的だが紙一重の曖昧さと危うさに重なる。
エヴァは一見するとアニメと劇場版は作品を「書き換え」られていて、全くの別物にも見えるのだが、その本質は変わっていないのではないかということが伺える。
「序・破・Q」そして今最新作(完結編)と続くシンエヴァンゲリオン。
キーワードは「再構成」「再構築」であった。それは制作サイドのコンセプトでもあり、劇中のストーリーコンセプトでもあった。
つまり、「書き換える」という現象(プロット)の肯定。
自分の選択や決断によって変化が生じると、宇宙全体の事象がその変化によって生じる「新しい時間線」にそった「新しい宇宙」に適応するために、その形を変えて「再構成」されていくというプロット。そして「書き換える」ことによって変わってしまった元の世界については、『存在するとも言えるし、消えて無くなったとも言える』という構成描写をした。
「書き換える」という行為が、もとの時間や世界を否定したり、抹消したりしてしまうのではなく、その存在があったことを担保するという考え方には、とてつもないロマンを感じる。
進撃の巨人もプロットである「道」と「座標」の仕組みによって、時空を超えて記憶が行き来する。現在に過去と未来が交差する。ループ説やパラレル説などが取りざたされるような説明し難い現象が起こり、謎が謎を呼ぶ。しかし片方では「悔いなき選択」というテーマで、やり直しループや現実逃避的なif世界の肯定を良しとしないリアルで凄まじい群像劇を現実社会と見事にリンクさせながら描き切っている。
相容れないリアルと非リアル。この2つの「答え」を伏せて、問題提起の形でラストを迎えることになったとしても、『記憶(ループやパラレル)だったかもしれないし、現実(夢や想像)だったかもしれない』となり最高に素晴らしい物語と言えるのに、どうも読者や観客達は「答え」を欲しがっているようだ。
庵野監督は「再構成」「再構築」によってエヴァシリーズにおける一つの「答え」を示した。
はたして諫山先生はどんな「答え」を示すのか示さず終わるのか?

『シンエヴァンゲリオン』は文字通り、シンジが「これまでのエヴァンゲリオンが存在していた世界」を「書き換え」ていく物語となっている。
ただし、今作が「書き換え」たのは、劇中の世界だけではない。
『シンエヴァンゲリオン』という作品は、私たちの中にあった「これまでのエヴァンゲリオン」を「書き換え」た上で、「再構築」したのだ。
今作ではラストにシンジが他者を肯定し、認めるという行為を通じて、自分をも肯定し、認め、受け入れているのだということが描かれる。
世界は「書き換える」ことが出来る。決して自慰的ではなく「自分自身と自分以外の全ての他者」の望むような世界へと「書き換える」ことが出来る。
『今』を生きる「意志」によって『今』を変化させ、過去も未来もその位置づけが「書き換えられる」のだ。
つまり、私たちの『シンエヴァンゲリオン』が存在する時間線において、『それ以前(過去)の作品』に抱くはずの困惑や怒りはもう存在しないものとなっている。
しかし、それは「書き換え」られてしまっただけであって、消えたわけではない。
『シンエヴァンゲリオン』のラストに描かれた実写世界は、まさしくエヴァンゲリオンのいない世界である。『シンエヴァンゲリオン』はこれまでの全てを否定したり、無に帰したりせず、これまでの全てを「書き換え」た上で、その全てを「全肯定」してみせた。

進撃信者の私は、この見事なエヴァ完結編の中に、進撃と同じ匂いを感じていた。

エヴァにも進撃にも共通してること。
それは現実と虚構、真実と嘘が融合して描かれるというコト。
背中合わせで一つに溶けて、同じものとして存在しているというコト。

そして以下に挙げる項目が、それぞれの読者・観客のリアルに深くシンクロして、共感と同調、離れがたい期待依存性を増長するのだ。

・現実(我々読者・観客から見たリアルな現実)
・物語内現実(読者・観客から見た虚構=「進撃の巨人」「エヴァンゲリオ   ン」という物語)
・物語内虚構(読者・観客から見た虚構内虚構=物語の中の虚構。エレンやミカサ、シンジ、その他の登場人物たちの脳内体験・脳内記憶)
・虚構内現実と現実内虚構(読者・観客の現実と「進撃の巨人」「エヴァンゲリオン」の物語が融合した世界)

自分のエゴを満たしたがゆえにサードインパクトを引き起こしてしまうシンジの心理描写を、泥臭く、赤裸々に、正直に描き切った庵野監督。

自由を求め、仲間のためにと地ならしを発動したエレンの心理描写を混沌とする記憶と謎に包むようにして描いている諌山先生。

エヴァの庵野秀明監督曰く
『広げた風呂敷をどうするか、方法は三種類ある。畳むのと、ちぎるのと、あとは捨ててしまうのと。』

さて、諫山創先生は 進撃の巨人という大風呂敷を どう畳むのか?

「誰でもないのと同時に誰でもある者」

ミカサ外伝の鏡男の台詞が鍵なのか・・・?


以下おまけで・・・進撃の巨人最終話タイトル予想

ズバリ! 139話タイトル『止揚(アウフヘーベン)』

「止揚(しよう)」英語表記で「Aufheben(アウフヘーベン)」とは、ヘーゲル哲学の用語。揚棄ともいう。弁証法的観点から,事物の発展は矛盾対立によって行われるが,その場合一つの要素はほかを否定しはするがまったく捨去られるのではなく,保存されてより高い次元に引上げられ,一新されて全体のなかに組込まれる。このような働きを止揚という。
Wikipediaでは
・あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段  階で生かすこと。
・矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。
とある。
矛盾するものを統一し解決する。
仏教の言葉で言えば、「解脱」ですが、
言い換えれば「システムの外に出る」

進撃で喩えると「森の外に出る」「ループ抜け」ということです。

138話でのミカサの決断と行為はまさに『止揚』

最終話、この物語の結末にふさわしいのも『止揚』
最終話のタイトル予想として『止揚(アウフヘーベン)』を挙げたい。
その『止揚』によって生み出される高次元の世界観を『ジンテーゼ』というらしい。
「テーゼ(肯定)」と「アンチテーゼ(否定)」を合わせ持った、その上位に存在する考え方
『ジンテーゼ』
これも第二候補に・・・

まぁ…もっと分かりやすいタイトルだろな・・・(笑)

(;^_^A


【4月8日 いよいよ今夜・・・】

いよいよ・・ホントに・・いよいよ今夜、終焉です・・
今回は、あんずさんのブログ記事『進撃の巨人138話を肯定的に読むために深く潜れ』を読んでの私の投稿コメントをそのまま掲載します。

お疲れ様です。
4月8日AM9:30 曇り 摂氏4度。
みぞれ交じりの小雨降る空の下で、このコメントを書いています。
今夜の0時・・いよいよ その時が来ます。
私も叫びます。『ゲット・アップ・エレン!』
実は私も昨日まで故郷の愛媛に帰省していました。
不思議なもので、進撃の巨人に出会って以来、日に日に故郷の母を想うようになり、ここ2年間ほどは毎日電話したり、時間があれば度々実家に帰ったり・・。
「今、この時」の大切さ、有り難さを実感しております。
さて、先ずは冒頭の
>最終話に向かうために、私はこのお話を拒否はできない。でも。
まずは大きなショックの下に隠れている糸の絡まりをほぐす必要がある。
>私は私のルーツ、自分の道にたたずみながら、結局は自分を成しているノスタルジックな価値観とともにこのお話を読むことになるのだな、と、それこそ長い夢を見る前の自分を思い出すかのようでした

その通りですよね。そう思いたち、最終話発売日の手前まで故郷にて自分の価値観を再認識してまいりました。(笑)

Thee Michelle gun elephant/Get Up Lucy・・この曲いいっすよね。
YouTubeで聴いていると、映画「フィッシュストーリー」の挿入歌「逆鱗「FISH STORY」」を思い出してしまいました。脈絡はありませんのであしからず。。。

>起きてよエレン、聞きたいことがあるんだ。
エレンにも諌山先生にも、聞きたいコト、語りたいコト、いっぱいいっぱいありますね。

ミカサの頭痛ですが・・人は何かしら自分のルーツになる「道」と繋がっていて、ミカサは「アッカーマンの道」「東洋の一族の道」「ユミルの民の道」の3つの「道」との繋がりがあって、ソレがもつれてしまう時に頭痛が起きたのではないかと思ってマス。

ミカサの時間横断説。
>名前のない何か…その概念がまだ理論化されていないということ。
コレは「我思う。故に我あり」とか「月はわたしが見るからそこにあるのか、見なくとも、あるのか?」とか
そんな感じですね。
タゴール:世界についての科学理論も所詮は科学者の見方にすぎません。
アインシュタイン:しかし、真理は人間とは無関係に存在するものではないでしょうか?たとえば、私が見ていなくても、月は確かにあるのです。
タゴール:それはその通りです。しかし、月は、あなたの意識になくても、他の人間の意識にはあるのです。人間の意識の中にしか月が存在しないことは同じです。
アインシュタイン:私は人間を越えた客観性が存在すると信じます。ピタゴラスの定理は、人間の存在とは関係なく存在する真実です。
タゴール:しかし、科学は月も無数の原子がえがく現象であることを証明したではありませんか。あの天体に光と闇の神秘を見るのか、それとも、無数の原子を見るのか。もし、人間の意識が、月だと感じなくなれば、それは月ではなくなるのです。

「その思考をしている自分だけは確かに存在する」ということも言えるし
「自分は本当は存在しないのではないか?」とも言える。
スミマセン。理屈っぽくなっちゃいました(笑)

サロメ比較論はめちゃめちゃ面白かったです!!

兎にも角にも、最終話を読む前にこの記事を読めてよかった。。。
あ・・・もう1時間も経ってしまいました・・・(;^_^A
書きながら色々と想いを巡らせてしまいました(笑)
それでは、今夜0時。
『ゲット・アップ・エレン!!』と 叫びましょう(笑)

(2021.4.8 更新)

====2021.4.9 進撃の巨人 最終話139話『あの丘の木に向かって』====

色即是空…空即是色…
煩悩即菩提…諸行無常…

もう・・何も語ることは無い・・・

ありがとう エレン
ありがとう ミカサ
ありがとう アルミン
ありがとう 兵長、ハンジさん、そして・・みんな

最後になりましたが
諫山創さん・・ありがとうございました。

2021.4.9 

ユミル・イェーガー


【ミカサの夢とエレンの過去干渉について】

ミカサの「長い夢」はエレンが見せたのか?
ミカサの記憶か?前回ループの記憶か?別世界線の出来事を見ているのか?
それともミカサの只の現実逃避妄想か?

どれも可能性がありながら、特定できる根拠となる説明文はありません。

多角的多様解釈表現が真骨頂の諌山先生らしいところですね。

ただ・・私が思うのは、諌山先生が常々おっしゃっていた
「読者を傷つけたい」「読後にトラウマとして残るように」
というコメントを踏まえると、ループやパラレルやその他のSF的要素ではないとみるべきではないかと。

何故なら、ループやパラレルだと「別の世界のお話」「別の世界の出来事」となってしまうからです。私たちが生きているこのリアルな世界とは違う別の世界があるのだと。
別の世界があるのなら、リアルに感じられないのなら、トラウマにはなりません。傷つきもしません。

ミカサの「長い夢」は、作中の「今、この瞬間」にエレンとミカサの脳内で起こった紛れもない「現象」の一つであって、作中の「今、この一瞬」に起こった事実です。
妄想であっても記憶であっても、意図的に見せたものであっても無意識に見たものであっても、作中の人類、エレンとミカサとアルミンとが、「今、この一瞬」に生きている時に、今、この世界で起こったコトです。

エレンのダイナ巨人への送信を「過去干渉」と見る考え方があります。
何でもありのご都合主義になるのではないかという批判も。
過去が変わり、未来(結果)も変わってしまう、そう出来ると。
違うと思います。
過去は変わらないし、未来とはこれから(今以降)起こるのです。

過去干渉のように見えている描写や台詞は「実は、こういう事だった」という種明かしであって、過去に起こった事実を変えているのではなく、説明しているだけです。
ダイナ巨人への送信も「後から送信して変えた」のではなく、あの場面で「実は」操作されていた。
121話礼拝堂のグリシャも「後から助言して変えた」のではなく、あの場面で「実は」グリシャに見せていた。
各あの場面も、エレンの今も、過去も未来も同時、ひとつ。
起こってしまった過去を変えたのではなく、「実は」こういう理由でそうなっていた、と説明しているだけです。
そしてその現象は過去のその時、今のその時、未来のその時に同時に起こっているんですよってコトです。
過去の「今」と現在の「今」と未来の「今」は、同じ「今」というコトです。

その同じ「今」を起点に考えると、
「過去は変わらない、未来はこれから変わる(起こる)」となるわけで、そう感じて生きているのが「今」です。
その一瞬一瞬の積み重ねを振り返った時に、「時間」という概念で捉えると過去や未來や現在がそれぞれ存在しているように感じているだけなのです。人間の脳が(意識が)「時間」という概念に沿って「認識」していってるだけなんです。一瞬の、同時の出来事(事象)を、ゆっくりと、順番に、見たり聞いたり考えたりと感じながら、「時間(という概念)」に沿って・・

長くなってしまいましたが、
とにかく諌山先生はこの「進撃の巨人」という物語がファンタジーだとしても、我々読者が生きるリアルな現実社会にも起こりうる・重ねて考えられる事柄をメッセージとして描いているはずだと思います。
「別の世界」や「もう一つの世界」や「もしも…の世界」ではなく、
今、この時、この世界 の物語として。


=====愛すべき「進撃の巨人」あとがき=====


連載完結により、今までは最新話を考察するにあたって次回以降の話で答え合わせなり伏線回収が期待できましたが、諌山先生は139話にて全ての持ち札を場に切られたことになりマス。
何度か読み直して、やっと物語の全容に関して自分なりに納得が出来ました。

最終話に於て、諌山先生が明かしてくれた最大のポイントは、4つ。
1, ダイナ巨人を未来のエレンが操ったという事実。
即ち、エレンは現在も含め過去に意識を送れたということ。「ヨロイブラウン」「大岩」も然り。この行為は道を通じて意識のみでおこなっておりタイムトラべルやループではない。
2, 始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い…同時に存在する。
即ち、時間という概念にとらわれていてはこの作品のプロットを理解することはできない。過去も現在も未来も同時(ひとつ)として捉える。
3, エレンは皆に逢っていた。
即ち、現在に於ても道を通じてそれぞれの意識に干渉していた。ミカサには居所をも教えていたということ。
4, エレンの正直な気持ちの告白。
ミカサの事が嫌いだった発言を含め、全ての行動と発言は目的達成のためのカモフラージュだった。この事実は初代フリッツ王のユミルに対する冷徹発言も、王としての権威・威厳を守る為のカモフラージュだった可能性を示唆している。138話のユミルの微笑みは、それを含めて「愛を信じる」「自分自身の気持ちを信じる」という答えの理解に伴ったものであるといえる。122話でユミルが見た初代フリッツの最後のコマは確かにユミルを心配している。

いくつかの未回収案件はあります。
しかし、諌山先生が伝えたかったメッセージのためには、回収の必要が無かったまでと判断できますね。あくまでも個人的納得ですが・・(;^_^A

そして
何度も読み直して最後に発見できたのは、
ラストカットの鳥の描写が羽だけ描かれている理由。
あれは「自由の翼」だった。
もう・・泣きました・・(;^_^A

進撃の巨人の最終話・・形は違えど第一話掲載時から諌山先生の構想にはこのラスト、この締めくくりがイメージされていたのでしょうね。

「オレ(諌山先生)が確実にわかっていたことは、ミカサの選択がもたらす結果。すべて…その結果に行きつくためだけに、オレ(諌山先生)は…進み続けた(描き続けた)」

様々な伏線や読者を裏切るミスリード、どん底に落とす残酷な展開は、このラストをイメージし、信じてきたから描かれた。

「過去も未来も無い・・・同時に存在する」

諫山先生が日田に生れたのも、バックさんとの出会いも、アニメ展開も、作中キャラクターたちの成長も、読者とのつながりも、全てのコトが『ひとつ』『同時に存在』なのだと思います。
諫山先生のインタビューの中でも「あれ?ここが繋がってきた」「あれ?コレは知らないうちに伏線になってる」「えっ!?こんな出会いが・・」と、連載開始時から進撃の巨人の制作過程に於て沢山のシンクロニシティを感じていたとの発言がありました。
別マガ5月号に掲載されたカラー版も最終話も、ラストカットの台詞は

「ありがとう…」

素晴らしすぎます!

作中の人類たちにも、現実社会の人間たちにも、そして私たち読者にも、
「巨人のいないこの世界」を託した諌山先生。
俺たちの戦いは、これから・・ ですね。

いつまでも いつまでも 「進撃の巨人」を愛しています。

2021.4.13  ユミル・イェーガー


ーーーー 完 ーーーー


【2021.5.1  考察追記】

エレンはダイナ巨人を操ってベルトルトを見逃した。
コレはその通り。
エレンはダイナ巨人を操ってカルラを捕食させた。
コレは違うと思います。
理由は簡単。
❶エレンの見た未来には、ベルトルトを喰ったアルミンが存在していた。
❷エレンの見た未来には、ダイナ巨人に自分の母親を喰われた自分がいた。
エレンはその未来(❶❷を満たす未来)を目指す必要があった。
ベルトルトはダイナ巨人に喰われてしまうと思ったが、未来はそうなっていないので「仕方なく、操る」ことにした。(実は操っていたという事実)
カルラはダイナ巨人に喰われしまうと思ったが、未来はそうなっているので「仕方なく、そのまま見過ごす」ことにした。(実は見過ごしていたという事実)

グリシャの礼拝堂も同様。
未来はそうなっていたので「仕方なく、耳打ち」してそそのかした。(実は耳打ちしていたという事実)

エレンは、過去干渉「のような」ことをしているように見えるが、決して過去を「変更」していない。その時に実は起こっていたこと(事の真相)を連載の後半に(順次的な『時間』に沿って)描写しただけ。
進撃の巨人1話から139話までに描かれたことが全てであり、起こってしまった「事実」であり、今(現在)ある「事実」である。
カルラは喰われ、グリシャは始祖を喰らい、アルミンは超大型を継承し、エルヴィンもサシャもハンジさんも亡くなり、
ミカサが首を獲る。
未来が「決まっている」のではなく、
本誌原作原文通り、『過去も未来も無い…同時に存在する』

エレンを含め、登場人物に「起きてしまった事」と「自ら起こした事」以外の過去や未来や現在は存在しない。

ループやパラレルを匂わせ、登場人物だけでなく読者も巻き込んで「もしも・・あの時・・」という感情をミスリードさせたうえで、「今が全て」という「事実」を突き付けた。

過去の持つ意味、未来の持つ意味、それは「今、この時」を精一杯に

『生き切る』

ことによってもたらされる。

【2021.6.28  34巻追加ページについて】

ミュラーさんのtweetに宛てたリプを転記します。

(槍フリッツ描写の追加コマの意味)

138話ラスト、ユミルが微笑んだあと、
2000年前に槍に倒れ、目を閉じた場面に戻る。
ユミルは槍に倒れて目を閉じたまま、このまま自分が死んだらどうなるかを2000年後の未来まで見ていた(1話から138話まで)。
ミカサによって自分が何をすべきかを悟ったユミルは目を覚まし立ち上がり、王を刺す。

過去が変わったわけではなく、コレが史実。
『過去も未来も同時』『ひとつ』
ウロボロスの龍のように輪となって始まりと終わりが繋がってる。

王の命は奪ったが、巨人の力の必要性は変わらず、史実の通り9つの巨人に継承されてゆく。
122話時点で問題視されていた「何故フリッツは継承方法を知っていたか?」はこれにより解消。事実は始祖ユミルが未来の記憶にて継承方法を伝授していた。

122話の回想物語のラストは、ユミルの未練と憂いが生み出したifの想い。
この場合のユミルの未練は、残された3人の娘。
憂いたのは未来(フリッツ王をかばって自分が死んだ先の未来)。

ミカサは『もしも…』の世界を覗いた後に決断した。
そして、隷属的な愛ではなく慈愛を選択する。
ユミルもミカサの姿を見て決断出来た。
フリッツ王への隷属的な愛を捨てて娘たちを含めて慈愛をもって王を殺す選択をした。

138話のミカサのifと
122話のユミルのifは(娘3人が死体を食べる)
同様の未練からくるif。
138話はエレンを生かすif
122話はフリッツ王を生かすif

フリッツ王が死んだとしても、
巨人の力が必要な時代である以上は、巨人の継承が続いてきた。
そして1話に至る。
そして138話、ラストカットに至る。
そして決断に至ったユミルは2000年前へ。
そして目を開ける。

整合性循環構造の成立。

エレンは
『みんなと一緒にいたかった…』
という未練を残して座標に居ます。
それが139話に追加されたラストカットの答え。

巨人の力がなくなったのは
ユミルと入れ替わって
エレンが座標に行き
エレンの強い意思によって
巨人を作らなくなったから。

エレンは始祖ユミルのように隷属的に無意識下で巨人を創ったりしない。
過去・現在・未来が同時に流れる座標で、存命中に起きた悲劇の経験から「大地の悪魔」を封印している。

以上です。
失礼いたしました。

【2021.7.18  34巻追加ページについて考察追記】

進撃の科学さんの投稿コメントを受けて

>過去と現在と未来が同じ時間軸で存在するには座標の位置が物理的に地球からはるかに遠い場所であれば当たり前に可能です。地球に向かったり離れたりするだけであっという間に数年、数十年の時間軸の移動が可能ですから

その通りなんです!
光の届く速さを基準にして時間軸に置き換えると、光を発した(事象を起した)地点からの距離を離したり近づけたりすれば良いだけですね。

ポイントは座標の位置。
それは即ち「自分という意識」がある位置。

過去・現在・未来 というモノを仮に一本の時間軸に並べたとしましょう。
例えば時間軸の中央に「845年」を置いて、コレを「現在」とします。そしてその地点より左側が「過去」。右側が「未来」としましょうか。
この場合、右側の「未来」の端っこが「今という瞬間」が発生している起点の右端になります。(その端っこが何処に存在するかは置いといて・・)そこから光の速さと同等の速度の間隔で左側の「過去」に向かって「今起こった事象」が連続して継続的に並んでいます。進撃の場合、「過去」の端っこが「二千年前」で、「未来」の端っこが「最新話」ですかね(笑)。

その時間軸上のどこか1点に「自分自身の意識」が存在しているとすれば、そこが「現在」です。
この「現在」にある「自分自身の意識」は過去・現在・未来を時間というモノに沿って認識することが出来ています。その時その時の「今」を未来に向かって順次「意識」が認識して感じてゆけば時系列どおりに事象は進んでゆきます。過去に向かって順次「意識」が認識して感じてゆけば時間を遡ってゆきます。

進撃の巨人のプロットである時空を超えた「座標」や「始祖の力」というのは、「自分自身の意識」が置かれていた「現在」から離れたり遡ったり、近づいたり飛び越したりできるモノであり、そこに「自分自身の意識」を置くことが出来れば「過去」も「未来」もみる事が出来るという事です。見た後は「自分自身の意識」を「現在」に戻せばよい。
人間の意識はその場所に応じてその場所場所の時間経過に沿って時間と事象を認識している。
過去も現在も未来も「事象」は同時に存在していて、見たり聞いたり感じたりすることは出来ても変えることは出来ない。移り変わっているのは「意識」だけ。
二千年前の始祖ユミルとエレンが遭遇できたのは「意識」の遭遇であって、始祖ユミルの実体は二千年前に在り、エレンの実体は119話のラストに在った。
進撃の巨人の物語とは、始祖ユミルが見た未来であり、エレンが見た過去の物語である。(エレンの見た「未来」は過去のグリシャの記憶の中の「未来」なので、敢えて「過去(グリシャの存在が過去なので)」と表現)

という感じですかね。

ーーーー2021.9.14  ふと・・進撃を振り返る・・ーーーー

最終話を読み終えて・・もう5か月が過ぎた・・

進撃連載開始から12年・・

先日、ハンジさんの生誕祭を終えたところ・・・

もう一度・・最終話を読み返して

良かったコト 悪かったトコーーーーーーー

良かったところ

1,コニーの母ちゃんが元に戻れたコト

2,ミカサがいつまでもエレンの事を忘れなかったコト

3,ジャンがミカサの傍にいてくれたコト

4,ガビとファルコとオニャンコポンに未来が見えたコト

5,兵長の肩の荷がおりたコト

6,ライナーが明るくなったコト

7,ヒストリアの子供が元気に成長してるコト

8,アルミンとアニのカップリングにギリ期待できるコト(笑)

悪かったところ

ない・・・たぶん・・・(笑)


ーーーー2022.5.29   ふと・・138話を振り返る・・ーーーー

私は138話に関して、エレミカの恋愛論ではなく別の読み方をしています。 私は、エレンやミカサが何を想い、何を考えていたのか、ではなく、 諫山先生は、何故山小屋のifを描いたのか? そして138話で読者に何を伝えたかったのか? という事を考えながら読みました。
先ず、 何故山小屋のifを描いたのか。 それは、ifを敢えて描く事で 私たち現実の人生では、ifを思い描くコトはあっても決して実存しない という事を示唆する為だと思っています。
過去は変えられないし、 変わらない。 人生は、やり直しがきかない、二度とない『今』という瞬間の連続であるという事です。 ゲームのようにセーブやリセットは出来ない。 だからこそ悔いなき選択をして、今という瞬間を生き切らなければならない という事。 それを伝えたかったのではないかと思っています。
常々、マブラブに影響を受けたとおっしゃっている諫山先生。設定の面白さに影響を受けただけでなく、マブラブの設定によって、人生はそういうわけにはいかないのだ と強く思ったのではないでしょうか。
また、何度もやり直せるゲームの世界やループ設定を思わせる事で、もう一つ大切な事が伝わってきます。
それは、どんなに悔いなき選択をしても、また、様々なifを実行し尽くしても、最後に人間が行き着く先は同じであり、ひとつ。
人は 死ぬ という事。
人生の最後は 死である という事実。
ミカサが家族と答えようが、愛する人と答えようが、 エレンは、いつか死ぬのです。 どんなに上手く人生を運ぼうが、どんなに下手くそに人生を運ぼうが、 皆同じく 死ぬ。 何をやっても どう上手くやっても 同じ。 最後は 死ぬ。 それは、逆説的に 死を迎えるまでは、 どんな人生を生きても、 その人の自由だ という事。 それが伝わってきます。

【「いってらっしゃい」について】
138話の「いってらっしゃい」は ミカサ外伝にある台詞「世界中を敵にまわしてもエレンを止める」の対となっていて、真逆の想いの言葉です。
138話の「いってらっしゃい」とは、ズバリ、「許す」という感情を表現していると思います。 エレンを死なせたくない エレンをなんとかしたい とミカサは思っていました。 しかし、138話の「いってらっしゃい」というミカサの台詞は、エレンが思う通りに生きるコトを許し、送り出す言葉です。
1話の「いってらっしゃい」は、「さぁエレン・・自分が思う通りに生きてらっしゃい」という意味です。
『その人が思う通りに生きることを「許す」こと。』
これが究極の愛なのだとおもいます。
ですから「いってらっしゃい」は「許す」という究極の愛を表現した台詞だと思っています。
ループなどではなく、それが「いってらっしゃい」の伏線回収です。 ホント、見事な回収だと感じてます。

【ミカサの台詞 「できない」について】
コレは、ミカサの覚悟を表現した台詞です。 ミカサは何を覚悟したのか? それは、エレンの首を刎ねる事ではありません。 どんな事が起ころうとも どんな結果になろうとも 「決してエレンを忘れない」 という覚悟です。 ココは、非常に重要なところです。順番が重要なのです。 決して、エレンの首を刎ねる事を覚悟して、首は刎ねるけれどもエレンの事は忘れない って順番ではなく、 どんな事が起ころうともエレンを忘れない という覚悟が上位にあって、その先の行動が人類を救う為の選択としてエレンの首を刎ねる という順番なのです。
この順番が逆なら ミカサの、台詞は エレンを忘れるなんて「できない」 ではなく、 エレンの首を刎ねる事を「やるしかない」 となるのです。
コレは、 公に心臓を捧げる という考え方に対するアンチテーゼです。 自分の愛する人を犠牲にして人類を助けたのではなく、 エレン個人、ミカサ個人の想いを最優先した という事を描いているのだと思います。 公と個人のどちらが大切だとかは言えませんし、示されてはいません。 でも私は、 諫山先生から 「自分の想うように生きろ」 と言われた気がしています。

 【悔いなき選択とその結果】
悔いなき選択など無いという事もひとつの答えです。 進撃の巨人は、ある意味、どんな人間も、どんな世界も、全肯定しています。 皆、必死に考えて選択しても後悔します。 どんなに素晴らしい国家を作り上げても闇は存在します。 しかし、 それをも『許す』 喜びも怒りも悲しみも楽しさも、全て『許す』。
認めるとか、 受け入れるとか、 評価的な発想ではなく、 大いなる愛を持って 『許す』。 それが、 「いってらっしゃい」 に込められた想いなんだと思っています。
エレンは ミカサに首を刎ねられるという「死に方」を選択したのではありません。 自分の生きる道を貫き、ミカサにはミカサの想う通りの選択をすることに、全てを委ねるという 「生き方」を選択したのです。 ミカサは そんなエレンの「死に方」を許したのではありません。 そんなエレンの「生き方」を許したのです。

【エレンとは・ミカサとは・進撃とは?・自由とは?】

139話でエレンがミカサの事についてアルミンに情けない駄々っ子になるシーン。 諫山先生、よくぞ描いて下さった!!
あの描写のお陰で、全てのミカサファンはエレンを許せたと想いますよ(笑) 孤高の主人公ではなく ただの正直な男の子になれたエレンが素敵でした。
人には選択の自由があります。 誰にでも あります。 囚われの身の人は? 身体が不自由な人は? もちろん  選択の自由はあります。 思った通りに行動すること、それが出来ることだけが自由なのではありません。 どう思うか、どう捉えるか、どう感じるか、が自由なのです。 それを選択する自由があるのです。 行動や結果は、その先の話。 エレンは幼少期から自由に生きました。進撃の能力で未来の記憶を見てからは、記憶に縛られた不自由なエレンのように描かれましたが、エレンの台詞にあるように、全てはオレが選択したこと なのです。 エレンは自由を求めていましたが、もうすでにエレンは自由に生きているんです。 コレは、他の登場人物も同じ。我々読者も皆同じ。 故に、進撃に於いて『エレン・イェーガー』とは、 自由と言うモノは何か を考えさせるためのキャラクターです。
ミカサは、前述にもあるように『慈愛』『母性』をテーマに、愛とはなんぞや という事を考えさせるためのキャラクターです。 私個人の答えとしては『人を許し 自分を許すコト』 となった訳です。 それがそのまま「いってらっしゃい」に込められた想いであり、愛というモノの捉え方なのではないかと。
苦しみや怒りは、何かを否定するところから生まれます。 病気も然り、人間関係も然り、環境も然り。 進撃は、実は何も否定していません。 世界は残酷…いや違う ではなく 世界は残酷…そうだよ、でもね なのです。 全てを肯定する=全てを許す ミカサはエレンを『許す』ことで苦しみや怒りから解き放たれました。 そして「エレンを愛する気持ち」だけを残したのです。 許す時の言葉が、 さぁ、あなたの思う通りに「いってらっしゃい」
結論「 エレン・イェーガー=自由の象徴 」「ミカサ・アッカーマン=愛の象徴」 という役割だったのかなと。 多分、多くの読者は「エレン=自由」 「ミカサ=愛 」と捉えていると思います。 あとは読者それぞれに「愛と自由」をどう捉えるか?感じるか?解釈するか? そして これからどう生きるのか? それが本誌最後のページにあった 『オレ達の戦いは これからだ」

これから どう生きてゆくか?

オレ達の戦いは これからだ・・・

*今後も思いついたことや新たな発見があれば考察追記致します。







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