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秘やかな楽しみ 梶井基次郎

一顆の檸檬を買い来て、

そをもてあそぶ男あり、

電車の中にはマントの上に、

道行く時は手拭の間に、

そを見 そを嗅げば、

嬉しさ心に充つ、

悲しくも友に離りて

ひとり 唯ただ独り 我が立つは丸善の洋書棚の前、

セザンヌはなく、レンブラントはもち去られ、

マチス 心をよろこばさず、

独り 唯ひとり、心に浮ぶ楽しみ、

秘やかにレモンを探り、

色のよき 本を積み重ね、

その上にレモンをのせて見る、

ひとり唯ひとり数歩へだたり

それを眺む、美しきかな、

丸善のほこりの中に、一顆のレモン澄みわたる、

ほほえまいて またそれをとる、冷さは熱ある手に快く

その匂いはやめる胸にしみ入る、

奇しきことぞ 丸善の棚に澄むはレモン

企らみてその前を去り

ほほえみて それを見ず、



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