10月20日 上妻世海の積読法
積読
読んでいる本を積んでおくことである.
何冊置くかは、個人の自由である.
僕は3冊か4冊程度であった.
というより、それしか読んでいなかった.
ところが今日、考え方が変わった.
「脱近代宣言」で初めて拝見してから気になっている上妻世界さんがツイートで400冊ほど積読をしていることを語っていた.
驚いた.
しかし、そこには理由があった.
今読む気にならない本は容赦なく積んでいく.
また、別の本を読んで積む.もしくは他の作業やダラダラする.
しかし、もう一度その本を読み始める、その間の中でも人はそれについて思考する、と言う.
気付いてみれば納得である.
その瞬間から、僕は本をひたすらに、容赦なく積むことに抵抗を感じなかった.
今まで何故それをしなかったのか、疑問を覚えるほどであった.
最後に気付いたのだが、読書をするしないから生まれる知識や思考力の差は、この積読の合間における無意識な(意識的な可能性も考えられるが)思考がそれを生むのだろう.
本を買います。