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百人一首と竜の〈玉〉

〈あらすじ〉小学校のかるたクラブに所属する梨子、有実、樹梨也の三人は名前が果物のナシに由来するから仲がいい。「働きすぎ」「寝すぎ」「食べすぎ」など行動がエスカレートして止まらなくなる奇病「スギちゃん病」が全国で猛威を振るっていた。三人はクラブの顧問から勧められ、「百人一首」と「薬師」と「竜」の関係を夏休みの調べ学習のテーマにすることにした。医者である薬師を代々務める顧問の実家には「百人一首」を編集した藤原定家が残した古文書がある。三人が家庭で親しんできた「聖典」と内容が酷似していた。三人は顧問とAIの協力で、古文書が指示する竜田川の神事に参加するが…。

 明日から夏休みだ。

 みどりの小学校の児童みんなが興奮している。

 畳の部屋のある「かるたクラブ」の別室も同じだった。

 クラブの顧問を務める竜野まもる先生は、夏休みに取り組むクラブの調べ学習のテーマに「百人一首」の歌をあげた。

 「みんなも知っているように、わたしの名前には『竜』の字があります。奈良県を流れる川の一つです。わたしの家は代々、竜田川の近くに住み、『薬師』をしていたそうです。そこで『百人一首』と『薬師』と『竜』の関係について調べて、教えてほしいと考えています。『百人一首』の理解に必ず役立つはずです」

 「薬師」と言われて、かるたクラブのメンバーである梨子(りこ)(12)、有実(ありみ)(11)、樹梨也(じゅりや)(10)はきょとんとした。意味が分からなかったからだ。

 「先生、ヤクシって何ですか?」

 思い切って六年生の梨子が質問した。

 「薬師はお医者さんのことだよ」と竜野先生は言った。

 「先生に関係することなら、先生が調べた方がいいと思います。ぼくたちが調べるより早いし、正確なはずです」

 四年生の樹梨也は、思ったことを口に出した。

 かるたクラブには活動のルールがある。

 ふと感じたことや、よくよく考えたことは自分の意見にして相手に伝えた方がいいというルールだ。相手を傷つけない限り、どんなことを口にしてもいい。質問だって疑問だってかまわない。竜野先生はこれを「子どもの権利条約で定められた『意見表明権』」とすこし難しい表現で言い、児童たちに実行するよう求めていた。

 樹梨也の意見を受けて、竜野先生は困った顔をした。それからまじめな顔つきになった。

 「わたしの家には大事に保管されている古文書がある。藤原(ふじわらの)定家(ていか)が書いたものだと言われている。定家のことは知ってるよね?」

 「はい!『百人一首』をまとめた、有名な歌人です」

 有実が大声でかるたを指さして答えた。

 「その古文書に『封印を解くのは子ども』という表現があるんだ。だから、たたりを恐れる大人たちは、それをむやみに触らないできた。八〇〇年近くたっても、古文書はほとんど傷んでいない」

 竜野先生は、自分が子どもではないため古文書に触るわけにはいかず、父と祖父からは「大人が触れるとヘビになる」といましめられてきたと説明した。

 学年が一つずつ違う梨子、有実、樹梨也の三人にとって、竜野先生の話はとても興味深かった。なぞ解きを求められているようだった。

 子どものころに何度か古文書に触れたことのある竜野先生の記憶によれば、十六歳のときに藤原定家がかかった疫病が形を変えて猛威をふるうとあった。いまならウイルスによる感染症(かんせんしょう)のことだろう。猛威は定家の亡くなった八〇〇年後に起き、疫病を退治するには「百人一首」の竜の歌が手がかりになる。竜と人間の間を引きさこうとする「黒い力」に薬師は警戒(けいかい)をおろそかにしてはけないとあった。

 みどりの小学校は、仮想空間で活動や対話のできる「メタバース」の最新技術を導入したモデル校に指定されている。児童には特殊メガネのスマートグラスと、特殊腕時計のスマートウオッチが配布されていた。それらを起動すれば人工知能(AI)とつながり、スムーズに調べ学習を進められる。

 有実はメタバースを使って、古文書の秘密を解き明かしたいと話した。梨子と樹梨也は「賛成」と声を合わせた。

 かるたクラブの他のメンバーは興味を示さなかった。

 竜野先生は「梨子、有実、樹梨也の三人をリーダーにしたいと思います。ほかのメンバーはサポートに回るということでいいですか」と問いかけた。

 「は~い!」

 こんどはメンバー二十七人全員が声を合わせた。児童たちには、早くも夏休みがやって来た。

 ◇

 学年の違う梨子、有実、樹梨也の三人はなかよしだ。それには理由がある。

 三人の名前がどれも果物のナシにかかわっているからだ。それを初めに教えてくれたのは竜野先生だった。

 梨子と樹梨也にはナシの漢字である「梨」が使われている。「有実」という漢字はもともと「ありのみ」と言って、ナシを表していた。

 なかよしになる共通点がほかにもあった。

 三人はひとり親家庭で、兄弟姉妹がいなかった。

 公営住宅に暮らし、学童保育へ通っていた。

かるたクラブに入りたいと相談したとき、どの親も「集中力が高まるし、礼儀(れいぎ)作法(さほう)を身に付けられる」と二つ返事で認めた。確かに競技かるたでは、対戦相手と読み手へ敬意をもって礼をするよう求められている。

 三人はそれぞれ一年生のときから、かるたクラブのメンバーに名前をつらねている。

 梨子は保育園時代にいじめにあった。靴やエプロンを隠されたり、タオルやハンカチを破られたりした。給食に砂が入っていたこともあった。

いじめっ子たちはふしをつけて梨子をはやし立てた。

 「リコはナシの子、ナナシの子。名前はあってもナナシの子。パパはどこ? ナナシの子にパパはナシ」

 梨子は泣かないように我慢(がまん)した。

 「泣けばもっといじめられる。ふだんと変わらないようにするしかない」

 自分の気持ちをコントロールすることを梨子は学んだ。学んだというより強いられたといった方が正確かもしれない。そのためだろうか、うれしい気持ちを素直に表現できなかった。ひねくれたように見える態度にたいして、いつもママは「母子家庭になったばかりに、リコに苦労をかけるわね。本当にごめんね」といたわってくれる。

 同じひとり親の有実、続いて樹梨也がかるたクラブに入ってきたとき、梨子はママが自分に接するように面倒を見ないといけないと感じた。クラブと学童保育で過ごす三人の時間が長くなると、兄弟姉妹の長女のようなふるまいをするようになった。そして梨子に困ったことがあると逆に、有実と樹梨也が必ず助けてくれた。

 有実には思い出したくない幼少時代があった。単身(たんしん)赴任(ふにん)で父が家を何年も空けている間、母は酒を飲んで暴れるようになった。食事も作らなくなった。児童相談所のスタッフがたずねて来ると、アパートの扉(とびら)の内側からカギをかけて開けようとしなかった。最後は育児放棄(ほうき)と判断され、父が有実を引き取った。父はやさしかった。「どんなことがあってもパパはアリミを守るからね。心配しなくていい」。父によれば、有実の名前は果物のナシと仏教の教えから付けられた。

 「有実は果物のナシのこと。ナシは無しで『何もない』ということ。どんな物事にもとらわれない心のことを指す。そして有実は、実際に存在していることを指す。ひと言で言うなら、命のことなんだよ」

 父の解説を聞いても、有実はピンとこなかった。「大人になったら、いつか分かるだろう」と思い、父へは質問しなかった。

 その日、梨子と有実、樹梨也の三人は、竜野先生が夏休みのプール監視当番の終わる時間を確認してから登校した。午後3時を過ぎていた。かるたクラブの別室へ向かっているとき、通学路と校庭を分ける壁(かべ)のわきに植えられたキョウチクトウのかげに黒いヘビがいた。

 ヘビは小さかった。とぐろを巻き、その場にじっとしていた。

 目が合った三人は怖くなって走り出し、かるたクラブの別室にかけこんだ。

 ヘビが竜の使いであることを三人はあとで知ることになる。

 メタバースで竜野先生の父と祖父に会った。古文書は門外不出で本物を見ることはできなかった。くわしい話を二人から聞くことはできた。それに竜野先生の話を加えると、竜野家に代々伝わる古文書の内容が分かった。

 ◇

 この年は嫌(いや)な病気がはやっていた。

 突然、高熱に見舞われて呼吸困難になる。病院に半月ほど隔離(かくり)される人が相次ぎ、死亡する人が続いた。

 恐ろしいのはそれだけではなかった。

 不思議な後遺症が現れた。大人も子どもも関係なかった。

 すべての行動が活発になり過激になった、隔離で失われた時間を取りもどすかのように、行動がエスカレートして「やりすぎ・しすぎ」の人が町にあふれたのだった。

 みどりの小学校でも後遺症に悩む先生や児童が現れた。竜野先生、梨子、有実、樹梨也にとって、それは他人事ではなかった。

 校長先生は「働きすぎ」で残業が長引き、一学期の間、家に帰ることができなかった。

 二年生の学年主任である鈴木先生は「寝すぎ」で朝起きられず、学校に来ることができなかった。ゴールデンウイークから七月下旬の終業式まで三カ月間、とうとう登校しなかった。

 「笑いすぎ」ですっかりやせてしまったのが、三年三組の武田さんだ。ベッドで寝る時間を除き一日中、笑い続けているため「お腹が空いた」が口ぐせになった。

 PTA会長の羽田さんは逆に「怒りすぎ」になった。うれしいことや悲しいことがあっても、「怒る」ことでしか自分を表現できなくなった。

 体重が一〇〇キロを超えてしまったのが、学校給食の調理師山下さん。身長一五五センチ、体重五〇キロのバランスが取れた体格は見る影もない。「あらいやだ。これじゃ、百貫(ひゃっかん)デブだわ。一度食べ始めたら止まらないの」と言って、山下さんは大きく盛り上がったお腹をたたく。

 働きすぎ。
 寝すぎ。
 食べすぎ。
 勉強しすぎ。
 運動しすぎ。
 練習しすぎ。
 お金の使いすぎ。
 遊びすぎ。
 歌いすぎ。
 喜びすぎ。
 怒りすぎ。
 笑いすぎ。
 泣きすぎ。
 はしゃぎすぎ。
 気を回しすぎ。
 心配しすぎ……

 症状はあらゆる行動におよんだ。

 梨子、有実、樹梨也の三人はこの病気のことを「スギちゃん病」、そのウイルスのことを「スギちゃんウイルス」と呼んだ。病気の実態にそぐわない、かわいいネーミングはみどりの小学校にたちまち定着した。みんなが呼ぶ「スギちゃん」は小学校から町内会へ、町内会から区へ、やがて区から都へ、都から全国へと広がっていった。

 スギちゃんウイルスに感染した人は、夏休み前に全国で一日十万人に達した。都だけでも二万人を超えていた。

 三人はテレビでも「スギちゃん」の言葉を聞く。国会では「日本の防衛費はどんどん増やす。防衛力を増やしすぎることはない。スギちゃん路線で突き進む」「日本の政治は腐りすぎている。まるでスギちゃんだ。腐りすぎた政治を見直さないといけない」と論戦が交わされていた。

 スギちゃんウイルスが怖いのは、病気が治ってもふつうの行動が取れなくなる点だ。本人にとっても、国にとってもそれは一大事だった。それだけにスギちゃんウイルスを抑えるワクチンの開発が急がれた。

ただ、開発のめどはまったく立っていなかった。

 ◇

 竜野先生、先生の父と祖父の話によれば、「百人一首」をまとめた藤原定家は十六歳のときに、得体の知れないウイルスに感染してあやうく死にかけた。後遺症に悩まされ、十九歳のときに異常な興奮をくり返すようになった。それがきっかけで独特のあでやかな和歌を作れるようになった。

 先生の祖父である梨巳(りみ)雄(お)じいちゃんは「藤原定家がかかった病気は、いまのスギちゃんウイルスに違いない。奇病の後遺症により、歌の作りすぎ、よみすぎ、まとめすぎになったのじゃ。そのままではせっかく治ったのに後遺症で死んでしまう。薬師としてそばに仕(つか)えていた竜野家のご先祖が定家に呼ばれ、病気を治した。その医術が古文書に記されたというわけじゃ」と解説した。

 古文書に書かれていたポイントは、次のとおりだった。

 一、「百人一首」に出てくる竜は三つある。その教えに従え。

 一、竜と人間がなかよしだったときに分かち合っていた〈玉〉が疫病を治す。

 一、「神の子」を名乗る人間が現れたために、竜は地上から消えた。空にはいない。〈玉〉は竜が持つ。

 一、封印を解くのは〈玉〉を持つ子どもだけである。邪悪な大人は竜の爪で殺されるか、さもなければ竜に変身させられ二度と人間には戻れない。

一、蛇は竜の使いである

一、「百人一首」と竜の関係を理解し、それを竜に伝えろ。竜は〈玉〉をさし出すだろう。

 このなぞを解けるだろうか。

 メタバースやAIの技術は、なぞ解きに役立つだろうか。

「百人一首」はすべて暗記している。意味もだいたいは分かっている。大きく外れることはないだろう。それでも梨子、有実、樹梨也の三人は不安におそわれた。

 梨子たちから古文書のポイントを聞き、薬師の医術が「スギちゃんウイルス」のワクチン開発を進めると竜野先生は確信した。

 ただ、竜野先生も疑問に感じた点があった。同じ疑問に梨子たちのAIも気づいた。

「百人一首」には「竜」の言葉が使われた歌が二つしかない。古文書には三つとある。二つの間違いではないだろうか。

 一つは有名な十七番だ。

 ちはやふる/神代もきかず/竜(たつ)田川(たがわ)/からくれなゐに/水くくるとは

 もう一つは六十九番だ。

 あらし吹く/三室(みむろ)の山の/もみぢばは/竜田(たつた)の川の/にしきなりけり

 AIが歌の意味をスマートグラスのディスプレイに映し出した。

 〈十七番:神々の時代にさえ聞いたことはありません。竜田川が紅葉によって流れを真っ赤に染め上げるなんてことは。〉

 〈六十九番:嵐が吹く三室の山の紅葉の葉は、竜田川の水面に落ちて、流れを錦(にしき)に織(お)りなしていくのである。〉

 これらの歌が「玉」を持つ竜とどのように関係するのだろう。

メタバースを利用して、梨巳雄じいちゃんに樹梨也がたずねた。

 「じいちゃん。教えてほしいんです。歌と竜の関係が分かりません。竜は竜田川という川の名前です。生きものとは違います。さらに竜に関係する歌は三つあると古文書は言っているそうです。『百人一首』をどう調べても二つしか分かりません」

 梨巳雄じいちゃんはしばらく考えこんでいた。

 ハッとした表情をした。

 何かに気づいたらしい。

 「歌は『音』を大切にしている。だからダジャレのような掛詞などに注意する必要があるんじゃ」

 「そうだな。例えば九十五番の歌には『わがたつ杣(そま)』とある。杣とは林木の茂る山のことじゃよ。竜の立場になれば、『わたしは竜で、竜は林木の茂る人里遠くない山に立っている』ということになる。すこし強引な解釈かもしれないが、完全な間違いとは言えないだろう。なんたってダジャレなんじゃから』

 歌にはふしや音が伴っているにもかかわらず、それが軽くあつかわれていると竜野先生がくり返し言っていることを樹梨也たちは思い出した。

 「梨巳雄じいちゃんは、やはり竜野先生のおじいちゃんだ」

 三人は感心した。

 ◇

 樹梨也は自転車がなかなか乗れなかった。

 乗り方を教えてくれる父がいなかったからだ。

 母はスーパーマーケットに勤めていた。スギちゃん病にかかっているわけではないのに、残業がずっと続いた。家計は苦しく貧しかった。保育園にあずけられた樹梨也は延長保育になることが多かった。

 自転車に乗れるようになったのは小学校入学直前だ。

 保育実習に来た専門(せんもん)学校のお兄さんとお姉さんが代わるがわるに教えてくれた。

 足を地面に着かずにペダルをこげたときは、体がふわっと浮き上がり雲の上を走っているように感じられた。

 「ジュリ、いいよ! そのまま! そのまま! 行け!」

 樹梨也本人よりも、お兄さんたちが大喜びし、みんなでハイタッチを交わした。

 樹梨也の家庭は複雑だった。本人は父の顔も名前も知らない。母は初めからシングルマザーだった。

 母の話によると、「聖典」の言葉を一日に三回唱える会合で父と知り合った。二人は母のアパートで暮らし始めた。最初、父はおだやかに見えた。樹梨也が生まれると父は浴びるようにお酒を飲むようになり、母に暴力をふるった。やがて働かなくなった。顔がはれ上がった母の姿を見て、同じアパートの人たちが警察と区へ通報した。母と樹梨也は「タンポポシェルター」と呼ばれる場所にかくまわれた。母の右腕と左手首は骨が折れていた。それから母と樹梨也は父のいるアパートへは行っていない。

 父がその後、どうなったかは知らない。

 遠足は嫌いだった。

 保育園のときでも母の付き添いはなかった。

 質素なお弁当を持たされた。

 たまご焼き、ゆでたウインナーとブロコッリー、ノリ、明太子。それだけ。量は大人分ほどあった。

 小学一年生の秋の遠足ではびっくりした。

 「友だちに分けてあげなさい」とコーンコロッケ六十個を渡された。六つのビニール袋に入っていた。

 「一学年二クラスの六十人分あるわよ。欠席者が出て余ったら、先生に食べてもらって」

 スーパーマーケットの惣菜(そうざい)コーナーをまかせられている樹梨也の母は、あれ以来、「コロッケママ」と小学校で呼ばれている。

 母はいまも「聖典」の言葉をとなえる。樹梨也も母に従ってとなえる。それは日課だ。

 残業のない日、母は「聖典」の話をしてくれる。樹梨也が寝るすこし前、疲れた体をベッドに横たえて「聖典」を開き、小さい声で母は言う。

 「では始めるわね」

 樹梨也が母から聞く「聖典」の物語は次のように展開する。

 その年は春になっても気温が上がらなかった。

 田植えをすませた人々は、お日さまがはっきり姿を見せるようにと手を合わせた。

 冷たい雨が何日も降り続いた。

 蓑を着た人々は、稲を守ろうと田んぼの水を調整したり、肥やしをやったりした。

 こんどは厚い雲が何日も田んぼをおおった。

 夏はあっという間に終わった。

 こんどは激しい風が何日も吹いた。

 家に閉じこめられた人びとは、暗い気持ちで稲刈りの準備をした。

 秋。とうとう穂は実らなかった。

 収穫が少ない不作どころの話ではなかった。

 収穫のほとんどない凶作だった。

 このままでは人々は飢え死にする。

 困り果てた人々の前を一人の行者が歩いていく。がりがりにやせて杖(つえ)をついている。ひげを伸ばし放題にしている。

 一人の女がたずねた。

 「わたしたちには食べるものがありません。このままではみんな死んでしまいます。どうかお助けください」

 行者は女の目を見て言った。

 「竜にお願いしなさい。竜の使いであるヘビが導いてくれます。竜の〈玉〉が人々を救ってくれるでしょう」

 女は安心して、行者にお礼を言った。

 田んぼにはカエルやドジョウがたくさんいる。それをねらうヘビもいる。人々はカエルやドジョウばかりか、ヘビも大切にあつかった。そしてヘビを襲うワシやタカを追いはらった。大地に生きるものは同じ仲間。人々はそう考えていた。女がほっとしたのは、ヘビを殺したり傷つけたりする人間が一人もいなかったことだった。

 女は田んぼにいるヘビに竜のことをたずねた。

 「行者様からうかがいました。ヘビは竜がどこにお住まいか知っていると。竜はどこにいらっしゃいますか」

 ヘビは答えた。

 「竜は田んぼの近くを流れる一番大きな川にいる。ヘビたちはその川のことを『竜田川』と呼んでいる。川の場所が分かるか。分からなければ、わたしのあとを付いてきな」

 女を先頭に人々はヘビの後ろを追った。くねくね動くヘビの足は思ったより早かった。人々は息が切れた。どのくらい走っただろうか。切り立った山の間を大きな川が流れていた。

 ヘビは自慢げに言った。

 「ここだ。ここが竜田川だ。竜はここにいる」

 そう言うとヘビの姿は見えなくなっていた。

 半時ほどたった。激しい雨が降り、もうれつな風が吹いた。前がよく見えない。竜田川が盛り上がり、天を目指して流れが逆行する。川は滝に変わっていた。

 「竜だ」

 人々は一斉に声を上げた。

 母が読み聞かせる「聖典」はまだ続く。

 竜が姿を現す。

 目から青い血が流れている。

 女たちはその場にへたりこんだ。

 竜のひげは太くて長く、その端を見ることはできない。

 二本の腕の先にある指は小さい。爪は三本あり鋭く、内に向かって巻いている。

 口には〈玉〉を加えている。

 竜は天をかけ昇り、天をかけ降りる。体をくねらせ、ぐるぐる回転する。

 激しい風が吹き、女たちは立っていられなくなった。

 強い雨が降り、女たちは流されそうになった。

 〈玉〉がどんどん近づいてくる。

 〈玉〉には何か書かれている。

 〈玉〉はぐるぐる回転する。

 目が慣れてきた。

 〈玉〉が目の前まで迫(せま)ってきた。

 上には「禾」と読める漢字が書かれている。

 横には「刂」と読める漢字が記されている。

 下には「木」と読める漢字が刻(きざ)まれている。

 「禾」は食べ物の穀物。

 「刂」は力の象徴である剣。

 「木」は人々におおいかぶさる木々。

 女たちは〈玉〉の意味を解した。

 竜は〈玉〉をかみくだく。

 するとどうだろう。その切れ端が雨になり、天から地に落ちてきた。

 いい匂いがする。

 梨の匂いだ。

 行者が竜の背中に乗って天をかける。

 女たちは〈玉〉の切れ端を口にする。

 本当だ。梨だ……。

 女たちは竜からもらった〈玉〉で冬を越した。

 飢えて死ぬ者はいなかった……。

 「聖典」はまだまだ続く。

 「神の子」を名乗る人間たちが現れ、女たちを土地から追い出す。

 「神の子」は田んぼのカエルやドジョウを一匹残らず殺し、すべてのヘビを焼いた。

 竜は血を流し、天をかけ回る。青色の血が滝のように天から降ってくる。

 竜は姿を消した……。

 樹梨也はここから先の話を聞いたことがない。母によれば、「聖典」を初めから読み聞かせると、「ヘビを焼いた」の所で必ず眠ってしまう。

 「ここからがハイライトなの。『神の子』は竜田川の水を枯らし、竜が大地を追われることになるのよ」と母は言った。

 ◇

 梨子たち三人は、すべての本が収められている国会図書館のデータベースで、「百人一首」十七番「ちはやふる……」の歌の意味について調べた。AIを使ったおかげで面白い説(せつ)を見つけることができた。それは中公新書『百人一首』(高橋睦郎著)という本にあった。

 血が天から降って来るなどということがあるだろうか。神神の時代にも、そんなことは聞いたことがない。大和を貫流する蛇(じゃ)身(しん)のその名も龍田(たつた)の川を血の唐紅(からくれない)のくくり染めにして流れていこうとは。大和の地(ち)霊(れい)が山城の地霊に敗れ、わが平城(へいぜい)王朝は瓦解(がかい)してしまった。その敗けいくさが秋ごとに川のおもてに繰り返されるのだ。

 内容がすこし分かりにくかったため一言一句そのまま、竜野先生に梨子が伝えた。

 こんどは先生が一言一句そのままやさしい言葉に直して梨子たちに伝えた。

「ひと言でいうと、もともといた神と、あとからやってきた神との間で戦(いくさ)が起き、もともといた神が大量の血を流して敗れた、ということになるね」

 聞いていた樹梨也は鳥はだの立つのが分かった。

 「えっー」

 樹梨也は素っとん狂な声を上げた。

 「先生、ぼく。ぼく、その話を聞いたことがあります。母さんが読み聞かせてくれる『聖典』に書かれています。間違いありません」

 梨子も有実も「聞いたことがある」とうなずいた。二人とも「『聖典』で」と付け加えた。

 三人は自分たちの知っている範囲で、「聖典」の物語を竜野先生に教えた。先生は「本当だ。そっくりだ」と言い、かるたクラブの別室で黙りこんでしまった。

 「三人の名前に『梨』が使われていることと関係あるのか……。いやいや、偶然、偶然……。待てよ、そんな偶然あるかな……。三人は兄弟姉妹ではないし。親同士の血がつながっているとか。そんなことない、ない」

 竜野先生は、めずらく頭が混乱した。

 「三人は竜に選ばれた子ということになる……。そんなことない、ない……」

 竜野先生の父、継(つぐ)雄(お)は農林試験場で果樹(かじゅ)の研究をしている。ナシにもくわしいことから問い合わせをしてみたらどうだろうと、梨子たち三人に竜野先生はアドバイスした。

 翌々日のランチタイムに三人はメタバースを通して、継雄さんに会った。

 継雄さんはナシ博士だった。

 「まもるから聞きました。三人はナシに縁があるそうですね。それぞれの名前に梨が使われていると。ご両親も〈神の果物〉に縁があったのでしょう」

 継雄さんはナシの由来をていねいに教えてくれた。

「弥生(やよい)時代には中国から伝わっていました。静岡市の登(と)呂(ろ)遺跡(いせき)から梨の種が見つかっています。中国梨は秋に収穫します。稲刈りの時期とほぼ同じか、すこしあとでしょうか。梨は大切にあつかわれたと考えられます」

 「とても重要な点は」と言い、継雄さんが強調したのは、台風や日照りによりお米が取れなかったときにお米に代わる食料として梨が食べられたということだった。

 「作物が凶作(きょうさく)のとき、飢饉(ききん)から人々を救う作物のことを『救荒(きゅうこう)作物(さくもつ)』と言います。ナシはその救荒作物でした。奈良時代に成立した『日本(にほん)書紀(しょき)』には、持(じ)統(とう)天皇(てんのう)という人が六九三年にお米など五穀(ごこく)が取れなかったときのことを考えて、ナシを栽培(さいばい)するよう命じています。そのころまでには、ナシは貴重な非常用食料と考えられていたわけです」

 竜田川の近くに住む人々はナシのことを〈神の果物〉と呼び、秋にはナシを竜にささげる神事が毎年行われていると継雄さんは付け加えた。

 「〈神の果物〉は五〇〇万年前までさかのぼることができます。五〇〇万年前のナシの葉の化石が鳥取県で発見されています。新第三紀、中新世後期のホウキヤマナシで、そのころは日本と大陸が地続きでした。すみません。間もなく午後の仕事を始めなければなりません。あとの話は父の梨巳雄から聞いてもらえないでしょうか。とくに神事についてはだれよりもくわしいです」

 お礼を言い終ると、三人は梨巳雄じいちゃんをメタバースで探した。じいちゃんは老人会で秋祭りの打ち合わせをしていた。

 「こんにちは。梨巳雄じいちゃん。お忙しいところごめんなさい。質問があります。竜田川の神事についてです」と有実は切り出した。

 「お~。梨子ちゃん、有実ちゃん、樹梨也ちゃんか。みんな元気そうじゃ。わたしも連絡を取りたかったところじゃった。なんせ、メタバースなんて利用したことないからな。あつかいが難しくて、往生しとったわい」

 質問に答える前に、老人会会員たちの協力を得て分かったことがあると梨巳雄じいちゃんは言った。

 「実は、孫のまもるからも聞かれたんじゃ。なんで、梨子ちゃん、有実ちゃん、樹梨也ちゃんの三人が〈神の果物〉であるナシに関わることになったのかと。古文書にあるのじゃよ。古文書に。それを思い出したのじゃ。わしの母親が子どもだったときに読んで、死ぬ間際に覚えていたことを話してくれた。老人会の仲間たちも同じことを言っていた。それはこうじゃ。〈梨〉と名づけられた三人の子どもが〈玉〉を受け取りに竜のもとへ向かう。それを好まない〈黒い力〉が立ちはだかる。ヘビは三人の子どもを導き、薬師は三人を助ける。やがて疫病は収まる。三人の子どもこそ、竜の使いだった……」

 古文書にそう書かれていたと聞かされて、梨子、有実、樹梨也が〈玉〉を受け取る三人だとは信じられなかった。

 「スギちゃん病と同じで、話が飛びすぎている」と三人は思った。

 怪訝そうな顔をする三人を見て、梨巳雄じいちゃんが言った。

 「『薬師は助ける』の意味は分かるだろう? 薬師を代々務めたわしら竜野家があんたたちにいま関わっている。そして調べ学習について助けている。息子の継雄、孫のまもると一緒にじゃ。わしは一九四一年生まれの八十一歳。継雄は一九六五年生まれの五十七歳。まもるは一九八九年生まれの三十三歳だ。三人はそれぞれ二回り年が違う。なぜか、分かるか?」

 梨子が答えた。

 「同じ干支になるようにですか?」

 「そうじゃ。わしら親・子・孫は干支が同じじゃ。巳じゃ。三人はヘビ年に生まれた」

 梨巳雄じいちゃんの説明に梨子は驚いた。

 「わしも、継雄も、まもるもヘビなんじゃ。驚いただろう。だからわしが梨子ちゃんたちを導いてやろう。はっはっはっ。冗談はここまでじゃ。梨子ちゃんたちは本物のヘビをどこかで見なかったかい? 見たとすればそれは竜の使いのはずじゃ」

 夏休みに入ってすぐ、みどりの小学校のキョウチクトウのかげでヘビがとぐろを巻いていた。すぐに姿が見えなくなった。そのことを三人は思い出して、梨巳雄じいちゃんに教えた。

 「やはりな」

 梨巳雄じいちゃんは言った。

 そして気を取り直したように続けた。

 「質問に答えよう。竜田川の神事じゃったな」

 じいちゃんによれば、竜田川の神事は旧暦十月の神無月(かんなづき)の初日に行われる。

 その日は新月に当たるため、夜は闇が深い。真夜中、いっせいに川の水が引き、川底が現れる。水は天から落ちる滝となる。滝はやがて逆流を始め、天より高い天にのぼる。岸壁の下に子ども一人が通れる横穴が現れる。

 穴は竜を祀る祠に通じる。

 選ばれた三人の子どもが、赤色でくくり染めにした布と剣とナシをそれぞれ持ち、ヘビの案内で祠へ向かう。竜は一つの首に百の体を持つ神である。

 神事をおこたれば〈竜の力〉は弱まり、〈黒い力〉が勢いづく。大雨や地震、日照り、疫病に見舞われる。藤原定家が奇病にかかったのはそのせいである。

 「祠には高さ二メートルほどの竜の像が祀られている。子どもは竜の頭にかけられた赤い布、左手に持つ剣、右手に持つナシを新しい今年のものと取り換えなければならない。竜は〈玉〉を口にくわえている。奇病がはやるまで、それを触ってはならぬと代々の長老から言われてきた」

 話を聞き終ると、梨子が質問した。

 「じいちゃん。竜は神様で、一つの首に百の体を持つって本当ですか。『一つの首に百の体』を反対から読めば、『百の体に一つの首』ということになりますよね。これって藤原定家の『百人一首』ということではないでしょうか」

 こんどは有実が質問した。

 「藤原定家のかかった奇病は、竜の〈玉〉を手に入れることで消えてなくなる、と考えてはいけませんか」

 梨巳雄じいちゃんは「う~ん」と言って黙りこんでしまった。すっかり目を閉じている。

沈黙は一分ほど続いただろうか。梨子ら三人には一時間ほどに感じられた。

 「う~ん。間違っていたらごめんなさいじゃ」とじいちゃんは自分の考えを三人に伝えた。

 「選ばれた三人の子どもは神によって選ばれたと考えたらどうじゃ。その神は『百人一首』じゃ。『百人一首』に、つまり神に選ばれた子どもは、奇病や疫病が大流行するときに現れ、ヘビの導きで竜の〈玉〉を取る。そして大流行する疫病をおさえこむ。『百人一首』に選ばれた子どもというのは。梨子、有実、樹梨也のように、和歌に慣(な)れ親しんでいる子どものことを指すんじゃろう」

 ◇

 来週から二学期が始まる。

 竜野先生はあせり始めていた。

 梨子、有実、樹梨也三人の調べ学習が進んでいないからだ。

 断片的な情報は手に入っても、それら情報の点と点を結びつけ線にし、次に線と線を結びつける作業を続けるのは小学生には難しい。

 竜野先生は首をひねる。

 古文書に書かれていたポイント六つのうち、分からないのは最初だ。「『百人一首』に出てくる竜は三つある。その教えに従え」。そして最後。「『百人一首』と竜の関係を理解し、それを竜に伝えろ。竜は〈玉〉を差し出すだろう」。まとめると「教えに従うならば、〈玉〉を受け取れる」ということになる。

 「教え……。教えって何だろう。樹梨也は『ちはやふる』の歌が『聖典』にそっくりだと言っていた。『百人一首』の三つの歌と『聖典』はつながっている。そして竜田川の神事ともつながっている」

 祖父と父が梨子たちに伝えた話について、竜野先生はオンラインの「竜野家団らん会」を開いたときに初めから終わりまで教えてもらった。

 「情報は共有している。こうなったら三人に集まってもらい、みんなで整理しないといけないな」

 夏休みの最終日、竜野先生は梨子ら三人と今後の進め方を話し合った。

 「調べ学習が中途半端(ちゅうとはんぱ)に終わってしまうのは残念だな。一つの結論が得らえるまでもうすこしがんばってはどうだろうか」

 樹梨也が口を開いた。

 「ぼくはがんばってみたい。夏休みの間、『聖典』についてママからくわしく聞きました。『聖典』の言う『禾』『刂』『木』は、『梨』の名前を持つ三人の子どものことだとママは言います。剣である『刂』を持つのは樹梨也。小さいものを温かくおおう『木』は梨子ちゃん。食べ物を意味する『禾』は有実ちゃん。三人が力を合わせて〈玉〉を竜からいただく。あなたたちはきっとヒーローとヒロインなんだわ。ママは真剣にそう言っています」

 樹梨也の母の話は、梨巳雄じいちゃんから聞いた話といくつかの点で重なり合う。四人はそう思った。

 飢えから人々を救うのは竜の〈玉〉であり、それはナシであると「聖典」は教えている。確かにナシは「救荒作物」として飛鳥時代から非常食と考えられてきた。竜田川の神事は、赤い布と剣とナシを三人の子どもが携えて、竜の祠へ向かう真夜中のイベントである。「百人一首」の歌は、三人の子ども、それも梨子・有実・樹梨也に関係する……。

 「先生にとって最大の難問は『百人一首』の三つの歌だ。どれも竜(たつ)に関わっている。『ちはやふる』の歌は三人が国会図書館のデータベースで調べてくれたように、土地をめぐる争いで敗れた者たちが流した血のことと関係する可能性がある。『聖典』のとおりに考えるなら、人間と竜が『神の子』と戦(いくさ)をくり広げ、人間は別の土地へ、竜は地下へ敗走したことになる」

 「先生、赤い布というのは血が付いた衣ということではないでしょうか。竜と親しい人間が『神の子』に切られてふきだした血の色です」

 有実は言った。

 「それは『ちはやふる』の歌が、竜と共に戦った人間の流した血であることを示しているからだと。だから竜田川の神事でわざわざ、血と同じ赤い色の衣を竜に届ける必要があるんだと。竜と共に戦った人間のことを竜に思い出させるためだと……。有実、そういうことかい?」

 「先生、ぼくにも言わせてください」と樹梨也が言った。

 「神事で剣を竜に届けるのは、竜と一緒に戦いますという『誓いの気持ち』を表すためではないですか。最後まで一緒だよ、一緒に戦うよという意味です。『聖典』によれば、竜が口にしている〈玉〉には、剣を指す『刂』の漢字が書かれています」

 四人の話し合いは熱を帯びた。先生と児童の壁も、年齢差のギャップもそこにはない。子どもの権利条約の精神がそこにあると竜野先生は感じた。

 「次の神無月の神事で、剣を竜に届ける役は樹梨也がするしかないわよ。わたしは赤い衣、有実はナシを届ける。先生、それっていけませんか」

 梨子が話に入った。

 「そうだね。きみたちが希望すれば、ぜひやってほしいという話になるだろうね。お年寄りばかり増え、神事に参加する人がいないと祖父も父もぼやいているくらいだからね」

 竜野先生は続けた。

 「話を元にもどすと、二つ目の「『嵐吹く』の歌は、『神の子』と戦いをくり広げる竜が嵐をおこし、神々の土地を荒らしたと解釈することもできる。ここで『神の子』に注目しよう。『神の子』は本当に人間なのか。『神の子』は嵐や大雨、日照りのことではないのか。人間を困らせる現象すべてを『神の子』と考えるのは乱暴だろうか。いまなら、人の命を毎日奪っている『スギちゃんウイルス』だ。そして、三つ目の歌。これが分からない……。ヒントがどこかにないかな?」

 有実はさえていた。竜野先生の言葉を引き取って言った。

 「先生、わたしにも少し分かりました。『聖典』と古文書は、同じ物語をもとにしている感じがします。うまくは言えませんが、同じイメージ、同じ土台を持っています。藤原定家と薬師は疫病でつながり、竜田川の神事は疫病を含む〈自然の脅威との戦い〉でつながる。大雑把(おおざっぱ)でごめんなさい。人間を飢えさせたり病気にさせたりする〈黒い力〉に、ナシは有効だと……。そう、ナシには竜の力があるということです……」

 ナシは古くから「救荒作物」だった。人は飢えれば体力がなくなり死ぬ。逆に体力があれば死ぬこともない。竜田川の近くに住む人は昔から、梨は〈神の果物〉と言い伝えてきた。実際に古文書にもそう書かれている。樹梨也たちから聞いた『聖典』も、仮にタイトルを付ければ「〈神の果物〉の物語」となるだろう。

 竜野先生の頭の中で、点と点が結びつき、それが線となり、線が何本か引かれていった。それは梨子、有実、樹梨也も同じだった。

 「先生、どうでしょうか。古文書と『聖典』、藤原定家と百人一首、疫病と竜田川の神事とそれぞれを別個にあつかってきたように思います」

 有実は黒板に書き始めた。

古文書↔聖典↔藤原定家↔百人一首↔疫病↔竜田川の神事↔古文書……?。

スマートグラスとスマートウオッチを連動させ、AIに図式化してもらった。



 AIは4人のスマートグラスに図を映しだした。

 藤原定家と「百人一首」と神事を結んで一つの線とみる。古文書と「聖典」がその線をおおいかぶさるようにして支配し、その間を役病と飢餓が取り持つようにした。ポイントは疫病と飢餓から「古文書と『聖典』」を考え、疫病と飢餓から「藤原定家と百人一首と神事」のグループを考える、ということだった。

 竜野先生は「ほっー」と言ってから意見を述べた。

 「図を見せられて、頭の整理ができた。疫病と飢餓は、疫病が増えれば飢餓になる。飢餓が増えれば疫病になるという関係があるよね。戦争も同じ。戦争が増えれば、田んぼや畑が荒れ、働く人は戦争にかり出される。食べるものがなくなると体力の落ちた人々の間に疫病がはやる。戦と飢餓と疫病は一つの線でつながっていると考えられる」

 梨子たち三人は「先生、分かりました!」と大声を上げた。

 「ナシは飢餓と疫病をなくす〈神の果物〉、なんです!」と梨子が言うと、樹梨也は「そして、戦争をなくす〈神の果物〉、なんだと思います!」と再び大声を上げた。

 「そういうことか! だから、竜田川の神事は『戦平(いくさひら)のお祭り』と言われてきたのか。ずっと忘れていた。戦を平(たい)らげる、という意味で。さっそく、祖父に確認してみるよ」

 大きな展望が開けてきた。四人はなぞの大半は解けたと感じた。さあ、明日から二学期だ。

 ◇

 竜野家は代々、男の子の名には「巳」の漢字が充てられてきた。それは家訓による。藤原定家のかかりつけ医である「薬師」を務めて以来の習わしだ。「巳」はヘビを意味する。「百人一首」と薬師、竜の関係について調べる梨子、有実、樹梨也の名に「梨」が使われているように、まもると父の継雄も、祖父の梨巳雄にならい「巳」の字が使われていいはずだった。それなのに使われなかった。梨巳雄の名には「梨」の漢字が特別にあてがわれ、ヘビとナシの深い関係が暗示されている。

 梨子たち三人はなぜだろうとずっと疑問を感じていた。

 二学期の生活に慣れてきたころ、十月に区内で開かれる「学校対抗かるた競技会」の役割分担について、メンバー二十七人で話し合った。梨子、有実、樹梨也の三人はかるたクラブの別室にそのまま残るよう竜野先生に言われた。

 「すこしいいかな。この間の質問。ヘビを表す『巳』の字が、祖父の梨巳雄の名前だけに使われ、わたしと父には使われていないことについてなんだけど。祖父と親類にあらためて聞いてみたんだ」

 竜野先生によれば、竜野家は梨巳雄じいちゃんで二十九代目だ。それまでは男には「巳」の字がずっと使われてきたらしい。ヘビは竜の使いである。『百人一首』をまとめた藤原定家の「薬師」であったから、竜野家は定家と同様に『百人一首』の使いでもあった。梨子が言うように、「一つの首に百の体を持つ神」の竜にも仕えていたことになる。三十代目の継雄、三十一代目のまもるにも当然、「巳」の漢字があてられる予定だった。しかし、そうはならなかった。〈黒い力〉が働き、「あらし」がやって来たからだった。

 「竜田川の神事は神無月(かんなづき)に行われる。神無月というのは旧暦十月で、現在の十一月ごろに当たる。七月から十月にかけての台風のシーズンが終わると、神事の準備が始まる。わたしと父の生まれた年はとても台風が多い年だったんだ」

 竜野先生はスマートグラスのディスプレイに気象庁のデータを映しだした。

 台風の発生数は年間二五・一個

 上陸した台風の数は年間三・〇個

 いずれも一九九一年から二〇二〇年までのデータ平均値。

 一九八九年の発生数は年間三二個。上陸数は年間五個。

 一九六五年の発生数は年間三二個。上陸数は年間五個。

 「神事で注意しなければならないのは、十月と十一月の台風だそうなんだ」

 竜野先生はディスプレイに追加のデータを示した。

 一九八九年の十月と十一月の台風発生数はそれぞれ四個と三個。

 一九六五年の十月と十一月の台風発生数はそれぞれ二個。

「祖父と古老たちが言うには、台風の影響で竜田川の水位が上がれば神事はできないんだ。川底は見えず、子どもが通る横穴も現れない。神事は神無月の新月の夜にしか行えないから、翌年まで待たなければならない」

 竜野先生はそう言ってから、息を大きく吸いこんだ。

 「実は、わたしと父が生まれた年は台風が多く、神事ができなかった。竜の使いであるヘビにだれもなれなかった。だからわたしと父の名前には『巳』の字がない。祖父が生まれた年は神事が行われたため、祖父の名前には『巳』の字が付いたというわけさ。梨子ら三人が神事に参加するなら、汚名ばんかいでわたしと父はヘビになれると思う。ほかに代役はいないしね。竜野家としては願ってもないことだよ」

 ことしは神無月が十月二十五日から始まる。偶然にも当日は、新月と部分日食が重なる。これほど竜田川の神事にふさわしい日はない。

 「先生、十月十日のスポーツの日は満月ですよね。運動会の代休を十一日ではなく、二十五日にしてもらえませんか? それなら神事で学校を休まなくてすみます。お願いしま~す。でも無理ですよね」

 有実の目は輝いていた。

 竜野先生は、十月二十五日の午後から竜田川へ行こうと決心した。自分と父の継雄の名前に「巳」の字を取りもどすためではない。先祖代々務めてきた「薬師」の仕事を果たすためだ。〈神の果物〉により、全国に広まった疫病「スギちゃんウイルス」を終息させなければならない。その前には梨子、有実、樹梨也の保護者、校長、教育委員会の許可を得なければならない。

 竜田川の神事に参加する前にどうしても片づけておかなければならない宿題があった。それは心にずっと引っかかっていた。

 ◇

 運動会は無事に終わった。

 翌日十一日の代休はのんびりするつもりだった。

 梨子たち三人は学童保育へ行くと言っていた。

 前日の運動会のハイライトは午前中に行われたクラス対抗全員リレーだった。三人の親たちは別々に帰宅した。昼前だった。「先生すみません。これから仕事なんです。運動会のあと片づけはお願いします」と同じあいさつをした親たち。いずれも半休を取り、祝日の運動会にかけつけたのだった。

 竜野先生は梨子たち三人がいとおしくなった。昨日も言葉を交わしたはずなのに、校庭で遊ぶ梨子、有実、樹梨也を見たくなった。

 かるたクラブの別室から校庭をながめると、三人がフラループに挑戦していた。うまく回せていない。腰を回しているからだった。そうじゃない。腰を回してはいけない。前後か左右に直線運動するんだ。違う。そうじゃないって……。手が届きそうで手が届かない。その距離感は竜野先生にとっても、梨子たちにとっても大切だった。むやみにおせっかいができない距離感。それは先生と教え子が互いに自立・独立するために必要な距離感だった。竜田川の神事に参加するヘビと「神に選ばれた子ども」に必要なものだと言ってもよかった。

 「それじゃ、三つ目の竜の歌に取りかかるか」

 竜野先生はそう言って、スマートグラスとスマートウオッチを起動させた。

 「『百人一首』には竜の歌が三つあるという。祖父が梨子たちに話したように、九十五番目の歌がその歌なのだろう。ではなぜ、『竜』という言葉を伝えてこなかったのだろう。一つは祖父が言うように声に出してよめば、『竜』と分かるからか。もう一つは意味を理解すれば『竜』と分かるから……。待てよ。祖父は『わたしは竜で、竜は林木の茂る人里遠くない山に立っている』と解釈していた」

 スマートグラスのディスプレイに三つ目の歌を映した。九十五番の前大僧正慈(さきのだいそうじょうじ)円(えん)の歌だ。

 おほけなく/うき世の民に/おほふかな/わが立つ杣(そま)に/墨染(すみぞめ)の袖(そで)

 スマートグラスのディスプレイに歌の意味を映し出した。

 「身のほど知らずと言われるかもしれない。この戦乱によりつらい悲しみに満ちた世の中を生きる人々の上を、出家して比叡山に住みはじめたわたしの墨染の袖をおおいかけ、仏の力で救いたいと切に願うのだ」

 AIに力を借りた。AIはさまざまな解釈を竜野先生に示した。ユニークだと思った解釈は歌の作者、慈円を竜になぞらえたものだった。

 「林木の茂る人里遠くない山に立つ竜であるわたしは、神でありながら身のほど知らずと言われるかもしれないが、取れたばかりの土の付いている〈果物〉をおすそ分けすることにしよう。その〈果物〉で戦や飢饉や疫病、つむじ風、地震といった〈黒い力〉をしずめ、荒れ果ててしまった人々を幸せにしたい。」

 AIによれば、慈円の言う「墨染めの袖」は仏の慈悲を表している。その慈悲を人々にかけることで人々は幸せになる。慈円は仏教界のトップにいた人だから、仏の慈悲をよく理解していた。九十五番目の歌を竜の話に置きかえると、「墨染めの袖」は「取れたばかりの土の付いている〈果物〉」を指す。確かにどちらも黒い。竜が手にする〈果物〉はナシを表すため、平和な世の中が訪れるためには仏の慈悲に代わり、ナシの力を借りる必要がある。「おすそ分けする」するのは、竜が〈果物〉を人々に全部分け与えたら、竜の力が衰えて〈黒い力〉が盛り返すからだ。

 竜野先生はAIの説明する音声を聞いて飛び上がった。「百人一首」にある竜の教えが分かったからだ。

 「竜田川の祠で竜が口にくわえている〈玉〉は、人間がおすそ分けしてもらうものなんだ。竜から奪ったり食べつくしたりしてしまうものではない。古老たちは触ってはならないと言った。それは竜の持ち分と人間の取り分があるということを言っている。触れば自分のものにしたくなる。それをいましめているんだ。そう、そうなんだ。『「竜の教え」に従え』は、人間は〈玉〉を一度手にしたら、それを竜にもどせ……、次の八〇〇年後のために……」

 考えがあちらこちらに飛びすぎていたかもしれない。竜野先生は自分の考えをAIに確かめてもらった。着眼点と分析に目立った欠点はないとAIはお墨付きをくれた。

 時間はあっという間に過ぎた。

 竜田川の人々は神事の準備を着々と進めていた。

 竜野家の親子三代が着る墨染めの黒装束。

 梨子、有実、樹梨也の三人が着る白装束。

 赤い布。

「 白ヘビ」と呼ばれる剣。

 取れたてのナシ。

 神事が行われる十月二十五日の前日、竜野先生へ祖父から連絡があった。

 「人々の協力で、準備がすべて整った。台風の心配もない。あとは、まもると子どもたちが来るのを待つばかりだ。継雄と待っているから」

 電話の向うで祖父は張りきっていた。竜田川の地元は老人ばかりが増え、子どもの数は減る一方だ。神事をとり行おうにも〈選ばれた子ども〉をさがすこともできなかった。一九七〇年代の前半から、神事は忘れ去られていた。

 スギちゃんウイルスが竜田川の神事を半世紀ぶりに復活させることになった。そして、その神事によってスギちゃんウイルスは死ぬことになる。スギちゃんウイルスは、人々が「聖典」と古文書の中に閉じこめてきた「〈『神の子』を名乗る人間〉と竜・人間の戦い」について、記憶の彼方から呼びさましてくれた。そう考える竜野先生の心は複雑だった。

 「どんなことにも意味があるんだ」

 十月二十五日。梨子と有実、樹梨也の三人は給食を食べ終わると、リュックサックを背負い、竜野先生の車に乗りこんだ。梨子と樹梨也の母が見送りにきた。みどりの小学校へ向かっていた有実の父は、途中で「緊急の仕事」が入ったと勤め先に引き返した。

 校長と学年主任から差し入れがあった。紙袋には数え切れないほどのナシが入っていた。

 有実が楽しそうに歌い始めた。

 「リコはナシの子、ナシシの子。名前はあってもナシシの子。パパはどこ? ナシの子パパは川の底」

 みどりの小学校を出発してから六時間はたっていた。

 三人はぐっすり寝ている。

 天理インターチェンジを過ぎたから、あと三十分ほどで実家に着くだろう。

 竜野先生は神事の手順を復習した。祖父から送られてきたメールに細かく書いてあった。

 白装束の子ども三人は赤い布、剣、ナシを持つ。

 黒装束の大人三人はたいまつの火で、子どもを一人ずつ導く。

 横穴に入った子どもと大人は後ろを振り返ってはならない。

 竜の像の前で二拝する。拍手はしない。

 竜が頭にかけた赤い布を取りかえる。

 竜が左手に持つ剣を取りかえる。

 竜が右手に持つナシを取りかえる。

 子ども三人で竜がくわえた〈玉〉をお預かりする。

 竜の前で一拝する。

 竜には背中を見せない。祠(ほこら)が見えなくなるまで前を向いたまま後ろに退く。

 〈玉〉は薬師へ届ける。

 〈玉〉は竜にもどす。

 竜田川の神事は五十年ぶりの復活であると前もって新聞に大きく取り上げられた。

 スギちゃんウイルスの感染を防ぐため、岸から見物できるのは地元の住人、マスコミ関係者、科学者に限られた。科学者の関心は、「神の果物」「竜の玉」と呼ばれる古代のナシの成分から「食べるワクチン」を開発できるかどうかだった。

 月明かりのない新月。

 午後十一時すぎ。

 竜田川の水が引いた。

 風の音だけがする。

 横穴が現れた。思ったより小さい。

 竜野家の梨巳雄、継雄、まもるがたいまつの火をつける。穴の前で三人は腰をかがめる。順番に小学六年生の梨子、五年生の有実、四年生の樹梨也を穴の中へ導く。

 たいまつの火は岸からは見えない。

 六人とも穴に入ったのだろうか……。

 岸で見守る住民は黙って手を合わせている。

 祠までどのくらい歩けばいいのだろう。

 真っ暗だ。

 一〇〇メートルは進んだだろうか。

 風の音が竜のうなり声に聞こえる。

 突然、たいまつの火が消えた。

 あたりは墨汁の黒より黒い。

 自分たちがどこにいるか分からない。

 「待ってたぞ」

 低い声だ。梨巳雄じいちゃんの声とは違う。地の底からわき上がってくるように感じられる。

 正面に小さな赤い点が光っている。点は二つある。

 「竜の目だ」

 樹梨也が小声で言った。

 六人は釘づけになる。

 赤い点ににらまれて体が動かない。

 金縛りだ。

 二つの目が近寄ってくる。

 目から青い涙が流れている。

 『聖典』は青い血と言っていたのに……。

 梨子と有実、樹梨也は赤い布、剣、ナシを素早く交換した。

 意識が薄れていく。

  梨巳雄じいちゃんの声がする。

 「まだ終わっちゃいない。早く、〈玉〉を。竜から〈玉〉をお預かりするんじゃ」

 「早く、早く……」

 声がずっと遠くからする。

 梨子と有実、樹梨也は意識を失った。

 三人は折り重なった。

 それでも梨子の右手にはしっかり〈玉〉がにぎられていた。

 三人は竜野家の梨巳雄、継雄、まもるに背負われて横穴を出た。

 心配する住民たちがかけ寄ってくる。

 三人は抱きかかえられて梨巳雄の家に運ばれた。

 布団に寝かされた三人を蛍光灯の明かりが照らす。着ていた白装束は真っ青に染まっていた。

 神事から二年。樹梨也は六年生になっていた。

 昨年も神事に参加した。

 ことしが最後の参加になる。

 梨子は中学の二年生、有実は一年生になっていた。二人とも中学校のかるたクラブに所属し、中心メンバーを務めている。

 「神の果物」から「食べるワクチン」が開発された。

 すぎちゃん病は終息した。

 働きすぎる人はいない。

 寝すぎる人もいない。

 食べすぎる人もいない。

 勉強しすぎる人もいない。


 体重が一〇〇キロを超えた学校給食の調理師山下さんは、五〇キロの元に戻った。「スマートになって若返ったわ」とあたりかまわず言っている。

 樹梨也の母は惣菜コーナーから野菜・果物コーナーへ持ち場が変わり、責任者になっている。

 スーパーマーケットで毎日品薄になるのは、ある名産品のナシだ。

 ナシには青いシールがはられている。

 そこには「竜田川産・神のナシ」と書かれている。

(了)

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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