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ヒーローの「国葬」

 ヒーロは突然、アンチヒーローに変わる。
 アンチヒーローも突然、ヒーローに変わる。

 放送が終わったTBSの人気連続ドラマ「アンチヒーロー」はそのことを教えてくれています。

 ヒーローは「成果」を求められます。人々が期待する「結果」を出さない限り、ヒーローはその資格をはく奪されます。ヒーローにとって最大のプレッシャーは「成果主義」です。

 アンチヒーローも同じです。悪役は悪役なりに「結果」を出さなければなりません。人々がもっとも期待するのは、ヒーローをなぶり殺しにするか、地獄に突き落とすかです。人々が抱く淡い希望を根こそぎ奪い去らなければなりません。もたもたしている余裕はありません。アンチヒーローにとっても「成果主義」が最大のプレッシャーです。

 野村萬斎の演じた検事正・伊達原は、無実の人間を死刑囚に陥れた捜査の大失態を隠すため、検察側に不利となる証拠の隠滅を命じました。それに対し、長谷川博己の演じる明隅弁護士は、死刑囚の再審無罪を勝ち取るために証拠を捏造しました。

 ヒーローも、アンチヒーローも、証拠を捏造した点においては共通しています。

 法治国家では「法の適正手続き(デュープロセス)」が求められます。このため捏造された証拠は価値がなく、それらの証拠によって罪に問われることはありません。当たり前のことです。

 「無罪」にするために証拠を捏造・隠滅する。
 「有罪」にするために証拠を捏造・隠滅する。

 いずれも目的のためには手段を選ばないという態度で貫かれています。そうなると、いずれの目的が他方より正しいのかという問題に転化して考えることになってしまいます。個人の人権を尊重する人々は前者を、社会の安全を優先する人々は後者を「正義」と考えてしまうかもしれません。

 実は、この問題は天秤にかけることができないのです。なぜなら、人命、人権に関わるからです。「成果主義」の罠に囚われた人々は、いずれが正しいかと急いで結論を下そうとするはずです。そこで考えなければならないのが「デュープロセス」の重みです。

 目的がどうであっても、まず手段の正当性が重視されるのです。それが法治国家です。民主主義の基本です。

 2020年の国会で、安倍晋三首相(当時)の後援会が「桜を見る会」前日に主催した夕食会をめぐる質疑で、首相自身の虚偽答弁が「118回」に上ったことが明らかになりました。前代未聞の事件でした。後援会を守るために、もしくは自分自身を守るために、首相が証拠を捏造・隠滅したと指摘されてもおかしくはありませんでした。

 ヒーロは突然、アンチヒーローに変わりました。少なくとも国会質疑の場においては、宰相もダークヒーローと化しました。

 政界のサラブレッドであり続けた安倍氏は、性急な国民からいつも「成果」を求められていました。そして凶弾に倒れたあと、「国葬」がすぐに決まりました。「国葬」は国民からの惜別の情と「成果」の報酬だったのでしょう。

 「国葬」の是非をめぐる議論はほとんど進みませんでした。ある種のデュープロセスを私たちは欠いたのかもしれません。

 ドラマ「アンチヒーロー」は、そのことを深く教えてくれています。(了)

 

 

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