SNS中毒に解毒剤はあるのか-2024/5/20-

・SNS中毒になって幾千年。今日も貪るように毒にも薬にもならぬ情報が流れていく。不毛なやり取りを見ている時間があれば本を読んだり勉強をしたりしなさいと自分自身に何度言い聞かせたろう。


・色々なSNSを見ている。主に見ているのはインスタグラム。こう言っちゃあなんだけどそんなに面白くはない。なんだか「表」とか「浅瀬」を見ているという感じがする。自分もインスタはよく投稿するがその「表」の部分を出している気がする。これはそれが悪いとか良いとかの話ではなくインスタの特徴がそんな感じがするという話。別に見せたいものを見せたい時に見せたい人に見せればいい。


・厄介なのがX(旧Twitter)。このSNSは自分は魔境だと思っている。人の良い部分、汚い部分が混ざった混沌とした世界がXにある。まるで本当に世界はこうなのかと錯覚させられるみたい。そういう嫌なリアルがXではゴミのように流れていくもんだからもう脳が麻痺してしまって画面をスワイプする手を止められない。醜い争いを見るのをやめられない。本当に麻薬と遜色がない。助けてくれ~。止めてくれ~。

・そんなSNSを何で辞めないのかというと、暗闇の中に輝く光みたいなものを時々見つけてしまうから。心が惹かれたり、めちゃくちゃ面白いと感じたり、感動したりする投稿を見つけてしまう。そうなるとXを辞める理由がなくなってしまう。

・自分がいいな~と思うポストをいいねをしておいて、忘れたころに自分の過去にいいねしたポスト見返すのが好きで、いいねしたポストによってその時の自分の気分とか状況が反映されているなぁとちょっとした日記ではないけど過去の自分を観測している感じになる。

・この日記の内容も割とXで見たポストから影響を受けたものもある。単純な性格なので他者から影響を受けやすい。これは自分の良いところであり悪いところだと思っている。

・このいいなと思った部分だけを見ていればいいのに人は不思議なもので醜い部分も欲してしまうのだ。恐らくそれで精神のバランスを取っているのかもしれない。そしてそれが見えてしまうのがX。インスタにはない部分。

・最近はXを見すぎないように自分が設定した時間になると強制的にXが閉じるという時間管理のアプリをXと紐付けている。これが結構よくて強制的にアプリが閉じたと再度Xを開く作業がちょっと面倒くさくなっている。この面倒くささで「やっぱりやめるか」という気持ちにさせてくれる。なので最近はXを見る時間が減ってきている気がする。ちなみにこのアプリです。名前がいいよね。


・きっとSNSを見なくなる日は来ないだろうと思っている。寧ろ生活の一部になってきていると言っても過言ではない。実際SNSで生活している人もいるわけだし。SNSのこと(特にX)を結構悪く書いてしまったが大事なのはSNSとの距離感だと思っていて、近すぎる(ハマりすぎる)のは当たり前だけど良くない。現実が消えるので。自分は少し傍観するくらいの距離がいいんじゃないかなと思う。観客席でステージを見ている感じ。このくらいの距離を保っていきたいものですねSNS。そうだろSNS。

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