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52歳 バツ2男と高校野球(その3)

52歳 バツ2男 2回目の離婚を機に新しいことにチャレンジしたい
と言う思いからユーチューブで自分のチャンネルを開設!!
好きなアニメのシーンを刺繡する動画配信を公開中!!!
次にnoteを始める!
「文章を書くと人は成長できる!」と言う言葉を信じて
こんなダメダメ50代男でも成長できるのか?
只今絶賛 実践中!!!


前回からの続き・・・
1年生の夏休み、3年生が抜けて
1,2年生で作る新チーム!

背が小さく、打力のない僕が奇跡的にベンチ入りのメンバーに
入ることができた
その要因は「守備力と足」
特に監督が期待してくれていたのは「足」だと思う

試合の終盤に僕の出番はやってくる
2塁にランナーが生きれば「代走」の指令がでる

プロ野球とは違い、高校野球では2塁ベース上がらワンヒットでホームまで
帰ってくることは、なかなか難しい

でも僕なら帰ってこれる!
たとえレフト前でも帰ってこれる!

自信はあったし、なんと言っても覚悟があった!
なぜなら 「これが俺の生きる道」と思っていたから

これができなければ、俺はベンチから外される と思っていた・・・
実際、守備要因としてならば僕以外でも、うまい選手はいる

しかし・・・前回でも言った通り
ベースランニングは技術の一つ、ただ足が速いだけではダメ!


まず、相手 内、外野の守備位置の確認!
(外野の守備位置の確認は、当たり前なのだが・・・
  必ず内野の守備も確認する・・・もし内野ゴロの場合、
  (サード、ショートゴロの時)3塁に行けるのか?の判断材料のため)
次に打った打球によっての判断、
(クリーンヒットなのか、ボテボテで抜けるのか、ハーフライナーなのか
   ポップフライなのか、(フライでも方向によってタッチアップで
    3塁にいける)打球によって走り方が全く変わってくる)
次にベースランニング、
 いかにトップスピードで駆け抜けるかがポイント!
 抜けたと思った瞬間、3塁にベース手前で少し ふくらみをもたせるか
  のごとく回り込むように入り3塁ベースの内側の角を右足(外側)で
   けって、そこで一気に重心を回転させ、ライン上に沿って最短距離で   
    ホームへ(3塁ベースの内側を左足(内側)でけった方がよさそう  
    だが経験上それだと速度が落ちスピードがのらなかった)
最後にスライディング、
 昔はガッチリ、ホームベース上をブロックしていた時代なので
 小柄な僕は体をそらすように滑りこみ手だけをホームにタッチする
(ホームは、なるべくヘッドスライディングを心掛けていました!
  ホームのヘッドスライディングこそ高校野球の醍醐味!
   僕にとっては最大の見せ場!派手に行きたいと
   常々 思っていました)

と、これが僕が2塁ベース上からホームインするまでの一連の流れ・・・

でも、相手チームの外野手の肩がめちゃめちゃ強かったり、
外野手が極端な前進守備を敷いてきた時には、さすがに
ワンヒットでは帰れない(1点勝負の試合はよくある守備陣形)

でも、それでもいいのだ・・・
僕が3塁ランナーであれば得点の確率は上がる!

いくら内野が前進守備を敷いても
基本、俺は全てゴロGO!!!(ゴロ打球は全部ホームへスタート)
浅い外野フライもタッチアップ!
ファールフライも難しい場所でのキャッチングならタッチアップ!

とにかくホームへ走る!余計なことは考えない!
  頭の中は常にシンプルに!
  迷えば、緊張するし、一歩が遅れる

そもそもランナーをタッチアウトにすることは、かなり難しい!
それは守備をしていて身をもって理解をしている
特にランナーが3塁ベース上にいる時は、一つのミスが得点に結びついてしまう、それだけで守っている野手全員に、かなりのプレッシャーが
かかっている・・・

まずバッターが打った打球をしっかり捕らなくてはならない
 (エラーできない、と言うプレッシャーは かなりのもの)
そして走るランナーを視界にいれながらホームへ投げなければならない
 (送球がそれることは許されない)
 (ランナーが視界に入ると、慌ててしまうことを俺は知っている)


キャッチャーは走ってくるランナーの圧を感じながら、送球をキャッチし
タッチしなければならない(捕球ミスは許されないし、タッチの衝撃で
ボールがミットからこぼれてもいけない)
(昔は激突してくるプレーも普通だったので恐怖もあっただろう)

野手はミスのゆるされないプレーをいくつもクリアーしなければ
アウトにできないのに対し

その点ランナーは
スタートを見極めてホームへ走るだけ!

だから僕はいつも3塁ベース上にいる時は・・・
「自信をもて!俺の方が有利!俺の方が有利
   俺の方はシンプルなんだ!走るだけなんだ!」
  「だから必ずホームインできる!」
と言い聞かせながら塁上にいた・・・

大きな大会、練習試合、関係なく大事な場面で
代走に出たり、守備についたり、と言う経験は
とても大きなものだった・・・
先発で試合に出るということはなかなかなかったが
ベンチから観る試合は、とても勉強になるし・・・
なんと言っても、この限られたメンバーの中に自分が居る
と言う現実がとても嬉しかった!

そして、こんな自分を選んでくれた監督に感謝していた

監督のあだ名は「ヤン」
なぜ「ヤン」と呼ばれているのかは知らない
監督の名前から「ヤン」のフレーズはない
先輩が呼んでいるのを僕らも受け継いでいるだけだが・・・
(もちろん監督は知らないだろうし僕らの間だけで「ヤン」と言っている)

ヤンは細身でメガネを掛け、
一見は・・・知的な戦略家と言う感じだ(体育教師)
ピッチャーをやっていたらしい
ミーティングや練習の指示とかも短い言葉で的確に話す
練習中は、ほぼ無言・・・
椅子に座り、眼鏡を光らせ、じっと練習をみている
(なんとなく冷酷な感じ)

僕らがまだ、グランドの端っこで筋トレ&走りっぱなしのメニュー
をゲロ吐きながらこなしている時に
遠目で・・・椅子に座って練習を見守る監督を見て
「ちくしょう~!こんな練習ばかりやらせやがって!」
「あいつの眼鏡には俺達なんかこれっぽっちも写ってないンだろうなっ!」
「ちくしょう~」
「今に見てろ、必ずあいつから認められる選手になってやる」
・・・と強がりに そう思っていた

そしてヤンの特徴・・・「試合中、選手をほめない」

どんなにいいバッティングをしようが・・・
どんなにすごいホームランを打とうが・・・
どんなにいいピッチングをしようが・・・
どんなに素晴らしい守備をしようが・・・

ヤンは全くほめません

さも当然のごとく表情を変えず、冷静に戦況を見守る感じで
じっと座っている

いつも静かならいいのですが・・・
実は激昂タイプの監督で・・・・

自分の意にそぐわない、プレーをした時には
烈火のごとく怒ります!!!めっちゃ怒ります!!!
ハッキリ言って試合中は、この監督の方が圧倒的に多い
(静かな時は機嫌がいいと判断します)

ヤンの嫌いなプレーは・・・(どの監督も一緒だと思うが)

消極的なプレー・・・ゴロを待って捕ったり、譲りあってエラーしたり
判断ミス・・・無理な進塁(暴走)、カバーの遅れ、フィルダースチョイス
ボール球に手を出す・・・、見送りの三振・・・
意味のない四球・・・、配球ミス・・・(キャッチャーめっちゃ怒られる)

まだ入部して間もない頃、練習試合はファールボールを取りに行く
ためにグランドの外で試合を観ていると言いましたが
たまたま我が校のベンチ側になった時、
監督が先輩たちにめっちゃくちゃにキレてるのを見て
「うちの監督・・・こわっ!」っと思った

僕自身も、かなり怒られた方だ!
ベンチ入りを外されこともある・・・

遠征試合にも連れて行ってもらえて
チャンスで代走に出してもらいながら、けん制でタッチアウト!!!
これでもか って!いくらい、けちょんけちょんに怒られた!
さすがに悔しくて、情けなくて泣いた
その場ですぐベンチ横で試合が終わるまで正座・・・
(今ではいい思い出)

でも不思議なことにヤンを嫌いになったり、恨んだりはない・・・

よく怒られはしたが・・・理不尽な怒れかたがなかったからだろう
            (監督が手を出すってこともなかった)
みんな各々が(ぼくも含め)ミスって怒られたことに納得して
いたからだと思う・・・

すぐ怒るくせに、ほめねぇ~し・・・なんだコイツ
とは思うのだが、ほめられなくても、表情で分るのでです・・・
あ~監督喜んでるなーとか、今のプレー監督が好きなヤツだよなっとか
勝っても特に嬉しいそうな顔とかしないのだが・・・


俺達は知っている
俺達の見えないところで、父兄の方々や試合関係者に満面な笑顔で
自分のチームを自慢していること・・・
だから俺達は勝ちたい!勝ってヤンが
喜びを押し殺して、平然を装う表情を見ていたい・・・

しかしヤンは徐々に練習に顔を見せなくなる

うちの野球部にコーチはいない・・・
指導者はヤン一人だ
投手も野手も全てヤンが見る
当然ノックもヤンが一人でやる
今考えれば、すごいことだ・・・

地獄のノック・・・泥だらけになりながら
          ぶっ倒れるまでヤンのノックを受ける

ヤンはノックがうまい!
捕れるか、捕れないかの微妙なコースをガンガンうってくる

ダイブしてやっと捕ったと思うと、すぐ逆方向に
次の打球を打ってくる

野手全員に対してヤン一人でやるのだから
恐ろしい程の体力だ・・・

週末の休みもなければ
夏休みもない・・・

監督は大変だ

ヤンが休みがちになった・・・


理由は・・・「腰痛」!!!


かなりヒドイ状態だったらしくドクターストップがかかったらしい

それでも無理をして練習を見守っていた

ヤンの替わりにノッカーとして先輩がノックをするようになったのだが
先輩のノックでは練習にはならない・・・

そしてヤンは・・・とうとう入院してしまった


秋季大会あとの入院だったので、もう試合はなく
野球部の活動に影響はない
  (監督もこのタイミングでの入院を考えていたのだろう)

しばらくして、1年生でお見舞いに行くことにした・・・
全員で病室に押し掛けるわけにはいかないので
僕を含め5人で行くことになった

ヤンは練習の時とは、うって変わって満面な笑みで迎えてくれた
よほど嬉しかったのか、心配をさせないための笑顔だったのか
わからないが、こんなに笑顔なヤンを見るのは初めてだったので
(いつもは無表情か、怒っている顔しかみたことがない)
逆にこっちがビックリして次の言葉が出てこなかったのを覚えている・・・

ヤンの姿は腰を動かないように固定されているらしく
子供の僕らから見ても何とも痛々しい感じだった
それでもヤンは、冗談を交えながら笑顔で色々な話をしてくれた
僕の頭の中のイメージ図では・・・
ベッドの上でも無表情で「あの時のあのプレーはダメだ」とか
「あの場面ではこう攻めろ」とか「冬場はここを鍛えろ」とか
厳しいこと言われるのだろうな・・・と思っていたので
全く拍子抜けしてしまった・・・
この時ばかりは監督と言うより、先生だった気がする・・・

そして、ますますヤンのことが好きになり

「よし!絶対 ヤンと一緒に甲子園にいく!!!」

と強く思った・・・


やがて ヤンも無事に退院し監督に復帰!!
(やはりノックはできない)

僕達も晴れて2年生に進級!!!

元プロ野球選手(ヤクルト)宮本慎也さんが
ユーチューブの番組内で
「今までの野球人生の中で1番嬉しかったことは?」の
質問に対し宮本さんの答えは、なんと・・・

「PL学園で1年生から2年生になった時」・・・!

甲子園にも出場し、大学でも野球をし、社会人野球も経験し
プロになり、数々の熱い勝負で、しのぎを削り、
リーグ優勝、日本一を成し遂げ、日本代表の主将としても
活躍した・・・そんな宮本さんの
野球人生で1番嬉しかったとき・・・の答え・・・

めっちゃ納得・・・

高校野球にはこんな言葉がある

「3年神様 2年平民 1年ゴミ」・・・

僕達も、ようやくゴミから平民に昇格した

そして更に季節はめぐり・・・

2年、夏・・・

背番号「14」を付けベンチ入りを見事に果たし
挑んだ甲子園予選は優勝候補に1歩及ばず敗退・・・

しかし

いよいよ俺達のチームで甲子園に挑む時がくる・・・

         つづく・・・


最初の写真は僕の刺繡6作品目
「僕のヒーローアカデミア」から
緑谷出久とオールマイトの2ショットを刺繡しました

ユーチューブの動画内でも言ったのですが、下絵を描くのに
めっちゃくちゃ苦労しました
布に絵を描くとこはお思いのほか難しく時間がかかりました
とてもいい作品ができましたので
ぜひご覧ください

今、ハマっている「ヒロアカ」を刺繡することができとても
嬉しく思います

よろしければチャンネル登録、高評価
      よろしくお願いいたします。

これからも52歳 バツ2男・・・
幸せになるために楽しく生きてまいります

同じ境遇かた、もしくは・・・
   共感してくださる50代のかた・・・

一緒に頑張りましょう!!!

               

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