見出し画像

私と嫁の間に「当たり前」はないという話。

当たり前という言葉がある。

言い換えれば当然、あるべき様、普通といった事になる。

この地球においては林檎は木から落ちるが、決してその逆は起こらない。

これが覆らない事象であることは明白であろう。当たり前だ。

しかしその「当たり前」という感情を、しばしば私たち人間は「当たり前ではないもの」に向けてしまっていることが多いのではないだろうか?

私もいい歳だ。結婚した友人や知り合いも周りにいるし、SNSでは結婚生活を綴ったものが星の数ほど見受けられる。

そうした人の話やタイムライン上を流れる文章では、しばしば愚痴や決して表には出せないであろうことがたくさん聞こえてくる。

モラハラ行いその小さな自尊心を満たした気になる者や、自分の勝手な理屈で浮気をする者もいる。

理由は人それぞれあれど、そのうちの一つに「一緒にいることが当たり前」と思っていることがあるのではないかと感じずにはいられないのだ。

それこそ当たり前だが、人にはそれぞれの人生がある。その中でその人が何をしようと、基本的に他者がコントロールできるものではない。二人でいることはお互いが選んだことだし、やろうと思えば反故にすることだってできるのである。

私は嫁と出会い、結ばれてから今日まで、「一緒にいることが当たり前」などと思ったことは一度たりともない。

明日嫁が愛想を尽かすかもしれないし、私が轢かれて死ぬかもしれない。

そうでなくても瞬きほどの人の一生の中で、貴重な時間の大半を私と共にいることを選んでくれた嫁に対して感謝こそすれど不満に思うことはない。

勿論私も嫁も100%ではない。意見が違う時もあれば情緒や体調が優れないこともある。そんな時にでもなるべくお互いを尊重し、大切にしあうことができていると思っている。

私も嫁も人間だ。生き方や好みや価値観、様々なことが違う。そもそも男と女だ。体の作りからホルモンの分泌量なども全く違う。

そんな中で互いに認め合い、日々を幸せに生きている。

だから私は嫁に毎日できることはなんでもしている。決して彼女に家事を丸投げなどと言ったことはしない。そもそも共働きだ。好きなことを仕事にする彼女は輝いている。とても眩しい。その姿を見続けたいから支えていきたいと思うばかりである。

彼女が毎日微笑み、共に歩んでくれることを当たり前だと思わないからこそ、私は彼女の為に何かすることが幸せだと思えるし、それを維持していけていると感じる。

日々の中でいつの間にか「当たり前」だと思うようになった小さいようで尊い幸せ。

忙しない世の中で忘れてしまうこともあるけれど、少し立ち止まってみて思い返せれば、意外と人生は幸せなことで溢れているのではないだろうか?

それは恋愛でも結婚生活でも同じことである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?