『結婚/毒 コペンハーゲン三部作』を読んで

トーヴェ・ディトレウセン/枇谷玲子訳 みすず書房 2023年

始めの数ページはやや詩的な独特な文章にとまどったものの、慣れるとともに引き込まれ、一気に読んでしまった。この本はある「普通」の女性の半生を語った本である。時を超えて、語られる物語にはトーヴェの息づかいを隣に感じ、彼女と自分が同化していく。

実際、インタビュー映像の中のトーヴェは、ごくごく普通のデンマーク人女性に見える。晩年の彼女はどこにでもいるデンマーク人のおばあちゃんだ。


第二次世界大戦以前のデンマークでドイツ・ヒトラーの陰の色濃い社会下に幼少から少女時代を送り、貧困家庭だったために高校に進めなかったけれど、詩への憧れと才能を持ちながら、異性を意識し、社会の壁にぶつかって生きている、一人の若い女性の姿が「子ども時代」と「青春時代」の章で描かれる。 

父親の失業や家庭不和、冷たい母との葛藤に悩む姿は、誰しも何らかの家族との悩みがあり、自分と重ねる者も多いだろう。私もところどころ自分の子ども時代や若かったときのことを思い出し、トーヴェは自分だと錯覚した。職場での失敗、アルコール、異性との駆け引きやときめきや絶望、女友達の恋人との話にあれこれ思うなど、若いときには誰もが経験することだ。時代を超えて、女性はトーヴェをどこか自分と重ねて読む。デンマークではトーヴェが存命当時からよく知られており、彼女の作品や週刊誌「ファミリー・ジャーナル」の相談コーナーを通して、共感され、評価され、人気があった。

しかし、彼女が成功した人間であったことと、途中から薬物依存やアルコール問題で苦しんだこと、4度の結婚と4度の離婚で、他の人よりも複雑で陰の深い人生となってしまった。この本は、最後のヴィクターの結婚によりようやく安定した幸せを得たところで終わっているが、お互いに異性問題なども抱え、1973年に最後の離婚をしてからは、自殺未遂をし、トーヴェは58歳という早い人生の終焉を迎えることになる。

この回想録には時代的背景として、男性上位社会、家父長制社会が描かれている。1968年の若者の蜂起、1971年のデンマークにおける女性解放運動「レッドストッキング」以前のデンマーク社会であり、トーヴェの生きた時代はちょうど女性達が現代の男性と平等な地位を得ようとしていた時代である。デンマークがそう昔から現代のような平等な社会ではなかったことをこの本は教えてくれる。

また、妊娠中絶が違法であった時代に、エッベとの第2子を堕胎しようとしたときのトーヴェの苦悶の描写は、読んでいて本当に辛く、1973年の妊娠人工中絶の承認前の女性の身体的・精神的苦痛を目の当たりにする箇所である。


この本の根底に哀しみを感じるのは、常に女性が誰かの付属物であった、ということである。親の、恋人の、夫の付属物であり、女性は常に他者のために生きている。トーヴェも母親に「良い」結婚をすることを常に示唆されており、「ごくありふれた普通の家族に」なろうとし、彼女の4度の結婚は他の男性が現れることでダメになり、しかも結婚に切れ間がないことに驚いてしまう。1960年代まではデンマークもそのような結婚に頼り、家庭内は男性優位であったが、世界の女性運動の風潮とともに、不況と人手不足が相まって、1970年代にデンマーク社会は一気に転換し、現代デンマーク社会で、女性が男性の付属物であるという考え方はない。それでもジェンダー問題はあちこちで消えることは決してなく、それゆえ、この作品に近年また注目が高まり、共感が寄せられるのであろう。ぜひ多くの方に読んでみていただきたい作品である。


Tove Ditlevsen トーヴェ・ディトレウセン (1917-1976)

詩人、小説家。
ヴェスタブロ地区の労働者階級の家庭で生まれる。中学卒業後の14歳より働き始める1937年に初めて文芸誌に詩が掲載され、以来、数々の小説などを発表し、短編小説、小説、詩、回想録を含む 29 冊の本を出版し、多くの文学賞を受賞する。

一方、『Flugten fra opvasken』 (1956 年)などのエッセイ集に掲載された広範なジャーナリズム活動と、1956年から亡くなるまで、週刊誌「ファミリー・ジャーナルFamilie Journalen」のレターボックスの編集も担当し、何千人もの真剣に悩む若い女性にアドバイスをし、当時の女性の議論に対する彼女の最も重要な貢献、つまり稼ぎ手の結婚に対する批判の素材を提供するなど、女性の役割に関する 1970 年代の大きな議論を先取りしていた。

1945年に結婚したカールにより薬物中毒に陥り、生涯、薬物とアルコールと闘っていた。

1976年3月7日に58歳で自殺。



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