轟洋介のオタク、HiGH&LOWへの感謝を大いに語る①
①人は皆いつかHiGH&LOWを知る。
2016年に公開された「HiGH&LOW THE MOVIE」でHiGH&LOWを知った。
きっかけはただたただ演者が「ハイアンドロー」というだけのCMだ。内容の紹介は一切なかった。一見さんお断りすぎるEXILEの世界が、強烈な印象を残した。
それなのに2016年の夏には海外旅行中で家をあけていた友人の家に集まり、同士と朝までHiGH&LOW(ドラマ版シーズン1)を繰り返して見ていた。気がついたら朝だった、という夜が繰り返された。いくらなんでもおかしかった。麻薬的な魅力だ。何度も見た。
HiGH&LOWがそのころの我々に与えたものもやはり驚愕だったに違いない。
こんなにも金をかけて、こんなにもマジで、こんなにもバカなことをやっている。
それはあらゆるコンテンツから日々切り捨てられていたものだった。
例えば、イケメン俳優を長時間拘束して危険なアクションをやらせるよりも、恋愛映画の主演をやらせるほうが時間もかからずウケるし稼げる。危険もないし、関係者全員がHAPPYである。
例えば、5つの地区が争っているような企画があれば、たぶん普通なら「まずは山王だけのお話にしませんか? そうですね、もちろん人気が出たら次のチームも…」といった大人の都合で企画はどんどんスケールダウンする。
アベンジャーズでさえ最初は『アイアンマン』からはじまった。
だがHiGH&LOWは違う。
最初からSWORD地区のすべてが、複雑怪奇な過去までもを含めて存在していた。神が化石ごと世界を創ったように。
あまりにもリッチだ。
おそらく、企画段階から削いだ部分はほとんどないのであろう。最初から、溢れ出している。「もう普通に説明したんじゃ時間が足りないから、一気に説明するね!」と立木文彦がしゃべりだす。地図が光る。それぞれの地区が紹介される。あまりにも複雑であり、かえって統率が取れていた。曲が流れ映像が映る。めちゃくちゃにイケてる強そうなチームばかりだ。あからさまな手抜きチームもない。衣装もすごい。演者もすごい。だれが一番かっこいい?どこが最強か?どの曲が好きか?考えるのが追いつかないほどのスピード感だ。考えるのをやめよう。そうでなければ処理しきれない密度なのだ。
ドラマも映画もすべては要するには同じことだった。「これ、いいね」と思ったことがすべて検閲なしに詰め込まれている。あまりにも味が濃い。解像度が高い。尺が足りない。
あきらかに『LDHのスターたちを売り出すための大型企画』という商売であると理解できるにも関わらず、誰かの夢の中に迷い込んだような不可思議な感覚だ。同時に異様なまでのリアルを感じる。
このひとたちはこれをカッコいいと思ってガチで作っている。そして考えたものをそのまま一切の検閲も妥協なく作っている。脳直だ。金が実現させた脳直映画だ。
これが"フェイクじゃない”ということなのか。
HiGH&LOWと出会ってしまったのだ。
雷に撃たれたような衝撃である。
幾たびものHiGH&LOWとの夜を越え、筆者もまたHiGH&LOWの前でだけは嘘はつけないと悟ったのだった。
②HiGH&LOWはいつも最高、しかし筆者はいつも(今も)最悪。
HiGH&LOWのオタクにとっては常識になりつつあるが、あえて今書こう。
HiGH&LOWがなぜこれほど魅力的だったのか?という問いへの答えのひとつに「オタクが作っていないから」ということがある。
オタクとヤンキーがまったく別の階段から登ってきて、ばったり踊り場で出会ったような作品がHiGH&LOWだ。
オタクもヤンキーもこれは"絶対”好きなんだ。
だけど今まで通ってきた道が違いすぎて、なんでこれが好きかの理由もまったく違うし、ときにはまるで意図が汲み取れないこともある。カッコよさへの感性も違う。
例えばICEに『音楽とファッションで世界を変えたい』といわれても、ほぼ毎日をUNIQLOのみですごし音楽を一切きかない筆者には想像もつかない。絶対に出てこない発想だ。ワクワクする。
音楽と!ファッションで!世界を変える!
黒魔術とインターネットではなく?
話はさらに核心に迫るが、HiGH&LOWのような検閲のない脳直映画には、当然配慮もない。それはときに残酷なほどだ。
たとえば、HiGH&LOWの世界はヤンキーが雑に創造しているので、いじめに無頓着だ。
山王商店街での蟹男や縦笛小沢への扱いは典型的ないじめの描写だと思うのだが、イケてる主人公チームの楽しいお話として披露される。「あいつ小学校のとき女子の縦笛なめてから縦笛小沢っていわれてるんだよ~ウケる~!」と何年でも言われ続ける。田舎は地獄だ。(注1)
そしてどうやらHiGH&LOWの世界では、ランクに関わらず大学に行く人間はだいたい鼻にかけるらしい(それなのに鼻にかけないノボルはなんという善人であろう…!という噂で山王ではもちきりだ)。そんな人間ばかりが通うだけあって、この世界の大学はまあまあヤバい場所だ。大学のサークルのゼミはDOUBT顔負けのレイパー集団である。ノボルもミホもあんな場所に足を踏み入れなければ悲劇は起こらなかった。
HiGH&LOWの世界では、ブスを彼女に持つことが何よりも面白いギャグである。誰かと誰か(何か)の顔が似ていることについて語るのは、絶対ウケる。とてもギャグセンが高い。
喧嘩においても、独特の文脈がある。
HiGH&LOWの世界では武器をつかうことは「巨悪」である。
車のトラックに鉄パイプや角材が積んであればそれはその軍団が「すごい悪いヤツ」であることの表現であり、抗争にガラスビンを持ち込むことは「ひとつの終焉」とまで言われるほど圧倒的な悪事なのだ…(ちなみに、勘違いしてはならないが、その場所に置いてあるものを即座に手にして戦うのは「武器」ではなく「知恵」なので罪ではない!)(※注3)
そしてもっとも大切なことを忘れてはならない。彼らは拳で語り合うのである。
言葉は不要だ。
言葉だけを何度も咀嚼していても、まったく意味がわからないこともある。だが、男たちは、拳をあわせたあとは不思議にさわやかな顔をして、戦場を去っていくのだ。頻繁に、筆者には理解がおいつかず「今のやり取りの意味ってなに?」などと言葉の表面ばかりをおいかけてしまうのだが、そうではない。
HiGH&LOWは言葉ではなく拳で、心で、回る世界なのだ。
心といえば…HiGH&LOWの世界では、郷土愛も大切だ。「俺たちが生まれた土地」を大切にする。幼馴染を大切にする。おそらく、彼らは生まれた土地でヤンチャをし、いずれは卒業し、愛する土地で愛する家族・仲間たちと永久に過ごすことを最上の未来としている。
この圧倒的な迫力をもった世界よ。
マイルドヤンキーたちの世界よ。
筆者が嫌悪し脱落した多様性なき世界そのものである。
製作陣にはスクールカーストの高かった・マイルドヤンキー的価値観を持つ・リア充・男しかいないに違いない! 見れば見るほど確信を得る思いだ。
しかし間違ってほしくないのだが、筆者はHiGH&LOWのこういうところがむしろ好きだ。さらに正確に言うなら、大好きだ。
これもHiGH&LOWが相手だからこそ特別に言うのだが、むしろここまであけすけに見せてくれた率直な姿に、親愛の情さえ持っている。2016年にもなって、本当に売りたいなら多少は隠すであろうところまで。これは見下して言うのではない。
筆者にとっては非常に重要なことだ。
これほどあっけらかんと語ってくれたからこそ信頼が成立したものだとも感じている。
お互い多様性を認め合うべきだし、差別的な偏見はないにこしたことはないのかもしれない。しかしこれほど筆者を拒む世界、それが本当にHiGH&LOWから見えてる景色なら仕方ない。お互い生きていて世界を解釈して創造している。そしてなにより、HiGH&LOW自身が思ってもいないような嘘を見せられるより1億倍マシである。
パンツを下ろさないことにははじまらないのがクリエイターだ。
それにいまさらの懺悔にはなるが、筋金入りのオタクである筆者はこれまでリア充をどれほど疎外し馬鹿にしてきたか知れないし、多くのオタクたちもリア充を馬鹿にしてきたか、ないしは馬鹿にした作品に触れてきたことは間違いない。それに『EXILE』をある種に悪口として使ってきた。このことがHiGH&LOWを悲しませたり傷つけたりしてきたかもしれない。だからある意味ではお互い様だ。
それにもっと謝らなければいけないことがある。
リア充の、EXILEの考えるファンタジーの強度など、まったく信じていなかった。
HiGH&LOWには本気で謝らなければならない。
お前のことを、馬鹿だと思っていた。
それがどうだ。
このファンタジーの強度はすごい。オタクが現実逃避に幻想を材料に創る重厚な幻想異世界とはまるでベクトルが違う。しゃれた服、趣味のいい音楽、かっこいいバイク、明るく"強い”立ち居振る舞い…『カッコよさ』のディティールが桁違いだ。それもそのはずである。
HiGH&LOWは、HiGH&LOW自身がこれまで触れてきた、手近にある、ありあわせのもので作られているのだから。ありあわせのレベルが高すぎる。冷蔵庫にフォアグラとシャンパンが入っている。異常なまでの強度がある。(注2)
それでいて、世界観や設定は、もうとうにオタクが捨てたもの、でもオタクたちがかつてもっとも好きだったなものばかりが満載ではないか。
それぞれの名前は違えど、かつてSWORD地区を想像しなかったオタクはいない。
みんな自由帳に描き、リレー漫画をし、小説を書き、イラストを描き、おのおののSWORD地区をかつては脳内にもっていたのではないか?
その夢の王国がここにある。
その名がHiGH&LOWなのである。
③轟洋介はいつも『最高』、しかし時に人は『最高』を見過ごす。
話は本題に、つまり轟洋介の話に入る。
そういった作品なので、どのメインキャラクターも当然ながらスクールカースト上位者であり・マイルドヤンキーであり・リア充である。
男らしく、無神経で、故郷・仲間・家族といった自らの運命を愛し、運命に縛られ、イケメンで、おしゃれで、ぎらぎらと輝いている。男根感がある。
意外に思われるかもしれないが、HiGH&LOWにおいてはキャラクターのパターンは案外少ない。ことにヒールに関しては「狂気のムショ帰り」なんかが人気の設定だ。
オタク向けのコンテンツによくあるような、「生き別れの親を殺すために旅している日本刀をもった中性的な美少年」「眼鏡のインテリで爆発物の専門家・皮肉屋」「一見普通のニコニコしたスーツのおじさんがカンフーの使い手」みたいなカッコよさのキャラクターはいない。
そんな中で、轟洋介はさほど際立ったキャラクターではない。
あんなにガチなご配慮をいただいた映画を作っていただき楽しませていただいたのだから、こっちも本音で書くのが筋というものだろう。Twitterでは決していえないが、もはや筆者とHiGH&LOWの間には薄っぺらいお世辞は必要ないと信じている。
はっきりいって筆者は「オタクの文脈で読み解けてしまう」ように見える轟洋介が嫌いだった。HiGH&LOW自身もまた心のどこかではそう思っていたのではないか?
村山はドラマ放映時からとても人気があったので、さらに盛り上げていくべく「黒髪インテリヤンキー眼鏡クン(眼鏡クイッ)(参謀役)」を鬼邪高校は補強したんだな、くらいに思っていた。
これは完全にオタクにも理解できる発想で、それゆえに魅力も感じなかった。
HiGH&LOW、わるいけどな、轟洋介はオタクのほうがうまく作れるキャラクターだよ。そのキャラ、筆者も考えたよ。その上このキャラは漫画のほうがうまくいくだろうよ……。
…しかし、これらの愚かな思い違いは、これまでのオタク生活で自分が見てきたものからキャラクターを類型化して誤解していたにすぎない。
自慢ではないが、筆者はオタクとして経験が豊富だ。オタクすぎたのだ。
中高年にはよくあることで、経験がマイナスの結果を導いていた。オタクとしての知識が招いた誤解、ドグマにとらわれていたのである。
ある日、いつものように友人の家に集まりHiGH&LOWを見ていた。
HiGH&LOWに、もうひとつ懺悔をしなければいけないことがある。
本当のことをいえば、シーズン2のエピソード7&8鬼邪高校のエピソードはいつもスキップしていた。見なくてもまあ話はつながるし、シーズン2そのものが(日向やスモーキーが登場しないので)地味な印象で、ドラマのシーズン1ばかりを繰り返し見ていた。(注4)
スモーキーの「だったらお前は助からない」口上の意味を語らったり、日向の人肉咀嚼、無名街からのシオン追放あたりがお気に入りだった。繰り返し見たことをよく覚えている。
しかし奇跡のような映像だ。
後にインタビューで創造神HIROが『クオリティーが高い映像を作れば、映画の回想シーンでもなんでも、何回こすってもかっこいいままなんです。それは間違ってなかったなと思います』と述べているのだが、実際、何度見てもカッコいいままである!
普通は少しづつ磨り減っていくのだが、見ても見ても、九十九さんは、琥珀さんは、スモーキーはかっこいい! 奇跡のようだ、ではなく奇跡だった。これこそ濃度のなせる技であり、並大抵のことでは希釈されていかず、一重に金の力でなされた奇跡である。Money is powerである。
そんな中で、何のきっかけであったか、しゃべりながらシーズン2のエピソード7&8を見いてた。
この話、街を爆破するとか人肉を咀嚼するとか内臓置いてけとかいっている傍らで、まず轟洋介の『カツアゲされるのが嫌で体を鍛えヤンキーに復讐している』という地に足のついた語り口に驚く。
どう考えても同じ雑誌に載る話ではないだろうというくらい毛色が違うのに、同じ雑誌どころか同じ作品の中でこれをつめこむのがHiGH&LOWだ。HiGH&LOWの基本方針は全部盛りである。
その上、轟洋介には『いじめられていたときに颯爽と鬼邪高校生に助けられ、憧れから転校してきた』というようなわかりやすい導入ドラマもない。
実は、これはHiGH&LOWではかなり珍しい事例だ。
このドラマでは、ほぼ全てのキャラクターが、登場時からしっかりとSWORD地区内に根をはっている。土着の人間たちが主だ。そうでなくても、ツワモノだという噂が先行していたり、昔の知り合いがいたりする。一見孤立した孤独なキャラクターにも好敵手はいる。『SWORD生まれのHIPHOP育ち悪そな奴は大体友達』を地で行く世界だ。
轟のようなタイプのキャラクターはHiGH&LOWでは珍しいのだが、かといって、オタクがテンプレートとして理解している上述の「黒髪インテリヤンキー眼鏡クン」でもないことに驚かされる。優等生風ルックスに反して、知的なアピールがセリフも仕草もまったくない。むしろ定時制と全日制を間違えて転校してきてしまうおっちょこちょいだ。加えてシーズン2時点では、ひたすら上昇志向が強く、陰湿・卑怯で暴力的な男として描かれる。
全くバックグラウンドがなく、土地にも関係がなくて、この世界に知り合いもいない。目的はあるが、それは他者とつながりを持つもの(例えば、誰かの復讐や、誰かへの憧れ)ではない。
しかも目標は『SWORDのテッペンをとること』らしい。
一個人(高校生)がSWORDのテッペンをとりたがっていることに驚くではないか。この風変わりなキャラクターはいったい何なんだ…。
筆者も、筆者の二人の友人も、最初は轟洋介を咀嚼することはできなかった。こんな目標を口にさせれば、今後このキャラクターが使いにくくなるのは明白である。次の鬼邪高校のアタマ候補なのだろうか?
しかしその日の夜、これが何を意味するのか、筆者はなんの前触れもなく気がついたのである。たびたび見過ごし続けてきた轟洋介が意味している概念についに触れ得たのだ。
目から鱗とはこのことであった。
SWORD育ちではない・悪そうではない・全然知り合いもいない。
これはただの新しい「強い男」の出現ではない。新しい価値観の出現である。シーズンに2おいてカイトとキジーという男性同士が『恋人』として登場したのとほとんど同じ意味だ。 HiGH&LOWはシーズン2の追加キャストにおいて、(ポリコレ的な意味でか色物としての意味かは筆者にはわからないが)多様性の獲得に貪欲だ。これまでにないものを取り込もうとしている。
轟洋介をもってHiGH&LOWに『夢を抱いて土地を捨て、家族と別れて腕一本でテッペンめざし、都会に上京する人間』の概念があらわれたのだ。
端的に言えば、ついにHiGH&LOWの世界に、マイルドヤンキーではない人間があらわれたのである。
<②に続く>
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注1:縦笛小沢がいじられるのはシーズン2・エピソード1直後のhulu追加シーンである。視聴環境によっては出てこないシーンですみません。
注2:筆者は、LDHがセックスにまつわる映像を撮ったら圧倒的なものなると思う。トマトを潰している場合ではない。
注3:「武器」には「装備品」(たとえばラスカルズの警棒や劉の青龍刀)は含まれないものとする。装備品は悪だが巨悪ではない。
注4:これは言い訳になるが、そもそも「HiGH&LOW THE MOVIE」公開から「RED RAIN」公開あたりまでの期間、シーズン2を見るすべはなかったのだ。レンタルはなく、放映は終わっていた。筆者は諸事情からクレジットカードを持っていないのでHuluは視聴できなかった。huluはクレジットカードがなくても携帯キャリア払いが可能、それに筆者が気付いてからは、huluとズブズブである。
全体にかかる注釈:「マイルドヤンキー」「ヤンキー」「リア充」「スクールカースト上位者」のなどの言葉が入り乱れているが、全ての箇所はそれら全てをあわせた概念を指している。