過ぎてしまったことは仕方ない

私はミスを起こしてしまうと落ち込みが激しく、立ち直りに時間がかかる。だからか、間違いを起こしてしまった時に次のような声かけをされることがある。

「過ぎたことを悔やんでも仕方ないよ」

一種の励ましのように言ってもらうことが多い。

しかし、このフレーズをミスをした人が自ら
「過ぎたことをどうこう言っても仕方がないので」
と使うと、お前が言うな、反省しろなどと説教のタネになってしまうだろう。どういう順序、タイミングで使われるかによって、激励にも説教のもとにもなりえる。

ところで、「仕方ない」は英語に訳すと

・have no choice
・cannoot be helped

などと表現されるそうだ。選択肢が「ない」、助けられることが「できない」のである。要は否定形、打消しを伴うのだ。

論理的に系統立てて考えることが苦手な私は、ミスややらかしに対して、どう弁解するか、どう周囲に思われているかなどを感情で渦のように思考してしまうが、他人に励ましてもらえたとしても、はたまた責められたり厳しい評価を下されたりしたとしても、仕方のないことはそのこと自体には手立てができないのである。だから、「仕方ない」のである。

「仕方ない」ことは「仕方ない」ことと処理して、そこから現実的に具体的にどのような処置や立て直し、方向転換を行えるか。個人的に人生の課題だと感じた。

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