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0. ピーナッツサンド

一人の男がいた。

戦争の深い傷跡が残っていた時代に生まれた彼の人生は

時代の波に何度も巻き込まれた。

当時流行だったアメリカ西部映画が、
クリント・イーストウッドが
好きだった平凡な青年だったが、

学業の道にも選択されず、
幼い頃からただ生きる為職業の戦場に飛び入り、


あるいは職業軍人になり
時には記述者になってアラビア半島の異国まで行って
砂漠の強烈な太陽と戦いながら働く

結婚して可愛い娘も生まれたが、

一番輝くはずの19歳に失ってしまった。

ひとり娘の遺骨を撒く時も彼は毅然とした。

それで娘を胸に埋めて

彼は相変わらず黙々と働いた。

毎日夜明けから夜遅い時間まで

パンの仲卸としてトラックを運転、

最後の彼の職業は代理運転だった。

無口の彼だったが

誰より真面目で

誰より心優しかった。

一年半前のある日

あつも後にした久しぶりの健康診断で

癌を宣告された。

その時も彼は動揺せず

無口で受け入れた。

抗がん剤治療と共に

孤独な闘いが始まった。

諦めることもなかったけど、

最悪のことも想定して

見回りも整理しはじめた。

7年前亡くなった兄の家もしょっちゅう訪ねて

娘の代わりの3番目の甥に長い間自分の足の役割だった大事な軽自動車を挙げた。

2019年10月

日本で住んでいる長男の甥が来た。

2歳の甥の息子と初めて会う。

最後になるかもしれない。

抗がん剤治療のせいでつるつるとなった髪は秋の風でしびれるけど

足骨まで転移された癌細胞で足取りは濡れた綿のように重たいけど、

会いに行きたい。

甥孫はどんな顔をしているか。

好きかどうか分からないけど「ピーナッツサンド」を3つ買った。
ただ、一個100の安い物であるが、彼としては愛情を込めた最善だった。

路線バスで一時間で着いたら心配した甥がバスターミナルまで出迎えにくれた。

2歳の甥孫を抱っこして先去った娘の事を思い出した。

初めて会った従祖父ににこにこしてくれる甥孫の様子で

彼は久しぶりの微笑んだ。

お正月ではないけど、消化しやく食べられる雑煮が出た。

もうばあちゃんになった兄嫁の気配りだった。

ほどんの無口で流れたこの数時間は

彼の人生で最後の幸せな場面になった。

……

2020年1月15日17時30分。

彼は全ての苦しみから解放されて

苦労した66年間の人生を降ろして

いつもの通り無口で眠った。

甥は最後の旅を見送るため再び帰国し

彼の遺骨を

17年前彼が娘を見送った同じところで撒いて

彼を見送った。

いつかは皆行くべきの道

今は

とてもとても寂しいけど

いつかはきっと笑顔で再会するので

さようならは言いたくないけれど

この世の礼なのでとりあえず

「さようなら!」

叔父さん、

「ご苦労様でした。」

「娘と安らかにお眠りください。」

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