大正時代における、被害者人数を超える死刑求刑事例(2020年10月6日更新)

 本稿では、大正時代に、被害者人数以上に死刑が求刑された事例について、記述していく。

 被告人とは、死刑を求刑された被告人である。

<一家四人死刑事件>
*被告人
細山ミタ(68)、細山マサ(45)、細山要太郎(21)、細山幸太(17)
*起訴された主要な犯罪
 四人は共謀のうえ、大酒飲みで借金もする要太郎と幸太の父(49)を、1914年12月30日に、保険金目的で殺害したとされる。
*求刑・四名に死刑。
*判決
一審・1915年6月2日、新潟地裁判決。四名全員に死刑。
控訴審・1916年4月27日、東京控訴院判決。要太郎に死刑。他三名は無罪。
上告審・1917年7月8日、大審院判決。要太郎の上告棄却。
*備考
 控訴審では、要太郎以外の三名に、検察官は無罪論告を行っている。
*参考文献
続史談裁判

<長崎連続放火、殺人未遂事件>

*被告人
牟田千太
*起訴された主要な犯罪
牟田千太は弟殺しで明治41年に懲役10年に処され、恩赦で減刑され、1915年に出所した。
1915年12月5日、叔父の命を付け狙い、殺害行為に及べなかったため、叔父宅に放火して全焼させた。同日、近所の女性宅に侵入し、殺意をもって日本刀で突き刺して重傷を負わせた。

*求刑、死刑

*判決

一審・長崎地裁判決。死刑判決。

控訴審・長崎控訴院判決。1916年6月19日、控訴棄却。

大審院・大審院判決。1916年9月28日、上告棄却。

*備考
死者0名の事件の死刑判決。

<大隈首相襲撃事件>
*被告人
福田和五郎、馬場文太郎

*死刑が求刑されなかった被告人

鬼倉重次郎、和田政吉
*起訴された主要な犯罪
 被告人四名は、大隈首相をはじめとする、数名の著名人の襲撃を計画。福田が計画の中心となり、首相への爆弾投擲を馬場が実行した。1916年、大隈首相の乗る自動車に、馬場が爆弾を投擲し逃走した。爆弾は爆発しなかった。
*求刑
 福田、馬場に死刑求刑。鬼倉、和田に無期懲役を求刑。死者0名。
*判決
一審・東京地裁判決。1916年7月10日、福田と馬場に無期懲役の判決。鬼倉、和田に懲役15年の判決。
控訴審・
大審院・

<網走監獄二看守殺害事件>
*被告人
太田外記、間瀬芳太郎、高橋寿平、瀬戸口仁之助、今井留吉
*起訴された主要な犯罪
 1916年8月23日、網走刑務所の服役囚である5名は脱獄のため、共謀し喧嘩を装って看守を誘き出し、看守2名を殺害した。4名はその場で逮捕されたが、瀬戸口は脱走。後に逮捕された。
*求刑と死者
5名に死刑求刑?死者2名。
*判決
一審・太田以下4名に死刑、今井に無期懲役の判決。
*備考
 太田は、明治末期の樺戸監獄7人脱獄事件のリーダー格であった。瀬戸口は破獄名人と呼ばれた男。今井はかつて、16囚人集団脱獄事件に関与した。

<八幡警察署放火事件>
*被告人
三浦友太郎
*起訴された主要な犯罪
 三浦友太郎は、前科11犯であり、1910年に懲役10年に処され、恩赦で1916年5月に出所。1916年7月31日に、放火と窃盗の欠席裁判で、懲役15年を言い渡されていた。1916年12月、警察に別件で拘留され、共犯者に命じて警察署に放火させ、脱走。警察署は全焼した。
*求刑、死刑
*判決
一審・福岡地裁判決。1917年5月30日、無期懲役と、欠席裁判の事件で懲役10年の判決。
控訴審・長崎控訴院判決。1917年8月23日、死刑と懲役10年の判決。
大審院・大審院判決。1917年12月1日、上告棄却。

*備考
死者0名の事件への死刑判決、死刑執行。

<飯岡実母殺し>
*被告人
 小笠原石蔵(満28歳)、藤沢孫三(満15歳?)
*起訴された主要な犯罪
 石蔵は、藤沢孫三と共謀し、1917年11月14日に実母を強盗目的で殺害した。
*求刑と死者・被告人両名に死刑求刑。死者1名。
*判決
一審・1918年2月8日、盛岡地裁で両名に死刑判決。
控訴審・1918年5月15日、仙台控訴院で両名の控訴棄却。
大審院・1918年7月19日、大審院第一刑事部で両名の上告棄却。
*参照
 岩手の重要犯罪、大審院判決
*備考
 大審院での藤沢の弁護人は、布施辰治。

<恋の爆弾女事件>
*被告人
渡辺タケ(26)
*起訴された主要な犯罪
1917年10月18日、渡辺タケは、愛人の海軍一等軍曹に唆され、一等軍曹の養母を爆殺するために、列車内に爆弾を仕掛ける。死者は出なかったが、養母、青年、代議士の三名が重傷を負った。
*求刑・死刑。死者0名。
*判決
一審・1918年1月23日判決。長崎地裁で死刑
控訴審・1918年3月5日判決。長崎控訴院で死刑
*参照
法曹風雲録
*備考
死者0名での死刑判決。後に無期懲役に減刑されたとのことである。
愛人の軍曹は、逮捕前に自殺を遂げた。一審は、風俗を乱すとされ、非公開で審理された。控訴審では、爆発物の製造方法の審理について、公安を害するとして50分ほど非公開となった。

<和歌山米騒動事件>
*被告人
中西岩四郎、堂浦岩松、大西彦次郎
*死刑求刑されなかった被告人(殺人関与者)
中岡粂三郎、板橋正重、北岡喜右衛門、西口文一郎、青山松五郎、西稔常四郎、丸山喜一郎、藪内孫次郎、南出常松、西口与治衛門
*起訴された主要な犯罪
1918年、米騒動に際し、村の嫌われ者であった男性を殺害した。
*求刑
中西、堂浦、大西に死刑求刑。中岡、板橋、北岡、青山、西稔、薮内、南出、西口(与)に、無期懲役求刑。丸山に懲役15年求刑。西口(文)に懲役12年求刑。
死者1名に対し、3人への死刑求刑。
*判決
一審・和歌山地裁、判決。中西、堂浦、大西の死刑求刑の3人に無期懲役。板橋、西稔に求刑通り無期懲役。中岡、北岡、青山、薮内、南出、西口(与)に懲役15年。丸山に懲役12年。西口(文)に懲役10年。
控訴審・大阪控訴院、判決。中西と堂浦に逆転死刑判決。他の被告たちはすべて控訴棄却。
大審院・1919年5月3日判決。中西と堂浦の二人のみ上告し、上告棄却。


<山憲事件>
*被告人
 山田憲、渡辺惣藏
*起訴された主要な犯罪
 両名は共謀のうえ、1919年6月、借金を帳消しにする目的で、東京の山田の自宅で米穀商の男性をバッドで撲り、首を絞めて殺害した。渡辺がバッドで殴り、山田が首を絞めてとどめを刺した。さらに、山田は自宅において男性の死体をバラバラにして、トランクに詰め、信濃川に遺棄した。
*求刑・被告人両名に死刑求刑
*判決
一審・1919年12月2日、東京地裁判決。山田に死刑、渡辺に懲役15年の判決。
*参照
 山田憲公判実記、警視庁史、大正犯罪史正談、強盗殺人実話

<警官らによる少女強盗殺人事件>
*被告人
窪崎慶之助(26)、佐竹政吉(26)、西村松太郎(26)
*事件
被告人3名は共謀の上、1919年12月26日、大阪市南区において、強盗目的で少女を絞殺した。窪崎は現役の警官。佐竹は元警官だった。
*求刑
窪崎、佐竹に死刑求刑。死者1名。
*判決
一審・大阪地裁判決。窪崎、佐竹に死刑。西村に無期懲役。
*参照
 難件80件検挙の端緒

<資産家親族女性殺害事件>
*被告人
恵下田照男(25)、瓦林寛治(21)
*事件
 被告人両名は、1921年12月5日、資産家の姪の女性を二人がかりで、短刀でめった刺しにして殺害した。かねてから、資産家一家を皆殺しにして金銭を奪う計画を立てていた。
*求刑、被告人両名に死刑求刑。死者1名。
*判決
一審・大阪地裁判決。恵下田に死刑、瓦林に無期懲役の判決。
*参照
 難件80件検挙の端緒、大審院判決

<ギロチン社事件>
*被告人
(東京地裁)古田大次郎(25)、和田久太郎(33)、倉地啓司(35)
(大阪地裁)富岡誓(28)、小西次郎(25)、河合康左右(26)、内田源太郎(19)、茂野栄吉(21)、小川義男(26)
 そのほか、村木源次郎(35)が東京地裁に起訴されていたが、公判開始前に病死。
*死刑求刑されなかった被告人
(東京地裁)
新谷与一郎(26)福田大将銃撃・福田邸爆破事件に関与
(大阪地裁)
田中勇之進(21)甘粕実弟襲撃事件の実行犯であり恐喝に関与、仲喜一(24)会社重役狙撃事件の犯人であり恐喝に関与、伊藤孝一(24)恐喝事件のみ関与、上野克己(20)恐喝のみ関与
 1923年に逮捕された者と1924年に逮捕された者がおり、各数え年は1924年に合わせて表記。
*起訴された主要な犯罪
・甘粕実弟襲撃事件
 1923年10月5日に、田中勇之進は、大杉栄一家惨殺の復讐のため、三重県で甘粕正彦の実弟を襲撃した。田中はその場で逮捕される。富岡の教唆により、実行したとされている。
・小坂事件
 1923年10月16日に発生。現金輸送中の銀行員2名を強盗目的で襲撃し、うち1名を死に至らしめた事件。富岡が強盗を小西と河合に教唆し、小西が計画を立て、古田が実行メンバーを募り匕首を用いて殺害を実行し、河合が謀議に参加し現場で監督、内田と小川が襲撃を古田と共に実行、茂野が見張り役として参加したと認定されている。古田以下6名は「殺害の謀議あり」とされたのか強盗殺人で起訴された、富岡は小西と河合を教唆したとして、強盗殺人教唆で起訴された。
・福田大将狙撃事件
 和田と村木が主導。倉地がピストルや爆弾の材料を調達し、新谷に爆弾の外装造りを依頼し、爆弾作成の中心となる。古田も爆弾作成に助力。和田が爆弾を懐に呑んで狙撃を実行し、村木と古田が見張りをすることとなった。
 1924年9月1日、狙撃を実行。和田が狙撃を実行したものの、弾が出ず、福田は火傷を負ったのみであった。爆弾は結局使用されなかった。和田はその場で逮捕される。村木と古田は逃亡。
・福田大将宅爆弾郵送事件
 村木が爆弾郵送を指示し、古田が爆弾郵送を実行。福田邸で爆発したものの、死傷者は出なかった。
*求刑
 東京地裁で、古田大次郎、和田久太郎、倉地啓司に死刑求刑。新谷に懲役10年求刑。
大阪地裁で、富岡、小西、河合、内田、茂野、小川の6人に死刑求刑。
東京の四人は、福田大将狙撃及び爆弾郵送に関与。大阪の死刑求刑された六人は、小坂事件関与。古田は小坂事件に中心人物・実行者として関与し、福田事件には従犯として関与。
小坂事件は、死者1名に対し、大阪の6名と、東京の古田、合計7名が死刑求刑された。
和田、倉地は福田事件のみに関与であり、死者0名、負傷軽微な殺人未遂事件での死刑求刑となる。
*判決
・一審
(東京地裁)
 古田に死刑。一審で確定する。和田には無期懲役の判決が下され、一審で確定し、のちに恩赦で懲役20年に減刑。倉地は懲役12年判決。新谷は懲役5年の判決。古田は強盗殺人で起訴されるが、強盗致死と認定された。倉地、新谷は殺人未遂で起訴されるが、爆発物取締法違反の殺害目的と知り爆弾を作成した者(上限は懲役10年)、と認定された。
(大阪地裁)
 死刑求刑の6名全員に無期懲役の判決。仲は懲役12年判決。田中は、甘粕実弟襲撃事件ではすでに懲役5年が確定していたため、それぞれ一件の強盗と恐喝のみが裁かれ懲役8年の判決。伊藤、上野は恐喝のみの関与であり、懲役3年の判決。
・控訴審
(東京控訴院)
 倉地、新谷の控訴棄却。上告せず。
(大阪控訴院)
 検察官は求刑を変更し、中浜、河合、小西の三人に死刑を求刑、内田、茂野、小川の3人に無期懲役を求刑した。大阪控訴審で、富岡が逆転死刑。小西と河合は控訴棄却。内田、茂野、小川は懲役15年に減刑。仲は懲役15年と加重される。田中、伊藤、上野は控訴棄却。
富岡は上告せず死刑確定。他のメンバーでは河合のみが上告するが、上告を取り下げ、無期懲役が確定する。
*備考
 富岡は強盗の指示を否定。古田や他のメンバーも、指示を否定しているが、予審も公判も、強盗の指示を認定した。強盗指示について、確たる証拠は示されていない。
 また、古田以下6名の強盗殺人として死刑求刑された被告についても、殺害の共謀を示す供述は無い。なお、被害者を刺したのは古田のみであり、刺したのも一度だけであった。
 富岡は強盗致死については無罪、古田以下6名についても強盗殺人ではなく強盗致死という認定が正当ではなかったかと思える。
 村木は予審中に死亡したが、福田大将狙撃、爆弾郵送について、首謀者といって良い地位にあった。存命であれば、和田と共に死刑が求刑され、一連の事件で合計10名に死刑が求刑される、一層異様な事態となったであろう。
*参照
死の懺悔、死刑囚の思い出、獄窓から、中浜哲著作集、続我が文学半生記、反逆者の獄中手記、無期囚、現代日本思想大系「アナーキズム」

<犬上郡強盗殺人事件>
*被告人
坂本竹一(22)、篠田兵一郎(23)
*起訴された主要な犯罪
坂本と篠田は、1924年8月26日、強盗目的で寺に侵入し、女性の頭部を日本刀で切りつけるなどして殺害。およそ7円を奪った。
*求刑・不明
*判決
一審・1924年11月4日大津地裁判決。両名に無期懲役。
控訴審・1924年12月20日、大阪控訴院判決。両名に死刑。
上告審・大審院判決。上告棄却
*参考文献
大津地方検察庁沿革誌

<和歌山連続入り婿殺し>
*被告人
 富山リウ(満43歳)、北野トラヘ(満37歳)、寺杣綱次郎(満38歳)
*死刑求刑されなかった被告人

*起訴された主要な犯罪
 リウ、トラヘは、Aと共謀のうえ、トラヘの入り婿であるBを絞殺し、死体を埋める。なお、この死体は発見を恐れ、リウが単独で埋めなおしていた。ニセの手紙などを投函し、失踪を装う。
 リウ、トラヘは、Aが横暴になってきたことから、邪魔であると考え、綱次郎、Tと共謀のうえ、Aを絞殺し死体を埋め、失踪を装った。
*求刑
 リウ、トラヘ、綱次郎の3名に死刑求刑。Tに無期懲役求刑。死者2名。
*判決
一審・1927年6月16日、和歌山地裁判決。リウとトラヘに死刑。綱次郎に無期懲役。Tに懲役10年。
控訴審・1927年12月28日、大阪控訴院判決。リウの控訴棄却、トラヘが無期懲役に減刑、綱次郎、Tの控訴棄却。
大審院・1928年9月24日、大審院判決。リウ、トラヘ、綱次郎の上告棄却。
*参照
 殺人法廷ケースブック4巻、三十九件の真相、和歌山県警察史、法律新聞

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