リモート・ビギンズの感想を真面目に書いてみた

2017年6月に行われた、劇団物語研究所さんの旗揚げ公演 「リモート・ビギンズ(http://realdgame.jp/ajito/lab/2017/04/story-labvol1.html)」に行ってきた。宣伝上では「演劇×観客体験型の実験」ということで、短絡的な言い方をすると体験型演劇の一種である。ただし、このことについては個人的に、本作に限って否定的に捉えている。その理由は後述する。

今回はネタバレ解禁&再演なしとのことが公式から発表されているので、そのあたりガンガン書いていく。そしてここから先、取り留めのない小池節の文章(校正なし)なので超読みにくい。

あと、スパイスアップの時(別のイベントの感想記事)同様、今回もこの場を借りて率直な意見を書くことにした。どんなイベントでも取組み1つの完成をさせること自体、非常に重要かつ素晴らしいことであるというリスペクトを持ちつつも、腰の重い私がとやかく言うことをお赦していただきたい。本当に小心者なので、先に伏して謝罪しておく。

本作への事前の期待

さて、先に参加前の私が本作に期待していたことを記しておく。予定を確保してから物語研究所のチケットを買おうとサイトを見ると「巻き込まれ席」と「覗き込み席」の販売があった。もとより演劇を主軸に置いた体験型と聞いていたので、すんなり「物語の中に入って体験できる席」と「演劇として傍観する席」と解釈できた。前者のチケットを買うに至っている。参加型・体験型演劇といえば、物語の世界に参加者(観客という言い方が正しいかもしれないが、以降「参加者」表記)が何らかの方法で介入し、参加者の手でその物語を進めていく/楽しんでいくという形式が多いと感じている。ここでの参加とは登場人物としての参加であり、体験とは物語を体験するという意味合いだという解釈である。従前、物語研究所さんの掲げている体験型は通常の体験型とは異なるのだ、と聞いていた。「巻き込まれ席」という名称からは、なんとなく『物語そのものに参加者が介入して変化をすることはないが、逆に参加者の行動が物語によって強く強制されるものかな』と考えていた。例えると、防災訓練である。介入はないものの、参加者は物語世界を生きているという感覚になるには、参加者自身のアクションが求められてくる、それを期待していた。

よかった話

リモート・ビギンズ(以降「リモビ」)は、あらすじの時点から高校という設定であることが示されていた。その点で言えば、入った際の会場の教室感は好きだった。休憩時間のように高校生が駄弁っており、公演開始まで役者による高校の1教室の雰囲気があったのは、公演が始まる期待を大きく膨らませた。私もそうだったが、高校の制服を着ていった参加者も少なからず居たようである。演劇でありながらイベントとして楽しい設定だと感じた。なおのこと物語研究所の1回目の公演として、巻き込まれ席の参加者(以降「出席者」)が役者と地続きの場所に居るという印象を持たせるのに、高校の教室は良かったと感じる。
そしてこの、観客たる出席者と役者が地続きの場所で物語が進むことは、ミステリーイベントにあまり参加したことがない人にとって新鮮だったかもしれない(私がミステリーイベントの制作として所属しているところ、お手伝いしているところの凡そが参加者の隣で演技する、会場/建物全体が舞台というのがデフォルトなので個人的な驚きは少なかった)。参加型・体験型演劇のように参加者の物語への介入はないが、場面場面で参加者が物語内に居る感覚を得られる仕組みは楽しかった。

本音の話

Twitterの感想を拝見していると、ネタバレ解禁になるまで「よかった!」という声が多く、あまり自分の中で抱えていたことを言い出せていなかった。もちろん楽しかった/良かったという点も感じている。しかしして、ここにて率直に参加した結果を一言で言うと、「参加者を都合のいい舞台背景に使った演劇」だった。これについて個人的なものの見方でポイントが2点ある。本当に個人的に引っかかった上での一言なので、試しに読んでみて不快にさせてしまったら申し訳がない。

まず1点目に、巻き込みの演出方法に疑問…ではなく不満があったということである。実際にリモビに参加をすると、出席者は会場もとい教室の席に座って名札に名前を記入する。その後例えば、ヒーローをみんなで呼ぼうと言われたらみんなで呼ぶ、先生が「起立、礼」といえば出席者は起立礼をする。テストが配られればテストも問題を解く。これら行動には出席者自身が行動しているので、物語の世界観にいるという感覚がある。問題は、登場人物が出席者ないしその周囲に関与した場合である。一番引っかかったのは、イジメのシーン。机にゴミを置かれた登場人物の通路挟んだ隣の席の机に、出席者がいるにも関わらず尻を乗せた(座った)。これはこういうシーンだからしょうがないという人も要るだろうが、まずこのシーンのこの現場が通常の教室を想定した時、イジメの対象でもない生徒の机にその席の持ち主がいるのに机に座るだろうか。座ったとして、その席の持ち主が嫌がらないわけがない。よしんば嫌がらないという設定をしたとして、その設定を(現実世界でその席に座っている)出席者に強要することが「巻き込んでいる」ということなのだろうか。席の名札に名前を書いた以上は、その空間が教室である以上はその席の出席者に対して物語上都合のよい設定(存在を消したか、嫌がらないという設定にしたかはわからないが)を課していいはずがない。うーん、個人的な参加型・体験型演劇に対するポリシーのような話なので上手く伝わらないかもしれないが(加えて文が下手)…公演前に「場所によっては机に衝撃が発生する場合がある」という注意は受けたものの、あのシーンは正直他人の席のことなのに不快に思った。ついでに言うと、机に座られてしまった出席者の眉をひそめる顔が忘れられない。同じ点で、小さな手紙が回ってきた意図を察した時も微妙な気持ちになった。内容としては、イジメっ子がイジメられっこを無視するように教室周知をする手紙が回ってくる、出席者にイヂメの加担をさせるというものである。そもそもイジメに対して抵抗がある自分が瞬時に嫌になったのは置いといたとして、手紙を見てクスクス笑う(これがどうやら狙われていたらしい)、イジメられっこに話しかけられても無視するということを出席者に求めることが、出席者に楽しんでもらうということから逸脱しているのでは?そのイジメの空気感を舞台空間内に作るために、出席者を利用しているだけでは?という感覚が襲った。

2点目に、出席者を演出の都合で無きものにしているところが間々あったということである。この問題はミステリーイベントの解決編で参加者が置いてけぼりになる現象にも代表される、参加型・体験型演劇でしばしば発生することである(最近これが気になっていて研究中…)。ただしミステリーイベントの場合は参加者が進行している探偵と犯人の議論を見守っているだけであり、探偵や犯人含めた登場人物と参加者は空間を一にしている。しかしリモビの場合、教室となっている空間の周囲が教室外(校舎裏や街中)であることがわかる演出がある一方で、教室となっている空間が生徒指導室として扱われるシーンがある(実際には教室の前方部分が生徒指導室、という意味なのかもしれないが)。もちろん、生徒指導室に先生と生徒各1人しかいないはずであり、出席者は存在するはずがない。よしんば教室だったとしても、他の生徒は帰っているはずで、出席者は存在しない。居るのに居ないとすることは、本公演が謳っている宣伝に反するのではないか、という気持ちが最初に起きた。この場面だから、都合で登場人物たる出席者の存在を消すというには体験型として反論したい。ついでに、この空気タイムが結構長い。生徒指導室話になる直前の、コンビニ同行組の帰りを待たなければならない関係だと思うが、そのコンビニ同行組に対する個々人の生徒としての巻き込まれと比べて、残留出席者達の居ないものとしての扱いは堪えるものがある。それは先生たちの演技に見入っていたらいいのかもしれないが…すると、役者と自分の距離が近すぎる。居ないし、見れないし、長い。そして教室シーンにほぼ戻ることなく、残留出席者の私は「巻き込まれ、とは」と疑問に思ったのである。

脚本そのものに対する意見はチラホラ聞いたりTwitterで見かけたので言及しないが、その本を固定とするなら、演出は超要検討と思った。

冒頭の高飛車な「私の期待」に応えていなかったからこんな言い方をしている、というわけではない。全くない、とは言い切れないのが申し訳ないが、エンターテイメントとして問題があった点に関する言及であると…寛容な目で捉えてほしい。
…余談に近い話をするが…常々、一定数の参加者を相手とする参加型・体験型の演劇ないしイベントの設計を考える上で思うのが、参加者は物語の世界に居たいのではなく、参加者は物語の世界に認識してもらえるほど満足度が高いということである。いや、当然前者を求める方もいるだろうし、一意には居えない。それでも、「モブになること」と「モブにされること」には大きな差があるように思う。このことについてはまたどこかで語るとしよう。

ちなみに、小テストで夢を出席者に書かせた点は面白いと思った。しかし謎解きパートがあったのは(皆で解くシーンと小テストの下半分)意味がわからなかったので、あまポジティブな意見がいけなくなっている。夢の話に寄せるならば作文課題にすれば良く、小テストはむしろ高校1年の問題にしてもらえた方が高校生として巻き込まれる感覚は強かったように思う(およそ高校生の参加者が居なかったと思うので。解けた解けないという点でも、その方が面白かったのでは)。あと、書いた夢を読み上げるなら読み上げやすいような解答用紙か、全部読み上げるべきでは。結論を最初に書いているとは限らないので。

さらに(自分で言ってても嫌な奴だなと思うが)、巻き込まれ席と覗き込み席のチケット価格に差があったのはなぜか気になっている。上記の都合上の扱いを受けながら覗き込み席よりも500円高く、扱いの差がお世辞にも少ないといえない状況下で巻き込まれ席が全席同額なのは腑に落ちていない。じゃあ巻き込まれ席を安くしろ!扱いの差をなくせ!ではなく、一律2500円あるいは3000円にしなかった理由を知りたい。

散々っぱら書いたが、本の問題よりも演出の問題というのが私の結論。しかし、まずは1つの作品として成しえたこと、お疲れ様でした。

今回行ってみて、ちゃんと考えたくなったことが幾つかあった。一方で、ここはあのイベントでクリアしていた課題だな…なぞ思ったところもある。以前にどなたかが「体験型イベントを作っている人は他の体験型イベントに行ったことあるのかな」とおっしゃっていたが、ホンソレである。いまや多くの場所で参加型・体験型のイベント・演劇が行われているが、その方法は様々だ。参加者に体験してもらう、の、体験、の捉え方も様々だろう。…え?あ、偉そうな事を言っている自覚があるので、今年は色々体験して、こうやって書き残していくつもりだ。

今年の上半期終了後、余力があればこうして参加して書いた感想から、参加型・体験型の特徴等をちゃんとまとめて一つの文章にしたいなと思っている。自己満足だけど、自分の今後の参考になるし、願わくば誰かの参考になれば御の字である。

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