話し込み

簡単に言えば、ズカズカ踏み込めるのが聞き込みで、一旦手を合わせなければ踏み込めないのが現場検証、のように一応やっているが、現実は違う。聞き込みは一旦立ち止まらなければ分からないし、現場検証はズカズカ行ったほうがいい。

私は、どちらかというと聞き込みで進めていく話のほうが好きだ。というのも、他の記述でバレバレだが、基本的に人間が人生で築いていったものを見せるのがミステリーであるから、現場検証という事象整理よりも人と向かい合った捜査がしてほしいという意向である。

そして、どちらかといえば聞き込み、ではなく、対話、で合ってほしい。テレビドラマでは刑事や探偵が犯人や関係者に確信を付くような質問をするが、普通の人は刑事でも犯人でもない。その人を知ろうとする気持ち、…どちらかといえばみんなが探偵ではなくインタビュアー…を元に真相に迫るのが良いと考えているたちである。

とはいえ、別段現場検証を否定しているわけではない。現場検証の楽しみ方はズカズカ入ること、といったが、それは「物を語らないから」であって、無作法に調べていいとも言っていない。現場とは、要するに被害者の成しえた終着地だ。そこがどうしてそのようになったかを紐解くには、いずれにせよそこで生まれた人間ドラマを無視することはできない。

話を戻すと、聞き込みは人を知ろうとする気持ちで行う、ということは、その人の周囲の人も芋づる式に聞きだしていくことになる。ソレは人生で長くつながってきた人かも知れないし、たった今同じ空間で隣に立っていた程度の人かもしれない。その人が存在して、今そうなった(被害者でも犯人でも)ということを自ら掘り出していくという楽しみがあると思う。見方を変えると、これもズカズカと入っていっている感は否めないが、それは聞き方の問題だろう。人が人を紹介して何の問題があるだろうか。

ただ、私自身はそうやって聞き込みから芋づる式に真実が出てくるという事と同程度、もしかしたらそれ以上に、聞き込みには面白いと思っていることがある。

人によって、価値観や思惑が言葉で拾えるということだ。聞き込みをしているほうではない、聞き込みをされている方、イベントでは演者となっている人物たちのことだ。

いくつかイベントを手伝ったり、逆に参加したりして顕著に感じるのは、もちろん聞き込みに抵抗を感じてできない人がいる、ということもだが、演者側の1人に聞けばすべて解決すると思っている点である。実際は違う。それぞれは運営側が用意した、参加者にハッピーエンドを与えるNPCではない。現実にあった事件として、それぞれに思惑があって動いている。そして、思惑や価値観によって自分の意見を述べる、それが普通だ。そのことを考えるために、聞き込みという単純動作から一旦立ち止まって、参加者は常に事件全体を俯瞰して聞かなければならないことを整理すべきである。

大学生の時(もう5年前になろうとしていることが恐ろしい)、謎解きイベントを大学で作った。その時よりも前からミステリーイベントの参加率のほうが高かったが、謎解きを作っていくなかでも「聞き込み要素」をどうしても入れたかった。そのため、登場人物の名前を全部、一見読めるようにして読めない漢字にしたのである。それが「四戸昇(さぁなんと読むでしょう)」という名前の発祥だった。謎解きを最後まで進めるには、どうしても登場人物全員の名前が必要になる。だから、本来であれば聞かなければ正しい名前を以って謎解きを進められない。少なくとも、「しのへまい」を一発で読める人間はおらず、名前をきちんと聞いてきた人が上手く謎解きを先に進めていた。

そのイベントにはもうひとつ仕掛けをしていた。それは犯人が必ず「中途半端なごまかしをする」ということである。謎解きを最後まで進めると2人の容疑者にまで当たるから、その2名のどちらが犯人か絞る。参加者が質問する内容は単純で、「あなたは左利きですか」。でも犯人は素直に答えない。そのため、冒頭に四戸が説明した内容が効いてくる。

「犯人はきちんと証言しないかもしれません。証言は裏を取るために、2人以上にしましょう」

そう、2人以上にしないと、犯人の確証は得られないのだ。それで…このイベントで完全正答者はいなかった。

2人以上に聞き込みできた人が、記憶のある限りいない。実は犯人は腕時計を左利き仕様で着けているので、聞かないで解く事も、まぁできないわけではないようにしていた。でもなんだか、がっかりしたのは覚えている。

anxiousでやっていた「ミステリー作家殺人事件」は始め、ちょっと悔しかった。あそこまで人物背景が簡素化されていることに対しては批判の姿勢を持っているが、基本的に形式は良く思いついたと思う。あの聞き込み先が全員役者さんで、雰囲気を持って対応してくれたとしても、空間とその聞き込み先の相手との深度の浅さから(段階な深度の進み方はあっても)、どうしても聞き込みはゲームライクになってしまう…そこは当然か。

聞き込み重視。

この他にも作ってみようと思ったことは何度もある。しかしして、やはり意見の違いに気づく人は少ない。でも普通の話をしている時に、意見が対立したり、意見をはぐらかす人がいたりする。全員に話を聞けとは言わないが、意見に違いがあるだろうことは気付いて欲しいなぁとは感じる。というより、繰り返しになるが、事件解決に必死なだけでなく、対話や物語、人物の背景全体を楽しんで欲しいと切に思う。だって小説を読んでいるわけではなく、あなた自身が登場人物なのだから。

そういえば推理ナイト2で、正しい質問をしないと被疑者が反応しないという、よく分からない感情システムを作ってたことを今思い出した。あれはあれでだいぶ問題があったが、本来そういうものだと思っている。

リアルミステリーにおいて聞き込みの難しさの本質は自主性にあるわけじゃない。最も難しい…というより半ば面倒くさい形で存在する問題は、「メタ」と「慣れ」にある。事実上現実と非現実の境目がないので、初参加の人間は何処がメタで何処が事件編なのか分からない。逆になれている人間は、時間かまわず聞き込みをしようとする。前者の問題は2回目以降から解消される。しかし基本的には演者にも、「朝起きてから物語は始まっている」といっているから、なんにしろ集まったら、ミステリーイベント、という体そのものを本当であれば失くしたい。

その失くしたい、という意味でやはり、後者の行動は問題視したくなる。事件がまだないのに、互いに聞き込みをする。事件が起きていそうだからと、まだ進展がないのにアリバイ確認が始まる。実際に事件が起きたときに、そうなるのだろうか?この「慣れ」については、参加者と話すとたまに「気持ち悪い」といわれる。なぜ今聞き込みされなければならないのかが、分からないということ。そこで答えなければ怪しまれなければならない、それが楽しいのかといわれたら変な話だ。

この「メタ」と「慣れ」は素人とある種の玄人(果たしてプロとは言えない)の両極に発生する問題だからこそ、私自身もうんざりしなが是正できるシステムを思いつけないでいる。

是正、じゃない。本当であれば、聞き込みの勢いを殺して、対話をすれば実際はすべて解決する。

夕食中になんだか事件が起きたっぽいからと、突然あまり話したことのない人に「20時何していました?」と聞かれてワクワクした気持ちで「はい、ここでXXと一緒にアイスを食べていましたよ!」と言えるだろうか?

たぶんそこで、「なんだか騒がしいですね」という会話から進めて、「(20時ごろ)アイスが出てきていましたけど食べました?」と来て、「アイスが出た時にすぐに食べましたよ、XXがね美味しいって言ってもうひとつとか…」のように、会話からアリバイを自然にとっていく…のならまだ気持ちが悪いことにならない。実際は事件が分かってからやってくれ、という気持ちはあるが、要はそういうことだ。

対話、で聞き込みをしてほしい。これは欲だ、完全に。

でも、声高には全く言えないが、イベントだからと無礼講に聞き込みから尋問、詰問とやっていき、なんとなく犯人とめぼしい人間を責め、確証もなく全員の輪から外すことが、許されるのかというということに対しては、私個人としては非常に不満というべきか、力不足というべきか、問題を感じる。実際は事実、演者には詰問等で嫌な目にあったら答えなくて言いといっている。気分を害すことに悪いことはなく、人権を主張して何が悪い。

演者は参加者にとって演者でしかない(実際には演者としての境界線は取っ払っておきたい)が、人間であって同じ感情を持っている。

なんというか…その辺りを上手く伝えられるシステム、いや、シチュエーションを作るべきなのかもしれない。

人からの証言に差、は果たして参加者の情報格差を生むのか。私個人としては、その点は当然だと思う。現場検証で見つからない証拠品があるのと同じで、見つからない証言があるのは聞き方が足りないからに他ならない。その上で、ミステリーでの暗躍は、参加者が均等に持つべき情報を証拠品で統一すべきだと思っている。言い換えれば、証言によって探偵の優秀さに差がつくのが正しいと思っている。

推理をパズルで言う人がいるが、私は積み木で考える。証拠品は思考のベースだ。証言は積み上げていく積み木だ。ベースがなくてどうする。それに「後期クイーン問題」があるように、結局は探偵の見立てが結論と"似ていれば"解決なだけであって、犯人と被害者以外が真相と全く一緒のもの、あるいは包み隠さず前傾を捉えることはできない。だからなんとなく積み上げられそうな積み木でがんばって及第点の高さを稼ぐ(結論を導く)として、積み木は手元にあるものがある程度使えれば積めるので、それで事件を解決させようとすればいいし、積み木足りなければ探しに行け(聞き込みに行け)と。

そこで、証言を得る速さについては求めない。証拠品は早く見つける方がいいのは、そうだ。状態が変わったり持ち去られたりする可能性がある。証言はじっくりやればいい。だから…急いて前述のような何もない状態から探りあいさせるのをやめさせる方式を考えたい。積み木は逃げない

(あ、まぁ、死んでしまうことはあるかもしれないけど)。


言っておくと…提供しているミステリーの登場人物は、殆ど本当にその人実在したかのようになっている。つまりは、どんな質問でも大体は設定がちゃんとなされている。リアルミステリーに限らない。ミステリーが人間劇である以上は、その部分は変わらない。

(たまに答えに窮する、のは、私、だが、それは私が飲み込めてないかそういう存在だからである。変な話。)

そういう作りこみ、ではなく、人間劇の部分も楽しんでもらいたいという欲。その欲は私の悪い癖として出してしまうことがある。要は、「イベント後」は存在しないのに、参加者が行き着かなかった人間像をしゃべりたいと思ってしまうことである。これは…良くないと実際毎回反省している。

推理展示4で突如、懺悔室というのを作った。参加者が制作者とトイレに篭るイベントだ。語弊、参加者が制作者に質問ができるスペースだ。効用としては、最後まで解いたのに納得のいかない点を聞くことができる。今までにも別に、制作者に質問できなかったわけではない。ただ、アンケートを読んでいると「聞けば分かるのになぜ聞かない…」というものが間々ある。なぜ聞かないかは、私の性格からすると分からない。

それで、質問可能な場所を作ると、相対的に満足度があがる。当然、疑問が解消するからだ。

というわけで、参加者はなぜか質問はしない、というスタンスでいる。まあしかし、聞き込みが捗らないのを見ていると、全体に残っている疑問があると思う。リアルミステリーにいたっては解決編で語られない事実のほうが多いから、実際考えていくと「あれ?何でああなったんだ?」と思う部分が見つかる。このあたりはズカズカ聞いて欲しい。殆どのことは設計されているし、その当事者、たとえば犯人の行動については犯人役しか遭遇して知りえない事もあったりする。ただ、事件として成立している以上はその物語の人間達はその瞬間まで普通に生きてきた人たちとしてのドラマがある。聞いて欲しい…と考えた末にしゃべってしまう。良くない。もっと言えば、物語は制作者のものだ。横槍的にスタッフが話していいものではない。ごめんなさい。

聞き込み、というよりも、話をする、という意味で様々なことを考えてここまで書いてみたが…この直前に書いた「境界線」も含め、だいぶエゴい。ただ、こちらの方がたぶん「境界線」よりも娯楽観点での納得度はある程度獲得できると、勝手に自負している。が、そういうことを作れていないのだから偉そうにここで語る暇があるなら、システムを考えろ、と。

特に結論はない。それにこれは、リアルミステリーに限った話じゃない。まずそもそも、ミステリーイベントにおいて、聞き込みが倦厭されがち(?)な部分が好かない。改善する…ではなく、この方向で娯楽を考えたら、私はまだまともなものが作れる気がする。当然はっきりと「境界線」を意識させる聞き込みの必要なものを作ってしまいそうではあるものの。ただ、これは、アドバンスの話とは別。アドバンスはまた、全く違うことがしたい。

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自分のミステリー公演に関する情報まとめや、出演した参加型イベント・通常の舞台の裏話、体験したイベントやイマーシブ公演の追体験的記述をしています(ネタバレを多分に含みます)。長文書く癖があるのに、途中で飽きて辞めちゃうこともあります。