寝起きの話



こんにちは。


今日のお昼寝から目が覚めたときに、ぼーっと頭に浮かんだことを適当に文字に起こそうと思う。

たまに、というよりほぼ毎回、起きたと同時に頭の中に勝手に思考が浮かぶことがある。

自分はそんなこと思っていたのかと思うことがあるので、未だにその現象が不思議だ。


さっそく本題に入るのだが、人類は常に新しいものを取り込む習性がある。
これは本能的なものであるので、『流行り』はそこから生じているのだと思う。
文化はその習性にならって、常に新しいものに溢れているので、いやー、非常にありがたい。

だが今回、自分が話したいのは人類や本能などの話ではない。

私は歳を重ねることに、この『流行り』についていけなくなっているのを実感している。

なので、流行っていた2,3年後にやっと取り入れて、ものすごくハマることがある。

逆に、みんなが言うほど私には響かなかったなと思うものももちろんある。
私が絶賛している作品をゴミだと思う人ももちろんいる。

音楽などの芸術作品にも言えることなのだが、誰かにとって命を救うほどのものでも、違う誰かは何も感じないものがある。


育った環境や関わってきた人々、取り入れてきた作品がみんな違うのだから、感じ方も違って当然だけれど、

私はそれがとても悔しい。


他人が素晴らしいと思うものに対して、自分は特に何も思わないものがあると、なぜ何も感じないんだろうと悔しくなることがある。

同時に、私は何も感じられないつまらない人間なのではないかと心が冷めきってしまったような感覚に陥る。

その人と同じ気持ちになりたくても
それは、どうあがいてもできない。

努力してできることでもない。


そんなことが、寝起きの頭の中で思い浮かばれていた。

私は、この悔しさを最小限にする方法を模索し続けたい。

このままでは、本当の意味でのつまらない人間になってしまうような気がするからだ。



だんだんとちゃんとした夏が近づいていますが、みなさまご自愛くださいね。




ごまだんご


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