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出過ぎた杭は打たれない

6月もあと2日で終わりますね。そろそろアジサイから他の写真にかえて見ようと思います。

私は小さい頃から、「やってはダメ」といわれると、「やりたい!」という気持ちが膨れ上がってきて、ついついやってしまう子でした。
「行ってはダメ」と言われているのに、勝手にウロウロして迷子になる。
「乗ってはダメ」と言われているのに、勝手に父のバイクに乗って、太ももを大やけどしてしまう。
「まだ食べてはダメ」と言われているのに、次の瞬間、口に入れてやけどをしてしまう…。

家族でよく行くファミレスに「ペレット」という熱した丸い鉄の塊があります。その上で肉を焼いて食べるためのものです。
私は、そこに行くたびに、「ペレット」に触りたくなるのです。
私の目が、ペレットにくぎ付けになっているのを見て娘から「熱いから触っちゃだめよ」と注意されます。でも、食事が終わる頃に、触ってしまうのです。「だから熱いって言ってるでしょ?」と娘に諭される私。どちらが親なんだか、情けないですが、そういう性分ですからしかたありません。

プライベートだけでなく仕事でもそうです。「やってはダメ」と言われてもやってしまって、よく叱られました。
「長年、就職部の次長を務めていて、学生に『もっと就職活動をやりなさい』と言い続けてきましたが、『頼むからもうその辺でやめてくれ』と言ったのは君が初めてだ」と大学の就職次長に言われたことがあります。

「新入社員には、失敗を恐れずに何でもチャレンジしなさい!と言っているが、そこまでやれとは言ってない!」と上司に注意されたこともあります。

こっぴどく叱られたという経験は山のようにありますが、その都度、何がいけなかったのか?どうすればよかったのかを身を持って学ぶことが出来ました。すぐれた本を何冊も読むより、自分が経験から学ぶことは価値があると考えています。本を読むなら経験した後に、学びや気づきを補完する方が効果的だと思っています。

「やってはいけないこと」だけでなく、「やりたいこともとことんやる」というのが私のポリシーです。
やりたいと思ったことは、手を挙げてやらせてもらう。しかし、何でもかんでもではありません。現状に疑問や不満がある場合、問題があって不具合が生じている場合、不満タラタラの言動をまわりに撒き散らして従うことや、陰でコソコソ文句を言うのが大嫌いなのです。


「上手くいっていないんだったら、私がやってみてどうすればいいかを明確にしよう!」という気持ちが強いのです。
そのことで、周りからずいぶん叩かれてきました。いわゆる「出る杭は打たれる」という状態です。最初は悔しい思いをしました。途中で投げ出したくもなりました。でも、「このままでは嫌だ!」という気持ちが、どんどん膨れ上がって来て、外野の雑音を無視してまた取り組み続けました。

最後には「中途半端に出ているから打たれるわけで、ビューンと出過ぎたら、打ってもひん曲がって余計に面倒になるものだ!」と思うようになり、「やりたいことは、とことんやる」に磨きがかかって来たように思います。

その中で、
現状をしっかり把握すること、
目指すゴールを明確にすること、
自分からコミュニケーションを積極的に取って情報を共有すること、
を実践するようになりました。
また、いろんな経験を重ねてきたおかげで、直感が磨かれていきました。

「出しゃばった真似をしてはいけないんじゃないか?」
「私がやることで、迷惑をかけるんじゃないか?」
「何も知らないのにしゃしゃり出るのは、感じが悪いんじゃないか?」

そう考えるのは、あくまでも私自身の考えですが、「思いあがり」だと思っています。
やりたいことや、言いたいことがあるのに、何もやろうとしない、言おうとしない方が、何を考えているのかわらかない。付き合いにくいものです。
どんなことでも、最初から上手くいくわけがありません。上手くやろうと思うことが目的になってしまったら得られるものは半分以下です。

「若い人に失敗を恐れずにチャレンジしなさい」というのなら、自分自身も、上手くいかないことを経験している様子を示すことが、指導する上で大切だと思っています。

人の実力は所詮似たり寄ったり、そんなに大差はありません。
あるとすれば、「やってみよう!」「やろう!」という気持ちの差ではないかな?と考えています。

#出る杭は打たれる #出過ぎた杭は打たれない
#とことんやる  

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