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面白がること

面白がってばかりはいられない、
面白がってはいけない、
そんなことが多いことは承知しているし、当事者だったら、きっと激怒するだろうことだって、日々起こり続けている。
 
とはいえ、この面白がることが、私の活力となっていることも事実だ。
 
こんな私に誰がした?
 
と、人のせいにしようと考えてみたが、面白がることは、私の人生哲学、私そのものだという答えに辿り着くところをみると、生まれながら、つまり、両親のお陰だ、ご先祖様のお陰なのだ。
 
結局人のせいにしているが・・・
 
実は感謝している。辛いことがあっても、いつの間にか笑い飛ばして、面白がって、楽しく暮らしている。

 
こんな私が、人の愚痴や相談事を聞いたときは、返事を熟慮熟考してから答えなければならない。
 
だって、面白がってしまいそうだから・・・
 
不謹慎な言葉を吐いてしまいそうだから・・・

人の痛みや辛さ苦しみなどは本人にしか分からないのだ。ある程度は、我が身に置き換えて察することはできたとしても、それ以上の感情にはきっとならないと思う。
 
では、どんな言葉が適切なんだろうか?
きっと正解はひとつではないと思う。十人いればその数だけの答えがある。その人にとって一番最適な答えが・・・
 
単なる相づちだけでいい人もいれば、しっかりと解決策を答える方がいい人もいるかもしれない。私のように面白がって笑い飛ばしてもいい人もいるだろう。
要するに相手の言葉を一所懸命に聞いて理解しようとすることだ。そして相手にとっての最適解を見つけること。
ただ、相手にとっての最適解だと思っていても、案外それが自分にとっての最適解だったなんてことがよくある。
 
「アナタのためにいってあげてるのよ(私の基準だけど)」
 
「アナタとは違うんです(どこかで聞いた)」
 
 
人の話を聞いて理解するのは難しい。裏を返すと、私の話が理解してもらえていないことがあるのは、容易に想像できる。
 
お互い様なのか?
 
 
丁寧に、何度でも聞いて、そして、何度でも話す。
結局答えはこれだけかも知れない。
 
 
と、偉そうにいっては見たものの、この行動だって、結局は私が面白がっているだけなんだけどね。
 
 
 
 
ところで、友人のインスタストリーズに、私の暑中見舞いと「Octavio Paz の  Figures & Figurations 」が一緒に載っていた。不思議な取り合わせだ。でも、どうもありがとう。







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