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東辻純ピアノリサイタルで感じたこと

初めて、そしてしっかりと聞いた “ベートーベン・ピアノソナタ30・31・32番 ”
ベートベンといえば交響曲の印象が強いけれど(私だけ?)ピアノソナタも素敵だった(今更? といわないで)
 
以前ここでも紹介した、東辻純(ひがしつじ はるか)さんのピアノリサイタルに行ってきた。





関西では名前の通ったクラシック専門のホール「秋篠音楽堂」も初めてだった。商業ビルの中にあるとは思えない、とてもいいホールだ。こういうステージに立てるだけで、心が躍る(いやいや、立ってへん、単なる観客や)

消しゴムマジックで観客が消えた!


どうでもいいけれど、屋上からの奈良の景色。遠くに若草山も見える。


ライブはいいね。大好きだ。
演奏者の一挙手一投足を見ているだけで幸せだ。
ステージ中央のピアノまで歩く姿、客席に向かって一礼をする姿、イスに座る所作、目の動きや息づかい、髪を触る仕草まで、これがライブだ。
 
静寂の中、最初の音を出す直前まで、演奏者はいったいどんなことを考えているのだろうか?
緊張? 期待? 不安? それとも、全く別のことを考えたりしているのだろうか?
 

ベートベンの生涯で、最後の方の作品を、まだ若い純さんが演奏する。きっとこれからの音楽家人生で、数え切れないほど演奏するであろう楽曲だと思う。今日の演奏をしっかりと心に刻みたい。そして、純さんが歳を重ねて未来にどんな演奏を披露してくれるのか、私の老後の楽しみがまた増えた。
 
彼女はプログラムの挨拶文の中で、『これまでの人生はベートーベンに支えられてきたように思う』と書いている。
なんと幸せなことだろう。

振り返って私はいったい何に支えられてきたのだ?
 
アンタ、誰にいうてるの?
 
と、妻の声が爆音で聞こえた気がしたので、心の中で「いやいや、そういう意味とちゃうねん」と思わずつぶやいてしまった。
 
実のところ、私の人生で、ことあるごとに妻の顔が心に浮かんだのは、思い返してみれば事実だ「ありがとう」とついでに ”思って” おいた。
 
思っただけかっ

 
この次、純さんの演奏を聴くのはいつになるのか分からないけれど、彼女が幸せな音楽家であり続けることを、心の底から願っている。


ところで今回のリサイタルは、CDデビュー記念リサイタルだった。もちろん買った。
今回演奏した楽曲とは違うけれど、やはりベートーベン晩年の傑作といわれる“ディアベッリ変奏曲Op.120”だ。
興味のある方はこちらでどうぞ。





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