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ロディオン・シチェドリンとは? - 2838文字

本名

ロディオン・コンスタンティノヴィチ・シチェドリン

略歴

• 人物・来歴
• 1932年、モスクワの音楽家の家庭に生まれる。
• 父親のコンスタンティン・ミハイロヴィチ・シチェドリンは音楽理論の教師であり作曲家であった。
• 音楽に溢れる環境で育つ(父と兄らがトリオを組んでいた)。
• 1941年、モスクワ音楽院付属中央音楽学校に入学。
• 1941年11月、第二次世界大戦を避けて家族と共にサマラへ疎開。
• 1944~1950年、アレクサンドル・スベシニコフ指導のモスクワ合唱学校で学ぶ。
• 1950~1955年、サンクトペテルブルク音楽院で作曲をユーリ・シャポーリン、ピアノをヤーコフ・フリエールの下で学ぶ。
• 大学院に進み、ユーリ・シャポーリンの指導を受け、1959年に卒業。
• 1958年、7歳年上のバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤと結婚。
• 1965~1969年、モスクワ音楽院で教える。
• 作曲家としての活動に加え、ピアノやオルガンのヴィルトゥオーゾとしても活動。
• 自作の6つのピアノ協奏曲のうち半数を手ずから初演。
• ソビエト連邦の崩壊後、国際的な演奏旅行や協同制作を行う。
• 現在、ミュンヘンとモスクワに活動拠点を分けて過ごす。
• 1989年、ベルリン芸術アカデミーより正会員に任命される。
• 1992年、当時の大統領ボリス・エリツィンよりロシア国家賞を授与される。
• 家族・親族
• 父:コンスタンティン・ミハイロヴィチ・シチェドリン - 作曲家
• 妻:マイヤ・ミハイロヴナ・プリセツカヤ - バレエ・ダンサー

妻の略歴 - マイヤ・ミハイロヴナ・プリセツカヤ

wiki(1994-)参照

人物・来歴

• 生まれ:モスクワの芸術家を多く輩出する有名なユダヤ人一家に生まれる。
• 父:エンジニアの父の仕事の都合で、スピッツベルゲン島の学校へ通う。
• 1938年:
• 父親は兄がアメリカに住んでいたため、スパイの疑いをかけられスターリンの粛清により処刑される。
• 母親(サイレント映画女優)はカザフスタンへ強制送致される。
• マイヤは母方のおば、バレリーナのスラミフィ・メッセレルの養子となる。
• 1934年:
• 一家は休暇のためモスクワに帰り、その期間中にマイヤは帝室バレエ学校のエフゲニヤ・イワノヴナ・ドリンスカヤのクラスに編入する。
• バレエを始めて1年目で「軍縮会議」という演目の中国人役で舞台に立つ。
• モスクワに戻り:バレリーナであったエリザヴェータ・ゲルトのもとで6年間学ぶ。
• 1943年:国立モスクワ舞踊学校を卒業し、ボリショイ・バレエに入団。

作品


• 交響曲
• 交響曲 第1番(1958年)
• 交響曲 第2番 「25の前奏曲」 (1965年)
• 交響曲 第3番(2000年)
• 協奏曲
• ピアノ協奏曲 第1番(1954年、1974年改訂)
• ピアノ協奏曲 第2番(1966年)
• ピアノ協奏曲 第3番(1973年)
• ピアノ協奏曲 第4番(1991年)
• ピアノ協奏曲 第5番(1999年)
• ピアノ協奏曲 第6番(2003年)
• トランペット協奏曲(1993年)
• チェロ協奏曲「ソット・ヴォーチェ」(1994年)
• ヴァイオリン協奏曲「カンタービレ」(1998年)
• 管弦楽のための協奏曲 第1番「お茶目なチャストゥーシュカ」(1963年)
• 管弦楽のための協奏曲 第2番「鐘」(1967年)
• 管弦楽のための協奏曲 第3番「懐かしいロシアのサーカス音楽」(1989年)
• 管弦楽のための協奏曲 第4番「輪舞」(1989年)
• 舞台音楽
• 歌劇「愛だけでなく」(1961年)
• 歌劇「死せる魂」(1976年)
• 歌劇「ロリータ」(1993年)
• 歌劇「魅せられた旅人」(2002年)
• 歌劇「左利き」(ニコライ・レスコフ原作、2013年マリインスキーII上演のためにヴァレリー・ゲルギエフより委嘱)
• バレエ「せむしの仔馬」(1955年)
• バレエ「アンナ・カレーニナ」(1971年)
• バレエ「かもめ」(1979年)
• バレエ「犬を連れた奥さん」(1985年)
• ミュージカル「12ヶ月のニーナ」(1988年、明治生命ミュージカル、日・米・露共同制作
• その他の管弦楽曲
• 交響組曲「愛だけでなく」(オペラからの抜粋による、1964年)
• カルメン組曲(1967年、ビゼー原曲)
• 組曲「かもめ」(バレエからの抜粋による、1984年)
• 荘厳序曲(1982年)
• ロシア受洗一千年記念のスティヒラ(1987年)
• ベートーヴェンの第9交響曲のための前奏曲
• 交響的ディプティク
• ピアノ曲
• ピアノ・ソナタ 第1番(1962年)
• ピアノ・ソナタ 第2番(1997年)
• 24の前奏曲とフーガ(第1巻1964年、第2巻1970年)
• 25の前奏曲《ポリフォニーの手帳》(1972年)
• 小品
• 詩曲
• バレエ「せむしの仔馬」からの4曲
• ユモレスク
• アルベニスを模して(ほかに、ヴァイオリンもしくはチェロとの二重奏版がある)
• トロイカ
• 2つのポリフォニックな小品
• 2声のインベンション
• バッソ・オスティナート
• 室内楽曲
• 音楽の捧げもの(フルート、ファゴット、トロンボーン各3とオルガンのための、1983年)
• 無伴奏ヴァイオリンのための《エコー・ソナタ》作品69(1984年)
• 声楽曲
• ニコライ・レスコフによる合唱曲《目隠しされた天使》(1988年)

コンスタンティンの由来

推測であるが、
現在・トルコ🇹🇷・イスタンブールの前身である

コンスタンティノープル

が由来なのではと踏んでいる。

コンスタンティノープルの歴史

• 建設
• 330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世がビュザンティオンに建設。
• 都市名は「コンスタンティヌスの町」を意味する。
• 特徴
• アジアとヨーロッパを結ぶ交易の要所。
• 天然の良港である金角湾を擁する。
• 繁栄
• 330年より東ローマ帝国の行政首都として発展。
• キリスト教圏最大の都市となり、人口は30万~40万人に達する。
• 「都市の女王」「世界の富の3分の2が集まる所」と称された。
• コンスタンティノープル総主教庁が置かれ、正教会とビザンティン文化の中心地となる。
• 守護聖人は聖母マリア。
• 防衛
• 強固な城壁により、多くの外敵の攻撃を跳ね返す。
• 衰退と陥落
• 1204年、第4回十字軍の攻撃で衰退が始まる。
• 1453年、オスマン帝国に陥落し、東ローマ帝国が滅亡。
• オスマン帝国の首都となる。
• 現代
• 日本では、1930年のトルコ革命後から「イスタンブール」と呼ばれるようになる。

以上

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