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「青の奴隷」後編

 本村が誰よりも早く動いた。悲鳴が上がった場所、扉付近まで走る。できた人混みもどんどんかき分け、中心に辿り着いた。本村に遅れること数秒。今川、西も騒ぎの中心に駆けつける。
 そこには、髪も髭も伸びきった男がナイフを持った男、その男に抱えられ首元にナイフを突きつけられている男の子がいた。
「進くん!!」
 進くんは泣きながら足をばたつかせ、手をとある方向に伸ばしている。その手の先には右頬を手で押さえ、座り込む華の姿があった。華の手の隙間からは血がとめどなく流れている。
「止めて!! 進を返して!!!」
「うるせぇぞ!! このガキがどうなってもいいのか!!」
 男は進くんの首元に突きつけていたナイフを更に突きつける。進くんの首筋に一筋の赤線がつけられた。
「おい、一旦落ち着け!! その男の子を離してやってくれ!!」
「うるせぇよ!! なんで俺がお前の言うことを聞かないといけないんだよ!!」
 男は大声でわめきたてる。今川などの素人目から見ても、犯人が今にも何をしでかすかわからない危険な状態であることが分かった。
「分かった。話合おう。お前は誰だ? 何が目的なんだ?」
 トーンを落とし、ゆっくりとした声でそう言った本村は一歩犯人に歩み寄った。
「おい! こっちに来るんじゃねぇ!!」
 男はナイフを本村の方に向けた。周りから悲鳴が上がる。本村はその場で立ち止まる。
「わかったわかった。すまなかった。これ以上近づかない。だから目的を教えてくれ。何のためにお前はこんなことをするんだ」
「なんのため? 俺は復讐に来たんだよ」
「復讐? 誰にだ?」
「三年一組の本村隼人、木津正吉、太田和馬。まずこの三人を殺す」
 観衆の視線が前に出ている本村に集まる。
「お前、もしかして岸か……?」
 会場がにわかにざわつく。
 岸航平。三年一組に在籍していた男子生徒。学生時代、本村、木津、太田にいじめられていた。ちょくちょくと学校を休むようになり、最終的には不登校になった生徒。
 さっき、招待状は送ったが返信がなかったと聞いたけど……。
「ああ、そうだよ」
 本村とは違う意味で学生時代から変わってしまっていた。眼鏡は相変わらずだが、あの時の気の弱い優等生的な雰囲気は一切感じられない。髪も髭もぼさぼさ。服も皺だらけで所々汚れている。何より長い前髪の向こう側にある双眸。底が見えない。真っ暗闇。黒より黒い。そのどす黒さの中に何かがあった。
「すまなかった」
 本村は頭を下げた。
「岸。お前にずっと謝りたかったんだ。申し訳なかった。ごめん。あの時、あの時、俺たちはお前をからかった。時には殴ったりもした。お前のことを傷つけた。最低だ。今謝ったからってどうにかなるようなものでもないと思うけど、取返しのつかないことだけど、本当に申し訳なかった。ごめん」
 本村は更に深く頭を下げた。
「お、お前、もしかして……本村なのか……」
「ああ、本村だ。三年一組の本村隼人だ」
 会場内に数秒の沈黙が流れる。
「ふざけんな……ふざけんなよな!!!」
 岸は吠えた。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!!! 俺はお前が大嫌いだ! なぜならお前は俺の人生をむちゃくちゃにしたからだ!! お前のせいで俺の人生は全ておかしくなった!! お前が最低なせいでだ!! それなのに、勝手に改心してんじゃねぇよ!! お前は最低な奴なんだ!! それは今お前がどんなに良い奴ぶっても変わらない!! 過去はずっと変わらないからな!! お前は俺のことを殴った。蹴った。金を奪った。教科書を破いた。靴を隠した。眼鏡を壊した。机に悪口を書いた。みんなの前でズボンを下した。全部、全部お前がやったことだぞ!!!!!」
「ああ、だから謝る。申し訳なかった」
「勝手に謝ってくるな、楽になってるんじゃねぇよ!!お前は最低な人間なんだからよ!!!」」
「ああ、昔の俺は最低だ。すまなかった。だが、変わった。今はちゃんとしている。お前も変われよ。昔のそんな事いつまでも引きずって」
「そんなこと……? そんなことだと!!!!!!」
 岸は大きくナイフを振り上げた。その切っ先は進くんに向いている。その腕が振り下ろされる、前に本村は岸に肉薄した。振り下ろされる腕を左手で掴み、右手で進くんを救出。救出後にナイフが握られている腕を捩じり上げ、ナイフの奪取。そのまま岸を抑え込んだ。
「痛っ! 痛い痛い痛い」
「警察を舐めるなよ」
「警察だと……、お前が? 何でお前なんかが警察になれるんだよ!! お前みたいなやつは刑務所に入って糞みたいな人生を歩むもんだろうが!!」
 岸はそう叫びながら暴れるが、本村はびくともしない。
「岸、お前なんで華と進くんを傷つけた? お前の狙いは俺だろう」
 本村はちらりと華の方を見た。華の周りには人だかりができている。その人だかりの間からハンカチを傷口に押し当てている華が見えた。そのハンカチは赤く染まっている。華の横で大泣きしている進くんを周りにいる人がなだめている。
「進くんや華を傷つける必要はなかっただろう。なんで」
「そこに居たからだよ。そこにたまたま居たからだ。まず皆に、特にお前に恐怖を与えようと思った。だからまず、入って最初に出会った人を切りつけてやろうと思って」
 本村は更に体重をかけた。岸は「うっ」短いと呻き声を上げる。
「犯罪者は、特にお前みたいな捻くれてる奴は皆そう言う。けどな、それは違う。もしお前が最初に出会ったのが屈強な男だったらお前は何もしていない、できていない。その屈強な男のすぐ近くに居る女子供を狙ったはずだ。『誰でも良かった』って言った犯人が実際に傷つけるのは決まって女子供なんだ」
「いいや、僕は違う! 僕は、僕は!!」
 そうしてる間に、外からパトカーのサイレンが聞こえてきた。この中の冷静な誰かが、もしくはホテルの人かが騒ぎの最初の方に警察で電話していたのだろう。
 サイレンが聞こえてすぐに、何人もの警察官が扉を勢いよく開けて入ってきた。岸は入ってきた警察官に速やかに引き渡された。
「ご協力感謝致します」
「いえ、非番とはいえ私も同業なので」
 感謝を伝えた警察官の敬礼に敬礼で返した。それからすぐに本村は華の元へ向かう。
「華、大丈夫か?」
「そんなに大した傷でもないわよ。大丈夫」
「でも……」
「それよりも、本村くん。お父さんになるんだからあんまり無茶しちゃ駄目じゃない」
 その言葉は連行され、すぐ近くを通った岸にも聞こえたのだろう。岸は立ち止り、本村の方を茫然と見ていた。しかしすぐに警察官に引っ張られて再び歩きだした。岸の目から一筋の涙が流れた。

 今川は西と二人で電車に乗っていた。時間も相当遅いので、他に乗客の姿は見当たらない。
「すっかり遅くなっちまったな」
「そうだな」
 警察官が来て、岸が連行されるのと同時に、救急車も到着し華を病院に連れて行った。残った面々には警察の簡単な事情聴取が行われた。人数も人数なので結構な時間がかかってしまい、今の時間にまでなった。これでも、今川は東京に、西は大阪に帰らなければならないので早めに事情聴取をやってもらい帰りの足になんとか間に合うように電車に飛び乗ったのだ。
「なあ、ヒデは明日仕事なん?」
「急にどうした」
「いや、今日は土曜日やん? 銀行員様は基本土日祝は休みやろ? 別にもう時間も遅いんやし、適当なホテルにでも泊まって、明日地元を満喫してゆっくりと帰ればええのにな、と思って」
「ああ、いや……」
「もしかして、俺に合わせてくれたんか? 俺は明日の早い時間に劇場の出番あるから今日中にここを出なアカンのに」
「……そういうのじゃねぇよ」
 そう言う今川の肩を西は軽く小突いた。
「わかったわかった。そういうことにしといたるわ!」
「違うって言ってるのに……」
 一瞬訪れた沈黙を嫌うかのように今川は西に訊いた。
「どうなんだ? 仕事の方は。明日も仕事ってことは上手くいっているのか?」
「それ訊くぅ?」
 そう言われて今川の首筋に一筋の冷や汗が流れる。
「あ、ごめん。い、今のなしで」
 たどたどしく前言撤回する今川を見て西は笑った。
「なにをそんなに慌ててんねん。別に職業が泥棒とか詐欺師とか犯罪犯してるわけでもないんやから、全然話すわ」
 電車が減速し、ゆっくりと駅に止まった。まだ目的の駅までは何駅もある。それにここは田舎だ。駅と駅との距離も長い。ドアが開く。凍てつくような風が勢いよく車内に吹き込んでくる。乗ってくる人なんていないというのにドアはいつも通りに開いている。いつもより長い時間開いていると思ってしまうのは、流石に気のせいか。
「まあ、売れてるか売れてないかで言ったら、間違いなく売れてない。ここ最近、俺は芸人なのか居酒屋の店員なのかわからなくなる時がある。収入で言ったら間違いなく居酒屋の店員ってことになるんだろうけど。子供のころ芸人に憧れて、大阪生まれでもない癖に大阪弁を喋ってみたりしてな。高校卒業と同時に意気揚々と大阪に乗り込んだけど、全然やったわ。あの時、高校の文化祭の出し物で漫才して、ウケて、自分は面白い人間なんだと勘違いしたんやな。けどそれは井の中の蛙大海を知らずやったんや」
「そんなこと」
「ええねん、慰めはいらん。ヒデは優しすぎるで。次こそは次こそは、こうやったら売れる、こうすればウケる。そんなことを続けてたらもうこんな年齢や。もう今からちゃんとした社会人にはなられへん」
 今川は言葉を発することができなかった。どんな言葉をかければいいのかわからなかった。
「まあ、最近下積みが長い人たちが売れることもあるし、新しい大会もあるしな。次会う時はこんな軽い感じで会われへんかもしれへんで、マスクとかサングラスとかしてお忍びやないと人だかりができてしゃあないかもな」
 西はそう言って笑った。
 電車は地下に入った。不思議と来た時よりも長いように感じられた。

「じゃあ、俺はこっちやから」
 西は深夜バス乗り場の方面を指差して言う。
「そうか」
「というか、早く行かなアカンのとちゃうか? 新幹線ってそんな深夜までは走ってないやろ」
「ああ、これから走るよ。お前だってはやくしないと乗り遅れるぞ?」
「せやな。じゃあ、今度会う時は奢ってくれよ、エリート様!!」
 そう言って西は慌ただしく走っていった。何回かこちらを振り向いて大きく手を振りながら。西は最後に角を曲がる時に手を振って見えなくなった。
 それを確認した今川はポケットからスマホを取り出し、今いる駅から出る深夜バスについて検索する。大阪行きの深夜バスは約十分後に出る。
「まあ、ギリ大丈夫か」
 今川はゆっくりとした足取りで駅の中に入っていた。

 大阪行きの深夜バスが発車した直後の深夜バス乗り場に今川の姿はあった。人影に隠れながら待合室の中を注意深く見渡す。西がいないことを確認し、暖かい待合室の中に入る。
スマホを取り出し、自らが乗る深夜バスの時間と乗り場を再度確認する。確認後、すぐにアナウンスが入り、今川の予約したバスへの乗り込みが開始されることが告げられた。暖かい待合室から再び寒空の下へと出る。バスへと続く長い列に並んだ。風が吹く度に肩をすぼめる。こんなときに限って、列の進みが遅い気がする。内心イラついてきたが、それを面に出す度胸はない。黙ってバスに乗り込み、自分の席に座る。自然に安堵の溜息が出る。
 もう大丈夫。大丈夫だ。俺はやり切った。隠し切ったんだ。みんなの期待を裏切らずに済んだ。安堵からか急激な眠気に襲われた。今川は抵抗することなく、その眠気に身を任せた。
 バスは闇夜の中を進んでいく。

 早朝、今川はバスを降り、電車に乗って自宅である駅から徒歩十五分のアパートの階段を上る。階段から一番遠い扉の鍵を開ける。真っ暗だ。カーテンを開けて行けば良かったとボーっとした頭で考えながら靴を脱ぐ。カランカランと音がする。暗いからよく見えないが、大方、床に転がっているストロングの空き缶でも蹴飛ばしたのだろう。気にせずに歩を進める。何度か空き缶を蹴飛ばした。カーテンを開ける。ただでさえ狭いワンルームの部屋がゴミや脱ぎっぱなしの服で更に狭く感じる。昨晩の煌びやかな空間がまるで夢のようだった。
 今すぐ敷きっぱなしの布団に倒れこみたい気分だ。人間の身体は座りながら熟睡できるようにはなっていないようだ。首と肩甲骨あたりが痛い。それと何度か挟まるトイレ休憩の度に目が覚めるもんだからほぼ寝てないといえる。しかし、そうも言えないバイトに穴をあけるわけにはいかない。責任感も少しはあるが、それよりももっと切実な問題として金がないからだ。同窓会の会費だって手痛い出費、いや、手痛すぎる出費だ。
 就活の時以来着ていなかったスーツを脱ぎ、いつものTシャツとズボンに着替える。バイトの制服を散乱した服の中から見つけ出し、カバンに詰め込むとすぐに家を出た。

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