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40を超えたプロレスラー数人が試合後に泣いた理由

で、こちらは有料版です。

昨日(7月21日)に両国国技館大会で髙木三四郎と私が試合を行ったのですが。

なぜ50歳前後のおじさんが2人して試合後に泣いてしまったのかの解説をする記事になります。

前提の背景を語っておきますね。
何度かメディアやこのnoteで語っていることも含まれますが、(ここは商機なんで多くの人に課金してもらうために)あえてわかりやすく説明します。

私男色ディーノは、20年とちょっと前に髙木三四郎に拾われて表舞台に立ちました。
表舞台とは言っても、まだ数か月に1度のペースで後楽園ホール大会をやる程度のインディ団体でしたが。
ただ、その前は私自身が数か月に1度のペースで小さい会場で試合をやる程度の選手だったので、それだけでまあ大出世ですよ。

で、私は一応プロレス界のインディの中ではそこそこの位置にいたDDTで生きていくことを決めました。
DDTを大きくすることが我が人生だ、と思って。
私、三国志が好きなんでね。
仕えた国を大きくするのが私の中で美しい人生観なんです。
自分の国を持つ人がいてもいいし、武将として名を馳せるのがロマンと感じる人もいるでしょう。
ただ、私はトップでなく武名を天下に轟かせたいわけでもなく。
ただ楽しい人生を送りたかっただけなんです。
面白いと思ってくれる人を増やして国を大きくする。最高じゃないか。

そんな中、DDTという国に一人の天才武将が現れました。
それが飯伏幸太だった。
飯伏さんはこの国に仕えてからというもの、メキメキと頭角を現しました。
彼も「プロレスが好き」でDDTに入ってきた口です。
そして彼もまた、プロレスを拡大解釈する奴でした。

ところで、「あれもプロレス、これもプロレス」とはよく言われる言葉ですが、実は私は別の感覚を持っていて。
「プロレスは奥深いから、あれやこれの要素をぶち込んでも成立するんじゃないか?」
この思想で23年、学生プロレスを入れると29年やって来てるだけなんです。
結果、見てる方からすれば「あれもプロレス、これもプロレス」ってことになるんですが。
DDTはその幅が広いだけなんですよ。
だけど「本来のプロレス」ができないから「幅のプロレス」をやってると思われてきた。
たぶん、主に私のせいで。
その印象を変えたのが飯伏さんでした。
飯伏さんが他団体に出て結果を残すことで、DDTの持っていた「本来のプロレス」が証明できた。

プロレスの「幅」と「本来あるべきプロレス」が両立できていた時代。
それが飯伏さんがいた時代です。

髙木三四郎は思ったことでしょう。
「飯伏がいれば、DDTはもっと上に行ける」と。

でも、その時代は長くは続かなかった。
飯伏さんの存在が、大きくなりすぎたのです。
DDTが大きくなる速度と、飯伏さんが大きくなる速度が合わなかった。
髙木三四郎としてそれを解消させる方法が、新日本プロレスとDDTとの二団体所属だったんです。

ここから、すべてのバランスが崩れたと私は思っています。

飯伏さんには飯伏さんの苦悩があったはずです。絶対に。
もちろん、人間なんで全部の選択が正しいとは限らない。
選択によって迷惑がかかった人もいるでしょう。
でも、それでも選ばざるを得なかったこともあったはずです。
こうして、飯伏さんはDDTから離れる事となりました。

そしてここからは私の勝手な推測です。
髙木三四郎は、誰よりも後悔していたと思っています。

「飯伏がいれば、DDTはもっと上に行ける」

その飯伏さんを抱えきれないことの不甲斐なさに。
飯伏さんのポテンシャルを誰よりも理解している存在だからこそ、ポテンシャルを発揮させられないその頃のDDTの現状に対して。

飯伏さんの離脱は、髙木三四郎のキャリアの中で心に大きく刻まれた出来事だったはずです。
ある種のトラウマと言っていい、と私は思っている。

ここで、ある言葉が髙木三四郎を襲います。
正確に言えば、襲いかかると同時に立ち上がらせた、とも言えますが。

The Show Must Go On
一度始めたことは、続けなければならない。

もう、この時期のDDTは止まることが許されない状況でした。
竹下、遠藤、BASARAに行った福田。
明らかに才能がある選手がDDTでデビューして。
石井、入江、高尾が上を窺っていて。覚醒前の平田もいて。
名古屋でデビューした彰人といった才能も合流します。
勝俣や樋口より後のDNA世代、それこそ上野やMAOが入ってきたのもこのあたりでしょうか。
ここまでDDTを大きくしてきた選手もまだ30代で。

DDTが上に行くための陣容が整いつつあった。
だから、飯伏さんが抜けても続けなければならない。

髙木三四郎は、おそらく心に空いた穴を隠してDDTを続けました。

それから8年後。
髙木三四郎が、無期限休養を発表します。
経営をするに当たって、どうしても試合との折り合いがつかなくなったのでしょう。
ですが、経営を諦めるわけにはいきません。
だって、DDTを大きくしなければならないから。
自分の手で。
もう才能を持っていても抱えきれない、なんて悲劇を起こしたくない。
それが、髙木三四郎の夢なのだから。

もちろん加齢もあると思います。
体調がどうしても整わないことが休養の理由だと私は理解しています。
その最後の試合の相手が男色ディーノだったんです。

長くなりましたが、これが今回の vs髙木三四郎の前提です。

ここから、有料にします。
ここからは私の勝手な想像ではなく、私自身のことも入ってくるから。

私の vs髙木三四郎はこの前提無しでは語れません。
なぜなら休む前の髙木三四郎に対して、髙木三四郎の心の穴と向き合わせる必要があったからです。

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