夢は紡がれる【無料】
月曜日なので週刊男色ディーノです。
先週は女子プロレスの話題が豊富だった気がします。
マリーゴールド旗揚げとか、木村花さんのメモリアルマッチとかが行われました。
まあ、話題とは言ってもスターダムとマリーゴールドの関係値が気になってるってだけの話なんですが。
あと、オールトゥギャザー次の札幌大会のカードが発表されましたね。
これに関してはまた別のタイミングで語ってみますかね。
オールトゥギャザーに対してどうって話ではなくこうやったら面白くなるんじゃないかというまあ「ぼくがかんがえたさいこうのカード」なんですけども。
そんな感じで、話題に対して語れるほどの情報を持っていない私は今週も昨日行われたDDT後楽園ホール大会というか、KING of DDT トーナメントの結果を受けて思ったことを語ってみます。
今回は無料で。
なぜなら感慨深く、それを伝えたいから。
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私にとって、DDT両国大会は特別である。
DDTが今業界でそこそこの位置にいるのも、2009年にDDT両国大会を成功させたからである。
それから、DDTは定期的に両国国技館で大会を開ける規模の団体になった。
つまり、一目置かれる存在になったきっかけが両国大会なのだ。
あの頃のDDTにとって、両国国技館はまさに挑戦だった。
後楽園ホールのキャパがだいたい1000人。両国国技館はだいたい8000人。
本当の意味でのキャパではないけども。
現実的なキャパの話。
要は8倍。
みんなが無理だろうと思った。
でも、誰よりも必死に挑戦していた男が、社長の高木三四郎だった。
「俺が1000枚売るから、お前らも頑張って売れ」
選手による手売りという非常にインディくさいやり方ではあったが、誰よりも成功させようとしていたのが高木三四郎だった。
その姿に、選手も引っ張られていった。
何を隠そう、私も懐疑的だった。
しかし高木三四郎の必死さに、チャレンジングな姿に、私も当てられていた。
これは初めて言葉にするが、私が高木三四郎を一番カッコいいと思った瞬間はこの時である。
試合中ではなく。
社長になった時でもなく。
サイバーエージェントを親会社につけた時でもなく。
自分が先頭に立って、誰よりも頭を下げてチケットを売ろうとしていた、あの時期。
人生での勝負所を迎え戦っていた高木三四郎は、掛け値なしにカッコよかった。
私は、懐疑的だった自分を恥じた。
普通に考えたら絶対に無理なことに、挑戦する。
何を恥ずべきことがあろうか。
もちろん会社の社長として、夢ばかり追ってないで現実を見てもらわないと困る。
ついていく選手も人生かけてるんだから。
社長の判断ひとつでみんなが路頭に迷う可能性だってあった。
でも、あの時の高木三四郎は本気だった。
本気でギャンブルしていた。
文字通り、誰よりもチケットを売った。
当時のやり方で、できるすべての力を使って両国国技館を埋めようとしていた。
その姿を見て、選手もついていった。
厳密に言うと、あの時いた全員と確認を取ったわけではないからわからない。
でもあの頃、両国大会が近づくと共に選手の腹はくくれていったはずだ。
そう。
あれは、お祭りだった。
学園祭。
少し話はそれるが、拳王選手がDDTのことを「学芸会」と評したことがあった。
それはおそらく挑発として用いられた言葉だったのだろうが。
少なくとも私は、その言葉に対して嫌悪感は抱かなかった。
なぜなら、最初の両国を成功させた時の感覚が、学園祭のそれに近かったからだ。
だから「え、それの何が悪いの?」と思ってしまった。
めちゃくちゃ面白い学芸会だったら、それはそれでよくない?
これは良いことか悪いことかわからない。
でも、私のプライドはそこにはない。
私が学生プロレス出身だからか、もともとそういう奴だからなのか。
見に来る人が、人生の大切な時間を、持っているお金を、我々を見るために使ってくれる。
その結果、楽しんでもらう。
それで十分じゃね?
私たちがプロかどうかなんて、そこには関係なくて。
いや、職業としてプロの自覚は必要なケースもあるが。
プレゼントで一番大切なのってガワじゃない。
なんなら中身でもない。
受け取った時に喜んでもらえるかどうか、だ。
まあ、喜んでもらうために中身も装飾も凝るわけだけども。
話は戻る。
もう、今のDDTはあの頃のDDTではない。
これは、もうハッキリとわからなきゃいけない。
誰よりも、私が。
時代が進んでしまった。
団体が大きくなってしまった。
もう、選手による手売りが通用する世の中でも規模でもない。
たまに出る私のDDT批判をここでも出してしまうが、DDTの一時期の失敗は、DDTがメジャーぶろうとしたところにあると私は思っている。
中身に合わない服を着ようとしていた。
業界内の順位はどうでもいい。
いや、経営においてどうでもよくないのかもしれないけど、であればそれは会社だけで何とかしてくれ。
もうね、メジャーだろうがインディだろうがどっちでもいい。
DDTが、夢を提供する場でさえあれば。
規模がどうなろうと、一番大切なのってそこだと私は思っている。
新日本プロレスに追いつけ追い越せ。
高木三四郎の夢はそこにあるんだろう。
私の夢は微妙に違う。
新日本プロレスができない方法で夢を与えよう。
私の夢は、DDTがメジャーになることそのものじゃない。
多くの人に夢を与えたいのは同じ。
でも、方法論が「DDTのやり方で」じゃないといけない。
私の中では。
私にとって、DDT両国大会は特別である。
でも、その想いは若い選手に強制するものでもない。
当たり前のように両国大会を成功させることも、組織として大切な事なのかもしれない。
そう思ってた。
でも。
今年のKING of DDT トーナメントを優勝したのはMAOだった。
優勝後にMAOは言った。
「これで両国メインだ」と。
これは、私が都合よく考えすぎているだけかもしれないが。
27歳のMAOが。
2009年にはまだここにいなかったMAOが。
両国メインを特別に思っていた。
両国メインは誰でも立てる場所じゃない。
勝ち取らなきゃ立てない舞台だ。
両国大会は特別で、その中でもさらにメインは特別。
DDTのすべてを背負う場所。
その覚悟を持った奴しか辿り着けない場所。
覚悟を持っていても、勝ち取らなければ行けない場所。
想いは繋がっていた。
これ聞いた瞬間、私はちょっとだけ泣いた。
DDT両国大会が、今年もやってくる。
MAOがまず決めた。
メインのもうひとつの枠。
上野か、高木三四郎か。
私は今年、上野に生き返らされた。
感謝しているし、ひょっとしたら上野は歴代最高の王者なのかもしれないとも思っている。
だから、上野が両国メインに立つ資格は充分にある。
なんなら、今年は上野が立たなきゃいけないとさえ思っている。
しかし。
タイトルマッチに臨むのが、私が一番カッコいいと思った時の高木三四郎であるならば、私は高木三四郎を応援する。
高木三四郎の夢?知らねーよ。
上野勇希の夢?それも知らねー。
ずっと見てきた私の夢を、終わらせないでくれ。
どっちの夢でもいい。
私に見せつけてくれ。
「今年の両国メインを飾るのは、俺の夢だ」と。
夢を踏みにじるのは、より強い夢。
夢のぶつかり合いでも、現実は存在する。
強い方が勝つ。
それが、DDTのリングで勝つって事だ。
で、敗者の夢をも飲み込んで立つ場所がDDT両国大会のメイン。
メジャーとかインディとかどうでもいいからさ。
君の夢を見せてくれ。
お客さんにも、他の選手にも。
今年も両国大会がやってくる。
今年は久しぶりに、私も頑張って手売りをしようと思う。
チケットは↓こちらまで。
買い方わからんって人はメールで聞いてもらえれば。
d_d_damare@yahoo.co.jp
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