自称料理評論家は人の心がわからない


昨今の○○ログに増えた自称評論家

昨今飲食店を評価して、ランク付けするサイトやSNSコミュニティーで酷評したり店をけなしてる書き込みが横行している。
まー自己顕示欲、承認欲求を数値化した「いいね」をもらうには、褒めるより、けなしたほうがもらえるから多いのだろうが、そういう評価は店の格付けにまで影響してくる。故にそういう方々の行為は店の売上を故意に落とす行為として度々、訴訟問題まで発展している。訴訟を起こされても大丈夫なのであれば良いのだが、そんな人間なんてあまりいないと思う。

人の評価のみに振り回されている現代人

現代人は本当に人の評価に振り回されているのを痛感する。
知らない土地に行って美味しいお店ありませんか?と地元の人間に聞いても返ってくる言葉は
「〇〇がいいですよ。△△ログの評価で星○個なんで」
表向き笑って聞いているが、腸煮えくり返っている時間だ。あんたのおすすめじゃないのか?と。昔は
「〇〇がいいね。あそこは△△と□□が絶品で大将も面白くておすすめだよ」
ってのが返ってきて楽しかったもんです。本当に悲しいね。
星と評価しか見てない、メニューの面白さも、人間の暖かさとかも感じないで紹介しちゃうんだもんね。

料理人の心意気とそこにいるご贔屓さん

どんなお店であろうが、料理人はプライドを持ってお客様に料理を提供しています。美味しくないものを出そうと料理している料理人はいません。
お客さんも100人いれば100人の味覚があります。五味の感じ方は人それぞれですし、環境的要因(気温、湿度等の環境要因)や、生活的要因(体調、飲酒喫煙の有無、嗜好等)で味覚は大きく変わります。あなたが美味しくないと感じた料理でも、それを好きで通うお客様もたくさんいます。
あなたがご贔屓にしているお店が、不味い、食う価値なし、ゴミみたい、と罵られていたらどう感じるでしょうか?
もし、どうしても伝えたいのであればご店主さんに直接言うべきであって、不特定多数の目にさらされる所に書く案件では無いですし、やっていることはお店の前に落書きしたり、張り紙しているのと同じことだと思います。
それって、犯罪ですよね。
手軽に匿名投稿出来る世の中だからこそ、人の痛みとかを考えられる人間は減っているように感じます。お金払って食ってんだから何してもいいっていうのは違いますよ。

自分に合わないものは縁が無かったと割り切るべし

散々書いてますが、お前も同じことしてないか?
と聞かれたら、自信は無いですかね(笑)
でも自分ルールで、自分に合わない物は上げません。その日のうちは上げません。という二本の柱でSNSをやっております。
一日経ってあー美味しかったな、個性的だったなという物のみ掲載しています。その日の感情に流されない為にやっております。
年間300食程度の外食の中でアップするのは100食程度。大半は掲載しないことが多いです。ということはそういうことなんです。
自分に合わなかったお店には、3回行ってみてだめならもう行かない(笑)
そういうお店とは縁が無かったんだなあって割り切ります。
それでいいんですよね。不味いって書けと言ってる方もいましたが、そんなの写真まで上げるなんて、容量と時間の無駄遣いでしかないよね。
大概不味いって書いてる人って、不味いしか書いてないからそれはそれで才能なのかな。

最後に

美味しい美味しくないというの人それぞれです。
有名なグルメ系ユーチューバーさんも、グルメコミュニティーでは写真だけしか見ない。写真のインスピレーションで店を決めると言います。
私もそうです。写真は参考にさせてもらってます。評価は興味なし。
なんでか?私は高校時代から地元の食べ歩きを趣味にしていて、それがきっかけで高校卒業後は、日本で一番大きな調理師専門学校で食を学び、週末は北は北海道、南は沖縄まで先生の紹介で会員制の高級料亭から、ご当地B級グルメまで食べ歩きました。
舌の記憶は数で決まる。
それから十数年間、飲食店に勤務しながら休日食べ歩きをしてきました。
酷評もする気になれば出来るほど、舌の記憶はあります。
やらない理由は、そんなん聞いてもつまらないというのが大前提ですが、万人がうまいと唸る料理が存在しないからです。
美味しいごはん、楽しいご飯はみんなを笑顔にします。
だから、私が紹介するご飯、料理はみんなが笑顔になってくれればいいな。
ただそれだけです。

今日も良い日でありますように。

HEBA NICE DAY



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?