不注意優性型ADHD大学生
こんにちは。「ひとつひとつやっていく」能力が完全に欠落していることに気付きました。不注意優性型ADHDを抱えている大学生です。
この文章では、4つのトピックを扱います。
①能力の欠落を見過ごしていた理由
②できること
③二次障害
④将来について
①能力の欠落を見過ごしていた理由
不思議なことに、この年になるまで自分の「ひとつひとつやっていく」能力の欠如に気付けませんでした。 まずは、その理由から説明します。
私は、「その時興味の向くトピック」、「完全に未知のもの」、「面白そうだと惹かれたもの」に対しては、凄まじい集中力を発揮することができます。これらトリガーが引かれて、過集中モードに入った時にはそれなりの結果を出すことができます。地頭だけは微妙によいからかもしれません(WAIS-Ⅲという知能指数を測る試験ではそれなりの数値を叩き出していました)。
しかし、自分の興味からかけ離れたトピックに手をつけることができません。本当にできません。壊滅的にできません。やることが複数あったり、事務手続きが多かったりするとそれはもう悲惨です。
過集中状態で猛烈なアウトプットが出せてしまう影に隠れて、「自分の興味から離れた課題を遂行できない」という致命的な欠陥が見過ごされてきたと感じています。
②できること
これまで、私は自分のことを「できるときとできないときのムラがある人間」と認識していました。時折、圧倒的な結果を叩き出すことがあったためです。特にペーパーテストに関してはそれなりの成績を出してきました。なんだかんだ旧帝国大学の一角に現役合格し(てしまっ)たため、自分はてっきり「やればできる」ものだと思っていました。
昔は自分のことを「疲れている時はマルチタスクの精度が下がるためパフォーマンスが落ちる、軽度のADHD」くらいに捉えていましたが、それは大きな誤りでした。
自己分析を進めていくと「興味のない課題をひとつひとつやっていく」という行為が、本当に、驚くほど、壊滅的にできないことが分かりました。
過集中から発生する輝かしい成果の影に隠れて気付けていませんでしたが、想定よりも重度のADHDだったようです(心療内科にて診断済)。
「やればできる」という自己理解は大きく外してはないと思います。問題はこれに「基本やれない」が追加されるところにあります。
これまでの経験上、どうやら「やれるとき」は以下のような条件がいくつか重なった時のようです。条件は大きく5つに分けられます
①やらないと人が死ぬと分かっている場合
②おもしろそうだと感じる場合
③自分で企画して0から立ち上げる場合
④人のためになることが分かっている場合
⑤それを達成することでしばらく(半年程度)の時間的自由が手に入る場合
条件の組み合わせで得られるパワー(エネルギー?)が、目の前のタスクのつまらなさを凌駕すれば、興味のないタスクであっても多少は処理できるようです(定型発達の方には到底及びませんが)。逆に言うと、これらの条件を満たさない事柄は、自分でもドン引きするほど手が動かないわけです。
たまたま条件が揃ったときには、ぎこちないながらもなんとか作業をこなせていたこともあったと思います。ギリギリそれでどうにかなっていた場合も少なからずあると思います。
一方、興味のない作業を続けていると、莫大な疲労とストレスが蓄積するのもまた事実です。興味がないタスクの猛攻を受け続けると、何から手を付けたらいいのかわからなくなり、本当にパニックになってしまいます。訳が分からなくなって、頭が動かなくなります。なぜみんなこれがスムーズにできるのか、今もなお不思議でたまりません…
③二次障害
二十数年もの間、無茶なフォーム(こつこつ行うのではなく、過集中で発揮される底力の貯金でなんとか突破する)で人生を送ってきました。
そのため、いろいろな二次障害に苛まれています。大きく分類すると不安と寂寞感です。
➊不安
自分の意志と行動が一致しないのがとても辛いです。頭で「あれをやらなきゃ/したほうがいい/すべき」だと思ったとしても、体が動かないことがままあります。
幸い、計画を立案する能力は何とか備わっているようですが、その計画通りに実行することが極めて難しいのです。
すなわち、自分の意志と反してやるべきことが実行できないのです。このような経験は枚挙にいとまがありません。
自分で練った計画が存在してて、やるべきこともなんとなく明白になっていて、それをやった方がいいことも分かってるし、やるべきってことも理解してるのに、なぜかそれを実行できなくて、どうしたらいいかわからなくて、何から手を付けたらいいのかわからなくて、気づいたら他のことに興味が飛んでっちゃって、後回しにしてそのまま放置しちゃって、思い出したころには手遅れになってしまったり、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまったり
それが本当に悔しくて、悔しくて。
惨めで、
情けなくて。
でもどうにもならなくて、どうしようもなくて、「脳の特性だから」と言い訳することもできるけど、それを免罪符にするのもなんか違うし
できるときはできるのに、なんでこんな簡単なことができないのか意味がわからなくて、客観的に見たらどう見ても怠惰なだけだし、なにもわからなくなって、どうしたらいいのかわからなくなって
脳の構造もちょっとは勉強したし、心療内科の先生に話聞いてもらったし、自助会にも足を運んだ
自分と似た人間が少なからずいることもわかったけど、それでもこんなにも単純なことができないのは自分でも信じられない
当事者でさえ理解に苦しむことを定型発達の人に理解してもらえるわけないんじゃないか、ああ、どうすればいいんだ
たくさん人に迷惑もかけてきたと思います。すごく心が苦しい。ほんとうにごめんなさい
確かに、興味が持続している間は、調子よく物事をこなしつづけることが可能です。
しかし、興味が途絶えて物事をこなせなくなるタイミングは完全に予測不能です。文字通り急にできなくなるのです。
やらなきゃと思っても、体がついてこないのです。これじゃだめだと分かっています。わかっていますが、なぜかできないのです。その度に、とてもつらい思いをします。本当におかしな話だと思いますが…
「ランダムなタイミングで、できなくなることがある」という時限爆弾を抱えながら日々を過ごさなければなりません。この不安に常に抱え続けて生きています。
➋寂寞感
結局、自分のような困りごとを抱えている人間はかなり少ないため、常に「誰にもわかってもらえない」という感覚に苛まれてきました。
幸い、友人や周りの人には恵まれている(と勝手に思ってる)ため、喋り相手がいないわけではありません。そのため、字義通りの「孤独」の状態であるとは思いません。
それでも心の奥底では「自分のことを理解はしてもらえないだろう(だって自分でも不思議なことが多いのだから)」という諦念に似た何かに付きまとわれています。ここでは寂寞感と表現することにします。
すごくメンヘラチックですが、「本当の自分を誰かに分かってほしい」という気持ちがあります。
とはいえこの寂寞感に関しては、自分の状態をかなりの精度で言語化できるようになり、自己理解ができるようになってきたため、比較的落ち着いてはいます。ここまで本当に長かった…
④将来について
この先の人生についてなのですが、選択肢は大きく二つに分かれると思います
➊”サポート”を頼り「ひとつひとつやっていく」能力をカバーしつつ、一般的な賃労働をする
ここで言う”サポート”とは以下の5つの組み合わせだと考えています。
1.公的な扶助(≒福祉)
→今度最寄りの発達障害センターに相談しに行こうと思います
2.薬物療法(コンサータ)
→今まで手を出していなかったが、試してみます
3.周囲の人間の理解
→最近やっと自分の状況を自分の言葉で説明できるようになった(ようやく!)ので、もしかしたら理解を得られるかもしれないという淡い希望
4.私的な友人との慰め合い(自助会も含む)
→がんばる
5.専門家とのカウンセリング
→心療内科の先生と月に1度カウンセリングを行っています
➋「ひとつひとつやっていく」能力があまり必要とされない、賃労働者ではない生業を見つける
具体的には、自営業/フリーランスなどの、「決まった時間に決まったことをしなくていい」職業です。
今のところ、➊のような一般的な賃労働を行ったとしてもいつかどこかでガタが来てしまうと感じています。自分に持続可能性が見込めません。
とはいえ、全力で”サポート”を投入してみれば、意外となんとかなるのかもしれません。こればっかりは試してみないと分かりません。
個人的には、できれば➋を選びたいと感じています。特に繁忙期がまとまっているため、それ以外の時期はがっつり休めるようなものがありがたいと考えています。
なんにせよ、どちらを選ぶべきかいまいち評価できないのが本音です。
ただ、➋を選ぶにしても「ひとつひとつやっていく」能力は少なからず必要になってくると思っています。
しかし現状「ひとつひとつやっていく」能力は完全に欠落しています。いずれの選択肢を選ぶにしても自分がそれを遂行できる自信がありません
先述したような不安や寂寞感も相まり、これといった決断ができず、身動きが取れない状況に陥っています。
現状を打破するためには「この状態ならできる」という自信をつける必要があります。そのためには「どの”サポート”をどの程度受ければどこまでできるか」を把握しておく必要があると思います。
とりあえず揃えられるサポートを揃えてみたいと考えています。つまり、1~5を充実させることにしばらくエネルギーを注いでみようと思います。
しかし、どう考えてもいまそんなことをしている場合ではありません。客観的に見たら、とっとと翌年以降の身の振り方を決める方がどう考えても得策です。しかし、今の私には、自信がないのです。
(できることに限れば)やればできるのはある程度証明されてるし、ぼんやり自由な思索に耽っている時が誰が何と言おうと楽しい。これらは自分の精神的な拠り所であると同時に、自分の足を引っ張る悪いプライドでもあります。
しかし、私にはコンスタントに発生する雑務を処理できる能力も、自信もありません。自分ができることだけでは、自分が社会に接続する方法を見いだすことができません。
したがって、とりあえず、サポートを強化してどこまでならできるかを確かめてみる方にリソースを注ぐわけです。
傍から見たら順番が逆だと思います。翌年度以降の身の振り方を考えるのが先決だということは良く分かります。でも私にはこの順番しかないのです…
まとめ
色々話しましたが、そこまで悲観的にはなっていません。ここまで自分の状況を説明できるだけの言語化力がついたし、作戦も大まかに決まりました。
本当になにがどうなっているのかわからない状態からは抜け出せました。本当に大きな一歩だと思います。
強いて懸念点を上げるとするなら、新卒カードがどんどん錆びていくことです(もう錆び切っているかもしれない)。あと年齢がどんどん厳しくなっていく。
まあでも何とかはなると思います。根拠はないですが。
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