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メンクリの予約をすっぽかしたADHD

こんにちは。ADHDです。昨日、心療内科の予約時間を間違えて、予約をすっぽかしてしまいました。

昨日は、私のADHDの治療におけるかなり重要なタイミングでした。はじめてコンサータを処方してもらう日でした。それに加えて、今後の人生について、先生にどうしても相談したいことがありました。

そのため私は、昨日の心療内科での診療は、一週間の中で最も大事な予定に位置付けていました。

にもかかわらず、私が時間を勘違いしてしまいました。診療してもらうことができませんでした。


これまでだったら、丸一日落ち込んでいたと思います。しかし、今回はかなり早く立ち直ることができました。記録(自戒)として残しておこうと思います。

起きたこと

前日

googleカレンダーで予定を確認した。「夕方に心療内科に行かなければならない」ということを把握。24時過ぎ就寝。

当日

8:10
起床。その日は特にやることがなかったので、ゆっくり朝ごはんを食べ、ストラテラを飲み、1時間ほどうたた寝。

11:00
昼ごろから心療内科近くのファミレスに籠り、先生に相談したい内容をレジュメにまとめることにする。
しかし身支度ができない。本を読むのを優先したくなったので、読書を開始。身支度の精神的ハードルが常に重い。

13:00
読んでいた本が面白過ぎて、身支度が進まない。仕方がないので、ポモドーロタイマーをつけながら、ぼんやり読書。「相談したい内容は頭の中でできているので、最悪予約の一時間前にファミレスに入ればレジュメは作成できる」と思いながら読書。

15:00~15:30ごろ 
気付いたら寝ていた。

15:30ごろ
起床。この時の認識は「googleカレンダーの通知(予定の50分前に設定しているため、この通知を見てから動けば間に合う)が来たら動こう」「確か16時台だった気がする」。
椅子に座りながら、本を読んだり閉じたりぼーっと考え事をしていた。

16:20
「そういえば何時に出発すればいいんだっけ」とこの日初めてgoogleカレンダーを確認。するとgoogleカレンダーに15:40~と書かれていることを発見。私は、googleカレンダーには集合時刻の20分前を書き込むようにしている。すなわち、実際の予約時間は16:00~である。つまり、今からどれだけ急いでも、確実に間に合わない。

まさかと思い、心療内科からもらった次回予約時間の紙(ADHDに優しいので、紙媒体で予約時刻を確認することができる)を確認。そこにはしっかり16:00~と書かれていた。

着信履歴を確認。予約時間から3分ほど経つと携帯に電話がかかってくるはずだが、なぜかスマホは鳴らなかった。しかし、確認すると16:04にしっかり履歴が残っている。スマホの不具合だろうか。そもそもgoogleカレンダーの通知も来なかった。最後の頼みの綱であるはずなのだが…

16:25 
とりあえず家を飛び出し、心療内科へ向かう。歩きながら、どう頑張っても間に合わないことは確定していることを思い出す。

落ち着いて電話を掛ける。状況を説明。平謝り。
すると、たまたま翌日の動ける時間帯に空きがあったため、振り替えてもらうことに。

17:00
パニックになりながらも、なんとか近くのファミレスに入店。失意のまま、ドリンクバーの甘い飲み物を口にする。
最悪な気持ちになっていたが、一度落ち着いて、今回のことを客観的に分析することに。


客観的な分析

まずは、失ったものと、それを取り返すのに必要な手間について考えた。

①診療

→この日はどっしり相談したい内容があったので、診療時間を40分とっていただいていた。しかし、翌日に振り替えた結果、相談時間は10分になってしまった。腰を据えた相談はできなくなってしまった。傾向的に、一ヶ月後だと長い時間の予約が取れる。つまり、一ヶ月程度の相談の「待ち」が発生したことになる。相談する予定だった内容をnoteに公開して、当面の間は凌ぐことにする。
→また、この日予定していたコンサータの処方は見送られた。しかし、診療時間が短くなったとはいえ、翌日に処方をしてもらえる。したがって、コンサータの処方は1日ズレただけで、そこまで大した問題ではない。

②先生や事務員さんへの誠意

→本当に申し訳なく思う、それはそれとしてADHDの人間が”こう”であることは良く分かっておられる筈なので、明日しっかり謝ろうと思った。電話越しではあるが事務員さんへも謝った。

③「自分はこんな単純なこともできないんだ…」という感覚

→ADHDの人間は、システムか薬に頼らないと”こう”だということを客観的に理解しているため、「まあ起こりうる話だよな」と感じた。水が低きに流れるのと同じ。昔なら本当に落ち込んでいたが、最近はあるがままを受け入れるようになった。自分を責めても改善はしないので、システムの改善に力を入れることにした(後述)。

④翌日(振り替えた後)の時間

→たまたま私に予定がなかった。ほとんど問題はない。




ファミレス特有の無駄に甘い野菜ジュースを飲みながら、以上のことを考えた。まとめると、今回のミスによって生じた被害は2点である。コンサータの処方が一日遅れたことと、先生への相談が一ヶ月遅れたこと。

落ち着いて考えると、前者はそこまで大きな問題ではない。実質的には、先生への相談が1ヶ月遅れたことだけが大きな問題である。これは結構苦しい。

しかし一方で、私の問題は先生に相談してアドバイスを貰いさえすれば何かが劇的に変容するような問題ではない。どちらかといえば、じっくり腰を据えて向き合っていかないといけないものであって、今回の相談は長い旅路の中の1つのチェックポイントにすぎない。人生は長く、巡らなければならない地点もまだまだ数多く存在する。
そう考えると1ヶ月の遅れはそんなに大きなものではない(宙を見上げている)。

というわけで、そこまで凹むものではないような気持ちに包まれ、パニックもかなりすぐに収まった。システムの改善意欲が湧いてきた。

被害が小さかった理由

このことを踏まえて、今回の被害がこれだけ小さく済んだのは、関係する人間が私の特性を理解しており、私は頑張っていることを分かってもらえている∧問題が起きた時に責める対象は私ではなくシステムだと心の底から理解しているからであるからだと実感した。

そして、私がこれからするべきことを確信した。やはり、周囲の人間に自分を理解してもらえる環境に身を置くこと、そして自分を責めることなくシステムを磨き上げていくこと。この2点に尽きる。

追記1

ちなみに振り替えた翌日、家を出た後に間に合わないことが発覚したのでタクシーに課金して事なきを得た。1600円。ADHD税である。

追記2

googleカレンダーの通知が来なかった理由は、いまいちよく分からない。
それはそれとして、毎日朝の段階で予定を確認する時間を設ける必要があると感じた。そういうことをできていた時期はある(今は環境が変わったため再現できていないが)ため、実現可能性はある。

「googleカレンダーの予定を24時間表示し続けるディスプレイ」を、目につくところに設置するべきだと感じた。電気代を気にしている場合ではない。トイレとかに掛けとくのがいいのかな?
このような、システムの改善のみが、上手くやっていく唯一の手段である。私自信は変えられないのである(ガハハ)。

追記3

すごく重要だと認識していた予定をすっぽかしたことで、いよいよ自分の能力に対して信頼がなくなった(いい意味で)。私がどれだけ頑張ろうができないものはできないんだという諦念と、最強のシステムを組んで何とかしてやるぞという静かな闘志。

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