世界の果て
もう60日ほど国内でのCOVID-19感染者は見つかっておらず、夜間外出禁止令も解除され、市内には渋滞も起きるようになり、どこかの店舗へ入る時の体温チェックなど以外は、ロックダウン以前の生活サイクルが戻ってきたようです。
とはいえ、海外から国のチャーター便で帰国するタイの人たちからはほぼ毎日のように陽性反応は数名見つかり、まるで小さな無風のガラスドームか音質の中から外の嵐を見ているような気がします。
ともあれ、COVID-19感染者が市内におそらくいないこと、タイの主要産業でもありながら大打撃を受けてしまっている観光業の救済で、タイでも国の支援をうけた国内旅行キャンペーンが始まったうえ、流石に数ヶ月に渡る引きこもりが息苦しくなった人たちも増えて、この週末から明日までの4連休は小旅行に出る人も少なくないようです。
私はといえば、今年の雨も降らず水田にもなんだか水気が足りず、道には埃が舞っている雨期らしくない少雨の天気が憂鬱に思え、それだけでもなんとなく出かけようという気持ちにもなれずにいます。
無論、人の本性としてなんとなく遠いところへ向かう気持ちはあり、それを慰撫するためにGoogle mapで、アトラス山脈の谷あいにある薔薇の谷やそこで親しくしていたベルベルの人の壮麗なくらいの土の家(そんなものまで見つけられるなんて!)、美しい珪素や雪花石膏の結晶のある鉱山の場所を見つけ出したり、今は無くなってしまったチェンマイがチェンマイになる以前の古い環濠都市の痕跡や、古代の火山の火口跡を見つけ、そんな場所にピンを落としていくような、そんなとりとめのないことをしています。
それらの大半は、過去に行ったことがあったり、仕事で繰り返し通った場所ですが、当時はけもの道のようだった道がアスファルトになっていたり、優美だけれど毎年手を入れなくては少しずつ溶けていってしまう日干しレンガの家がコンクリートに変わっていたり、秘密の花園のようだった村は、ありきたりの地方の埃っぽい町や見世物的な場所になっている、そんな現実がモニタ越しにも見えてしまい、なんだか世界や大切な記憶のいくばくかが失われたような気がしてしまうのも否めません。
いたるところが、かつて無名だった小さな村でさえも物理的にはコンクリートに、また情報の世界の中に取り出され、到底その土地ではあり得ない服装や仕草のセルフィーのデータに覆われていく様子に、ふと世界の果てがなくなっていく、知らない土地が消えていく。そんな言葉がふと思い浮かんでしまいます。
北アフリカの端をわざわざ見なくとも、チェンマイでも、村のために作られた小さな貯水池が、SNSの現実にはあり得ないようなキャンプのイメージ写真やムービーのために、近郊からその架空の情景のように過ごそうと車が大挙し人が群れ、少し前ならば動物の歩く気配をうつしていた夜の水にはカラオケの派手な重低音がひびき、そんな夜が開けて人が去った後には、大量のゴミが残され、困った村は貯水池への道を閉じてしまう。そんな出来事が、方々で起きるようになったようです。
見たこともない場所、未踏の場所へ出かけては、そこを平凡なつまらない場所に変え、ついでにあまり嬉しくない置き土産もしていく。困ったあげく、そこの道は閉じられてしまう。なんだか、ロックダウンが始まるに至った経緯と同じです。
とはいえ、見たこともない、あるいは心洗われるような情景やものと対面したいと思う気持ちもないわけではありません。けれど、貯水池の顛末をみても、変わってしまったカスバ街道の谷をみても、どうもそれは物理的に遠いところにあるわけでもないようですし、そうした遠さは以外に儚く脆弱なのかもしれません。
と思いながら、近所を散歩していると、はす向かいの家の高齢のご夫婦が、古いタイのゆったりとした恋の歌をレコードで(!)かけながら、そのノイズ混じりの優しい響きの中、緩慢な仕草で庭木の手入れをし、時間をかけてさっぱりさせた庭で、蚊除けにこれも随分年季の入った扇風機を回しながら、新聞を読んだりアイロンがけをしたり、昼寝をしています。
傍らには、雨水を貯める大きな立派なカメが飾りでなく、現役で置かれ、ご主人が猫にそこから水をあげたりしているではありませんか。
まるで、彼らが丹精している生垣を隔て、こっそり彼らの生活を垣間見る私と老夫婦の生活する場所の間には、数十年の隔たりがあるようです。
一つ一つを丁寧に指でたどりながら数を数えていくような、スローモーションを見ているような彼らの1日の過ごし方や所作はなんとも美しく、愛おしく、ともすれば万事慌ただしくなってしまう私の日々からはなんと遠いものか。
美しい外つ国は、実はもうそんな、柔らかい小さなところに潜んでいるだけになってしまったかもしれません。
と、思いながら空をみあげると、日暈がかかっています。こんなのも、永遠に手の届かない外つ国。そんな感じがします。