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啓蟄 第九候 菜虫化蝶

第九候(3/15~3/19)は、なむしちょうとなる。芋虫たちが羽化して蝶となる頃という意味だそうですが、この時期チェンマイで見られる蝶の中で目立つ存在といえば、「ウスキシロチョウ」。
大きなかすかにライムグリーンのようなペパーミントグリーンがかった白い蝶ですが、彼らは大群で移動する日があるのです。

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(写真の中央の木の前の白い斑点が蝶)
 「ウスキシロチョウ」はモンキチョウの仲間で、雄は淡い黄緑色、雌は薄黄色、モンシロチョウの倍ほどの大きさ。日本でも沖縄以南に生息しますが、強い飛翔力があり、本州まで辿り着くこともあるとか。東南アジアでは通年見られる蝶ですが、暑季、産卵のため雌と集団移動することが知られています。
 「その日」は大抵3月上旬に訪れ、朝10時頃から蝶たちは野原や川沿いで同じ方向へ飛び始め、11時頃をピークに正午頃に数が減り、午後にはほぼ姿を消す周期を数日間繰り返します。

 この移動の日、蝶たちの奔流の中に入ると、なんとも不思議な心地になります。
 痛いほど強いのに、野焼きの煙のためか少し現実離れした不思議な暗さを含んだ陽射しの下、マンゴーの花の微かな酸味やアルコールに似た刺戟を含んだ甘い香り、ラムヤイの花の蜜の粘る甘みに肉桂に似た渋みと重さが隠れた香りが、生温い南風に絡みあい、ゼリーの帯の手触りで渦巻く中、蝶の群れは羽を発光させ、透きとおらせながら、高速で同じ方をめざし飛んでいきます。それは目の前から遥か向こうへ続き、まるで桜の花弁が風に流れていく様によく似ていて、桜吹雪の中に立つ時の静かな高揚感と酩酊で胸は満ちてくるのです。

 その目覚めながら夢を見るような心地の中、耳元でパシッ!と小さくも鋭い羽音。
 一匹の雌蝶を数匹の雄蝶が追い、螺旋に絡み合うように争って飛ぶため、互いの羽が打ち合う音でした。見れば羽が擦り切れているものが何匹もいます。もう命がけの恋です。堪らず空を仰ぐと、木の梢からこちらを凝視する幾つもの目。蝶を狙い沢山の鳥が集まっていたのです。
花の香の中の新しい命を継ぐ場はまた、贅沢な狩りと死と食卓の場。この小さくも鮮烈な生と死の狂おしい渦の中に立つだけで、畏怖と喜びが交錯しながら喉の奥に膨れ、とめどない心地がしました。

 「冬」という言葉は、生き物が身を縮めながらも、身の内に生命力を殖え(ふえ)・殖ゆるに由来し、「春」は、殖ゆる命が漲り、外へ張り出す・張るに由来するとか。
 たゆたう春を忘れ、冬から過酷な夏へ一気呵成になだれ込む北タイの季節の移ろいですが、その速度の隙間に忍び込めば、悩ましく美しい、駘蕩たる幻のような春が隠れていたのでした。

蝶の乱舞が去り、木々の剥き出しの枝の先には、ウスキシロチョウの羽のような淡い黄緑の萌し。まるで蝶たちが枝に羽の色を零していったかのようです。

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