黒川弘務氏の退職手当に関する政府の説明についての説明

 黒川弘務氏の令和2年5月22日付の退職に対する退職手当について、様々な意見が飛び交っていますが、論点が散漫な印象があるので、「退職手当の額」に絞って整理してみました。


1 黒川氏に支給される退職手当の額についての政府の説明とその補足
 
黒川氏の退職金は5900万円 「自己都合」理由に減額:朝日新聞デジタル 
 森法務大臣の説明によると、黒川氏の退職手当は約5,900万円とのことです。ここで紛糾しているのが、首相は「訓告処分に従って減額されていると承知している」と発言したのに対して、上記の記事にもあるように、「もともと自己都合退職なのだから5,900万しか出せないのであり、訓告処分によって減額されたものではない(首相は嘘をついているのではないか)」という指摘があることです。
 結論から言えば、首相の発言は「虚偽」とは言えないが、若干不正確であると思います。どういうことでしょうか。

 国家公務員に対する退職手当は、①基本額+②調整額によって計算されます。
 ①基本額とは、退職時の俸給月額に、一定の支給率を掛けて算出します。支給率は、退職までの勤続期間と、退職事由(自己都合や定年、その他)に応じて決定されます。
 ②調整額は、原則として退職前5年間の職責に応じて決定されます(詳細は割愛します)が、事務次官など一部の幹部職員は、①基本額×8.3%の額となります。黒川氏の退職時の職である、東京高検検事長も同様です。

 では、実際に黒川氏の退職手当を計算してみましょう。
 黒川氏の俸給月額は、1,302,000円です。

 支給率は、内閣人事局のウェブサイトに早見表があります。
 黒川氏の勤続期間は、1983年〜2020年の37年です。早見表の「自己都合」のうち37年の率を見ると、「41.7663」となっています。黒川氏に適用される退職手当の支給率はこれです。

 これで計算すると、

 ①1,302,000円×41.7663=54,379,722.6

 ②54,379,722.6×8.3/100=4,513,516.98

 合計58,893,239円となります。約5,900万円ですね。

 ただし、この支給率の早見表はあくまで「早見表」であり、細かな例外規定を網羅できていません。具体的には、黒川氏に適用されていた「勤務延長」がポイントになります。すなわち検事長の定年である63歳の誕生日を過ぎても、5月22日まで在職していたことがポイントです。
 どういうことかというと、実は、退職手当法第5条第2項には次のような規定があります。

 前項の規定は、二十五年以上勤続した者で、通勤による傷病により退職し、死亡により退職し、又は定年に達した日以後その者の非違によることなく退職した者(前項の規定に該当する者を除く。)に対する退職手当の基本額について準用する。 

 「前項の規定」とは、定年退職の場合の退職手当の支給率等を定める規定です。「定年に達した日以後その者の非違によることなく退職」とは、勤務延長となった後に自己都合退職した場合も含まれます。つまり、「勤務延長とはなったけれども、その延長された任期を満了せずに自己都合退職した場合は、定年退職と同様の支給率が適用される」ということです。言い換えれば、「自己都合退職であっても、定年退職と同じ支給率が適用される場合もある」ということです。このような場合、先程の早見表に戻っていただくと、一番右の列の支給率が適用されることになります。勤続期間37年であれば「47.709」です。

 これで計算すると、

 ①1,302,000円×47.709=62,117,118

 ②62,117,118×8.3/100=5,155,720.79

 合計67,272,838円となります。約6,700万円、黒川氏に支給される額より800万円ほど高い額です。
 黒川氏の場合は、仮に今回の訓告処分が無かったとして、本当の意味で「自己都合」で退職していたとすれば、定年退職した場合と同じ約6,700万円が支給できたはずです。しかし、訓告処分がなされたことによって「その者の非違により」退職したことになり、この規定が適用されず、(勤務延長されていない職員と同じ)自己都合の支給率が適用され、約5,900万円に落ち着いたということかと思われます。

 首相の発言は、「訓告処分に従って減額された」というものですが、より厳密に言えば、「訓告処分がなされるような本人の非違行為があったために退職したことにより、定年退職の場合の支給率を準用する規定が適用されず、自己都合退職の場合と同様の支給率が適用された」というのが正確かと思われます。また、「減額された」わけではなく、低いほうの支給率が適用されただけであり、退職手当自体は「満額支給」です。ただし、この首相の説明が虚偽であるとは言えないと思います。

 ちなみに、ご存知のように、検察官に勤務延長の規定が適用されたのは政府の異例の解釈変更によるものであり、黒川氏が史上唯一の適用例です。つまり、退職手当の支給率に関して、検察官に退職手当法第5条第2項が適用されること自体が憲政史上初であることになります。
 

2 黒川氏への退職手当支給についての私見
 最後に私見を述べると、黒川氏に退職手当を支給すること自体は、現行法制度上はやむを得ないと思います。それは、ごく単純に、今回のケースで退職手当を支給しないのは、「法律の恣意的な運用」にほかならないと思うからです。
 国家公務員が退職した際に、退職手当を支給しないこととできるのは、簡単に言えば、懲戒免職処分となった場合か、禁錮以上の刑が確定し失職した場合のみです。今回のケースは、先例や人事院の懲戒指針などに鑑みて、これには該当しないと思います。
 「常習賭博」の法定刑には懲役もあり、「禁錮以上の刑」に該当する可能性もなくはないですが、これでしょっぴかれるのは、世の中でお目溢しにあっている無数の掛け麻雀との均衡が取れないと感じます。

 そのうえで、私は今回の黒川氏の勤務延長についての閣議決定から派生した、さまざまな他の問題を徹底的に追求していくことが大切だと考えています。
 なぜ合理的な説明がなく国家公務員法と検察庁法の解釈を変更したのか。その決裁過程はどうなっていたのか。これが最も根本にある問題だと思います。あるいは、検察庁法のみを切り離せばよいのに、国家公務員法全体の審議を先送りにし、廃案まで検討しているのはなぜなのか。同じ国会の最初と現在で政府説明が全く異なるのはなぜなのか。
 こういった政府の責任を忘れて、あるいは後回しにして、黒川氏本人の退職手当の額が多いとばかり論じても無為だと感じます。