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ラテン語とドイツ語とフランス語

Amazon Primeで「きっとうまくいく」を観た。とても面白かった。

なぜか、その中で出てきた「乳頭」という言葉が頭に残っている。

乳首、乳頭。

さて、ラテン語の復習の機運。二回生の頃に仏文必修のラテン語を履修して無事単位を取得したのだが、当時はまだまだフランス語もおぼつかず(今もだが)古典語と現代フランス語の関係性を考える余裕がなかった。

今、ラテン語を勉強し直せば、多少はフランス語の理解も深まるだろう。(実際、現代フランス語の語彙にはラテン語の表現がそのまま残っているものもある。例えば、「sine qua non」(必要不可欠の)など)

ただ正直言ってラテン語文法はほとんど忘れてしまっているので、また一からのやり直しだ。二回生の頃は多少、単位が来ればいいやという気があったので勉強が雑だった。今回のラテン語学習は「通年1限」も「必修」も無いので気長にゆっくり楽しみたい。

ラテン語の知識があるのは個人的にめちゃくちゃカッコいいと思っている。ウェルギリウスとかの詩句をそらんじられるようになりたい。

リベラル・アーツ。

國分功一郎さんの『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日文庫)は現在の閉塞した気持ちにぴったりだ。

その中で日本を代表するドイツ語学者、関口存男(つぎお)の『関口・初等ドイツ語講座』という本が紹介されていた。ドイツ語の教科書なのだが、その学術的完成度は非常に高いらしい。國分さんもこの本でドイツ語を勉強したという。「本当に最高の教科書です!」と絶賛している。

実は以前からドイツ語を勉強したい(しかしそんな余裕は…)という気持ちがあった。なぜかといえば、ブランショはヘーゲル、ヘルダーリン、カフカ、ハイデガー、リルケなどなど、多くのドイツの思想家・小説家・詩人を対象として批評を行っており、また彼らから多くの思想的影響を受けているからだ。ブランショを研究する以上、ある程度はドイツ語ができた方がいいのでは…と思っている。

正直、ラテン語にしろドイツ語にしろ、会話・コミュニケーションの必要がないだけで大変ポジティブになれる(これはガチでマジだ)。フランス語の会話の授業は地獄なのだ(これもマジでガチだ)。僕はそもそも語学に強くないし、会話や特に聴解が苦手だ。文法を理解して、文章を読むだけでいいのは嬉しい。ただ、言語学習なので音読は必須だろう。僕もフランス語の音読は好きだ。やっぱりフランス語の音は美しいし、かっこいい。(これは、他の言語に比べて特別フランス語が美しい…ということでは全くない。言語は皆美しいものだ。そして言語は皆明晰なものだ。「明晰ならざるものはフランス語にあらず」(Ce qui n'est pas claire, n'est pas français)という格言があるが、僕はこの言葉がフランスらしくて本当に”好き”だ。(一部の)フランス人がもつ自文化へのうぬぼれには少し辟易する。これはある種の日本人も同じだが。)要するにフランス語を音読すると僕のナルシシズムが刺激されるというだけのことだ。知的なマスターベーションだ。当然フランス語への敬意はある。いつもお世話になってますという気持ちもある。ただこの気持ちは、誤解を恐れずに言えば、AV女優さんへの気持ちとパラレルなものだ。しかし当然ながら、僕にとってフランス語をやるということがいつもオナニーを意味しているわけではない。僕とフランス語の関係性の様々な断面の中の一つに過ぎない。

フランス語を勉強してフランスのことを研究しているのに、僕が全く「フランス好き」な人間ではないという事実の一端はこのようなことが絡んでいる(ただ、フランスに旅行に行きたいし留学にも行きたい、というややねじれた関係ではある)。僕は純粋にクリティカルに、フランスで生まれた知的遺産への興味をもっている(つもりである)。

クリティカル=批評的・危機的


そういうわけで、僕はフランス語と英語に加えて、これからラテン語とドイツ語を勉強するのだ!(という比較的強い気持ちを内に秘めている。)

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