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日記:家に帰る途中

道を歩いていると後ろから声をかけられる。白い自転車に乗った、日に焼けた男がこっちを見ていた。帽子をかぶり、長ズボンの裾をまくり上げている。そこから見えるふくらはぎはたくましい。「ハムちゃん」と男が笑顔で言う。

僕の名前を知っている?誰だ?男の顔を見る。僕は考える。今まで出会ってきた人の中の誰なのか。すぐには思い出せない。誰だ。頭の中が空白になったような気もしたし、同時にすごい速さで記憶を探っているような感じもした。数学のテストの最後の文章問題の答えがようやっと出たというような感じはない。曖昧なまま。しかし誰かは分かった。皮膚が覚えているという感じか。「Sさん!」と僕が言う。

Sさんと最後に会ったのは、2016年の中頃かそれくらいだと思う。場所は東京。8年前。それからは一度も会っていない。連絡も取っていない。仲が悪いというわけではない。なんとなくそうなっていた。僕は東京から福岡に戻ってきていたし、Sさんはまだ東京にいると思っていた。それが福岡の路上で後ろから声をかけられたのだ。

「よく分かったねー」と僕が言う。「ギターケースを抱えてたから。それと、ちょっと前の野外音楽フェスでAさんがハムちゃんを見かけたと言ってたから。見失ったみたいだけど。行ってた?」「いや、行ってないよ。僕に似た人多いから。違う人だね」「歩きながら話そうか」とSさんが言う。

共通の知り合いのAさん、友達のMちゃんの話を聴く。みんなそんなに変わっていない。Sさんはアパートで猫を2匹飼っているけど、本当は1匹しか飼っちゃいけない契約だから、また新しい場所に引っ越すらしい。仕事も変わっていない。11月にトム・ヨークのライブに行く予定だという。僕らは8年前にどうやって連絡をとっていたのか思い出すことができなかった。LINEを交換して分かれる。

久しぶりの友達とするなんでもない会話はとても心地よかった。普通に暮らしているつもりでも、何かに気が張っていたのだろうか。次の日のスタジオの為に、貸し倉庫にギターケースを取りに行った。夕方7時くらい。普段はその時間にその場所にいることはない。たまたまだ。

次の日、スタジオでボーカルをしてくれる女の子にその話をする。会うのは2回目。「今日の、この日にスタジオを予定したから会えたんだよ。なんか、ありがとう」と僕はその女の子にお礼を言った。


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