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日記:答えはきみのなか

先週、日記のひとつのタイトルを「呪いの言葉」にして、もうひとつ思い出した言葉があった。ずいぶん昔の事。

中学校の卒業式の日。式が終わり、卒業文集をもらう。卒業文集の最後の4ページくらいは空白になっていて、クラスメイトから一筆書いてもらう。今がどうなっているかは分からないけれど、昔はそうだった。

最後だからなんとなく、普段しゃべらない人とも声を交わすことになる。シチュエーションが背中を押す。

ある女の子に声をかける。僕の街はとても小さく、周りを山と海で囲まれていた。そういうところでは周りの子供はみんな、同じ学校に通う。その女の子とは小学校から9年間一緒だった。もしかしたら幼稚園の時から一緒だったのかも知れないけれど、覚えていない。女の子は小学生のころから身長が高かった。卒業するくらいには170くらいはあったんじゃないかと思う。たしかバレー部で、中学生の頃はなにかしらのモデルをしていたらしい。象の鼻のように手足がスラーと長かったから、僕は「象さん」と心の中で呼んでいた。本名は「ともこ」さん。鼻はどちらかというと低かったと思う。

「何か書いて」と声をかける。女の子に僕の卒業文集を渡して、その子は空白のページに何かを書く。卒業文集が返ってくる。その時、女の子が僕に言う。「もっと愛想よくしてたら、何か良い事があるかもね」と。

「愛想よく?良い事?」何の事やら分からない。僕は愛想が悪いほうじゃない。表面的にはってことだけど。アニメの主人公にいそうなクラスで浮いた感じはない。だれからも声をかけられないような。そのアニメだったら、クラス全員が場面に登場する文化祭の回にだけ登場しそうな、苗字しか与えられないような、でもクラスには溶け込んでいる、良くもなく悪くもない、そんなポジションの生徒だったと思う。

9年間一緒にいたから、その子の存在は認識している。言葉を交わすことも何度かあったと思う。その程度だ。一緒に遊んだこともないし、喧嘩したこともない。同じ係になったりしたこともないはずだ。なのに、そんなことを言われた。9年間で何を話したか覚えているのはそれだけ。「もっと愛想よくしてたら、何か良い事があるかもね」と。

なんて性格の悪さなんだろう。僕は思った。最後の最後に悪口て。しかし歳をとって思う。ぼくは愛想が無いのだ。それをそのころから見透かしていたのか。象さん、いや、ともこさん恐るべし。

卒業してから一度も会っていない。連絡先も知らない。どの高校に進んだか、どの大学に進んだか、どこに就職したか、まったく知らない。元気にしているだろうか。万が一会うことがあったら、そのことを話してみたい。覚えてはいないだろうけど。その真意を問いただしてみたいと思う。


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