ジェフリー・アーチャー著『ロスノフスキ家の娘』運命の2人の娘と息子
1982年に出版された『ロスノフスキ家の娘』。1979年に出版された『ケインとアベル』の続編です。
前作では、アメリカの近代経済の歴史がわかりやすく理解できました。今作『ロスノフスキ家の娘』では1968年からのアメリカ政治の歴史がよくわかります。
実在の政治家がかなり登場します。著者のジェフリー・アーチャーは本を書くために2年間取材したそうです。
当時から女性大統領の登場が期待されていたアメリカ、女性総理の実現が遠そうな日本。結果的にどちらもまだ女性大統領が登場していません。
世界が進んでいないことにがっかりしながらも、女性がイキイキと描かれている素晴らしい作品です。
絶版になっていたのですが、2023年に復刊されています。
フィクションとノンフィクションがすごくうまく混ざっているので、実際にいない人物もあたかも実在したかのように感じられます。本当にいるのかな、と思って調べてみると架空のキャラクターだった、ということもありました。
上巻だけでもあまりに多くのことが語られるので満足度の高い作品だと思います。
『ケインとアベル』の別視点
『ロスノフスキ家の娘』の上巻は、前作『ケインとアベル』の下巻と時間軸が同じです。
『ケインとアベル』では、ウィリアム・ケインとアベル・ロスノフスキの視点で物語が進みます。一方、『ロスノフスキ家の娘』ではケインの息子のリチャードと、アベルの娘のフロレンティナの視点で同じ時間を進行していきます。
『冷静と情熱のあいだ』を読んだ感覚になりました。この作品は同時に2冊発売され、同じ出来事を男性の視点(辻仁成著)と、女性の視点(江國香織著)で描いている作品です。
『ロスノフスキ家の娘』は、『ケインとアベル』の小説があまりに売れたため続編として発表されました。『冷静と情熱のあいだ』では最初から2冊発売されることが想定されていましたが、『ロスノフスキ家の娘』は後づけの小説ということに驚かされます。
同じ作品を別の視点でみることができる贅沢をぜひ味わってください。
『ロスノフスキ家の娘』上巻のあらすじ
前作の『ケインとアベル』ではホテル王アベル・ロスノフスキと、銀行家ウィリアム・ケインの人生と対立が描かれました。
今作はアベルの娘であるフロレンティナ・ロスノフスキが主役です。
登場人物
フロレンティナはポーランド移民2世でありながら父親の成功により、恵まれた環境で育ちます。初めて話した言葉は「プレジダンク」。これは大統領である「プレジデント」をちょっと間違えてしまった言葉です。そのころ大統領だったフランクリン・ローズヴェルトのことを言っています。
この初めての言葉からわかるように、『ロスノフスキ家の娘』はフロレンティナがアメリカ初の女性大統領を目指す話です。
上巻では、幼少期から政治の世界に入る前の30代までが描かれます。
幼少期から政治に興味を持つフロレンティナ。理想的な家庭教師であるミス・トレッドゴールドの助けを借り、素敵な女性に成長します。その過程では傲慢さからくる大きな失敗、挫折もありました。
大人の女性としてひとりだちすると、父アベルの宿敵ウィリアムの息子であるリチャードと恋に落ちてしまいます。猛反対され、駆け落ちをしてしまうふたり。数々の苦難を乗り越えて幸せを手にすることはできるのか……。
題名『放蕩息子の帰還』とは……
『ケインとアベル』が聖書にちなんでいるように、『ロスノフスキ家の娘』も聖書にちなんでいます。原題は『 The Prodigal Daughter(放蕩娘)』です。新約聖書の『放蕩息子の帰還(The Return of the Prodigal Son)』からとられています。
財産を生前分与してもらった息子。その財産を放蕩(好きなように散財)に使ってしまう。死ぬ寸前でようやく、自宅に戻ることを決意。今までの行動を悔い「息子としてではなく雇い人として家に置いてくれ」と父に頼む息子。そんな息子を父は快く息子として迎え入れる。
「あわれみ深さ」のたとえ話としてよく引用されます。
今作も前作同様、キャッチーな題名にするために聖書から引用しているだけで、内容はまったく関係ありません。
アメリカの近代史がよくわかる
この作品は極めて政治的な作品です。
移民であり、アメリカンドリームを達成した家庭で育ったフロレンティナは民主党支持。
伝統的な家庭に育つリチャードはバリバリの共和党。
共和党、民主党、どちらにも加担することなく話が進んでいくので、アメリカ近代の歴史がよくわかります。
ジェフリー・アーチャーは政治的なバックグラウンドや、有名な本を引用したりと、とても機知に富んだ表現をしているので、「なるほど……」と感じることも多かったです。
教育のヒント
教育的な観点からもこの本は読み応えがあると思います。
上巻の半分ほどミス・トレッドゴールドという個人家庭教師が登場します。4歳から17歳までフロレンティナと一緒に生活をし、帝王学(伝統ある家系の跡継ぎに対する、幼少時からの特別教育)ともいえる一貫した教育を行います。
ミス・トレッドゴールドはとにかく忍耐強く教育をします。
フロレンティナは成長するにつれ、頭脳が磨かれ生意気になりあます。この傲慢さがもとでトラブルになってしまうのですが、忍耐強く見守るミス・トレットゴールド。フロレンティナが大学に入ってしまうと登場しなくなるのですが、要所要所でミス・トレッドゴールドのことが思い出されるほど、とても印象に残る人物です。
気づいたら自分がフロレンティナの視点になっていて、ミス・トレッドゴールドから教育を受けているかのような気分にさせられました。
フロレンティナとミス・トレッドゴールドとの別れの場面では自分のことのように涙が出てきました……。
ジェフリー・アーチャーの文章の素晴らしい部分です。
下巻のあらすじ
フロレンティナは30代でファッション・ビジネスで成功。莫大な利益を生むホテルを経営しています。仕事、家庭、すべての幸せを手に入れ、気づいたら40歳になっていました。ですが、どこか人生に物足りなさを感じています。
そんなとき親友のエドワードが下院議員に立候補しないか、と誘います。人生に物足りなさを感じていたフロレンティナは迷いながらも政界に進出することを決意します。
ですが多くの心配事があります。女性であること、金持ちであること、ポーランド移民であること、多くの点でフロレンティナが立候補するには不利な点があります。ですが、持ち前のチャーミングさ、頭の良さ、人望を発揮し、当選を果たします。
そこから迷いながら下院議員、上院議員をつとめ、女性初の副大統領にまでなります。そして、最終段階の大統領への目標。
果たして、フロレンティナは女性初の大統領になることはできるのか。
家族やアメリカを巻き込みフロレンティナの活躍が描かれます。下巻では前作の主人公のケインとアベルの存在は、ほぼ感じられません。この2人は本当に魅力的な人物ですが、フロレンティナだけで魅力的な本になっています。
アメリカの政治の歴史
アメリカ近代の政治の歴史をかなり理解することができました。
主人公のフロレンティナはアメリカを良くしようと純粋に政治活動を行っていきます。陰謀や策略に巻き込まれてしまうのですが、それでもまっとうに政治を行う正々堂々とした姿が描かれ、政治家に対する印象がアップする内容になっています。
こんな政治家がいるといいな、と思ってしまいます。
最大の見せ場は、民主党の大統領候補を選ぶ投票です。アメリカは共和党と民主党の二大政党制で、両党から候補者がひとり選ばれ大統領選挙に突入していきます。
この候補者選びの最終投票の様子が詳細に描かれます。アメリカの大統領選は、日本の選挙制度とまるで違います。投票の様子まで知ることができるので、選挙制度のナマの感覚を理解できます。
ちなみに、フロレンティナが関わる民主党代表の指名選挙はあまりに卑怯な展開が待っています。読んでいて、自分のことのように悔しくなりました。
かなり感情移入してしまいました。
出版されたのは1980年代前半です。当時、未来である1990年代前半まで描かれます。例えるなら、2023年に『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2(1987年公開で2015年が舞台)』を見ているような感覚になりました。
政治家に向けて
野田聖子さんが議員になるきっかけになった本として『ロスノフスキ家の娘』を紹介していたことがありました。
性別関わらず楽しめるんじゃないかと思います。先に前作『ケインとアベル』を読んだほうが面白いのは間違いないです。ですが、『ケインとアベル』は男臭いので、が苦手な場合はいきなり『ロスノフスキ家の娘』を読むのもオススメです。
「発言しない」という戦略
フロレンティナが下院議員に初当選した年のこと。すべてが初めてで議員として発言する機会すらありません。
僕は、議員になったら積極的に動くべきで、そうでなければ税金のムダ遣いだと思っていました。ですが、この本を読んで考えがガラッと変わりました。
フロレンティナは発言の資格がないということを自分で理解し、黙っていること(あえて発言しない)を選びます。そして、効果的に発言できるよう準備をはじめます。そのために勉強をし、どう発言するべきか周りの議員をじっくり観察します。
初めて委員会で発言できたのは、下院議員になってからほぼ半年後のことでした。「妊娠中絶禁止案」に対しての発言です。かなり効果的な発言で、フロレンティナは一躍スターになります。
このシーンはうなるような展開で、日常生活でもかなり役立つ部分だな、と感じました。
党を超えた友情
女性で民主党議員であるフロレンティナは、共和党のベテラン男性議員とは対極の存在で煙たがられる存在です。
そんなフロレンティナと友情を結ぶ人物が、共和党のベテランであるビュキャナン議員です。議場で激しくぶつかり合い、日常で会話を交わすこともありません。ですが、2人は政治に対する清廉潔白さを持っていて、同じ価値観を共有しています。
政敵である2人ですが、フロレンティナが汚職の疑惑をかけられたとき、ビュキャナン議員は真実を知らないにも関わらずフロレンティナを養護する声明を発表します。
要所要所でみられるふたりの友情に胸が熱くなりました。
エキサイティングな政治的判断
副大統領時代のフロレンティナは、下院議員時代、上院議員時代よりも仕事がほとんどありません。
ところが大統領の不在時、ソ連と一触即発の事態が起こります。
鬱々としていたフロレンティナでしたが、この時は大統領の代わりとなるチャンスを与えられ、能力を存分に発揮します。
このときのドラマが、まるでキューバ危機の再来のようで、とても読み応えがありました。
結局、この手柄は大統領にとられてしまいます。ですが、このモヤモヤ感、胸に苦いものが残る感覚によって、より深く印象に残りました。失敗からこそ学べることがある、と実感できる瞬間でした。
おまけ:覚え書き
『ロスノフスキ家の娘』の気になった部分を読んだときにメモしていました。ここからは個人的に気になった部分、わからなかった言葉を箇条書きにして解決していきます。
ネタバレしてるので要注意です。
上巻
50ページ:ポーランド人に対する偏見。アメリカでは大きな問題で黒人差別同様いまだに根深い問題。本の中ではアイルランド人に対するイギリス人、ユダヤ人に対するナチスが例として挙げられている。
53ページ:「一生かたわでしょう」。「かたは」の意味がわからず……。かたは(片端)とは、体に完全でないところがあること。
56ページ:「ポーランドの伝説的英雄タデウシュ・コシチュシュコ(文章ではコシューシコと表記。現在はコシチュシュコと表記される)」。1793年、ポーランド支配を拡大するロシア帝国などと戦い、ポーランド・リトアニア共和国の復興を目指したが失敗。
56ページ:「キチン」。キッチンのことを出版年の昭和58年は「キチン」と表記。
67ページ:「パール・ハーバー」。日本人として、パール・ハーバーが登場すると胸が締め付けられる。
79ページ:「アンフィシアター」。古代ローマ劇場のように、半円形のステージとすり鉢ばち状の客席の劇場。
95ページ:「アバクロンビー・アンド・フィッチ」。1945年当時、靴専門店だったことにびっくり。名門学校と癒着し、制服の靴を独占販売している例として登場。
95ページ:「スノバリー」。俗物ぞくぶつ(名声や利益ばかり気にする)や紳士気取りである態度や根性。
97ページ:「マコロン」。マカロンのこと。
97ページ:「オランダガラシ」。クレソンのこと。
103ページ:「ボールのライ」。ゴルフでのシーン。lie(横たわる)の意味で、ボールの位置のこと。
107ページ:「絶対に観客席にいる自分たちの親たちを目で探してはいけない、さもないと観客はあなた方が演じている役の人物を信じなくなってしまう、と注意を与えた」。フロレンティナが学芸会でジャンヌ・ダルクを演じるときにミス・トレッドゴールドがくれたアドバイス。かつて「ロミオとジュリエット」の舞台の上演で、出演していたノエル・カワードが同じく俳優のジョン・ギールグッド(アカデミー賞受賞)のことを舞台上から見てしまった。するとジョン・ギールグッドは途中で帰ってしまった。
113ページ:【フロレンティナはあいかわらず目に涙を浮かべていた。・・・「感情をむきだしにしてはいけません」。・・・アベルは、ひとりで坐って声をあげて泣いた。】アベルが離婚をフロレンティナに告げるシーン。心にズシッときました。
113ページ:「最新ヒット曲、まるで恋しているような気分(Almost like being in love)」。いろんな人がカバーしている名曲で、どのバージョンも素敵です。
117ページ:「メンスみたいなものだったら面倒なだけね」。月経のこと。
130ページ:「ベストやサックスやボンウィット・テラー」。ニューヨークの高級百貨店。
160ページ:【チャーチル婦人は、息子のウィンストンがある選挙で惨敗ざんぱいを喫きっしたときに、『これは仮装を身にまとった祝福かもしれません』といっています」「『なんらかの仮装を……』ですわ」とフロレンティナが訂正し、二人は声を揃えて笑った。】よく英語文化では引用を用います。それをサラッと訂正するシーンはいつ見てもオシャレです。
160ページ:「フロレンティナは、朝食前にミス・トレッドゴールドと話すときにはラテン語とギリシア語しか使わず、毎週末にはミス・アレンが論文を三題出題して、月曜の朝答えを提出させた。~」ここではフロレンティナの勉強量がこのようにどんどん羅列られつされていきます。度肝を抜かれました。
161ページ:「エドワード、こいつ」。急にフロレンティナらしくない言葉遣いでびっくり。ちょっと不思議な文章でした。
165ページ:【『わたしがどれほどあなたを愛しているかを知ったら、わたしを残して去ることはできないでしょう』
ミス・トレッドゴールドは微笑をうかべてその引用を聞き、つぎの一行をつけくわえた。
「『あなたを深く愛していればこそ、わたしは去らなければならないのです、ペルダーノ』」】
フロレンティナがミス・トレッドゴールドが去ってしまうことを知ったときに送った言葉です。引用文を使い、それをミス・トレッドゴールドが粋に返事をする。唸うなりました。
178ページ:「負託ふたく」。引き受けさせて、任せること。
193ページ:「家畜市」。家畜市場のこと。
196ページ:「MG」。イギリスのスポーツカーブランド。現在は、中国の上海汽車グループ傘下で、タイ王国やインドなど新興国市場を開拓。
200ページ:「『波止場』や『ライムライト』や、ブロードウェイで『南太平洋』」。当時流行った映画やミュージカルを知れるのは嬉しいです。
207ページ:「シノプシス」。あらすじ。
216ページ:「庇」。ひさし。漢字が読めず…。
232ページ:「ソールズベリ・ステーキ」。牛挽肉にタマネギなどを混ぜて成形したものを焼いたもの。ハンバーグとの違いは牛肉を100%使い、パン粉などでかさ増しをしない。
253ページ:「アイドルワイルド空港」。ニューヨークの「ジョン・F・ケネディ国際空港」の以前の名前。この空港はよく利用していたので、こんな名前だったのかとびっくり。
282ページ:「あんた」。ジョージがフロレンティナに向かい「あんた」と発言。ジョージらしくなく、言葉遣いに違和感。
286ページ:「ファイブ・オクロック・シャドー」。夕方に生えてくる青ヒゲのこと。1960年、ケネディとニクソンによる大統領選のテレビ討論で、ケネディの健康的な容姿に対し、ニクソンの青白くうっすらと生えたヒゲが話題になった。
300ページ:「犢」。子牛のことで「こうし」と読む。
314ページ:「一方で父親を憎みながら同時に愛せるということが不思議でならなかった」。フロレンティナの父アベルが、フロレンティナの夫リチャードの父ウィリアムを銀行職から解任させるという事件のあとのフロレンティナの心情。大人になりすごく理解できるようになったな…、としみじみ。
348ページ:「リチャードは戦闘に勝ったがまだ戦争に勝ったわけではなかった。」すごくイイ言い回しだな、と思いました。
364ページ:「プレジデンシャル・スイートはミスター・ジャガーという客に占領され、そのグループが九階全部を借りきっている」。ミック・ジャガー率いるローリング・ストーンズが登場。ローリング・ストーンズは、テレビをホテルの7階から放り投げた事件がある。数あるバンドの中でローリング・ストーンズを登場させるというセンスが光る。
373ページ:「脱兎」。「だっと」と読む。逃げ走るうさぎのこと。
下巻
20ページ:「肝胆相照らす」。互いに心の底まで打ち明けて、親しく交際すること。
21ページ:「往生」。死ぬこと。
27ページ:「おりふし」。漢字では「折節」。その時々、季節。折節のあいさつ(季節のあいさつ)。
47ページ:「イスラエルのゴルダ・メイア」。イスラエルの政治家、第5代首相(在任期間1969年-1974年)でありイスラエル初の女性首相。
47ページ:「インドのインディラ・ガンジー」。インドの女性政治家で第5代(在任期間1966年-1977年)、第8代首相(在任期間1980年-1984年)。
51ページ:「ジャーナリストのエゴはときに政治家のエゴより傷つきやすい」。フロレンティナから攻撃を受けたジャーナリストが報復するような記事を書いたことに対し、フロレンティナが抱いた感想。おもしろい表現だと思いました。
54ページ:「フロレンティナはスピーチの準備をし、…。ミス・トレッドゴールの記憶がよみがえった」。ミス・トレッドゴールドの回想シーンは嬉しくなります。
58ページ:「ラーフ・イン(Laugh In)」。1968年~1973年、コメディアンのダン・ローワンとディック・マーティンがホストのアメリカのコメディーショー。
61ページ:「ばかと国会議員は紙一重」。マーク・トウェインの言葉。
61ページ:「ジェームズ・ミッチェナー『センテニアル』」。ジェームズ・ミッチェナーは南太平洋などで知られる作家。「センテニアル」は「遥かなる西部」という題名で日本でもテレビドラマが放送されている。
61ページ:「ロバータ・フラック『キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング』」。娘のアナベルが気に入って永遠にリピートして聞いていた曲。
曲を探したら「聞いたことある!」と。なんだろう…、と思っていたらマデリン・ベルが歌詞を変えて歌ったネスカフェのCMの曲でした。ただリチャードは『キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング』は、あまり好きではなく娘のアナベルにレコードに収録されている違う曲にしてくれ、と頼みます。それがロバータ・フラックの『ジェシー』。フロレンティナはリチャードに出会った当初、ジェシーという偽名を使っていました。リチャードは、この曲を生涯気に入ります。
80ページ:「ウェイン・ヘイズ」。元民主党下院議員。1976年にセックスパートナーを秘書として雇っていたことが発覚し、大スキャンダルになる。
81ページ:「フォードはヘリコプターのドアに頭をぶっつけたり、飛行機のタラップを踏みはずしたりといった、間抜けな失敗ばかりくりかえしていた」。フォードは車のイメージが強く、どんな大統領かまったく知りませんでした。お間抜けだったのは、ちょっと意外でした。実際の映像はこちら。
83ページ:カーター政権の性格がつぎの言葉に象徴されていると感じた。「わたしは今日ここで新しい夢をかかげるつもりはない。・・・わらわれの偉大な国でさえ限界を知ったこと、われわれはすべての質問に答えることもできなければすべての問題を解決することもできないことを学んだ」。不祥事後の政権であるカーターの言葉です。
87ページ:「ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズ、ニューズウィーク、タイム」。アメリカの主要4紙。よく忘れがちなので記録。
92ページ:「わたしは彼らを砂のなかに頭を埋めて現実を見ようとしない人々として避難します」。自分の主張を説明するための例え話。この例えがすごく印象に残りました。いつか使いたい。
94ページ:「多くの国々が歴史を通じて自由世界を護るためにそれぞれの役割を果たしてきました」。この言葉はハッとしました。自由を感じられるようになったのはたかだか50~60年のことなんだな、と。自由を護るための努力を果たしてしているのだろうか…。
95ページ:「擬していた」。意味がわからず。見立てる、仮に当てはめてみる。
99ページ:「ただし断わりの手紙のおしまいに手書きで一行つけくわえることを忘れないように」。このちょっとした心遣いは、実際にもらうと嬉しいですね。
103ページ:「アポロ11号のレプリカ」。イギリス出身のマーガレット・サッチャーが下院の自分の机の上にアメリカのアポロ11号の模型を置いていたそう。どこの国のものであれ、優れたものはよいものだということをすべての人々に知ってもらうため、との意図があったみたいです。
131ページ:レーガンがカーターに勝利した実際の選挙の様子が載っています。フィクションとノンフィクションの混ぜ方が本当にうまいです。
168ページ:「政治を心底嫌いになる瞬間と、愛する瞬間の対比」。たとえ好きなことでも嫌いになるときがある、というのは誰でも共感できると思います。
169ページ:「シーザーの引用」。ジュリアス・シーザーの引用はいろいろな本で登場します。今回もオシャレに登場しています。
171ページ:「世論調査の間違い」。世論調査では「女性に投票しない」と言っていた男性たちが実際にはフロレンティナに投票していたというもの。これはドナルド・トランプの世論調査と似ています。トランプ不支持を表明しつつ、隠れトランプ支持もたくさんいたので、トランプが大統領になりました。世論調査も間違うことがある、というのは目からウロコでした。
175ページ:「ミス・トレッドゴールドは献身と良識によって教育していた」。教育の理念として素晴らしいと共感しました。
177ページ:「ミス・トレッドゴールドはフロレンティナから贈られた株券にまったく手を付けていなかった」。ミス・トレッドゴールドは教育者として死ぬまでフロレンティナを見守り続けていた。人に教えるとはきっとそういうことなんだろう、と思いました。
184ページ:「信義の人」。ニューヨーク・タイムズ紙がフロレンティナをこう評価した。フロレンティナが尊敬される大きな理由としてあげている。やっぱり政治家は信義を尽くしてほしい、と本当に思う。
そして、夫であるリチャードが事故で亡くなってしまいます。フロレンティナがハーバードの卒業スピーチを行っているあいだの出来事です。そのとき、僕は予感がありました。ジェフリー・アーチャーは予感を漂わせるのが巧みです。亡くなって以降リチャードの存在感があまりになくなったしまって悲しかったです。
207ページ:「濫費(らんぴ)」。ムダ遣い。
212ページ:「退役軍人の不正受給問題」。実際にあったようですが、本では軍人が被害者として描かれています。ですが実際は、不正に軍人が関わっていたこともあるようです。
212ページ:「有卦(うけ)」。運が向いてきて、よい事が続くこと。
218ページ:「Happy Days Are Here Again」。大統領の登場で使用された曲。このあたりからは出版された年よりも未来の話になるため大統領の名前が明かされなくなります。
219ページ:「政治家を表すふたつの単語、politicianとstatesman」。Politicainは私利を目的とする「政治屋」を意味することが多い。これに対し、statesmanはリーダシップやすぐれた識見をもつ政治家を指す。
220ページ:「大統領万歳」。曲名。
238ページ:「あの女は金を持ちすぎている」。男性の女性候補に対する投票行動に関する分析。女性に絶対投票しないということでなく、お金を持っている女性に投票しない、と分析されている。
240ページ:世界中の大統領選のニュースに関する記述で東京が登場。やっぱり日本が登場すると嬉しいです。
241ページ:「例外なく女性のほうが冷淡だった。そのくせみんな候補者にちやほやされて有頂天になっているようすが手に取るようにわかった。」。女性候補に対する有権者の行動。本当かな…、となりました。
244ページ:民主党のシンボルはロバ、共和党のシンボルはゾウ。初めて知りました。
247ページ:「エアフォース・ツー」。大統領専用機の「エアフォース・ワン」のように、副大統領には「エアフォース・ツー」が割り当てられている。
248ページ:「披瀝(ひれき)」。心の中の考えをつつみかくさず、打ち明けること。
255ページ:「人々の大部分は爪がなくなっていた」。拳をかたく握っていることのたとえ。しばらくこの意味がわかりませんでした。
268ページ:選挙人制度についてわかる記述あり。やっぱり選挙人制度は不思議です。
272ページ:民主党支持のハリウッドスターとして、ダスティン・ホフマン、アル・パチーノ、ジェーン・フォンダのビッグネームがそのまま掲載されています。
275ページ:「無聊(ぶりょう)」。たいくつのこと。
275ページ:「びっこのアヒル議会」。レームダックのこと。選挙で落選し、まだ在任期間が残っている現職議員のこと。
276ページ:「鸚鵡(おうむ)」。漢字にするとスゴいな…。
279ページ:「バケツいっぱいの唾にも価しない」。ジョン・N(ナンス)・ガードナー(副大統領:1933年–1941年、当時の大統領はフランクリン・ルーズベルト)の副大統領職に対する言葉。仕事らしい仕事がほとんどなかったことがあらわれている言葉。
314ページ:「シオドア・ホワイト著『大統領の誕生1972年』」。セオドア・ホワイト(シオドア・ホワイト)は政治ジャーナリスト、歴史家、小説家。第二次世界大戦中の中国における戦時レポートおよび1960年、1964年、1968年、1972年、1980年のアメリカ合衆国大統領選挙のレポートで有名。これを読めば大統領戦が詳細にわかる。
大統領になれるのか?(結末のネタバレしてます)
フロレンティナは民主党の大統領候補選挙の最終局面で出し抜かれ大統領になれず、副大統領となりました。このときの大統領との約束は、大統領が1期で辞任し、2期目はフロレンティナを推すというものでした。ですが、この約束もなかったことにされてしまいます。
ですが、大統領が急死し、フロレンティナが大統領となることが決まります。
このシーンで幕が閉じます。
結局、選挙で女性が大統領になりませんでした。ジェフリー・アーチャーは選挙で女性は勝てない、と思っていたのかもしれません。本の中でフロレンティナが大統領になった年から30年ほど経ちましたが、現実に女性大統領はまだ実現していません。
今は思ったよりも時代が進んでいないんだな、と感じてしまいました。
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