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【vol.1】自分のことも、農業のことも、好きじゃなかった。/小川美農里さん

ダーナビレッジの広報スタッフ、サエがお届けするインタビューシリーズ。今回は、ダーナビレッジのオーナー・小川美農里さんにお話を伺いました。ダーナビレッジ立ち上げまでの経緯や、美農里さん自身の価値観の変化、今の取り組みに対する想いなどなど、全5回にわたってお届けします。

その第1弾となる「vol.1」では、美農里さんの幼少期〜学生時代にせまります!

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ダーナビレッジとは、「すべてのいのちが輝く社会づくり」をテーマに、健康回復とじぶん発見をめざす体験型の宿泊施設です。ヨガやセラピーなどの体験、隣接する農場で育てた有機野菜のお食事などを通して、「本来のじぶんらしさを取り戻す」お手伝いをしています。

農業をやりたいとは、思っていなかった。

ー美農里さんといえば、ダーナビレッジのオーナーでありながら、チャルジョウ西会津農場の代表も務めていらっしゃいますよね。いつも土に近い場所にいて、野菜たちと向き合っているイメージがあります。

美農里さん:農業を始めたのは、わたしの父なんです。もともと父は農業試験場で研究職をしていて、「土がいいから」って福島県山都町に移住を決めて、実験的に農業をスタートしました。山都町は、ダーナビレッジがある西会津町から車で40分ほど走ったところにあるんですけど。わたしも山都町で育ちました。ここと一緒で、山に囲まれている地域だから、子ども時代は野山をかけまわって野生児みたいな感じでした(笑)。

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美野里さんと、パートナーのウィックさんと、子どもたち。

美農里さん:自然のなかにいることは好きだったけど、実は農業が好きというわけではなかったんです。自分の生業にしようとも、思っていなかった。子どものときは、 毎朝3時45分に起こされて、父の畑で農作業をするのが日課だったんですけど、それがつらくて。起きたくないから、布団のなかに身を隠していました(笑)。

ーそんなに嫌だったんですね。ちょっと意外でした。

美農里さん:でも起きてしまえば、朝のすがすがしい空気のなか、山を眺めながら農作業をするのは大好きだったんです。だから、自然のなかで生活することは好きだけど、「農業」はそんなにっていうか…。

ーでも、高校は三重県にある「愛農高校」へ進学されていますよね。農業教育を実践されている学校とのことですが。

美農里さん:行くって決めたのは自分なんですけど、意思があって決めたというよりは、兄や姉も行ってた学校だし、推薦で行けるし、「わたしも行こっかな〜」くらいの気軽な感じ。でも入学してから全然楽しくなくて、後悔したりもして。自分で決めたことなのにね。

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ー美農里さんって、何をするにしても主体的で行動力がある方だという印象があるので、ちょっと意外です。

美農里さん:いやいや、二十歳くらいまではそんなことなかったんです。自分の人生を歩めるようになったと感じたのは、大学生くらいからでしょうか。

ありのままの自分を認められなかった高校時代。

ー高校では、どんなことを学ばれたんですか?

美農里さん:全寮制で、有機農業を実践していた学校だったんです。自ら有機農業を手がけたり、先生方からお話を聞いているなかで「農業はいのちを守る仕事」「有機農業はいのちとつながること」だと気づきました。人は、食べたものでできているわけだから。わたしにとって農業は、お金を稼ぐためのものじゃない。その意識がはっきりと表れたのは、高校時代からのように思います。

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こころにも、体にも、地球にもやさしいダーナビレッジのヴィーガン料理。

ー高校生でその気づきを得たなんて…

美農里さん:でもその一方で、すごく精神的に不安定な日々を過ごしていたんです。中学生のころは、テニス部の部長をやったり、マラソンや駅伝に出たりして、体力的にも精神的にもアスリートのような感じだったんですが、高校では運動を一切しなくなっちゃって。それに高校って、体つきがふくよかになってくる時期でしょ。それでもう、体重が増えるのが恐ろしくて仕方なかった。

ーそんな風に思っていた時期があったんですね。

美農里さん:でも今思うと42キロって全く太ってないんだけど、当時は44キロ以上になったら、もう太ってて醜くてどうしようみたいな。そんな風に人の目がすごい気になっていましたね。当時は自己イメージがものすごく悪くて、ありのままの自分を認められなかったり、自分の生きる意味ってなんだろうっていつも悩んだり。日々葛藤していました。でもその経験が、ダーナビレッジのテーマ「本来の自分らしさを取り戻す」ということにつながっているのかもしれません。

▷vol.2に続きます!



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