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2021年3月の日記

3月*日
士郎さんと「家族を学ぶ」オンライン講座の講義5回目。いつものように京都の士郎さんの仕事場から配信した。全部で6回1セットなので、いよいよ次回が最終回。受講後に感想を募ると、想像もしないような壮絶な状況下で踏ん張る方からの感想が届いた。視点を変えるきっかけを提供できているとしたら、主宰者としてこれほど報われることはない。
Season2は7月から開催することにしたのだが、こちらの定員(50名)が申込受付から半月ほどで満員になった。内容はもちろんのこと、オンライン開催で、期間限定のアーカイブス配信もあるから当日都合がつかなくても「参加」に踏み切れるのだろう。リアルな場での開催や、オンラインでもアーカイブス配信がなかったとしたら、きっとこうは行かない。コンテンツの届け方を時代に沿わせることのチカラを思い知る。

3月*日
salviaというアパレルブランドを20年近く続けている。
長年のビジネスパートナーであるデザイナー・セキユリヲが描く図案を生かした服飾小物雑貨のメーカーだ。ファンの方もいてくださって、トップセールスのゴムを使わず締め付けのない「ふんわりくつした」は愛用者も多い。
そんなsalviaに今日、ファンの方から一通のメールが届いた。
「●という会社から販売している商品が、セキユリヲさんのデザインに酷似しています。これは模倣商品ですか?それともライセンス商品なのでしょうか」
会社名と商品に紐づく情報、URLは割愛したが、見ると完全にパクりである。ほぼ一緒。
図案を使うから、こういったケースははじめてではなく時々起こるが、情報をきちんと集めて、顧問弁護士と対応の協議を始めなければならない。何も生まない、不毛な作業に、大きな時間が費やされることを、経験的に知っている。
多くの場合、会社ぐるみであることはなく、担当者が「締め切りまでにアイデアが出ずつい」的に、悪いと思いつつ手を染めたケースが多い。ただ、だからといって量産した商品を全部廃棄するわけにはいかず、結果的に会社と会社の揉め事になる。
個人の出来心や些細な卑しさが、組織ぐるみの攻防になるのだ。三菱の不正隠蔽だって、さらに大きく言えば、世界からなくなることのない戦争だって、始まりはきっと同じようなものだ。
「そんなつもりはない」のに、多くの人が巻き込まれる。「今だけ金だけ自分だけ」の世の中で揉め事が増えるのは、必然だ。

3月*日
週に少なくとも1度、できれば2度、近所を走りたいと思っている。距離は5~6キロほど。有酸素運動を楽しくするのが目的だ。最後にフルマラソンを走ったのは5年ほど前で、もうフルに出たい気持ちは薄くなったけれど、マイペースで走るのは楽しい。
ところが、最近は走ると膝周辺が痛むことが増えた。鎌倉に引っ越して、近所の道が細く整備が甘い影響もあるのだと思う。負荷が一か所に集中することが多いのだろう。ということで、どこをどの順番で走るのが最も気持ちいいかを、走るたびに検証してきて、ついに「ここだな」というルートにたどり着いた。ルートと言っても、道の選択ではなく、道のどこを走るのがいいか、というかなり緻密な場所指定である。
前方を見ると、お婆さんが私のルートをのんびり歩いておられるようなときは、焦らずスピードを調整し、お婆さんとルートを共有する。きっとあのお婆さんも、人知れず検証を重ねた結果、道のあの場所を歩いておられるはずなのだ。同志である。

3月*日
昨日は舞鶴のお店の全体会議。
店長をしていたS山が次の夢に向かって卒業し、新しい店長になったことや、新しいシェフが加わったことなどもあって、メンバー各々感じることがあったらしい。お互いに話すのが一番、それ以外に道はない、と言って気が付けば4時間弱。いろんな話が出た。
それで結論は……、などと言うのは野暮な話。お互いに全部を分かり合う必要もなければ、登る道まで同じにする必要はない。ただ、相手が何を考えているのかまったく分からないようじゃ、チームで取り組む醍醐味が味わえない。そのちょうど中間の、「皆さんが思っているほど、我々、バラバラじゃないですよ」くらいが組織状態のベスポジなわけで、意味ある時間だった。
写真は壁面にあった、お互いをたたえ合う付箋の数々。
面と向かってありがとうを連発するようなチームは疲れるし、ときに嘘くさくなるけれど、「いつも胸の内で思っています」だけじゃあ報われない。なにごとも、程よい、が長く続く秘訣やね。

3月*日
アソブロックの大黒柱は、自分でいうのもなんだが私、と、設立当初から一緒するY井、N木の三人。それぞれかなりの荷重に耐えられる。ただ、お互い多忙で、ゆっくり話をするどころか、顔を合わせることも稀である。そんな三人で、久しぶりにアソブロックのことを語り合おうとなった。それぞれ、現状に危惧がある。近所のお寿司屋さんでテイクアウトしたにぎりを食べながら4時間も話した(もちろんマスク着用)。
共通する危惧を、無理矢理言葉にすれば「停滞感」あるいは「後退感」というのが相応しい。三人がそう感じる要因を自分たちなりに考え、出た結論は「考えること、決断することの継承がうまく出来ていないからだ」となった。早速この仮説を、マネジメントにどう反映させるか考えたい。

3月*日
salviaがガーゼ服のaoさんとともに主催する、「COMMUNE GATHERING」というイベントを4日間開催した。ブランド仲間を募って、共同展示会。コロナ禍ではあるけれど、旧知の小売店さんに足を運んでもらい、出展ブランドがお互いのお客さんを紹介し合いつつ、この時期をどう乗り越えていくかの知恵を出し合うのが目的だ。
イベント自体は以前から行っていたものだが、コロナの影響を受け数度延期した末の、オンライン中心の開催だった。試行錯誤しかない中でみんなが頑張ったが、集客も、売り上げも、何もかも十分とは言えない。その点だけでいえば、主催者としてはお詫びに回らないといけないレベルだ。けれど、やってみて分かったこともたくさんあった。皆さん前向きな方に開催意義を見出してくださり、ありがたい限りだ。
ぼくは吉祥寺の人気店【coromo-cya-ya】の中臣オーナーを招き、「小売店はこのコロナ禍を如何にして乗り切るか」をテーマにトークショーを行った。こちらもオンライン。とてもいい話を引き出せたが、視聴者が少ないのが残念だった。もしご興味のある人がいれば、こちらからどうぞ(4月30日まで)。当日の参加者と公平を期すため、アーカイブスを見るのにも2,000円かかります。
https://commune-shop.stores.jp/items/602b7edd31862554c796acfa

3月*日
姫路のお寺プロジェクトの定例会議に、インターンをしているS崎を連れて行った。ちょうど会議前日が卒業式。晴れて学生と言う後ろ盾のない、崖っぷち人生が始まったところの彼。事前に伝えていたS崎自身の役割を理解し、リサーチを重ねてきたのは良かったが、名刺を忘れるという、新卒あるある的な失態。それでも、プロジェクトで自分の居場所を得ようと、一生懸命プレゼンする姿はなかなかのものだった。
頼みもしないのに、崎陽軒でお土産を買ってきて、住職や奥さんに渡していた。彼なりに、一生懸命考えたのだろう。20数年前の自分の姿がモロにかぶる。振り返ると、不安感120%のこの時期が、とても楽しい時期なのだ。

3月*日
週末を利用して弟家族が遊びに来た。甥っ子と姪っ子を引き取り、夫婦水入らずの時間をなるべく取ってもらおうと、お気に入りのレストランを事前に予約し、ホテルも取ってもらっておいた(お金は弟夫婦の自腹)。
子どもたちは、春休みらしい「夜更かしOK」ルールに興奮し、「今日は3時まで寝ない!」という、謎な目標を連日立てていた。
月曜日の仕事に向け先に帰る弟夫婦が帰り際、「長女(12歳)が生まれて以来、こんな風に二人で過ごす時間を長く持ったのははじめてだったと思う。ありがとう」と言った。作戦大成功!本当によかった。

3月*日
8月に亡くなった母が、命がけで守った新しい命に会いに行った。妹に待望の初子が生まれたのだ。振り返れば夏、末期ガンで余命がいくらもない時期に、母は全力で妊婦である妹の見舞いを拒否し続けた。「私の娘であることよりも、新しい命の母になることを選びなさい」と言い続けた。「もしもコロナがなければ」などと言っても始まらない。今起きている現実の中で最善だと思う手を打つことでしか、未来は拓かれない。
8月12日、母が亡くなった日も、通夜も葬儀も、何一つ帰省して参加することができなかった妹が、その無念さを乗り越え母になった。わが子が生まれた瞬間、「これまでも色々と嬉しいことがあったけど、初めて味わう種類の感動だった。こんな感情が湧き上がることがあるのかと思った」と言った。それこそ、母が伝えたかったことなのだろう。
子は「のい」ちゃんと名付けられた。なくなった母は名を典子といい、みなから「のりちゃん」と呼ばれていた。「音が近いのも理由のひとつよ」と妹は笑っていた。
いつの時代も、世界中の家族にこのようなドラマがあり、命が引き継がれ、現世があるのだと思う。その思いを後世に引き継ぐことこそが、いつの時代も、今を生きる人たちの何よりの最優先課題だと思う。

3月*日
今月頭の日記に書いたsalvia図案模倣疑惑の件。
「何も生まない、不毛な作業に、大きな時間を費やした」結果、ようやく内容証明を弁護士名で送付することができた。ただ、ここからが始まりなわけで、こちらがゴングを鳴らしたに過ぎない。ゴングを鳴らすための準備ですら大変だったのに、ここから先にラウンドが待つのかと思うとウンザリする。しかし、このウンザリが「やったもん勝ち」の状況を生んでいるとも言える訳で、「SNSの暴言は、吐いたもの勝ち」と構造は同じだ。
世の中すべての人の多幸感を最大化する最も効率的な方法は、人々が「善的な振る舞い」を積み重ねることだが、それを邪魔するのが、経済という怪物の一面だったりする。