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2023年5月の日記~「STOP THE 個人主義のなれの果て国・ニッポン」号~

5月*日
アソブロックの社長を辞めて1年半が経過した。
今、アソブロックの経営会議には、何人かのアソブロック卒業生が参加してくれている(私は出ていない)。現経営陣が、会社自体の価値変容を試みる中で、何人かの卒業生に声をかけ、有識者メンバー的な立ち位置で関わってもらっているらしい。そんな風に関わってくれているメンバーには、機会があれば「ありがとう」と声をかけているが、返事はいつも「団さんや安井さんや南木さん、アソブロックにはお世話になりましたからね」というもの。しかし不思議なことに、「お世話になった」と言ってくれるメンバーのお世話をした実感が、こちらの3人にはあまりない。一方で、誰ということはないが、その逆パターンだと感じることもある。

人を育てることのポイントは、ここで感じるギャップにあると思い試行錯誤を繰り返しながら、今日に至っている。結論として「人を育てるなんてことなんて無理だ」とならないように、気を付けながら。

5月*日
上手く行かないときに、同じく上手く行かない人の話を聞いて安心する、というのがぼくは好きではない。今日、ある事業の担当者がそのような報告をしてきたときに、改めてそう思った。
もちろん、何においても上手く行くときもあれば、行かないときもある。上手く行っているときは「より上手くやるにはどうすればいいか?」を考えればいいし、上手く行かないときには、上手くやれている人からヒントをもらえばいい。誰一人上手くやれていないことなど、この世にはほとんどないはずだ。少なくとも、任された仕事に関しては、そう考えて前に進もうとしないと、仲間はついて来ない。

ところが、人は往々にして、「隣も上手く行ってないみたいです」「時期が時期だけに、仕方ありません」というような情報を選りすぐり、聞きつけて、自らを安心させてしまう。そのような人に、多分ぼくは厳しいのだと思う。

5月*日
東京海洋大学で開催した家族理解ワークショップの後に、士郎さん、鶴谷さん(沼津の幼稚園の園長先生)と3人でご飯に行った。その中で「手に入りそうなものしか欲しがらない社会」の話になった。これは最近ぼくがすごく気になることだ。

「欲しがりません勝つまでは」感が、日本中に広がっている気がしていて(うちの会社の若手メンバーなんかと話していても、時々それを思うことがある)、これは上世代が作ってきた世の中の今がそうなんだと思っている。個人主義の成れの果て感もある。大きな夢や野望を持ちにくい、あるいは口に出しにくい社会は、他人のそれへも不寛容な社会を作っていくから注意が必要だと思う。

5月*日
季節に一度「家族の構造理論を読み解く会」というオンライン講座を開催し、自らも参加している。今日は春の会。グループになり意見交換をしたメンバーは、横浜市の児童相談所の心理職員さんと一般家庭の主婦の方と福岡県の公立中学校の先生だった。
4人で色々話す中で、中学校の先生が「うちは全校生徒が700人強なんですが、30日以上休む【不登校】とラベルされる生徒が60名います」という話をしてくれた。

不登校問題については、「FUCTFULLNESS」で話題になった「中途半端な教養層が社会の進展を止める」の罠にはまっていると個人的に思っている。法的にも、現在問題視すべきは、登校・不登校問題ではなく、教育機会の有無だと定義されている。つまり、学校に行かなくてもきちんと教育機会が担保されていれば、大きな問題ではない、という解釈なのだが、世の中の認識が追いついていないため、相変わらず不登校児童の「増減」ばかりが話題になる。そのため、付け焼刃的にその対処ばかりするので、教育機会の多様性が生まれにくい。問題はその結果生じる「教育機会を確保されていない子どもたち」であって、「学校に行かない子どもたち」ではないのだが。

5月*日
家電芸人に負けないくらい「家電」が大好きな友人がいる。久しぶりに会うと、嬉々として最近導入した家電を説明してくれた。ちなみに彼は、奥さん、幼稚園年中さん、年少さん、猫1匹の5人家族だ。
まず紹介してくれたのは猫の世話を自動でしてくれる「PETKIT」という家電。猫との暮らしは7年目だそうだが、PETKITは指定した時間に餌を配し、糞尿の砂を取り換え処理し、ろ過した水を絶やすことなく補給してくれるらしい。
もうひとつは「Tapo」という室内カメラ。リビング、寝室など、あらゆるところに設置し、夫婦で決めたルールのもと運用しているという。24時間録画の映像は手元のスマホで随時確認ができ、PETKITの作動状況もリアルタイムで確認することができるとか。

そのおかげで、家族旅行や夫婦の外出が容易になったそうだ。子どもたちを寝かしつけた後、「近所のバーに奥さんと二人で」なんてことも楽しんでいるらしい。「けど年中さんになると、自由に動き回れる分、例え映像で状況が知れたとしても夜中に起きると不安でしょ」と尋ねると、「スマホからTapoを通じてしゃべりかけられるので、すぐ帰るからリビングでアンパンマン見て待ってて。机にあるお団子、食べていいよ、とか伝えれば、全然泣かないしおとなしく待っている」と言っていた。
どちらの家電も、誰でも買える値段で高級品ではない。

5月*日
私も参加する対人援助学会の季刊誌「対人援助マガジン」の執筆者トークライブ(オンラインで開催)に鶴谷さん(沼津の幼稚園の園長)が登場するので参加した。
色んな視座からの話が出て楽しかったのだが、その中に「若い人たちが目指してこない業界について」というテーマがあった。保育士や幼稚園教諭は今や不動の不人気職種だが、小・中学校の先生も、産科医のような医者も不人気だと聞く。

どうすれば「うちの業界に人が来てくれるか?」。こんな問いと向き合っている知り合いも何人かいるが、そもそも「業界」という括りで仕事を見ていないように、ぼくは思う。それはYOUTUBERが人気だと言われた頃から感じていることなのだが、多くの人が関心を持つのは「効率的に稼ぐ」ことであり、「効率的にやりがいを感じる」ことであり、「効率的に出会える」ことなのではないだろうか。YOUTUBERは効率的に稼げそうな匂いがしたから人気が出ただけであり、誰もが表現者になりたがっている訳ではない。
そしてこれも、行き過ぎた個人主義のひとつの帰着であり、みんなでそんな社会を作ってきた結果なのではないかと思ったりする。