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2020年3月の日記

3月*日
6年住んだ横浜から鎌倉へ引っ越す。長男つなぐの中学入学にあわせ、今しかないとの判断。引っ越しのため整理をしていたら、自分が大学を卒業しライターになってすぐの頃の日記が出てきた。続いたためしがなく、半年分もなかったが、とても面白かった。日記の中の自分はとても若かった。そこで、将来、自分の楽しみ用に、また始めてみようと思う。20年以上前の日記に「一日わずか10分じゃないか。これは財産になるのだから、きちんと続けよう」と自分への励ましがあった。今の自分に贈る。

3月*日
朝、長男つなぐ・長女そよ夏を義妹の家に送る。相変わらず新型コロナ騒動が収まらず、10日間の臨時休校。それぞれの仕事を工面し、預け合いで乗り切っている。こんな時期に妹のこと葉は仕事でニューヨーク。ニュースで「緊急事態宣言」が発令されたことを知る。無事に帰国できるのか。

3月*日
毎日のように打ち合わせや会食、仕事が流れて平日だが一日家に。昨日、宝塚歌劇がコロナ禍の中、再開のニュース。賛否両論あるが、現時点で正しさは誰にも分らない。大切なのは「赤信号みんなで渡れば怖くない」と思考停止しないこと。一人になっても、自分の赤信号は止まること、青信号なら渡ることだ。

3月*日
来談二名。一人は法政大学のT橋さん。今年度のインターンシッププログラム協力の御礼とご自身の進退報告。春から東京都立大学に移られるそうだ。もう一人はライオンに勤務するO本さん。数ヵ月前に全社的に副業が解禁されたものの、次の一歩がドライブしないということで、来談。夜は経理ミーティング。アソブロック含め、各社がコロナ禍で売上が立たなくなった場合、何か月持つかをシミュレーション。それなりに心積もりをしてきたので、さほど焦ることはない。

3月*日
WEBメディア「キャリアコンパス」の取材。取材はオンラインでとのこと。コロナ禍の影響かと思い、聞けば担当編集者はオランダ・アムス在住だからだと。そんな時代だなと思う。カメラマンだけは来訪。さすがに遠隔撮影は無理か。

3月*日
大学時代からの親友H行と銀座でご飯。Hさんに紹介してもらった和食屋「圓」は予約困難店だが、コロナの影響か「いつでも空いている」という。事実、カウンターに私たちと、テーブルに二客のみ。店員と客数が似たようなものでは、店は相当苦しいだろう。H行は4月に大阪異動。そのお祝い。単身赴任1年、家族崩壊が寸前で止められると喜んでいた。

3月*日
舞鶴出張の前乗りで京都泊。市内の道路が見たことないくらいに空いている。本来京都もこのくらいであるべきだと思う。舞鶴で運営するカフェ「kan’ma dining」はコロナ禍の3月に過去最高売上を達成。一見客相手の首都圏と、常連客相手のローカルのビジネスの差を感じる。とあるお客さんが「こんな時だから、信頼できる店に行きたい」とおっしゃった。2年間の積み重ねに少し自信を持つ。

3月*日
祝日、担当の物置の引っ越し詰め作業。4時間ほどかけて9割方完成。夕方、アソブロックのN木から、アイドルグループゆるめるモ!の3月27日、ZEPP DIVERCITY東京の開催是非の意見を聞きたいとLINE。3月頭から公演はすべて中止の方向と決めていたが、ここはホールも大きく損失も大きい。メンバーも仕事がなく意気消沈。昼にシルクドソレイユの95%の従業員がコロナで解雇のニュースを見たところ。関係者の収入のことも頭をよぎる。が、「ファンあっての活動だから、万が一にもファンを後悔させるようなライブはやったらあかんと思う」と返信。

3月*日
長男つなぐの保育園時代の友だちとのお別れ会<はばたきの会>開催日。コロナの影響で時間短縮実施。午後はその流れで、仲良し家族5組で友人宅BBQ。D居、E藤、S島、S戸とだべるが、途中から酷く頭痛がして撃沈。滅多に食べなくなった脂たっぷりのカルビと烏龍ハイのペアリングにやられた。

3月*日
午後にカメラマンのmasacoさん来社。主宰するシェアオフィス「合羽坂テラス」の入居希望。部屋やファシリティを案内し入居決定。建築家やデザイナーはいるがカメラマンは初めて。定時回収に来たクロネコヤマトの懇意兄ちゃんが、コロナ禍で一度断ったアマゾンをまた受け始めたと嘆いている。働き方改革を目指して断行した値上げの影響で、随分と顧客が離れたらしい。肝心の給与は微塵の変化もないとか。

3月*日
アソブロックの全員でコロナの対策会議をする。会社の状況をつまびらかにした上で、これからの可能性ととり得る道を示し、意見交換。決めるのは経営者の仕事だが、その前に十分にそれぞれが考えを述べる機会が大切。万一の場合は2021年4月以降に解散する、その可能性があることを踏まえて自分の暮らしをそれぞれが見つめ直す、となり散会。

3月*日
長男つなぐは、卒業式前日から強烈な胃腸炎になり、コロナ禍で休校になる中、唯一行われた卒業式に出席できなかった。本人は朝から涙し、親としても残念だった。しかし、そんなこともあるのが人生と諦めていたら、特別に卒業式をしてくれるということで、朝から妻と長女そよ夏小2を連れて出かけた。一人では寂しかろうと、I井くんが同席してくれた。もちろん簡略化したものだが、入場から証書渡し、学校長式辞まで、また出勤していた先生方が礼服で参列くださり、感謝に堪えない一人のためだけの卒業式だった。

3月*日
アソブロックで16年一緒しているY井から、「折り入って相談が」と連絡があり夜会う。この歳の「折り入って」はいい話が少ない。本人及び身内の病気、お金関連、色々と最悪の想定をして行ったが、独立を含めた身の振り方の話だった。ホッとする。40半ばのひと踏ん張りは後に必ず効くから、困難に思えても一番やりたい道を進むのがいいとアドバイス。

3月*日
東京に外出自粛要請、近隣県からは同要請に加え、東京への移動自粛要請も。引っ越しを目前に、NTTから「光通信の提供範囲外」との連絡。2週間以上待っての回答。理由も教えてくれず、懇意のドコモ店員に色々調べてもらうと、近々電柱の地中化をするからではないか?との説。まいった。返す刀でJ:COMに調査と見積もり依頼。転居後しばらくはテレビなし、インターネットなしが決定。

3月*日
妻の4*回目の誕生日。朝から季節外れの大雪。引き続きコロナ。引っ越し前夜。いろいろな意味でメモリアル。引っ越しを手伝いに来てくれた義妹、甥っ子も連れて6人で、近所の木陰茶屋で夕食。小さなロウソクをもらってハッピーバースデー。コロナの影響で期せずして店内は貸し切りだった。

3月*日
志村けんさんが新型コロナで亡くなった。享年70歳。我が家は引っ越し積み荷日。サカイ引越センターの6人衆がわずか2時間で手際よく運んで行った。荷下ろしは明日。アソブロックに1日に入社する2人の処遇を考える。この状況下で無理に来させることもないと思う反面、新卒の一人暮らし初日から自宅待機は不安かな、とも。

3月*日
引っ越し。7年ほど暮らした横浜の家とお別れ。今日から鎌倉市民だ。