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2021年5月の日記~長女がまさかの手術号~

5月*日
祝日だが、世は緊急事態宣言中だ。ということで、義理の妹宅を訪問することにした。車で移動中、三浦方面に向かう高速道路は渋滞がひどい。「車の中から海を見るくらいなら」と思うのだろう。久しぶりに会った義母と話をして楽しく過ごしていたら、夕方頃、小3長女が「お腹が痛い」と言いだした。「お昼ごはん食べ過ぎた?」などと言いながら寝かせておいても、痛みは治まらず、ついに涙を流し始めた。トイレに行き排便を促すも気配もなく、そうこうしているうちに2時間近くが経過した。さすがに心配になり、市の救急相談に電話をすると「救急車をお勧めしますが119番につなげましょうか?」と言われた。このコロナ禍に、腹痛程度でさすがにそれは…と思うが、応対してくれた女性に促されるまま119番に電話はつながった。聞かれるままに症状や住所を伝えると、そこまでのつもりは無かったが「救急車はもう向かっています」と言われた。すると、タイミング悪く、長女が「治ってきた」と言い出した。
「これは最悪のパターンだ」と思いながら、お詫びの言葉を頭の中でシミュレーションし、表通りに出て救急車を待った。やがて到着した救急救命士にその旨を伝えると、長女に近づき、いくつか質問をしてくれた。「一応、車内で簡単な診療をします」と言われ、その後「一応、病院に行きましょう」と言われた。何もかも想定外である。しかし「腹痛程度で申し訳ないが、診てもらえれば安心できる…」とも思い、申し訳ない気持ちのまま、妻が同乗する救急車を見送った。
しばらくすると、妻からLINEが届いた。診察の結果、急性虫垂炎であることが分かり、このまま入院、明日手術すると言う。本当に人生、一瞬先は分からないものだ。昼間、あんなに元気の家の前の道でキックボードをしていた長女が、夜には入院し、明日手術を受けるなんて。そして、ひとつ分かったことは、「下手の横好き休むに似たり」は、本当にそうだなということ。

5月*日
病院からは「10時に来てください」と言われていたが、30分以上前に到着した。院内の自販機で買ったコーヒーで時間を調整し、妻と小児病棟に行くと、すぐに小児外科部長から症状の説明があり、10時30分から手術します、と言われた。昨夕動き出したジェットコースターは、まだ走っているようだ。
リスクも含め色々と説明を受け、病室で腹痛がおさまらない長女に会い、言葉がけもそこそこに手術室に移動した。全身麻酔のうえで、腹腔鏡手術で患部を切除しますとのこと。「麻酔が切れる時間も含め2時間ほどです」と言われ、きっかり2時間後、痛みで号泣する長女が出てきた。
タラコのようにきれいなピンク色の虫垂を見ながら、手術は無事終わったと聞き、まずは一安心だ。ただ、長女は術前よりも腹痛が激しいらしく、そこから2時間強、涙を流しながら耐える時間が続いた。
面会の終了時間は20時。妻と交代で休憩を取りながら、ずっと長女の横にいた。面会時間が終わり帰宅する頃には、痛みもだいぶ治まってきたらしく、うつらうつらとだが、会話ができるようになった。経過にもよるが、1週間程度で退院できるとのこと。

5月*日
妻が行くはずだった中学校の懇談会に行くことになった。父と母、長女が病室にいてもらいたいのはどちらか?を考えると、正しい判断だ。全学年向けの説明会に始まり、クラス懇談会、部活懇談会と盛りだくさんの2時間。ほとんどが母参加の会だが、とても楽しかった。
中2になると、学校のことは家であまり話さない。特に父親に対してはそうだし、成長のプロセスとして悪いことだとも思わない。しかし、その結果、長男の毎日がイメージしにくくなるのは、残念な面もある。それを相当に補ってくれる2時間だった。
懇談会の定番といえば「一人ヒトコト」のコーナー。女子は「思春期でまったく口をきいてくれない」、男子は「学校からの配布物や連絡をまったく言ってこない」がお決まりらしく、親同士が頷き合いながら、我が家にも起こっていることを確認し、「順調だ」と思い合った。個別的に見れば心配なことも、大きな流れの中で見れば通過儀礼だということも多い。こういう会を通じて子育てを相対化できる面がきっとあって、とても大切なことだと思った。

5月*日
フェイスブックへの以下の投稿に対して、思った以上の反響があった。これを書いた半月前より、さらに五輪開催へエンジンがかかっている状況であるが、今も気持ちは変わらない。
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いよいよ五輪の議論が最終コーナーです。
これについての私の考えは「今じゃない」派です。
五輪に反対なのではありません。「今やることに」反対です。
同じように、「今じゃない」とお考えの皆さま、より声を大きくしないと、本当にやりますよ。ちなみに、私の整理では、構図的にはGHQがIOCになって、マッカーサーがバッハになったという、そういう風にしか見えません。動力は「経済」です。「平和」でも「愛」でもありません。

JOCは親会社であるIOCの「子会社」であって、橋本聖子さんは、従順な子会社社長です。親会社から子会社社長に託された唯一の命題は「子会社社員を黙らせること」であります。
子会社社員は、言うまでもなく、我々日本に住む人々です。

彼らにとって、アスリートは戦車や拳銃といった「武器」です。言うまでもなく、戦時における戦車や拳銃に非はなく、それはロバート・オッペンハイマーに本質的な非はないのと同じです。

ですから、アスリートに非難の目を向けるのは、開戦を前に「お前らがあるからいけないんだ!」と、物言わぬ戦車や空母に声を張り上げるのと同じ行為であり、お門違いもいいところです。そして、いざ戦争が始まれば、戦車や武器は当然「活躍」するわけで、その結果に一喜一憂するのが、当然なのです。

全力で旗を振って、兵隊を見送り、ホントかウソか分からないガリ版を見て万歳三唱していた歴史は、日本のみならず、世界共通なわけですから、間違いありません。たとえ、その影響で苦しむ人がいようと、五輪は、間違いなく盛り上がります。もしかすると、日本がメダルラッシュに湧いて、「果たして金メダルとして過去の大会と同等に扱っていいのか」議論は世界中で出るかもしれませんが、そんなことは些細なことです。

問題は、いま、本当にやっていいと、皆さん思っているのかどうか、です。私は、日本の多くの人が「やろう」「やりたい」と思って開催するのであれば、それは受け入れて楽しみたいと思っている派でもあります。でも、今、私の周りの人たちの意見を聞いていても、どうもそうじゃない感じがある。それなのに、開催されようとしている。そこが問題だと思うのであります。

5月*日
今年度の運動会メダルが完成した。アソブロックがリンドウアソシエイツさんと一緒に、20年近く、毎年、依頼する作家を変えて作り続けている園向け商品だ。今年度の絵柄は「ラチとライオン」。今どきだなあと感動したのは、この制作のやり取りを、ハンガリーに住む83歳の作家マレーク・ベロニカさんと直接やれたことだ。
メールを送ると、「この方がいいんじゃない?」と自ら手を動かし、作画を添えて返信が来る。欧米では、子どもが通う施設での「運動会」が一般的なイベントではないため、「運動会って何?」から始まったやり取りは、83歳にして現役作家のそれだった。
もうお金も名誉も、世界中で十分に得ただろうから、東アジアの、しかもアソブロックという聞いたこともないような会社からの、さらにギャラの安い案件なんて、「ライセンス認めるよ」のワンアクションを【誰かにさせておけば】済む話なのに、そんな感じは微塵もなかった。「何のためにそれをするのか?」を判断基準に、一切手を抜かず、より良いモノになるように、控え目に提案をくださった。そこに「大御所の言うことだから聞いておけ」感はまるでなく、「私のアイデアを送るから、よかったら採用してね。あなたたちの国の事情は、私には分からないところもあるから!」と元気な返信が来るたびに、齢を重ねてもこうありたいものだと心から思う、そんな素敵な出会いだった。

5月*日
自宅近くの小さな川に、毎年この時期ホタルがやってくる。夕食後、虫垂炎から回復した小3長女が「お父さん、ホタルに行こう」と言うので二人で出かけた。ホテルではない、ホタルである。歩いて5分、ご近所さんが何組か先客にいらしたが、密とは無縁。気候も良かったのが、これまで見た中でもイチニを争う数がいた。自宅で待つ母に見せようと、長女は真っ暗闇に向かってスマホをかざしていた。撮れたような、撮れていないような、ぼんやりした写真に大満足して、そのあと、しばし二人で自分の目で眺めた。

5月*日
アソブロックへの中途入社希望者と面談をした。コロナ禍でもあり人と会うのを控えていたので、外部の人との顔合わせ自体が久しぶりだった。事前にアソブロックのワークブックを送付し、読破して来てもらったので、前提をだいぶ割愛して実のあることを話すことができた。
あなたが目指したい未来に共感ができ、その上でアソブロックがその実現に貢献できそうなら応援するし、難しそうならメンバー入りは難しいと伝えた。入社希望者は、新卒から一社で14年、働いてこられた。実績もそれなりに積まれてきた中での転職検討。そのこと自体は、とてもいいことだと思うが、果たしてアソブロックが適した場所かどうかは別問題。こちらがよく見極めないと、成長の逆支援になってしまいかねないと自戒した。

5月*日
妻の体調が悪く(歯痛)、中2長男は「出前のハンバーグを食べる」というので、小3長女と二人で外食に出かけた。一度行ったことのある近所の寿司屋がいいというので、余裕を持って7時前に行くも、「もう閉店だよ」と大将に言われた。常連以外はお断り、という感じだった。口の中がお寿司の長女と、せめて刺身でも食べようと、その先にある小料理屋に入った。客は私と長女だけ。向かい合って、お刺身の盛り合わせと、いくつかの惣菜を食べた。それが、なんだかとても幸せな時間だった。
こういうことって、たまにあると思う。予期せぬ幸福感に包まれる瞬間。それは、再現が難しいから、幸福感が増幅するのだろう。同じ幸せを狙って、改めて長女と小料理屋に行っても、同じ感覚にはきっとならない。狙っていた寿司屋がダメで、断り方に少々棘があり、残念な気持ちでたどり着いた、という流れにも、予期せぬ幸福感の要素があると思うからだ。何事も、「順調」なだけでは物足りない。予期せぬ幸福感は、上手くいかないことを乗り越えたときに訪れるご褒美なのかもしれない。