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2020年12月の日記

12月*日
かれこれ20年近く続けている、幼稚園・保育園向けの運動会メダルのキックオフ会議があった。毎年、株式会社リンドウアソシエイツの皆さんとアソブロックの担当が集まり、去年を振り返り、今年の動きを確認する。最大の決め事は、今年は誰に絵を頼むか、だ。ちなみに去年は手塚治虫さん。もう亡くなっているので、正しくはプロダクションだけれど。これまで、五味太郎さん、加古里子さん、レオ・レオーニさん、黒田清太郎さんなど、錚々たる皆さんに引き受けてもらった。「企業のパンフレット用に」なんて頼むと、きっとけんもほろろなのだろうけど、「幼稚園・保育園の園児が首にかける」と説明すると「よっしゃ、やったろか」と思ってくれるようで、これまで断られたことがない(ギャラの交渉をされたことはある)。話し合いの結果、今年は「ラチとライオン」の作者・マレーク・ベロニカさんに決定。ハンガリーにお住まいでご存命。さて、どうやってつながろう。

12月*日
今日、2日は愛媛の松山で展開していた、はちみつのお店「8bees」の閉店4周年記念日だ。閉店なので記念と呼ぶのはまったく相応しくないけれど、社員のみんなとお別れした日。ぼくの経営通信簿は基本的に成績がいいのだけれど、これは明らかに赤点だった。でも、あの廃業から学んだことがたくさんある。中でも一番の学びは、今のように先行きの見えにくい時代の経営判断において、役員会での合議・決定は躍進を妨げる確率が低いということ。あの廃業を機に、ぼくは判断基準をずいぶんと変えた。データを見て、周りの話をよく聞いた上で、決断は自分の感覚を信じる。今のところ、ベストな判断方法は、直観だと思う。

12月*日
京都に出向いて『きょうとNPOセンター』の理事会に出席した。年はじめに立てた「今年の誓い」を見たかのようなタイミングで就任を相談されて、常務理事になって半年間、自分なりに組織状況を見つめてきた。その中で感じた課題や、未来について思うことを伝え、ほかの理事たちの意見をもらった。理事それぞれ出自が色々なので、視座が違っておもしろい。自分の越境学習の場として引き受けた仕事だし、徐々にそのような形で機能していくように、アクションを重ねて行くつもり。理事会後、小さな食事会。理事仲間で猫の専門家・K池さんの話がたいそう面白かった。

12月*日
デザイナーのY寺さんと、2月刊行予定の新刊の装丁打ち合わせをした。二人の自宅からほぼ等しい距離にあるショッピングセンター内の喫茶店で、混み合わなさそうな11時から。お互い車で来て、話して、すぐ帰る。だったらZoomでいいじゃないかと言われそうだけど、アイデア出し合うのは、リアルの方がと思ってしまう。どんな紙にする? レイアウトは? 見返しの色は? 綴じ方は? など、手触りの積み上げ感がある装丁打合せはホントに楽しい。ここから本が完成するまで、編集者の誰もがミリオンセラーを夢見る権利を持つのであります。

12月*日
アパレルブランド・サルビアの経営会議があった。本当はメンバーみんなで木~金の1泊2日合宿に行く予定だったのだけれど、第三波を受けて止む無く中止にした。だから事務所で、メンバーから年間報告を受ける形に。数字を見渡してみると、アパレルの卸売り事業が思ったほど下がっていない。正直、コロナでもっと下がると思っていたから、意外な結果だった。全国のお店さんが、瀬戸際で踏ん張っておられる印象を強く受けた。スタジオ事業は4月から夏前まで稼働ゼロ。密になるから、当たり前ですね。色々確認した後で、改めて、全国のお店さんにとって、どうすれば支えになるかを話し合った。

12月*日
コロナがきっかけで始まった、『団士郎オンライントークライブ』第二回目の当日。朝から京都に移動して、士郎さんの仕事場で最終打合せと準備をした。新宿のオフィスではアソブロックのK林とA岡の二名が事務局として対応している。Zoomでの開催も慣れてきたけれど、通信や機材のことでトラブルが起きると気が萎えるので、無事終わるまでは油断がならない。「ホントにもう大丈夫かな」「大丈夫でしょ」といった無駄な確認を何回も交わす。かくして約2時間半、士郎さんの話は快調で、大きなトラブルもなく無事終了した。とてもいい会だったと自画自賛である。ナラティブの話は、いつ聞いても頷くことが多いし、もう良く知っているはずなのに、現場で使えるようになるには、経験が必要だなあ。

12月*日
Y工務店さんからの依頼で、約1年かけて作っていた家づくりの動画が完成した。間取りの打合せから上棟式、工事、完了検査、引き渡しから実際に暮らしが始まるまで、ストーカーのように本当によく撮った。おかげで丹波地域の飲食店にずいぶん詳しくなった。引っ越し当日、とても嬉しそうな施主さんファミリーをファインダー越しに見ていると、自分も家を建てようかと思ってしまうほど。そういう気持ちになる映像になっていたら、大成功だ。

12月*日
どうも心臓の具合が良くないらしい。10月の人間ドックでひっかかってから、エコー検査、24時間ホルター検査と精密検査が続く。ホルター検査の結果、10%を超える不整脈があるとのことで、次は来月、冠動脈CT検査をすることになった。まあ次の検査が来月だから、喫緊のことではないのだろうけれど、10回のうち1回以上がちゃんと脈打てていないというのは、なかなかの頻度だ。頼むぞ、おれの心臓、そんなところで個性を発揮しなくていいのだよ。

12月*日
先日に引き続き、延長線として開催したサルビアの会議に、3月で退職したS田が久々に来てくれた。退職日は前から決まっていたけれど、ちょうどコロナ騒動が起き、送別会ができないのはもちろん、顔も合わせないままに退職となって以来、顔を合わせたのは9ヵ月ぶりだった。そんな別れ方をせざるを得なかったケースが、世の中にゴマンとあるのだろうと思う。会議の後、身内のごく少人数で、遅すぎる送別会をマスク会食で開催。本来予定されていた4月の送別会用に用意したメッセージカードや贈り物を、時期を逸した感はあるが、ようやく渡すことができた。まあでも、世の中がリモート一色になったので、9カ月ぶりが全然久しぶりに感じなかったのも事実。この感覚の変容も、コロナの影響のひとつだなあ。

12月*日
子どもたちが冬休みに入り、定宿を利用し2泊3日で初すべりに行った。毎年のことなので予約は秋口に済ませていたが、オーナーから「団さん、GO TOなくなったけどどうする?」と連絡が来るなど、宿は間際まで大変だったようだ。「人が多ければ無理に滑らなくても、気分だけ…」などと言いながら向かったが、去年に比べると雪も多く、お客さんが分散し、ゲレンデは比較にならないほど空いていた。でも、気持ち家族連れが少ない印象も受けた。我が家族はもちろんマスクスキー。ゲレンデで偶然会った、H幼稚園のT谷先生と四方山話をしながら、ゆっくりと滑った。出発直前に、スキー用具入れを漁っていると、引っ越しの際にスキーウエアの下(パンツ)を捨てたことを思い出した。しまった。おかげでパンツは雨合羽で代用。3日目は雪が降り、お尻がにベチャベチャになり、まいった。

12月*日
とても不思議な一年が終わる。個人的には『警戒と配慮と挑戦』、この三つがミキサーされたような一年だったと思う。最後に個人的なニュース・トップ3をあげておきます。
● 母・典子さんの逝去と、それにまつわる出来事
● 鎌倉への引っ越し、に伴う働き方・暮らし方の変革
● N木とT岡の結婚、S田の退社、Y井の他社注力、など会社の仲間を巡るさまざまな出来事
ということで、皆さま、2021年もどうぞよろしくお願いします。