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尊敬はボーダレス 敬意は全ての人に

おはようございます。

社会福祉士×ダウン症児パパのTadaです。
Tadaのイントネーションはキラ(夜神月)と一緒です。


小噺です

昨日は誕生日で一日休暇をとった。
大体毎年誕生日などの記念日には休暇をとる欧米スタイル。
ワークライフバランスの先駆け的存在だ。

当初特に予定もなかったので妻とランチデートでも行こうかとぼんやりと考えていたけれど、息子の通う支援学校のPTAが施設見学を企画してくれ、その日がまさに昨日だったため参加させてもらった。

障害者施設の見学。
ここでの感想は音声配信で話しているのでよかった聞いてみてください。


ここではその後のお話しを。

一日休暇をとっているということは息子をバス停まで迎えに行けるのだ。
これが何よりも嬉しいイベント。普段は仕事でなかなかお迎えいけないからね。

バス到着予定時刻5分前くらいにバス停で待機する。
少し背伸びしてバスが来る方向を見渡す。
バスは見えない。
そりゃそうだ。5分前だ。

それでもワクワクして何度か背伸びを繰り返す。
違うバスが見える、やってくる。

そうしているうちに息子の乗ったバスであろうものが視界に映る。

僕「きた!あれよね?」

妻「おとうさんいるの気付くかな~?」

バスが停車。
歩道側の前から3番目の座席に座っていた息子と目が合った。

気付いた!!

息子は素早くバスを降りようと拙い歩き方で小走りをかます。
満面の笑みの息子と合流。

「あぁ、僕の幸せってこういうことなんだろうなぁ」

と、しみじみ思う。
そんな最高の誕生日だった。


さて本題

ひとつ歳をとりついに40代に突入。
気持ちはいつまでも若いつもりでいても
体は着実に歳をとっている。これは健康に気を付けるしかない。
腸活?菌活?筋活?やれることはなんでもやってやろうじゃあないか。

ただしやれる範囲内で。

それよりも問題だと感じるのは
体と同じように立場も着実に歳をとっていること。
18歳で下っ端中の下っ端として働き始めたあの頃とは違い、今はそれなりに後輩もいて、人材育成のための研修や、組織改革にも顔だしちゃったりしている。

悪いことではないし、ありがたいことではあるが、今自分がどんな立場で、周囲とどう関わっていくべきなのかは常に考えないといけない状況。

この前Xを眺めていると

「40代から老害は始まる」

的な言葉をみてハッとさせられた。

いつの間にか指示的になってはいなかっただろうか
いつの間にか万能感を持ってはいなかっただろうか
老害なんて意識してないとすぐに害になる側になることを知っておかないといけないと思った。

こんな老害化を防ぐ手立てがあるとするならば
ボーダレスに尊敬し、全ての人に敬意を払うことだと思う。
生きていくうちに無意識のうちにしているマウンティング、これを取り除く必要がある。


歳を重ねると気付く。
振り返ると自分より若い存在が日本で、世界で活躍していることに。
それはメディアのような派手な世界じゃなくても、もっと身近でも起こっている。
自分の身近で起こるこの活躍の逆転現象を認めることができないと先には進めない。

どんなに幼かろうと
どんなに老いていようと
どんな障害があろうと
どんな状態であろうと

尊敬できる人はたくさんいる。
それを年齢や性別、その他の状況で尊敬できないと反応を示してしまうこと自体が時代遅れでナンセンス。でもきっとそんな人たちまだまだたくさんいると思う。

閉鎖的な世界にいればいるほどこの感覚は顕著なのかな。

そして尊敬よりも大切なのは敬意。
実は同じ意味合いなんだけど多分以下のように使い分けてるんじゃないだろうか。
※僕の感覚なので違ったらごめんなさい。

<尊敬>

①その人の人格を尊いものと認めて敬うこと
②その人の行為・業績などを優れたものと認め、その人を敬うこと

goo辞書

といった意味だが、基本的に②の意味合いで使われることが多いと思う。

<敬意>

尊敬する気持ち

goo辞書

ここでの尊敬はおそらく①の意味合いで使われることが<尊敬>よりは多いのではないだろうか。

その人の行為・業績などを優れたものと認め、その人を敬うことは行為や業績にフォーカスし、それ以外のことは気にしない。ボーダレスに尊敬すること。

そして、その人の人格を尊いものと認めて敬うことに関しては全ての人に適用すべきことだと思っている。

もちろん人間だから色んな状況によってそれらが叶わない相手もいるだろうけど。極力ね。

実際僕は息子を尊敬している。
歳は30以上離れていて様々な発達の遅れのある彼は、
障害をもって生まれながらも、元気で笑顔で精一杯生きている。
変なところにこだわりが強いけど決してそれは悪いところばかりじゃない。
ドアの開け閉め、電気のON・OFF、椅子やテーブルの決められた場所への配置、どれもルーズな僕には出来ないこだわりばかり。
負けず嫌いで、上手くいかないと全力で悔しがるくせに諦めず何度もチャレンジする。
そんな息子を尊敬せずにはいられない。

他にも僕は多くの人を尊敬している。
自分より何かが優れている人は尊敬の対象だ。
そうやってたくさんの人を尊敬し、教えを乞う中で自分がさらに成長する機会を得ることができる気がしている。

尊敬は全ての人に敬意を払うところから。

いいところを見つけることができることは人生を豊かにする。

おわり。

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