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アークナイツの物語はなぜ自分に刺さったのか

サムネイルは最近昇進2にしたリー先生です。
連合作戦で唯一未所持のリー先生をゲットできてうれしい。ただ、現在他オペレーターの特化素材集め中なので、リー先生のモジュールなどは後回しになりそうです。

それはそれとして、なぜアークナイツの物語が自分に刺さるのか、書きたくなったので書いてみます。


最近のストーリーで「アークナイツ」を感じた
オペレーターのひとり

アークナイツは不治の感染病、貧富、種族による差別がガンガン描かれます。暴力や死、やるせない怒りや悲しみ、傲慢さも描写され、「鬱」と言われることがよくあります。

ただ、同時にプレイヤーからは「鬱だけじゃない!」とも言われます。どんなにつらい物語にも、それでもと希望を追求する姿、まだ見ぬ明日、未来に向けて歩む人々の存在がいることが描かれるので、その姿の美しさが一層引き立ちます。

もう少し踏み込むと、自分は、開発元のhypergryphはアークナイツというゲームで、「自分は感染者だからもうだめだ、被差別階級だし寿命は短い、何をしても意味がない」というのを否定する物語を描いていると感じています。 

一見「努力しないと意味がない!」みたいなマッチョイズムにつながりそうではありますが、「人生を諦めるな、自分を投げ出すな」「本当の『死』というのは……精神がくさってしまうこと……」というメッセージが強いのかな、と。

ゲームでなくても生きることはつらく、理不尽なこともあり、暴力もあり、差別や貧富の差は激しい。
現実では「もっと金を稼げ!美しくなれ!」という「正解のようなもの」がありますが……

アークナイツが提示してるのは金や美しさ、生まれなどではなく「明日を諦めない、希望を捨てない、それこそが素晴らしい。たとえ明日死ぬとしても」という精神なのかなあ……と思っています。その「明日死ぬとしても」の描き方が、こう、エグいのはありますが……

他のゲームもそうだよ!という内なる自分の声も聞こえますが、アークナイツは他のゲームよりかは確実に生々しく、かつ「あるよね」という形で差別とか暴力を描いているので……現実とのリンクがすごいんですよね。タイミングとかもあるとは思いますが……。


…………まあ、ここまで書いてきて、実際の自分は今めちゃくちゃに「自分の人生はもうダメだ……おしまいだ……つまんない人生……他の人はあんなに生き生きしてるのに自分は……」とアークナイツ世界にいたら「つまらなさそうに語る人物A」みたいな感じになってるのですけども。

ただ、そんな自分でも素直に受け入れられるストーリーの良さ……もアークナイツにはあるのかな……と思います。

オペレーターが全員完璧超人ということもなく、ちょっとケチくさい一般人もいれば、転職してきた人、就職してきた人もいるし、なんかすげー!!!人にも完璧じゃない姿があるし……

また、そういう「完璧じゃなさ」をおちゃらけとかトンチキで描かないところも良いのかもしれません。


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