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エジプトの地方都市探訪記【Part.2】〜ケナーとデンデラ〜

これまでの旅路は上の記事で書いた。
今回はその続き、ケナーの街歩きを始めたところからである。


Travel Egyptのホームページより。
東を上にした地図。ナイルの東岸にケナー、
西岸にデンデラがある。

ケナーの街を探検する

デンデラへ

ケナーへ来た目的は、街区の道路にずらっと長く伸びるラマダーンテーブルを見ることだった。

ある写真家が撮ったケナーの写真を見て、「これを自分の目で見てみたい!」と思ったから来たわけだが、どこにそのラマダーンテーブルがあるのか、そもそもこれを毎日やっているのかという詳細は一切分かっていなかった。
行き当たりばったりの旅である。
とりあえず、街歩きをしながら地元の人に聞きてみることにした。

その前に、せっかくだからケナーから少し離れたナイルを挟んで反対の街、デンデラに行こうという話になった。
デンデラも古代からある町で、観光地として有名なハトホル神殿がある。
ラマダーン中は閉まっているため、神殿を観に行くことはできないのだが、何もなくてもせっかくだから、ナイルの反対岸の雰囲気も見ておきたいと欲張りな心が出てきたのである。

陽気すぎるタクシー運転手

タクシーを何台か捕まえて運賃を聞き、3台目に捕まえたタクシーでデンデラへ行くことにした。
「神殿(マアバド)じゃなくて、町(マディーナ)に行きたい」といったところ、その運転手に言われた運賃は150LE。
最初に捕まえたタクシーは80LEと言っていたので、80LEにならないなら乗らないと交渉したところ、ちょっと不機嫌そうだったがこの値段で行けることになった。

乗ったタクシーの運転手は、運賃交渉時と違って陽気すぎるほどガミガミと良くしゃべるおじさんで、
「なんでデンデラなんかに行くんだ、マアバドに行きたいのか?目的地はマアバドでいいか?」と聞いてきた。
「え、神殿開いてるの?何時まで開いてるの?」と聞くと「ラマダーン中は閉まってるよ。」とのこと。
「だよね、だから町に行ければいい。」と答えると、「デンデラの街なんてなんもないぞ、ケナーの方がマシだ。ケナーよりはカイロの方がずっといい!」だの、「町には何もないし、いいところも全然無いぞ!」
とデンデラをクソミソに貶している。

「デンデラの何が良くないの?」
と友人が聞いてみると、運転手曰く「デンデラの人は挨拶をしても返してくれない!」

本当かどうかは知らない。
とにかく、ハトホル神殿に行きたいわけでもないのに、デンデラへ連れて行けと言われるのがよほど不思議だったらしい。

その後も「なんでケナーにまで来たのか」とか、「こんなところまで来る外国人はお前たちくらいのものだ」とか色々言っていた。
その言葉通り外国人が珍しいらしく、運転中にこちらをむいてセルフィーを撮ろうとする。
カイロ同様、車線も車間距離も無い無謀運転のパラダイスなので、「さっさと写真を撮って、前を見て運転に集中してくれ…!」と肝を冷やした。
すると、撮った写真を友達が誰かに送りつけたらしく、今度は電話を始めた。
忙しい。
「なんで送った写真を見ないんだ!外国人を乗せてるんだよ、早くメッセージを見ろ!」と電話口に叫んでいる。
おじさんはもう大興奮。
タバコを吸っていたが、タバコじゃないものも一緒に吸っていたのではないか。

長閑な農村風景

そうこうしているうちに、いつの間にかデンデラに入り、周囲には畑がどこまでも続くのどかな農村風景が広がった。
おじさんの言う通り、降ろしてもらう予定の場所を過ぎても何もない。 
神殿がある街だから、タクシーかバスがあるだろうと思っていたが甘かった。友人と2人でぼそぼそ相談して、やっぱりケナーまで戻ってもらうことにする。こういう時、日本語は便利だ。

郊外や農村でよく見かける光景。
労働の合間か、のんびりお食事中のロバ。

「やっぱりケナーに戻ってくれる?そっちのいうことが正しかったね」というと、運転手は「そうだろう!!ガハハ!」と大笑いしながらUターンしてくれた。そのあともずっと何か喋っていたが、もう内容も覚えていない。

ケナーの街に戻り、降車場所近くになってから、おじさんは何の脈絡もなく突然、
「車に飾りたいから何か日本のものをくれ」
と言い出した。
よくガイドブックに書いてあるような、「日本の文房具をくれ」とか「日本のものをくれ」言われることは、カイロ周辺ではあまり無かったが、地方都市のしかも観光地ではない、外国人が珍しいところだと、まだこういうことはあるらしい。
手元には何もなかったので、「マーアレシ(悪いね)、何もないよ」と言いながらさっさとタクシーを降りる。
おじさんは残念そうだったが、往復分の運賃160LEを手にすると、あっさり車列に戻っていった。

農地の直ぐ側にまで街が迫っている。

ラマダーン月の街角

タクシーを降りてからは、いよいよラマダーンテーブル探しと街探検に出発。
このくらいから気が付き始めたのだが、やはり外国人が全然いない。
欧米人やアジア人はもちろん、地元の人じゃなさそうな人がいない。
ラマダーン中のこんな時期に旅行する人もいないのだろう。
そんなわけで、カイロの庶民街以上に色んなひとからジロジロ見られながら歩くことになった。とはいえ、日中歩いている間はいたずらで声をかけられることはほとんどなかったと思う。

「ラマダーン・カリーム」(ラマダーン月に交わされるお決まりの挨拶)の下に、
「慈悲深き客人たちのための、慈悲深き食卓」
「(ラマダーン月)おめでとう」
(ラマダーンだけでなく、イードや誰かの誕生日、コプトの祝祭でも交わされる「おめでとう」の挨拶)
と書かれている。
バスステーション近くにあるシーディー・アブドゥルラヒーム・モスク。
ラマダーンテーブル

通りの端にテーブルやいすの塊が用意してあった通りに入ると、聖地巡礼をした人がいる家と分かるように描かれている壁画がいくつも目に飛び込んできた。
やはり、カイロの街を歩いているときよりも見かける数が圧倒的に多い。

飛行機で巡礼に行ったことが分かる。
この家の人は船で行ったらしい。
しかも、この家からは3人もの人が違う時期に巡礼に行ったことが分かる。

ラマダーン飾りも、街区によってそれぞれ趣向が違い、住宅街の路地を歩いては、それぞれのこだわりが見える装飾に感嘆の声を上げた。

中でも見事だったのは、何百枚という不要紙を赤、青、黄色に染め、旗のように飾り切りをしてラマダーン飾りにしていた通りだ。

よく見ると、何かの説明書や雑誌などの不要紙が使われている。一見したところでは、そんな紙で作られているとは分からないくらい綺麗なものだった。

ラマダーン月の街角を歩きながら、次はコプト教会も観に行ってみることにした。

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