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天命を知る

⚠️ネガティブな文章を含みますので、センシティブ(または現在その状態にある)な方は読まない方がいいかもしれません。また、記事の内容はあくまで私個人の人生観、考え方であって他人にも強要しているわけではありません。

「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」

孔子の言葉「天命とか知命」ってことばをどこかで聞いてなんだったっけなとひっぱりだした。どうでもいいけど、店名じゃないよ変換くーん。
50歳ごろになるとだいたい自分の人生の運命がわかる。みたいな意味だったかなと。あってる?

若い時は、自分はなんのために生まれてきたんだろうとか、何かを成すために存在するとか、自分の能力値も考えずに生まれてきた意味や特別感を抱いていたけど、この年齢になるともう、自分が何者であるか、なにができる人間なのかがわかってくる。

若いときは、自分は何かできるはずだと自分の力を過信し、日本じゃ狭すぎる、力がちゃんと発揮できない、と海外に渡り、移住し、長い年月を過ごしたが、結果、私は何者にもなれなかった。最初から何者でもなかったからだが、別にそれすらも今ではどうでもよくおもう。
悪い意味ではなく、いい意味でどうでもよくなった。

しつこいようだが、時間の使い方はそのまま命の使い方なので、とにかく生きてる間、残りの人生、楽しいこと、好きなことだけをしていたいと思う。周りのことなんでどうでもいい。仕事における人間関係もどうでもいい。なんでも話せる友人が二人かそこらいればそれで十分。
悩む時間も考える時間ももったいないので思ったら即行動しないと気がついたら逝っちゃってる。
たとえば、それは少々高い買い物をする時でさえ思う。
欲しいと思ったらす買う。どうせすぐ死ぬから。
旅行だって行きたいと思ったら行く。どうせすぐ死ぬから。
会いたい人がいたら会おう。どうせすぐ死ぬから。
こんな感じで考える時間を持たなくなる。せっかちになるのわかる。
人は絶対死ぬから。明日死ぬかもしれないと思ったらなにも悩まなくなる。

こんなアホみたいな漫画を描いていることすらも、「こんな漫画描いてていいのかなぁ……」と悩まなくなる。
周りは言うけど。
「なんのためにそんなもの描いてるの? 売れるわけでもないのに」
「それより海外エッセイでも書けば?」
「せっかく英語学んだんだから英語使ってなんかやればいいのに」
とかとか。
やだよ。面白くなかったもん。(←一応はやった)

残りの人生短いからさ。楽しいことしかもう、やりたくないの。
誰にも読まれなくても自分が楽しいから好きなものを描いてたいの。
金は食っていける分だけ稼げてればいい。別に多くはいらない。貯金もいらない。
どうせいつか……すぐ死ぬんだし。
そしてみんなと同じところへ行くんだよ。あっという間に。

死を近く感じると、なんか毎日が貴重に思えるよね。


皆様も、メメント・モリ!!

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